スイス旅行(2012年6月27日〜7月6日)

ルックJTBツアー名
「ベルニナ線と氷河特急で行くスイスよくばりハイライト
10

スイスには、1992年初めての海外旅行として出かけたヨーロッパ周遊旅行の中で、ユングフラウヨッホ観光をした。インターラーケンに1泊しただけの駆け足ツアーだったので、もう一度ゆっくりスイスだけ観光したいとその時から思っていた。
在職中、友人夫妻と一緒にツアーで行く計画を立てたが、ジイの仕事の関係で行けず、友人夫妻だけが予定通り出かけたこともあった。次は、ジイの退職を記念して行く計画を立てたが、これも長野への移住や飼い猫ポチのこともあって、実行するまでには至らなかった。
ようやく今年になって、ルックJTBのパンフレットを見ていて、こちらのスイス旅行のイメージに近いツアーを発見し、その気になった。
220日にイオン佐久平店内にあるJTB東海トラべランドに行って、申し込みをした。
日程的に一番都合のいい
627日発のツアーは、この時点でキャンセル待ちになっていた。仕方なく、空きのあった629日発のツアーを申し込み、合わせて27日発のキャンセル待ちも同時に申し込んだ。1週間後に電話があり、27日発のツアーにキャンセルが出たというので、そちらの方で参加することに決めた。ツアー代金は、27日発のほうが1万円安く、さらに120日前の早特割引2万円があるので、表示価格より割安で行けることになった。
ほかの旅行会社のツアーは、何かと割引制度を今でも使えるが、JTBはそういう制度が在職中はともかく、無職の今は使える制度がないので割高感はあるが、旅行中に何かあったときの補償や対応に他社と比べ安心感があるので、近ごろはツアーで行く場合は、他の旅行会社のパンフレットやホームページも参照して比較検討するが、最終的にはJTBを選んでしまう。
65日にJTB東海から電話があり、最終の旅行日程表ができてきたという連絡があり、翌日佐久平支店に日程表の受け取りと残金の支払いに行った。ところが619日にJTBから電話で、グリンデルワルドで泊る予定だったシュピーネというホテルが、ホテル側の手違いで泊れなくなったため、ワンランク上のLグレードのホテルグランドレジーナに変更になったことと、変更になったための違約金として旅行代金の10%が返金になる、という報告があった。返金の手続きを受けるため、622日に佐久平支店に行った。返金になった分を、旅行中のレストランでの飲み物代やフリータイムの食事代、お土産代に充てることにした。624日には添乗員の篠原さんから、あいさつと旅行中の注意点などについて電話があった。

出発日の前日成田前泊まで含め、日記風に旅行記を残すことにする。

最終旅行日程表

日次

スケジュール

食事(基本)

宿泊地

1

627日(水) 

08:25 成田国際空港第1ターミナルKカウンター集合
10
25:成田(LX161便)<飛行機>(直行便)チューリッヒ
空路、スイスインターナショナルエアラインズ直行便で、チューリッヒへ
15
50:チューリッヒ着 着後ホテルへ  モーベンピックホテル チューリッヒエアポート

朝食:-
昼食:機内食
夕食:なし

チューリッヒ

2

628日(木)

0815:チューリッヒ<バス>(約1時間30分/90km)ザンクトガレン
世界遺産ザンクトガレン観光
ザンクトガレンではバロック様式の大聖堂(入場)と修道院附属図書館(入場)を訪れます
ザンクトガレン<バス>(約1時間30分/95km)マイエンフェルト
マイエンフェルト観光
名作「ハイジ」の物語の舞台となったマイエンフェルトにてハイジの家(入場)を訪ねます
マイエンフェルト<バス>(約2時間/106km)サンモリッツ
18
00:サンモリッツ/ホテル着  クリスタルホテル

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:あり
夕食:あり

サンモリッツ

3

629日(金)

0900:ディアボレッツァ観光と世界遺産ベルニナ鉄道乗車(1等)
サンモリッツからバスとロープウェイを利用してディアボレッツァ展望台(2984m)へ お天気が良ければ、スイス4大名峰の1つ標高4049mのピッツ・ベルニナを含むベルニナ山群や氷河の景色をお楽しみいただけます
<列車>(約2時間30分)
イタリアのティラノからサンモリッツまで、世界遺産ベルニナ線の列車の旅をお楽しみください
17
00:サンモリッツ/ホテル着  クリスタルホテル

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:イタリア料理
夕食:なし

サンモリッツ

4

630日(土)

0830:サンモリッツ 氷河特急1等車の旅
サンモリッツ<列車>(約5時間)アンデルマット
サンモリッツから氷河特急に乗り、アンデルマットヘ 途中、世界遺産アルブラ線の名所でもある有名なランドヴァッサー橋を渡ります
アンデルマット<バス>(約3時間/120km)グリンデルワルド
夏季限定 絶景ドライブ
夏のみ通行可能な、絶景のフルカ峠とグリムゼル峠越えの絶景ドライブを楽しみ、グローセシャイデックを通りグリンデルワルドヘ 
18
00:グリンデルワルド/ホテル着   グランドレジーナ

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:氷河特急車中にて
夕食:ホテルにて

グリンデルワルト

5

71日(日)

0730世界遺産ユングラウヨッホ観光とハイキング(日本語ハイキングガイド同行)
クライネシャイデックからファウルボーデン間の往復ハイキング(約1時間)
その後、登山列車でユングフラウヨッホ(3454m)へ スフィンクス展望台(3571m)からは世界遺産のアレッチ氷河などの大パノラマをお楽しみいただけます
16
30:ホテル着  グランドレジーナ

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:クライネシャイデックにて 夕食:なし

 

グリンデルワルト

6

72日(月)

0830:シーニゲプラッテ高山植物園観光
登山列車に乗り、約500種類以上のアルプスの高山植物を集めたシーニゲプラッテ高山植物園(1967m)を訪れます
午後:インターラーケン<船>(約1時間20分)シュピーツ
インターラーケンからシュピーツまでトゥーン湖クルーズ(1等)をお楽しみいただきます
シュピーツ<バス>(約2時間30分/85km)テーシュ
テーシュ<列車>ツェルマット
途中、カンデルシュテックからゴッペンシュタイン間はバスを乗せて運ぶカートレインを利用します
18
30:ツェルマット/ホテル着

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:チョイスメニュー
夕食:2種のフォンデュ体験

ツェルマット

7

73日(火)

早朝:朝焼けのマッターホルン観光
ご希望の方に朝焼けのマッターホルンがご覧いただけるホテルより徒歩圏内のポイントへご案内します
08
20:マッターホルン観光とハイキング(日本語ハイキングガイド同行)
登山列車に乗りゴルナーグラート駅(3089m)へ
ご希望の方は、復路ローテンボーデン駅で途中下車しリッフェルベルク駅までマッターホルンを眺めながらの下りのハイキング(1時間30)を楽しみます
11
30:自由行動(ハイキングなし)
13
00:自由行動(ハイキングあり)

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:なし
夕食:なし

ツェルマット

8

74日(水)

