2009年2月28日(土)
久し振りで朝からまぶしい太陽の光が家の中に入ってきた。デッキにシーツやバスタオルなど洗濯物が満艦飾のように並んだ。日中温度計が16度に上がっていた。
今日は午前中昨日製作した台の仕上げの塗装をした。塗装していて少し強度が足りない感じがしたので、足に補強の板を付けた。そのあと、もう一つ山ちゃん夫妻から頼まれていた玄関の踏み板作りに入った。使わない棚板を利用して踏み板にするのだが、玄関の中に置いてある素焼きの傘たての部分をくりぬいて、玄関ドアと上がり框の間を渡すようにするところが、ちょっと工夫が必要だった。糸のこ盤で直径
23センチの穴を開けたが、板の厚さが25ミリあったので糸のこがしなってうまく曲線で切ることができなかった。
午後からは、久し振りの好天なので、製作を中断しウォーキングに出かけた。山ちゃん夫妻も一緒に約
2時間歩いた。歩いていても空気が何となく春めいて感じる。梅の花芽などが膨らんではきているが、まだ開花には日数がかかりそうだし、景色はまだまだ冬模様なのだが、歩いているとなんとなく春の気配が近づいている感じがするのだ。
家に戻ってから、山ちゃん家のデッキでお茶タイムとなった。
2時間も歩いてみんな空腹になって、お茶をしながらおやつをぽりぽり・・・。中でも山ちゃんが福島で買ってきたというクルミ入りの羊羹が美味しくて、たくさん食べてしまった。
空腹を満たしたあとジイは玄関の踏み板作りを再開した。板のカットは何とか終わって、足を付ければ終わり、というところまでやった。足は接着剤で固定してから明日仕上げのビス止めをする。
半月前に、ホクシンハウスのスーさんに、山ちゃん家の水道工事のあとのコンクリート舗装工事が、のびのびになっていまだに工事に着手しないので、今月中に完了させるよう催促してあったが、とうとう何の音沙汰もなく
2月が終わってしまった。ホクシンさんの仕事振りには今まで評価してきたつもりだが、最後の最後でドジを踏んでしまった。明日はお叱りの電話をしなければならない。
2009年2月27日(金)
今月はジャスコの5%引きの日が、30日がない月なので今日がその5%引きということで、午前中山ちゃん夫妻を誘って佐久平に買い物に出かけた。近くにあるニトリやカインズにも行って買い物をしたが、書き留めておいた必要なものだけを買うようにした。カインズなどに行くと、バアからいつも「無理に搾り出すように買うものを見つけている」といわれてしまうので、今日はポチのトイレの砂だけにした。ジャスコでは本屋さんに寄って、今話題の直木賞受賞作、天童荒太『悼む人』を買った。
買い物中も、家に戻ってからも一日みぞれが降り続いた。東京でも久し振りに雪が降って、気温も今年最低を記録したというが、その気温が
4度というから笑ってしまう。こちらでは氷点下にならない日は、暖かく感じる身体になっている。身体的にはもう。すっかり信州人になりきっている。
相変わらずシメが窓ガラスを突付きに来ているが、裏の溜池にはここ数日羽を休めに水鳥が降りてきて、しばらく水面を泳いでいる姿を見かける。その中でマガモぐらいの大きさで白い色のかわいい水鳥がいた。野鳥図鑑で調べてみると、パンダカモとも言われる「ミコアイサ」という鳥ではないかと思われるがあまり自信はない。
午後は、ジイ小屋で山ちゃん夫妻からリクエストのあった台を製作した。デッキで洗濯物を干すときに、洗濯籠を乗せておく台があると、いちいちかがまずに洗濯物を取ることができるんだけどなー、といわれると断れない。以前にポチのベッドを載せる台を作ったときの作り方でやったので、塗装を残して
3時間弱で完成させた。
2009年2月26日(木)
少し早めに起きて佐久総合病院の定期検診に出かけた。予約は9時半になっているが、その時間に合わせて行くと、駐車場が満杯で停めるのに苦労する。1時間前に到着して手続きを済ませ、その後診察を終えて病院を出るときには10時を回っていた。
