暮らしの中の町内会 02/3/13up
 先日町内会の役員から、ジイに町内会の役員になってくれないかとの話がありました。ジイとバアの住んでいる町内は、市内でもいち早く昭和40年代に区画整理事業が行われたところであり、宅地化が進んで新住民がどんどん流入し、旧住民よりも新住民のほうが圧倒的に多く住んでいる地区です。約1,600世帯と加入世帯も多く、団地を除いて上尾市内では最も大きい町内会の一つです。しかし、町内会の会長は、歴代旧住民の中から選出されています。市内の他の地域でも、ジイとバアの町内会と同様役員は、旧住民が占めているところが多いのです。ジイが思うにこの原因は、新住民世帯の世帯主の多くが東京はじめ市外へ通勤しているため、地域の自治活動にはほとんど参加していないこと、旧住民は子供の時代から近隣との結びつきもあり、自警消防組織や体育協会などの活動を通じて若いころから地縁、血縁的関係をもっていること、また町内会活動と関係の深い行政にかかわる市の職員との関係も昔からいろいろあるので、必然的に町内会の役員が旧住民に独占されるのではないかと思います。このことは、市議会の議員や市の職員に旧住民が多いこととも相関しています。上尾市の人口が現在217,000人、市制施行時(昭和33)37,000人ですから40年で約6倍になったということは、圧倒的に新住民のほうが多いのにもかかわらず、地区・地域の活動は相変わらず旧住民を中心に動いているのです。
なぜ、前段でくどくど旧住民が支配する地域活動について書いたかというと、実はジイが地元の役員から持ちかけられた役員の役が「祭典部」というものだったことと関係するからです。ジイとバアは、田舎暮らしを夢見て、実際長野県の北御牧村に家を建てようとしていますが、そこに暮らし始めたら地域のかかわり方については、都市部とは違うかかわり方が必要になるだろうと想像し、それなりの覚悟をして取り掛かろうと思っているのですが、埼玉県の上尾市でも実は同じような問題があるということを実感したのです。ジイとバアの町内会には、9つの専門部(会館管理部、体育部、祭典部、自警消防団、自主防災会、環境美化部、防犯交通部、福祉部、子供会育成会)があり、祭典部というには、元旦祭という地元の神社への初詣から始まり、3月春祈祷祭(災難祈祷祭)5月花祭り(お釈迦様の祭り)7月富士浅間神社祭、夏祭り、灯篭始め(木灯篭に常夜灯をともす)8月納涼盆踊り、9月薬師例祭、10月氷川神社祭(収穫祭)…これらの神事や仏事にかかわる行事を地区の祭りとして位置付け、その実施を担う役廻りです。ジイとバアは、クリスチャンなので今までそのような行事には参加したことはありません。町内会費でこれらの行事が行われることについても必ずしも賛成しているわけではありませんが、厳密に言えば憲法論議にまで発展してしまうので、地域の人たちが宗教的行事(神社側は祭事=宗教行事として位置付けている)としてではなく、地域で楽しむ文化としてお祭りを楽しむ分には、あえて異議を唱えなくても仕方がないかと思い、黙認してきました。しかし、自らが役員としてお祭りのお先棒を担ぐということはとてもできることではありません。役員話を持ってきた役員の方は、こちらのそうした事情はまったく知らないで、何年か前に引き受けた幹事という役をこなすジイをみていて、頼めば引き受けてくれるのではないかと期待したのでしょう。詳しい説明はぬきにして、宗教的理由から祭典部の役員だけは受けられない旨お話し、引きとってもらいました。
 日本では長い間、地域のコミュニティを形成する母体に神社やお寺が存在し、神社やお寺の宗教的行事が1年の生活のサイクルを形成していたわけですから、その影響を今も引きずっているのも止むを得ないことかもしれません。特に町内会を運営する中心を旧住民が占めており、そういう人たちは先祖の代から地元の神社、寺に氏子や檀家として帰属しているのですから、そこで行われる行事は日常生活の一部といってもよいのでしょう。