0820:ツェルマット<列車>テーシュ<バス>(約3時間/144km)シャモニー
モンブラン観光
モンブランの麓シャモニーからロープウェイを乗り継ぎ、エギーユ・デユ・ミディ展望台(3842m)へ 
お天気が良ければ、アルプスの最高峰モンブランなどの景色を満喫していただけます
シャモニー<バス>(約1時間30分/88km)ジュネーブ
17
30:ジュネーブ/ホテル着  ロイヤルマノテル

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:和食
夕食:魚料理

ジュネーブ

9

75日(木)

07:30:ホテル発<バス>ジュネーブコアントラン空港

10:10ジュネーブ発<飛行機>(LX2807便) チューリッヒ着11:00

13:00チューリッヒ発<飛行機>(LX160便)成田
空路、チューリッヒ乗り継ぎ、スイスインターナショナルエアラインズにて成田へ

朝食:アメリカンまたはビュッフェ
昼食:なし
夕食:機内食


(機中)

10

76日(金)

0750:成田着

朝食:機内食
昼食:-
夕食:-

 

 

626日(出発日前日)

昨夜はいつもより早めに就寝。途中一度目が覚めたがまた眠ることができ、たっぷり7時間は眠ることができた。起きてすぐ可燃ごみをステーションまで出しに行った。生ごみはないが、10日以上家を空けるので、家の中にごみを残しておきたくなかった。朝食後は、旅行中に何かあったときのために、旅行傷害保険のことやいざというときのための情報をUSBメモリーに入れて、わかるところに置いた。子どもたちとも長いこと同居していないので、何がどこにあるか教えていない。以前に、文芸春秋の付録に付いていた「いざというときのために」というノートも同封した。午後1時半過ぎにヤマちゃん夫妻にあいさつをし、留守をお願いして、家を出た。佐久平に行って、スタンドで車にガソリンを入れ、イオンに寄って夕食を買い込んだ。佐久インターから高速に乗った。高速道は混んでおらず、順調に走らせることができた。三芳パーキングで30分ほど休み、たい焼きを買って食べた。大泉ジャンクションから外環道に入り、美女木から首都高に入るつもりでいたが、車線変更できず通り過ぎてしまったので、仕方なく川口経由で、上尾に住んでいるころよく使っていた成田までの高速道のコースで走った。都心を通るコースより走り慣れているので、距離は増えたが走りやすかった。酒々井パーキングで最後の休憩をして、前泊ホテル「成田ビューホテル」に午後6時に到着した。ホテルのテレビで、消費税増税法案が衆議院で可決されたと報じられていた。自公民で示し合わせた国民無視の暴挙だ。民主党内で57人が反対票を投じたという。このひと月政局がらみで民主党内のごたごたを、マスコミは取り上げてきたが、もううんざり。それも旅行中は目にも耳にもせずに済みそうだ。スイスで泊るホテルはみなインターネットの接続環境が整っているらしいので、ノートパソコンを持参していくが、毎日アップできるかわからないので、あしからず。

 

627日(1日目)

545分起床、昨夜は10時には就寝したので、普段に比べてよく寝た方だろう。6時半に朝食を食べにホテルのレストランに行った。6時オープンということだが、すでに利用客でかなりのテーブルが埋まっていた。中国人らしい団体がテーブルを占拠していた。まだいつもより1時間も早い朝食時間なのでいまいち食欲がなかった。ただ次の昼食は機内食になり、いつ食べられるかわからないので、無理やり詰め込んだ。
7
35分発のホテルバスで空港第1ターミナルに行った。ホテルの案内では、空港まで2025分となっていたが、実際には15分ほどで到着した。ツアーの受付は810分から始まるというので、しばらくロビーで待った。時間に行くと受付が始まっていて、列ができていた。総勢で26人、同じような世代と思われるひとが多数を占めていた。受付が終わった後、両替所でスイスフランに両替し、スーツケースをスイスインターナショナルエアラインズに預けた。すでに二人で34.7kgあった。一人23kgを超えると超えた分が有料になるので、あまりお土産に重いものは禁物だ。
JTBの受付に時間がかかって時間に余裕がなくなったので、すぐに出国手続きをして出発ロビーに行くことにした。手荷物検査を通って金属探知機のゲートを通ったらブザーが鳴ってしまった。何が原因だったがわからないが、ベストのチャックでも引っかかったのだろうか。ベストや履いていた靴を脱ぎ、眼鏡ケースをポケットから出して通り直したら無事パスした。

9
55分から搭乗手続きが始まり、一番最後に乗り込んだ。
座席は、窓際ではなく、機体の最後尾に近い中央の4人並びのシートだった。出発は1025分の予定だったが、滑走路が混んでいたらしく、実際に飛び立ったのは11時少し前だった。チューリッヒ直行便で、フライト時間は約12時間半、椅子の間が狭く、リクライニングが少ししか倒れなかったので、結構背中や足が痛くなった。こんなエコノミークラスで長時間耐えられる体力があるのはあと何年ぐらいだろうか?
機内食は、
2回それぞれ出発してから2時間後と到着2時間前に出た。途中1回おにぎり1個も配られた。スイスはほかのヨーロッパ圏と同様日本との時差は、夏時間で7時間の差。チューリッヒ空港には午後335分に到着した。
到着ロビーから、手荷物を受け取る中央ロビーまでは、地下鉄のような乗り物で移動した。空港を
444分にバスに乗って出発し、今夜のホテル「メーベンピックホテル」には数分で到着した。案内された部屋は広く、ベッドなど一つがダブルベッドほどのサイズがあった。

夜の食事は付いていないので、ホテルのレストランを自費で利用する方法もあったが、現地ガイドさんが歩いて行けるスーパーマーケットを教えてくれたので、そこまで夕食と飲み物を買いにでかけることにした。道を間違えてスーパーがわからなくなりホテルの近くまで戻ってきたところで、同じツアーの人が反対方向から買い物袋を持って戻ってきたところに出会ったので、道を聞いて行くことができた。どうやら交差点を逆に行ってしまったようだ。何とかスーパーにたどり着き、パンやサンドイッチ、ビール、ミネラルウォーターなどを買って帰った。まくら銭を準備するのもかねてスーパーに行ったのに、買い物は
10フランでお釣りが0.52フランしかなく、まくら銭に必要な2フランにならなかった。
買い物の行き帰りは西日を浴びて暑かった。気候は長野の方と似ている感じで、陽当りは暑いが日陰は涼しく、空気がジトッとした感じはなかった。途中住宅街を通ったが、おしゃれな家が並んでいた。日本でいえば高級住宅街樋雰囲気だった。

買い物から帰り、広いホテルの部屋でビールで乾杯し、食事をした。こちらの時計で午後
7時、二本時間では午前2時、もうとっくに寝ている時間だ。日記を書いている時間は午後830分、外はまだ明るくまだ青空が出ている。現地ガイドの話では、9時半ごろまで外は明るいそうだ。インターネットはつなげられるが、1時間で5フラン(435円)かかるので今日はブログをアップしないことにした。もう眠くなったのでお休みなさい。