佐久総合病院は、佐久市内の工業専用地域に高度医療の専門病院を建設する計画をしているが、用途変更をめぐって佐久市長と対立し、計画が暗礁に乗り上げていた。
4期務めた現市長が4月の市長選には出馬せず勇退する花道に、病院側に詫び状を入れさせることで用途変更に応じるという、何とも田舎芝居を見せ付けられたような決着の仕方で、病院建設が一歩前進することになった。どんな形にせよ早く病院が専門病院と地域医療に分化され、それぞれがうまく機能できるようになって欲しい。前にも書いたが、今の佐久総合病院の現状は、患者が集まりすぎて飽和状態だ。
早めに行ったおかげで早く家に帰れたので、午後から釣りに行った。昨日雨で行くのを諦めたあとだったので、気負いこんで出かけたが、結果は惨敗だった。去年いい思いをさせてもらった八丁地川に行き、最初のポイントですぐに小さい当たりがあって、ヤマメがきたが
15センチ弱だったので、すぐにリリースした。今までの経験では、最初にリリースサイズが来たあとは、なかなか釣果が得られない。嫌な予感は的中し、その後はリリース5尾で結局家に持ち帰ったのは25センチのイワナ1尾だけだった。去年釣り上げたポイントではほとんど当りがなかった。2,3メートルある葦の藪を漕いで歩いているうちに首筋を違えて痛くなってしまった。そんなところにも20日の雪の後の踏み跡がたくさん残っていた。雨の後だというのに水量も少ない・・・などなど自分の腕以外にいろいろ釣れない理由を考えながら、寂しく帰宅した。
2009年2月25日(水)
今日は密かに朝食後掃除を済ませてから釣りに行くつもりでいた。解禁日のコンディションが余りよくなく、釣り人も多数出ていたので早々に納竿してしまったので、捲土重来を期していた。昨夜はそんなことを考えながら寝床に就いたせいか、なかなか寝付けず寝坊してしまったうえに、冷たい雨が降っていたので急速に意欲が萎えてしまって、結局断念してしまった。今までは雨のときほど相性がよくて雨降りを喜んだものだが、今日は近場でいつでも行けると思うと、またこの次にするか、という気になってしまった。
天気が悪いのでウォーキングも
3日もできず、少し運動不足だね、とバアと話していると、山ちゃん夫妻からお誘いがあって、まるでこちらの会話が聞こえたかのように、山ちゃん家のエアロバイクを試してみないか、とのことだった。上尾では玄関に置かれていたエアロバイクも新しい家ではリビングルームにデンと置かれていた。テレビを見ながらでもできる位置に置かれている。早速使い方を教わりながら、テスト10分、トレーニング20分のメニューをこなすと、汗びっしょりになった。消費カロリーは100キロカロリーを超えた。しかし、そのあとのお茶のときにチョコレートなどをご馳走になってしまったので、単純なカロリー計算では行って来いになってしまったのではないだろうか?
午後は、バアは山ちゃん家に紹介した長野コープの宅配サービスの話に付き合うため、再び山ちゃん家に出かけた。
2軒だけでもグループ扱いで、配達手数料など割引があるようだ。お友達紹介の景品もいただいて戻ってきた。その間ジイは一人今朝の寝不足がたたってしばし居眠り。
今日のシメは間近に寄っていっても逃げず長い時間花代にとまって家の中を見ていた。ジイと目が合っても逃げようとしない。どんな野鳥なのかネットで調べてみた。スズメ目アトリ科でカワラヒワなどと同じだ。道理で庭で一緒についばんでいたわけだ。エノキやカエデの種を好むというから我が家のモミジの木を目指してきているのかもしれない。固い嘴は
30キログラムの強さがあるというから、ガラスを突付くことぐらい何でもないということか?ユーラシア大陸から中国東南部、カムチャツカなどに分布し、冬季日本の本州に南下する。北海道で繁殖するものもいるらしいが、中国大陸かロシアから来ていると思っておこう。それにしても家の中を覗いてしきりにガラス戸を突付く好奇心の強い鳥だ。いつまでいてくれるのだろうか?