 しかし、都市化が進んでいる上尾市の中でも、神社や寺の宗教的行事が無批判的に引き継がれていることに、ジイは少し危惧を持っています。というのも戦前の日本が、神社を母体とする国家神道を天皇制のイデオロギー的支柱にして、それを肥大化させて「八紘一宇(はっこういちう)※」の思想のもと、日本人をアジアの盟主として支配と搾取の手先にまで仕立てあげ、戦争へと突き進んでしまった暗い過去があるからです。多くの人たちが戦争に反対できず、軍国主義の道を進んでしまった原因の一つに、神社等の宗教的行事など日常生活の中から取り込められてしまった地域コミュニティの構図がにあったのではないかとジイは思っています。でも悲観ばかりしているわけではありません。夏祭りや盆踊りなど昔は家族総出で楽しんだものですが、今は祭りの担い手や参加者を集めるのに苦労する時代になってきました。文化や娯楽が多様化し、一人ひとりの選択肢が増え、画一的にひとくくりできなくなってきている⇒個性化していることが、個の自立をうながし、「右向け右」という号令に一斉に右を向いてしまうようなことが少なくなるだろうと期待しています。
 ジイとバアは地方公務員なので、地域のコミュニティについてまったく無関心で過ごしてきたわけではありませんし、このコミュニティ組織を否定するものでもありません。仕事がら各町内会の役員との付き合いもあるし、きちんとコミュニティとしての組織が機能している地域は、行政の立場から見てもやりやすいし、特に福祉の面ではいいことだと思います。しかし、一定の規模を超えた自治体は、そこを構成する一人ひとりの市民が、地域という枠でくくろうとしても、その枠を越えて自分なりのコミュニティをつくり、その中で生き生きと活動している例が増えてきているという、時代の変化を見極める必要があると思います。少なくても行政は、そのような住民も視野に入れたコミュニティのあり方を考える必要があると思っています。たとえば、最近のインターネットや携帯電話を通じたコミュニティなどは、ほとんど地域的関係は必要条件ではなくなってきています。交通、通信手段の飛躍的な進歩が、地域という小さな枠を越えて動けるようしてくれたのです。したがって、日常生活でも、地域コミュニティとは没交渉でも暮らしていけるようになりました。最小限のお付き合い(町内会費の支払い、回覧板の回覧、年に12回の清掃奉仕、10年に1回程度回ってくる班長の引き受けなど)さえしていれば、特に周りから後ろ指を指されないで済みます。要するに町内会をはじめとする地域のコミュニティへの関わり方の深さ、浅さを自分で判断し、自分で決められる時代になってきているのです。市内の団地に住む長女夫妻は、町内会(団地は自治会になっている)には入っていない(会費を払っていない)のですが、日常生活上何の不自由も感じないとのことです。
 北御牧村の地域コミュニティがどのような形になっているかまだわかりませんが、都市化の進む上尾市ですら以上のような状況ですから、おそらくもっと濃密な旧態依然とした状況だろうな、と想像しています。田舎暮らしの本やホームページをみると、神事、仏事にまつわる話が多く出てきており、そこをうまくクリアしないと仲間入りできない、と田舎暮らしの先輩方からのアドバイスが出ています。特に神社の宗教的行事(祭り)は、自然や農作業と結びついたものが多いだけに、農業が中心のところでは、その祭りに参加しない者、和を乱す者は、自然の脅威の元凶として村八分になる可能性を秘めてきました。ただ、ジイとバアは地域のコミュニティが神仏の宗教的行事に参加することが条件である限りは、いつか衝突せざるを得ないだろうと思っています。いたずらに、こちらから戦いを挑もう等とは思いませんが、老後を自分なりに生きようとしているときにそれを阻害されたくはないのです。今は、時代も変わり地域のコミュニティだけがコミュニティではなくなってきていますし、地域のコミュニティとのかかわりがなくても日常生活はしていける時代になっています。ですから、そんなに田舎暮らしの重大なテーマとしては考えているわけではありません。でも、少なくてもご近所とは平和に暮らしたい、というのも正直な気持ちです。さて、どうなることやら?
この問題については、いつか北御牧に住みつくようになったらもう一度書いてみたいと思います。
八紘一宇 (はっこういちう)『八紘』は国の八方の果ての意、転じて全世界。『一宇』の宇は、屋根の意。八紘一宇は、世界を一つの家とすること。太平洋戦争期、わが国の海外進出を正当化するために用いられた標語。日本書紀から出典。(広辞苑より)
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