 

628日(2日目)

午前2時に最初に目が覚めた後、何度もウトウトしては目を覚ます、の繰り返しだった。昨夜は9時に就寝したので時差ぼけはあるとはいえ、今のジイの睡眠力からいっておおよそこのぐらい眠ったら、その後はそれ程熟睡できるわけではない。5時ごろくしゃみをしたら、バアがその前から目が覚めていたらしく、話しかけてきたので、それをきっかけにベッドから出て起きることにした。
6時からレストランは開くということだったので、610分にレストランに行くと、我々のツアーの座る席が決められていて、すでに78人が食事をしていた。バイキング形式の食事だったので、いろいろ珍しいものを取ってきたら、全部は食べきれなかった。
食事の後フロントで
10フランをコインに両替してもらって、まくら銭を用意した。7時前に部屋に戻り、身仕度をしてスーツケースを廊下に出し、部屋でくつろいだ後、ロビーで集合し、815分にホテルを出発した。
最初の観光地ザンクトガレンに向かった。
1983年にユネスコの世界文化遺産に指定されたところだ。約1時間で到着。7世紀にこの地で布教したガレン修道士の名前が町の名前になったところ。8世紀に出来た修道院が始まりで、現在のベネディクト派の修道院は何度かの建て替えを経て、18世紀中ごろに出来た建物が現在に至っている。特にこの修道院を有名にしたのは付属の図書館に収蔵されている印刷技術以前の写本による聖典や神学書の質と量が、ヨーロッパの中でも屈指のものであることらしい。中世カトリックを知るうえで貴重な資料、文献が揃っているそうだ。修道院はバロック様式で華美な感じはなく、ステンドグラスなどはない。それでいてドームや壁に施されたフレスコ画は、修復が施されているのだろうがよく保存されている。懺悔室の扉などの木の彫刻が素晴らしかった。

世界屈指の図書館のほうは撮影禁止で中の様子を写すことはできなかった。写本の一部がガラスケースに収めて展示されていた。羊皮紙に書かれた文字を通して、どんな思いで大変な写本の作業をしていたのだろうかと、目には見えない修道僧の顔を思い描きながら分厚い写本を眺めた。修道院と図書館の見学のあとは、旧市街の建物群を見学して歩いた。特に出窓が特徴的でさまざまな彫刻で装飾されていて、それぞれが競い合って作り上げたようだ。華麗な装飾の一部に、下を出した人面がちりばめられていて、時の富裕層の世相への風刺が表現されているという。
1時間半ほどザンクトガレンに滞在した後、1050分に出発し、次の目的地マイエンフェルトに向かった。途中手前のバードラガッツという町で昼食を取った。卵入りのコンソメスープにメインディッシュはソーセージ料理、デザートはアーモンドプリンだったが、すべての料理が出終わるまでに1時間近くかかった。ジイは、地元産の生ビールを飲んですっかりいい気持になってしまった。


昼食の後は、
15分ほどバスに乗ってマイエンフェルトに行った。最初に「ハイジの泉」へ。ハイジの石像にある一坪ほど小さな泉で、写真を撮るために寄ったが、ちょうど地元の小学生が遠足できていて、泉を独占していたので、泉よりその子どもたちが被写体になってしまった。

泉からバスで
5分ほど移動したところにバスの駐車場があり、そこから先は徒歩で有名な「ハイジの家」に行った。バス停から15分ほど歩いて目的地「ハイジの家」に着いた。天気が良くて歩いていても汗が噴き出した。気温は31℃もあるという。「ハイジの家」はちょっとイメージしていたものと違っていた。我々のイメージの中には、どうしても宮崎駿監督の「アルプスの少女ハイジ」のアニメのイメージが強く印象に残っているので仕方がないが、ペーターやハイジのお人形も姿、形が全く違うので別人のように思えてしまった。

地図にハイジフュッテというのがあったのでジイ一人で
15分ほど山道を登って行ったが、一向にフュッテが見えなかったので諦めて降りて戻った。あとで添乗員さんに聞いたらそこへ行くには1時間以上かかる、ということだった。
320分にマイエンフェルトを後にして、今夜の宿泊地サンモリッツへ。途中から2,000から3,000m級の山々が連なるスイスアルプスの間を縫って、標高2,284mのユリア峠でトイレ休憩となった。どこの国でもそうだが、峠には休憩所がある。広大な景色は広がる中、休憩所付近には様々な高山植物が、無造作に咲いていた。日本なら立ち入り禁止のロープでも張り巡らしそうなところに、自由に分け入って花を写真に撮ることができた。

峠から早く
4050分、午後6時に今夜の宿「クリスタルホテル」に到着した。外観は商業ビル風だが、中の室内は木をふんだんに使った山小屋風のホテルだ。夕食はホテル内で取った。スイス製の赤ワインでジイもすっかり酔っぱらって、ブログを書くのも半分眠りながらの状態だ。ホテル内は無線LANが無料で使えるので、二日分をまとめてアップした。

 

629日(3日目)

昨夜は11時ごろ寝たが、夜中まで外は若者の叫ぶ声が騒がしかった。今日の添乗員さんの話では、サッカー欧州選手権でイタリアがドイツを破って決勝に進出したので、イタリアに近いサンモリッツでは、イタリア語圏の人口も多いので、勝利を祝って若者が大騒ぎしたとのこと。6時過ぎに起床して、着替えをし出かける準備を済ませ、朝食の時間815分まで時間があるので、朝の散歩をした。少し歩くとサンモリッツ湖の景色が目に入った。部屋から見える景色は西側の山の景色で晴れ渡っていたが、サンモリッツ湖の東側の山には霧がかかっていた。今日一日の天候を決めるのは、どちら側の気候に左右されるのかわからないが、インターネットで調べた限り、今日一日も良く晴れる予報だった。

朝食を済ませ、午前
9時にホテルを出発した。サンモリッツには連泊なので、スーツケースのピックアップはなく、出かけるときのばたばたした感じがなくてよかった。45分ほどでディアボレッツァ展望台へ向かうロープウェイの発着所に着いた。100人以上乗れる大きなゴンドラに乗り込み、標高2,973mの展望台に15分ほどかけて登った。

途中ガスに覆われていて、着いたら何も見えないのではないかと心配したが、手前の大きな山を越えたところから先は、霧が晴れていてほとんど視界を遮らない形で、山容が一気に眼前に迫ってきた。ゴンドラ内の乗客から一斉に歓喜の声と拍手が沸き起こった。いくつもの雪に覆われた山の連なりと、その間には氷河が幾筋も山裾を埋め尽くしていた。いくつかの山のほぼ中央にある最高峰がベルニナ山で
4,049mの高さだ。
ロープウェイは、冬はスキー客を乗せるものに変わる。この展望台から下まで一気に滑り下りたらさぞかし気持ちいいだろう。日本のスキー場とはスケールも違う。サンモリッツにもスキー場があって、雪質はパウダースノーよりもさらに細かく、別名シャンペンスノーと言われているそうだ。天気に恵まれて展望台で約
50分過ごしたが、ウインドブレーカー1枚重ねただけで十分だった。少しでも天候が悪いと氷点下になるというが、今日は陽当りではかなり暑く感じる。