2009年2月24日(火)
朝一番でごみステーションまでプラごみを出しに行った。今回も軽自動車に乗せて行ってきた。おとといの模様替えで重いものを運んだあとの筋肉痛が、まだ少し残っているので無理をしないことにした。昨日雨模様でガラス戸を突付きに来なかったシメが、今日からまた来るようになって一安心。
午前中はぶどう棚とキュウイ棚を単管パイプから木製の棚に作り変える準備として、ブドウとキュウイの枝の剪定をした。古い棚に通した棒にまで絡み付いている太い枝も全部切って、ほとんど丸坊主になってしまったので、今年は実がならないかもしれないが、傾いた単管パイプの棚のままでいるよりは、少しでも見栄えの良い棚に作り変えるのだから仕方がない。新芽が出てくる前に早く棚作りをしなければならない、と思いつつもなかなか始められないでいた。いろいろやり方を考えているが、これを機会にそろそろ取り掛かるつもりだ。それにしても、朝のうちは氷点下にはならず
0度ぐらいだったが、それからが気温が上がらず外の作業は寒くて仕方がないので、剪定した枝を片付けたところで家の中に引っ込んだ。
そのあとは、今までの太陽光発電のデータの整理をした。装置を設置してから
7ヶ月が過ぎたが、221日までの累計で3,566kwの発電となった。そのうち中部電力に売った電気量は、2,474kwになっている。実際に中部電力から売電金額として受け取っている量は若干少なめになっているが・・・?平均すると1日当り15kwから17kw は発電していることがわかった。8月(471kw)、9月(432kw)など日照時間が長い時よりも、12月(542kw)、1(523kw)の最も日照時間が少ない時期のほうが月間の発電量が多いのも驚きだった。やはり雲の少ない晴天の日のほうが発電には適しているということなのか?近いうちにデータをホームページにもアップするつもりだ。
午後は、ポチの定期診療に出かけた。相変わらず車での往復はずっと鳴き続けていた。どうしても車は好きになれないらしい。点滴中も時折ジッとしていられなくなって動こうとし、押さえつけられるので、それに対してまた怒って鳴く、というパターン。それだけ元気な証拠と先生に慰められた。
2009年2月23日(月)
昨夜から雨が降り始め、朝方まだ降っている気配だったので、お昼ごろまでゆっくり寝ていようと思ったが、8時前には目が覚めてしまってそのまま起きてしまった。午後は雨が止んで陽射しも出るようになったが、風もあり気温も上がらずウォーキングするには気乗りしない天候で結局一日どこへも出かけなかった。バアも立科町のツルヤに姉と買い物に行く予定をしていたが、止めてしまったようだ。今日も週1回のコープの配達もあったし、今日明日何が何でも買わなければならない、という差し迫った買い物があるわけではないので、行くのは見送ったようだ。
昨日まで毎日挨拶に来ていたシメは、2、3度庭に来ている姿は見かけたが、ガラス戸を叩きには来なかった。ポチに脅されて懲りてしまったのだろうか?少し寂しい。雨の日は気分が高揚せず、どうしても行動的ではなくなる。ジイは一昨日から読み始めた芥川賞の受賞作を読了した。小説を読み進むに連れて、小説のタイトルが「ポストライムの舟」ではなくて「ポトスライムの舟」であることがわかった。あわてて一昨日の日記を読み返したら、やはり間違って書いていた。主人公がポトスをコップに活けて育てるくだりがあって、初めてタイトルを間違って記憶していたのがわかった。我が家もバアが鉢植えのポトスから次々と挿し芽で増やして、今は家中にポトスが幅をきかしている。こちらも平凡な日常生活を送っているが、小説の中味も契約社員として仕事に追われる