11
時の下りのロープウェイに乗り、発着所まで下りた後は、スイスとイタリアの国境を越えたイタリア側の町ティラーノに行った。途中バスは昨日と同様、23,000m級の山々を縫うようにして登って行った。12時半ごろティラーノに到着した。ベルニナ鉄道のイタリア側の始発駅になる。駅前のホテルのレストランで昼食。もちろんメニューはイタリアン。前菜はトマトソースのペンネ、メインは子牛の肉にポテト添え、デザートはあまーいティラミス。

午後
222分発のベルニナ特急の1等車に乗ってサンモリッツに向かった。車両1台を我々のツアーだけで貸し切ってしまう贅沢な旅だ。天井まで見える大きなガラスがはめ込まれた車窓からは、雄大な景色のほかに、円を描くように回り込む列車の最後尾から先頭車両から後続の車両が自然に溶け込むように走る姿まで、目にすることができる贅沢な鉄道の旅を、約2時間半満喫した。車窓ははめ込み式のガラス窓なので、回り込む車両をカメラに収めたが、内側に映った人影や反対側の景色も写ってしまうので、なかなかベストショットは撮れなかった。ベルニナ鉄道は、日本の箱根登山鉄道と姉妹提携をしていて、ティラーノの駅に箱根の文字と日の丸を描いた車両が停まっていた。車内で写真を撮っていると、一眼レフカメラがおかしくなった。応急修理していたレンズが具合悪くなったようだ。ホテルに戻って、こういうときのために持ってきた瞬間接着剤で折れた爪をくっつけ何とかまた使えるようになった。
 
午後
440分にサンモリッツに到着し、サンモリッツ湖を眺めた後、中心街に出る長いエスカレーターを乗り継いだ先はもうホテルへの道は数分のところだった。サンモリッツ湖は朝見たときより晴れて、湖面に青空が眩しく映っていた。今日も一日天候に恵まれ、暑かったが素晴らしい観光ができた。

ホテルの部屋で少しくつろいだ後、ツアーに食事が付いていないので、ホテルの近くのスイス料理のお店「ハウザー」へ行き、そこで食事をした。ミックスサラダとポークステーキ、ベーコンとポテトを炒めたものに生ハムを添えた料理を頼んだ。二人で分け合って食べたが、とても食べ切れなかった。部屋に戻って
2時間たった今でもゲップが出るほどお腹が苦しい。
   

 

630日(4日目)

6時に起床、窓から見える空の様子では今日も天気はよさそうだった。連泊したこのホテルも今日でお別れ、次は待ちに待ったグリンデルワルドだ。今日は最初にサンモリッツからアンデルマットまで氷河特急に乗るので、ホテルから駅までわずか5分のところをバスで移動だ。朝食の後830分にホテルを出て駅まで行った。小さなバスだったので、電車に載せる我々のスーツケースがバスのトランクに入りきらず、座席の通路にまで積み込んだ。
915分の出発で昨日と同じベルニナ線の1等車両に乗った。昨日とは違って、途中車内で昼食が出るので、座席には折り畳み式のテーブルが付いていた。
 
山あり谷ありの目を奪われるような圧倒的なスイスアルプスの景観が、これでもかこれでもかと続いた。氷河特急一番の見どころであるランドバッサー橋を車内から撮影したが、車窓のガラスにほかの景色が写ってしまって、ガイドブックにあるような景色には撮れなかった。

 
12
時前には昼食のセットが終わって、座席で外の景色を眺めながらの贅沢な食事が始まった。前菜は、スイスにしては豊富なミックスサラダだった。メインは、豚肉のクリーム煮に炒めご飯、車内の料理としてはまずまずだ。食事に合わせてスイス産のビールを飲んだ。ほどよく酔ってしまった。昼間飲むアルコールはよく回る。
   
途中、クールの駅からは最後尾の車両だったのが、後ろに機関車がつながれ、先頭の車両になってしまったので、景色が逆に流れるようになった。さらに途中のディゼンティスという駅からは、アプト式専用の機関車に付け替えられ、標高
2,033mのオーバーアルプ峠までの急こう配を登って行った。そこからアンデルマットまでは今度は逆に標高差約600mの下りだ。サンモリッツを出発してからアンデルマットまで約4時間半の氷河特急列車の旅を満喫した。車内販売で氷河特急のエンブレムの入った野球帽を買った。
   
アンデルマットからはバスに乗り換え、一路グリンデルバルトに向けてスイスアルプスの山々を貫いて走った。冬期は雪で埋もれてしまうので、閉鎖されてしまうフルカ峠からさらに連続してあるグリムゼル峠へと、バスはエンジン音を軋ませながら、登ったり降ったりの連続だった。グリムゼル峠でトイレ休憩となったが、駐車場の脇の湖にはまだ冬の間凍った湖水の一部がまだ融け切らず、流氷のように湖面に浮かんでいた。それまで車内では、陽に当たって汗ばんでいた身体が、寒い風にさらされて一気に冷え込んでしまった。
30分の休憩時間だったがとても外で立っていられず、15分でバスの中に逃げ込んだ。
 
バスはさらに、バス
1台がやっと通れるような山道を突き進み、氷河によって削られた急峻な山容の連なりの中を走り続けた。グリンデルバルトに近いグローセシャイデック展望台に到着。ここで少し霧で霞んだアイガーが姿を現した。新田次郎の小説ですっかりなじみとなったアイガーだが、ここから見えるアイガーはその北壁ではなく東側からの眺望だった。
 

この展望台から約15分で、アイガーのふもとの町グリンデルワルドに到着した。ホテルに着く直前に雨が落ち始め、バスから降りている間にシャワーのように雨が降り出した。濡れないよう慌ててホテルのロビーに入り込んだ。今回の旅行で急きょ変更になってLグレードのホテルになったのでどんなホテルか楽しみだったが、さすがグリンデルワルドで唯一の五つ星ホテルと言われるだけあって期待にそぐわず、いいホテルだった。我々の部屋は最上階の角部屋だったが、広さもアメニティも贅沢をいったらきりがないが、我々には十分過ぎるものだ。夕食はホテルのレストランで、ピアノの生演奏を聴きながらの贅沢な雰囲気の中での食事だった。
   
食後は、
8時を過ぎてもまだ西日が眩しいほどにまた晴れてきたので、食後の散歩を兼ねて街中を歩いた。20年前に訪れたときにコーヒーを飲んだカフェもあった。途中モンベルのお店を覗くと日本人の店員さんがいて、気楽に会話ができたせいも手伝って、グリンデルワルド限定のTシャツを買った。

 

71日(5日目)

夜中は暑くて寝苦しかった。スイスでもここ数日の暑さは異常のようだ。一流ホテルもこの暑さに対処する冷房設備などの用意はなかったようだ。そんな中6時に起床、カーテンを開けるとアイガーに雲がかかっていた。起きて着替えをしている間に、雷が鳴りだし、あっという間にアイガーが雲に包まれ、窓から見える道路に強い雨が叩き付けていた。今日のハイキングは雨の中になるかもしれないと、カッパもすぐ着られるように準備した。リュックのカバーも準備万端にして、朝食会場に行った。
7
時からオープンすると聞いていたので、75分に行ったら、我々のツアーの人たちはもう食べ始めているか、ビュッフェの食材を選択する列に並んでいた。やっと座るところを見つけて、食事を始めた。さすがに食材も豊富で選ぶのに時間がかかったうえに、たくさん食べてしまった。7時半過ぎに食事を終えるころには、外が明るくなってきたので、部屋に戻らず、ホテルの周りを散歩した。食事に出るときには何も見えなかったアイガーが、青空をバックに、陽を浴びて輝いて見えた。ホテルの窓から見えるアイガーのふもとのおしゃれな建物は、後から聞いたところでは、半数以上が貸別荘らしい。その近くまで朝食の後の散策で歩いた。

部屋に戻り、用意した雨具類はリュックに仕舞い込んでロビーに行った。
840分に全員集合し、歩いて1分のグリンデルワルド駅に行った。917分発のクライネシャイデック行きの電車に乗るとのこと。ホテルは、駅前の一等地にあるのだから、9時にホテル出発でも十分余裕があったと思うのだが・・・。

実は、当初の予定では、この電車で次の駅のグルントまで行き、そこからロープウェイでメンリッヘンまで登った後、ハイキングで
1時間半かけてクライネシャイデックへ行くことになっていた。そのハイキングコースは、雪が融けて616日から開通したが、開通2日後の地滑りで通行ができなくなったため、クライネシャイデックまで電車で行って、その周辺を歩くコースに変更になってしまった。クライネシャイデック駅までの登山電車の途中、車窓から霧の切れ間にアイガー北壁を垣間見ることができた。クライネシャイデックに到着し、現地ガイドに案内されて、霧の中ハイキングが始まった。
 
予定の下りだけの
1時間半のハイキングが、アップダウンのあるコースに変わったせいか、ゆっくり道沿いの高山植物を観察しながらのハイキングになり、距離もいたって短く正味1時間程度のハイキングになってしまった。自然災害だから文句も言えないが、かなり期待が大きかっただけに、少し残念な変更だった。アイガーやメンヒ、ユングフラウがそれぞれ雲の切れ間にほんの一瞬だけ姿を見せた。

11
15分にはクライネシャイデック駅に戻り、駅の建物中のレストランで食事となった。前回来たときも同じようなところで食べた記憶があるが、狭い場所にギューギュー詰めに座らされ、流れ作業のように食事が運ばれてきた。朝食をいっぱい食べてしまい、さらにハイキングのコースも短く、お昼前の時間ということもあって、ほとんど空腹感がないところで食べる食事は、せっかく作ってくれた料理人には悪いが、半分以上残してしまった。それも店員がせかすような動きをするので、なおさらだ。日本の「おもてなしの心」を教えてやりたい気分だった。

昼食後、ユングフラウヨッホ行きの登山電車にはまだ間があったので、駅の近くのお土産屋さんで時間をつぶした。バアが狙っていたレースに手縫いの刺繍が施されたテーブルクロスをお土産に買った。ジイも、スーツケースの目印に使うため、牛とエーデルワイスをプリントしてあるバンダナを買った。登山電車は、前回来たときに比べると格段に洒落た車内になっていた。
10年前だったか、運行中に車両火災が起き、日本人も含め大勢の人が亡くなった事故が起きたのを教訓にしたのだろう。途中2か所、5分停車して、トンネル内のプラットホームから外を眺められる仕掛けがされた場所があるので、停車すると皆一斉に下車して写真を取りに向かった。最初の停車駅ではガスっていて何も見えず、次の停車駅ではかなり遠方の山並みまで見渡せるほど晴れていた。上に行けばいくほど晴れているかもしれないと本命のユングフラウヨッホでの景観を期待したが、いざ到着してみるとあいにく濃いガスで何も見えなかった。

こんなこともあろうかと、JTBが
100周年記念と銘打って、一般には公開されていない氷河のトンネルの中に作られている「アイスバー」に案内をしてくれた。ここで簡単なおつまみと飲み物が無料で用意されていて、ジイとバアはおいしい白ワインを飲んだ。お替りが欲しいくらいの美味しいワインだった。

アイスバーを出た後は、ユングフラウヨッホの駅からさらに足を伸ばして、
100mの高度差を一気に登るエレベーターに乗ってスフィンクス展望台へ行った。20年前にはなかったところだと思う。しかし、そこでも状況は変わらなかった。外に出られるスペースがあるのでそこへ出てみたが、寒いだけで景色は何も見えず、早々に退散して、集合場所まで戻った。初めて来た人には心残りだろうが、ジイたちは前回来たときによく見えて、今でも記憶に残っているので、今回は仕方がないと容易に諦めることができた。前回は高山病で動けなくなったが、今回は体調に変化はなく、お土産品売り場などを見て回って、集合時間まで待った。

帰りは、来たコースを同じようにたどっておりた。クライネシャイデックまで下る電車の中ではいつのまにか寝てしまい、目が覚めるとトンネルを出て、クライネシャイデックのすぐ近くまで下りてきていた。車窓から見ると、午前中歩いた道は強い雨に打たれていて、側溝に流れる雨水は急流となって流れていた。クライネシャイデックからグリンデルバルトまで電車に乗っている間も外は雨が降り続けていた。午後
5時前に終点のグリンデルワルトで電車を降りて、駆け足でホテルまで逃げ込んだ。駅に近いホテルに泊まれて本当によかった。
少し胃が疲れている感じがしたので、夕食は、レストランはやめて、軽いものを買ってきて部屋で食べることにした。町の中を歩いているとパン屋さんが開いていたので、美味しそうなパンを買った。お土産屋さんのはしごをし、子どもたちへのお土産を買った。
20年越しの憧れのグリンデルワルトだったが、雨の中のんびり散策するわけにもいかず、お土産を買った後はホテルの近くのスーパー「COOP」に寄り、ワインやヨーグルトを買ってホテルに戻った。バアと二人で、ワインを飲みながらささやかな夕食となった。

 

72日(6日目)

昨夜はブログを書きあげ10時過ぎにシャワーを浴びようとしたが、お湯が出なかった。体温より低い水を浴びて我慢した。今朝の朝食会場のレストランは日本人の団体客がほとんどだった。昨夜水風呂になってしまった理由が分かった。日本人がバスタブにお湯を使い過ぎたに違いない。今日は2泊したホテルグランドレジーナを後にして、ツェルマットまでの移動を伴う観光だ。
8時半にグリンデルワルドをバスで出発して、始めにシーニゲプラッテ高山植物園観光に行った。ホテルを出るときから雨が降っていたので、屋根のない植物園は大変だなーと思っていたら、植物園に行く登山電車の始発駅ヴィルデルスヴィルに着いた頃から雨がやみ、50分かけて登る登山電車の車窓からは、雲の切れ間から眼下に湖や街並みが緑の草原の中に浮かんで見え、まるで絵に描いたような景色というか、絵葉書そのものような景観が広がっていて本当にラッキーだった。
   