30歳直前の女性と、学生時代の3人の友人との関係をどこにでもありそうな日常生活を淡々と描写するもので、大きなストーリーの展開や精緻な心理描写などがほとんどない淡白な作品に思えたが、最近の芥川賞はこんな傾向が評価されるのだろうか。
今日は午後から、滝田洋二郎監督、本木雅弘主演「おくり人」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞したニュースでもちきりだった。映画の内容は観ていないのでコメントのしようはないが、碑文谷創氏が封切りになった去年の
9月ころのブログで、映画との関係では表舞台に出ていないが、脚本のベースにもなった『納棺夫日記』の著者である青木新門さんについて書いていたのを思い出した。
2009年2月22日(日)
朝起きてカーテンを開けに2階に上がったとき、窓から溜池のほうを見ると池が久し振りに全面結氷していた。陽が射し始めた7時過ぎでもまだマイナス8度だったので、明け方の気温はマイナス10度ぐらいになっていたかもしれない。空は快晴で浅間連峰もくっきり見えていた。
今日もシメが朝から窓ガラスをつついて遊んでいたが、とうとうポチがそれを見つけ、窓に近づいたのでシメはあわてて逃げていった。その後も懲りずにきていたかは、午後買い物に出かけてしまったのでわからない。
午前中は部屋の模様替えをした。寝室にあったミシン台を
2階に上げ、2階にあったテレビを寝室の鏡台のあったところに置いた。折りたたみ式のミシン台は、カタログハウスで買った無垢の木製のものなので非常に重い。とても一人では2階に上げることができないので、ジイとバアで必死になって持ち上げた。バアはもう筋肉痛が出始めたと言っていた。
テレビを見る時間が長くなって、リビングコタツの椅子に腰掛けて長時間座りながら見ていると、腰や背中が痛くなる。横になって見るには寝室でベッドに寝転んで見るのが一番楽だ、ということで寝室にテレビをセットした。早速、夜の番組の時にベッドで見たが、いつの間にか眠ってしまって中味がさっぱりわからなかった。楽に見れるがすぐ居眠りしてしまうのが難点だ。
午後は山ちゃん夫妻と一緒に上田に買い物に出かけた。ジャスコに車を停めて上田駅の近くのリビンという西武系の百貨店まで歩いて行った。
3月で閉店になるというのでその前に婦人服など見たいというので行ったが、閉店が決まったお店というのは何となく寂しい。お客もまばらで、半額セールなどの赤札が目立つが何かむなしく感じてしまう。おまけに民事再生法の申請をした小杉産業のジャンセンなども出店していてなおさらだ。結局無印良品で食品を買っただけだった。まだ上田城址を見たことがないという山ちゃん夫妻を案内して城址公園のお堀沿いを歩いたあとジャスコへ戻り、食料品などを買って家に戻った。
2009年2月21日(土)
今朝は窓ガラスを叩くシメに起こされた。7時前だった。シメは今日も一日何度もやってきては、サンルームの窓の周辺やその前のモミジの木にとまり、ガラス戸をつついて戯れていた。
午前中は
CDを聴きながら、新聞や本を読んだり、フリーセルをして時間をつぶした。最近は朝食後にNHKの連続テレビ小説を観るのが日課になってしまったが、この次のドラマは、小江戸を売りにしている川越の蔵作りの町並みが、舞台になるそうだ。今朝はその舞台となる蔵の一部、お茶や醤油の蔵が紹介されていた。町並みの表の通りや時の鐘など見覚えのある風景がテレビに映っていたが、一歩奥に入ったところはテレビを通してしか見ることができない。黒漆が塗られ黒光りする調度品など何世代もの人の手のぬくもりが伝わってくるようで、そういうものに囲まれた生活にうらやましさもあるが、それを大事に後世に伝えなければならない重荷も大変だろうな、と推し量る。
DNA以外、形のあるもので親や祖父母、その前の世代から引き継いできたものを持たないジイにとっては、しがらみもなく自由に渡り歩いて、信州まで移り住んで来る事ができたが、川越の蔵通りで代々店を張る商人たちは、誇りとしがらみで縛られているに違いない。
午後は山ちゃん家にピアノが運ばれてきた。若い
3人組だった。二人が肩に担ぎ紐をまわして、ピアノを吊り下げて、もうひとりが壁などにぶつけないよう誘導しながら運び入れた。見ているほうが力が入ってしまった。運び終えた瞬間みんなで思わず拍手をしてしまった。3人とも20代前半か、とても若い人でなければできない仕事だ。重さは約250キロはあるという。
ピアノの搬入が早めに終わったので、そのあと
4人でウォーキングに出た。しばらく歩いてなかったので、どうしても歩きたかった。少し風があって晴れてはいたが、さすがに迎え風を受けて歩いている間は寒さで涙が出そうになった。その代わり風に後から押されているときは、暖かく感じた。約1時間のウォーキングで何とか運動不足が解消された気分になれた。
散歩の後
30分ほど居眠りをしたあと、読みかけていた本(ボニー・コンフォート「女精神科医」)を読み終えた。このあとは今回芥川賞を受賞した津村記久子「ポストライムの舟」を読み始めた。
2009年2月20日(金)
今シーズン最も多い積雪になった。夜中から降り始めたらしく、朝目が覚めたときはまだ降っていて、9時前ごろから雨に変わるまで、見たところ15センチ以上の積雪となった。9時ごろから山ちゃん夫妻が雪かきを始めたので、こちらも負けじと雪かきを始めた。途中から雨になるくらいなので、湿った雪で雪かきには重く、一通り雪かきが終わる頃には腕や腰が少し痛くなった。それでも山ちゃんが半分やってくれたので助かった。これからは二人でやれるので心強い。
雪かきをしている途中で、市の委託する除雪車もやってきた。この辺では今シーズン初めての出動だろう。県内では今シーズン積雪が少なく、したがって除雪の出動回数もほとんどなく、冬場の建設業界の大きな収入源が減って、本来の土木建設も減っているので、泣き面に蜂だった。
雪の中、毎日
7時過ぎに我が家のサンルームの窓のガラスをクチバシで叩いて挨拶に来るシメが、今日は1時間ほど遅れて挨拶にやってきた。そこいらじゅうが雪で他に行くところないのか、午後になっても何度もやってきては、窓ガラスをつついていた。ガラスをつつく感触や音を楽しんでいるようだ。だんだん大胆になってきて、こちらがカメラを構えてもすぐには逃げなくなった。
買い物に行く予定だったが雪が降ったので、中止にした。ウォーキングもできないので、一日テレビを見たり、本を読んだり、パソコンのゲームをし、時々コタツで居眠りをして過ごした。
2009年2月19日(木)
朝起きて外を見ると雪が降って白くなっていた。一昨日と同様、天気予報では晴れだったのに再びの降雪で驚いた。今日は特に山ちゃん家の引越しの日なので、山ちゃん夫妻は降雪でトラックが無事に来れるか心配していた。こちらは先住民なのでこのくらいの雪ならば全然問題ないことがわかっている。大丈夫、心配いらない、といっておいたが、今日の雪は雨から雪に変わったのか、雪の下が凍っていてその上を歩くと滑る。陽が高くなっても気温が上がらず、日陰の所は凍ったままだった。
さかい引越しセンターの車が
10時過ぎにやってきて、車の入れ方を調べたうえで、慎重に我が家の入口まで入ってきて、庭のほうから山ちゃん家へ荷物を運び込んだ。運び始めが11時ごろだったが12時ごろにはすっかり運び終わった。
午後