しかし、標高
1,967mの頂上に着いて植物園に入るころからまた雨になって、しばらく雨の中、カメラが雨にぬれないよう気を付けながらの植物観察になってしまった。それも束の間、また雨が小降りになりじっくり花を観賞するができた。植物園の入口の売店で、日本語の花図鑑が20フラン(1,700円)で売っていたのでそれを買った。日本に戻ったら、写真で撮った植物の名前を調べてみよう。エーデルワイスを探したが、見つけることができなかった。植物園の入口近くに、写真入りで見本のように植えられたエーデルワイスがあったのでそれを撮った。まだ小さな蕾が付いているだけだった。季節が半月ほど早すぎたようだ。植物園の入口に神戸の六甲植物園との姉妹提携をしている看板が立てられていた。
   
シーニゲプラッテ植物園のあとは、かつて一泊したことのあるインターラーケンまでバスで行き、中心街のレストランで昼食となった。バスの車窓から、
20年前散策した公園が見えた。懐かしかったが、レストラン周辺の風景は記憶になかった。メインディッシュは魚料理と肉料理(チキン)の選択メニューだったので、ジイとバアで別々に頼んだ。
   
食後は、インターラーケン西駅に隣接してあるツーン湖遊覧船の船着き場から、船に乗り込みツーン湖湖上遊覧を楽しんだ。
1等船室の豪華な船内と、デッキも自由に行き来できる船だ。インターラーケン西駅からシュピーツまで1時間20分の船旅を満喫した。ここも悪天候を懸念したが、デッキに出て湖畔の街並みなどの景色も撮ることもできた。時折、雨が降って船室に戻らなければならないこともあったが、デッキと船室を行ったり来たりしながら約1時間半の船旅を楽しんだ。
   
シュピーツから再びバスに乗り、テーシュという駅まで約
85キロを走った。途中カンデルシュテックというところから、バスごと乗るカートレインに乗った。カーフェリーのようにバスと乗客が別になるかと思っていたら、バスに乗ったまま電車が動いた。大型バスがやっとサイドミラーも畳んで、両サイドわずか数センチしかないぎりぎりのスペースに乗せるので、ドライバーの腕の見せ所だ。トンネル内を約15分走った先のゴッペンシュタインまで、バスに乗ったまま走った。日本ならトンネルを掘ったらまず車が優先だ。さすがスイスは鉄道の国だ。山越えをする道路はあるそうだが、その道を使うと4時間はかかるそうだ。
 
そこからテーシュ駅までずっと雨が降り続けた。今日の目的地のツェルマットは、ガソリン車の乗り入れをさせていないので、手前のテーシュ駅からはバスから電車に乗り換えて、約
10分かけてツェルマット駅まで行った。ほかの日本人のツアー客たちは自分たちでスーツケースを運んでいたが、我々のグループだけはスーツケースを別便でホテルまで届けるよう手配してあったので、楽に移動ができた。苦労してスーツケースを運んでいる人たちを横目にちょっとした優越感に浸った。
予約してあるホテルは駅から歩いて
12分の近いところだった。ところが、このホテルはすべてマッターホルンの見える客室に泊れるはずだったが、ホテル側の手違いでこれもダブルブッキングで、マッターホルンの見えない部屋に変更になってしまった。添乗員さんは平謝りで、帰国したら又違約金の返金があるということだった。
7時にホテルに到着し、夕食はスイス名物のホンデュを食べさせるレストランということで行ってみると、これも日本人客で混んでいて、時間が押してしまい、我々の前の団体客はゆっくり食べられなかったらしく、入れ違いでお店から出てくるときに、誰に言うともなく、追い出されたと文句を言っていた。食べ始めは8時半過ぎになってしまった。夕食の際の飲み物は、本来自前だが、ホテルの部屋が変更になったお詫びにすべて添乗員さんが支払ってくれた。チーズホンデュとミートホンデュの2種類を味わうことができた。追い出されることもなくゆっくりホンデュを味わった後、ホテルの部屋に戻ったらもう10時前だった。明日は、朝焼けのマッターホルンを見学するため、朝4時半起きになるので、急いで簡単な一日の行動をブログに書いてアップし、ベッドにもぐりこんだ。
   

 

73日(7日目)

今朝は4時半に起床した。外はまだ暗いので、晴れているか曇っているかわからないが、雨だけは道路を見た限り降っていないようだった。5時間ほどしか眠っていないので、まだ寝足りないせいか、出かける支度の動作が自分でもおかしくなるくらい緩慢だ。515分ロビー集合というので、5分前に行くともうほとんどの人が集まっていた。
全員集合して外の通りに出ると、もう人が歩く姿が見かけられた。外も少し明るくなってきていた。歩いている途中ちらっとマッターホルンの頭が見えた。これなら大丈夫と思いながら、眺望ポイントの広い川の橋の上まで行くと、すでに大勢の人がカメラのフラッシュをたいていた。マッターホルンの雄姿の全容が、すっきりと空に突き出るように立ち現われていた。世界中の人がこの姿に魅了され続けるのもわかる気がする見事な美しさだ。いまどきの流行言葉でいえば、オーラを放っている、とでもいうのだろうか?この姿を見ることができただけでも、今回スイス旅行に来た甲斐があったというものだ。

542分の日の出とともに、頂上から下に向かって朝日が当たって薄紅色に染まり始めた。頭の三角の部分が赤く染まった後、一瞬にして朝日が当たらなくなった。それと同時に大勢集まっていた見物人の塊が崩れて、三々五々それぞれのホテルに向けて帰り始めた。これで早朝の朝焼けショウも終わりだと、ジイたちもホテルに向かってぞろぞろと人の流れに沿って動き出した。

まだ朝食には時間があるので、ホテルの前を通り過ぎて、ツェルマット駅まで歩いた。駅前にあるコープで水を買いたいので、オープンの時間を知りたかったがお店の玄関には開店時間の表示はなかった。ホテルに戻りかけたところで、ちらっとマッターホルンの頭だけ見える場所があって、今度は朝焼けとは違う金色に光るマッターホルンの姿が見えたので、ホテルには戻らずもう一度絶景ポイントまで歩いて行って写真を撮った。周りはまだ日が当たっていないのにマッターホルンだけに日が当たっていて、それはまた朝焼けのマッターホルンとは全く違う神々しい姿を見せていた。引き返してもう一度マッターホルンを見て、さらに満足度がアップした。

部屋に戻って、
7時半の朝食開始までの間1時間あったので、ブログの下書きをした。朝食後午前820分にロビーに集合し、ツェルマット駅まで行って、ゴルナーグラート展望台に向かう登山電車に乗った。現地ガイドの話では、昨日は一日、展望台周辺は雨と霧で展望がなかったそうだ。しかし今日は早朝の朝焼けもそうだが、展望台に着いてからも時折雲の流れに姿を隠すこともあったが、ほとんどマッターホルン以外にも4,000m級の山々が、その全容を現していた。こんな幸運は滅多にないことだそうだ。あまりの眺望の良さに、ガイドさんも予定の帰りの電車を30分遅らせて、展望台周辺の滞在を長くしてくれた。

展望台からの帰りは、電車に乗って次の停車駅「ローデンボーデン駅」まで電車で行き、そこで下車して次の「リッフェルベルク駅」までの下りのハイキングコースを歩いた。昨日シーニゲプラッテ植物園で見た植物よりも多い花がハイキングコースの周りの草原に咲いていた。ただし、ハイキング中はガイドさんから歩いている最中の撮影禁止を宣告されていたのでそれらの高山植物を写真に撮れなった。途中
2か所、逆さマッターホルンを写すことができる小さな湖2か所に立ち寄って逆さマッターホルンをカメラに収めた。昨日の観光客には申し訳ないほどの絶景を写真に撮ることができた。
 
リッフェルベルク駅から再び登山電車に乗り、ツェルマットまでお昼過ぎに戻ってきた。午後からは、フリータイムになったので、現地ガイドさんが教えてくれたエーデルワイスが咲いているところまでハイキングで行くことにした。二人で行くつもりでいたら一緒に行きたいという人が
11人もいて、どういうわけかジイが先導役にさせられてしまった。
市内を
10分ほど歩いたところに始発駅があって、そこからケーブルカーでスネガというところまで登った。スネガには近くにライ湖があって、湖の周辺にたくさん高山植物が咲いているという。ここにはセルフのカフェテリア方式のレストランがあったので、ここで遅いお昼を食べた。
ここで散策するという
2人を残して、さらにそこからスキーのゴンドラリフトに乗り換えてブラウヘルトというところまで行った。そこからシュテリ湖というところまで歩いて行くハイキングコースの途中にエーデルワイスが咲いていると現地ガイドさんに聞いていたが、ゴンドラリフトを下りた先には、いくつもハイキングコースがあって、どこをたどって行ったらいいのかわからず、売店の若いお兄さんに聞いたら、わざわざお店を出て正しいコースの入口まで案内してくれた。
そこから
10分以上歩いたが、たくさんの高山植物はあるがエーデルワイスだけが見つからず、みんなで焦ってしまった。折よく日本人夫妻のハイカーとすれ違ったので聞いたら10分先に行ったところ咲いていると教えてくれた。教えられた場所で最初に発見し、かわるがわる写真を撮って感動していたら、もう少し先に行ったところにはさらにエーデルワイスが群生していた。咲いている生のエーデルワイスを見たいという思いで、交通費一人48フラン(約4,100円)を費やしてやってきた甲斐があった。
 
最終地点のシュテリ湖では、逆さマッターホルンを撮ることができると書いてあったが、マッターホルンは雲に隠れ、湖にはさざ波が立っていたので、撮影できなかった。午後になってマッターホルンは完全に雲に隠れてしまった。来た道とは違うコースを歩いてブラウヘルトまで戻り、ゴンドラリフトとケーブルカーを乗り継いでツェルマットに戻ってきた。時間はもう午後
4時前だった。
ホテルに戻り、荷物を降ろした後、出直して近くのコープまでお土産やお水を買いに行った。買い物を済ませた後、今夜の夕食はフリーなので、和食レストラン『妙高』があったのでそこで食べることにした。日本語のメニューがあり、わかりやすい。寿司定食があったのでそれを食べた。ちゃんとしたお寿司で、ネタも新鮮だった。シャリは日本の半分ほどの大きさだったが・・・。それでも味噌汁も付いていて、日本で食べるのと味は全く変わらなかった。以前どこかで食べたときの味噌汁は、味噌の味が違っていて、やはり発酵食品は味が変わってしまうのかと思っていたが、スイスでは大丈夫?のようだ。ほかに二組ほど同じツアーの人たちが食べに来ていた。
     

 

74日(8日目)

6時に起きた。昨日の朝焼けのマッターホルンが中途半端だったので、もう一度早起きして見に行くことも考えられたが、昨日一日寝不足の上に歩数計では24,000歩も歩いて疲れ切ってしまったので、ゆっくり寝ることにした。8時間近く眠ったので目覚めはよかった。同じツアーの人で見に行ってきた人に聞いたら、朝焼けをばっちり撮ってきたそうだが、昨日のように全山雲一つない状態ではなく、部分的に雲がかかったマッターホルンだったそうだ。そういう意味では、昨日のマッターホルンはとてつもなく素晴らしかったということだ。
今日は最後の観光地、モンブランに向けて、ツェルマットのホテルを
820分に出発した。このホテルは当初マッターホルンが見える部屋に泊れるはずだったが、ホテルの手違いでマッターホルンの見えないメインストリートに面した2階の部屋になった。部屋からは見えなくても、昨日は一日朝一番で、そして展望台で、ハイキングで十分マッターホルンを満喫したので文句を言うつもりはない。しかし、旅行から帰って間もなくJTBから連絡があり、旅行代金の20%を違約金として返金するという連絡があった。

電車で
10分のテーシュまで行き、そこに待っていたバスに乗り込んだ。駅から1分ほど走ったところでバスが止まったので何事かと思ったら、そこの広い場所でツェルマットのホテルから電気自動車で運んできた我々のスーツケースを積み込むためだった。テーシュからモンブランのふもとシャモニーまで約144q、高速道路を使って約3時間かけて移動した。途中、マルティニという町でトイレ休憩した。町の周りの山は高いところまでブドウ畑が続いていた。ガイドブックにはスイス産のワインの産地として有名な所と書いてあった。休憩所は、新鮮な果物をたくさん並べて売っていて、生のジュースをその場で絞って出してくれるので、オレンジジュースを頼んでボトルに入れてもらった。
   
シャモニーの中心街のホテルレストランで和食のランチが用意されていた。接客する女性スタッフも
3人ほど日本人だった。先付には、切り干し大根の煮物、キュウリと人参、ダイコンの糠漬け、冷奴も出た。塩サケの焼き物に、チキンの照り焼きがメインに出た。味噌汁とご飯もまあまあで、やはりこういう食事が出て、ホッとし思わず食が進むのは、自分もやはり日本人だな、と自覚する一場面だった。
      
食後は、モンブランの展望台として名高いエギーユ・デュ・ミティ展望台に行くロープウェイ乗り場に行った。ロープウェイの発着場の標高
1,035mから展望台の標高3,842mまで、標高差2,807mを二つのロープウェイを乗り継ぎ、さらにエレベーターに乗って約30分で登ってしまう。
  
最後のエレベーターに乗ると、その時の標高が表示されていて
3,776mとなっていた。まさしく富士山の標高だ。エレベーターが上がり始めるとその高さの表示が変わって降りるときは、3,843mになったので、表示が壊れているわけではないだろう。展望台に登ると、モンブランの頂上付近には雲がかかっていて見えなかったが、周りの山々は360℃視界が広がっていて、最高に近い眺望だった。1時間ほど展望台にいた後、二つのロープウェイを再び乗り継いでシャモニーまで戻った。
    
最初のロープウェイでは我々のツアーの一人だけ、ちょうどその前で乗車定員になって足止めされてしまった。仕方なく次の乗り継ぎ地点でほかの全員で、添乗員さんとその一人が次のロープウェイで降りてくるのを待った。次のロープウェイで無事合流し、みんなで下まで降りてくることができた。
最高の形でモンブラン観光もでき、バスは最後の宿泊地ジュネーブの中心街のホテル「ロイヤルマノテル」に向けて、約
88qを約1時間半かけて走った。ジュネーブのホテルに着く前にスイス最大の湖レ・マン湖に立ち寄って、花時計と湖の中から吹き上げる大噴水の前で、記念写真を撮ってからホテルに行った。市内は帰宅ラッシュでどこも渋滞していた。
  
最後の夕食は、ホテル内のレストランで魚料理がメインの料理だった。スイス最後の夕食になるので、バアもハウスワインを飲んだ。ジイも今回の旅行では、食事の時によくビールを飲んだ。スイスのビールは口当たりが良くて飲みやすく美味しかった。夕食後、ジュネーブ中央駅コルナバンまで歩いて、最後の旅の余韻をかみしめた。駅前のレストランでは退社時間後の一杯を楽しむ人たちでにぎわっていた。明日は朝
730分にホテルを出発し、ジュネーブコアントラン空港からチューリッヒ空港まで飛んだあと、チューリッヒから成田への直行便で帰る。成田には、日本時間76日の750分到着予定だ。
   

 

7月5日(9日目)

いよいよ帰国の日、ジュネーブの朝は雨模様だったが、もう観光もなくただ日本に向けてひたすら空の旅なので、雨でも関係ない。ユングフラウヨッホ観光でお天気が悪かっただけで、それ以外はずっと好天に恵まれ、スイスにしては暑いくらいの日が続いた。寒くて困らないよう長袖を中心に揃えたので、半袖のシャツが足りなかったほどだ。
6時半からレストランが開くというので、6時に起床しスイス最後の朝のお出かけ支度をした。食事に行くときに、ドアの外にスーツケースを出し、ゆっくりホテルの朝食を食べた。スイス滞在最後の食事なるので、ゆっくり味わった。あとは、機内食となり次に食べるまで時間があくと思ったので、欲張ってたくさん食べてしまった。
ホテルを
730分に出発し、ジュネーブ空港に向かった。途中、国連難民高等弁務官事務所や国連の欧州連合本部事務所の前を、車窓から写真を撮れるようバスがゆっくり走ってくれた。

ジュネーブからチューリッヒへの便とチューリッヒから成田への便のチケットは、空港のカウンター前で自分でスイス航空の係員に出してもらわなければならなかった。そのため何組かチューリッヒまでの国内線で並び席が取れなかったようで、添乗員さんが航空会社と交渉したが、どうしても一組分がバラバラの席になってしまうことになったようだ。誰かそれでもいい、という人はいないかみんなに聞いたが、他に申し出る人がいなかったので、ジイたちは初めから並び席が取れていたが、それを譲って、その離れた席でもいいと申し出た。飛行時間は
1時間弱だし、特に困るようなこともないだろうから・・・。
ジイは窓側から
2番目の席だったが、空いていた窓側の席は、スイス航空のクルーが移動のために乗り合わせた席だったようで、ジイに窓側に座るよう勧めてくれたので、飛んでいる間スイスの地上を窓からずっと眺めていた。飛んでいる間はずっと晴れていたので外の景色がよく見えた。250ccのペットボトルの水とクッキーが出た。チューリッヒ空港についてから、成田への乗り継ぎ便までの間、1時間あったので免税店でワインを買った。朝、ホテルから空港まで案内してくれた現地ガイドや添乗員さんの意見を聞いて、おすすめのワイン赤2本、白1本を買った。最近はスーツケースの重量制限が厳しいので、スーツケースに入れて運ぶのは難しくなった。そのかわり客室に持ち込む手荷物として運ばなくてはならないので、重いしかさ張るし、ワイン類を買うのが難しくなった。それでも何とか3本買ってまだだいぶスイスフランが残っていたので、それを使い切るために、チョコレートやドロップ数種類を買ったが、レジが混んでいて集合時間に近くなったため、ゆっくり計算できなかったので、最終的にはコインで20フランも余ってしまった。チューリッヒ空港13時発の飛行機に乗って、定刻通りのフライトで飛び立った。

 

76日(10日目)

12時間弱の飛行の末、成田に740分頃に無事着陸した。手荷物がなかなか出て来なくて、手荷物を受け取り、ツアーに同行した人たちや添乗員さんとお別れの挨拶をして、前泊した成田ビューホテルの送迎バスの発着所に行くと、8時のバスが出てしまった直後で、時刻表を見ると次は840分まで来ない。スイスも暑かったが、成田の空はさらに蒸し暑い。湿度の違いを肌で感じた。ホテルに着いて、車に乗って出発した時は9時を過ぎていた。
初めに酒々井のパーキングで小休止した。眠気覚ましにアイス最中と濃いお茶を買った。酒々井でナビをセットして走り始めると、途中あまり利用したことのない京葉道路のほうに誘導された。少し迷ったが京葉道路を走ってみることにした。京葉道路から首都高小松川線に入って間もなく、前を走っていた車からの飛び石で、フロントガラスがビシッと音がして、フロントガラスの中央付近に縦
30pほどのひび割れが入ってしまった。江戸橋から先はよく走っていたコースなので、渋滞もなく楽に走れた。走り慣れた関越に入ると眠くなってきたので、三芳パーキングで20分ほど休憩して眠った。さらに上信越道になると車も少なく、緊張感が薄れて睡魔に襲われそうになったので甘楽でもう一度休憩した。三芳の時はエンジンを止めて窓を閉め切って寝ていて、暑くて目が覚めたので、甘楽ではエアコンを入れて約10分眠った。
佐久インターで降りて、午後
1時近かったので、イオンの向かいにある吉野家で牛丼を食べた。日本の最初の外食は、うどんにするかそばにするか、それともラーメンかといろいろ迷ったが、選んだのはなぜか牛丼だった。普通盛りなのにバアなどは半分近く残していた。胃が疲れているのだろう。イオンに寄って数日分の食料を買い込んで午後2時過ぎに家に帰った。
雨も降り出してきた。庭に咲いている花が交代していた。出るとき咲いていたムシトリナデシコはもう枯れ始めていた。ナスタチウムやプランターのペチュニアが満開になっていた。荷物を整理した後、夕方まで一眠りをした。ぐっすりそのままずっと寝てしまうと、夜中に起きることになるので、
2時間だけ眠るように目覚ましをセットして、6時前に起きた。夕飯を食べ、久し振りにニュースやナイターを見た後、2日分のブログを書いた。体重は1.5s増えていた。