3時ごろから近所に引越しの挨拶回りをした。山ちゃん夫妻にジイも同行した。全部で8軒だが、1軒を除いてみな在宅していた。平日の日中でこんな確率で在宅しているなんてさすが田舎だが、冬場はみんなひっそりと家の中でどんなことをして暮らしているのだろうか?留守だった1軒も夕食前に山ちゃん夫妻だけで挨拶に行ったときは、戻っていたようだ。
夕食は我が家で山ちゃん夫妻を招待してささやかに引越し祝いをした。去年釣り仲間が送別会のときにプレゼントしてくれたワインがとってあったので、そのボトルを開けた。美味しいワインだった。もう
1本山ちゃん家が持参したボトルまではさすがに開けなかったが、最初のボトルは空になった。上尾で20年隣同士で暮らしたが、今度は北御牧で同じように隣同士の暮らしが始まる。こちらは何年一緒に暮らすようになるのかは誰も知る由もないが、お互い「終(つい)の棲家」になるのだからとにかく仲良く暮らしていきましょう、と乾杯した。心地よい酔いの余韻に浸ってしまって、日記は翌朝記す。
2009年2月18日(水)
今朝はぐっと冷え込んでマイナス10度になった。午後には融けてしまったが久し振りに溜池の水が半分ほど凍っていた。やっと平年のこの時期の寒さに戻った。朝食後の掃除のときに、ガラス戸の結露が普段より多めについていたので、雑巾で拭き取った。去年まで結露があってもたいした量ではないので拭き取るようなことはしなかったが、北側の窓の枠に接している木の部分がカビで黒くなっているのを発見してから、ときどき拭き取るようにしている。ガラスの部分の結露は外気の温度が上がるにつれて乾いてくるが、木に滲みこんだ水分のほうは乾かず、室内の暖かさでカビが出るようだ。既に一部木の色が黒ずんでしまったところがある。暖かくなって結露が出なくなり木の部分も乾燥が進んでも黒ずみは消えないかもしれない。もっと早く気がついて手を施しておけばよかったが、仕方がない。どうせ暇なので、これ以上悪化しないようこまめに拭き取るようにするつもりでいる。
午前中、昨日クローゼットに掛けるカーテンの裾の丈をバアが詰めたが、少し生地が寄ってしまっているのが気に入らないと、バアがもう一度やり直すというので、今度は手縫いではなくミシンでやることにし、大きなカーテン地が引っ張られないよう脇で持つ手伝いなどをして完成させた。
午後になって気温も
10度以上にあがってきたので、二人でウォーキングに出かけた。ジイは日曜日に1時間45分、月曜日に渓流釣りと歩いているので、休んだのは昨日だけだが、バアは先週の土曜日以来というので、たくさん歩くという意気込みでスタートした。立科町の少しアップダウンのあるところを選んで正味1時間30分歩いた。途中リンゴの木の剪定をしていたおばあさんから、どこから来たのか聞かれたので、「上八重原から」と答えたらそんな遠い所から歩いてきたのか、と感心されてしまった。この辺の地元の人たちはどこへ行くにも車になっているので、30分以上歩く距離は逆に遠く感じるのかもしれない。確かに一つ丘を越えて来ているのだから遠いといえば遠いのかもしれないが、時間に余裕のできた我々にとっては1時間以内のウォーキングは「今日は近場の歩き」なのだ。
ウォーキングから帰ってきてちょうど
3時のおやつの時間で、二人でチョコやおせんべいをおなかいっぱい食べてしまった。消費したカロリー以上に吸収してしまったような気がする。反省。
今日は上尾の山ちゃん家で、引越しの積み込みが午前中行われた。
1時間ほどで手際よく積み込んで行ったとのこと。夕方6時半過ぎに一足先に山ちゃん夫妻がこちらに来た。荷物のほうは明日朝一番でこちらに運ばれてくる。明日の荷物の積み下ろし中路上に停めるので、ご迷惑をかける奥の家に、山ちゃん夫妻と一緒に挨拶に行った。
2009年2月17日(火)
朝起きて外を見るまで雪が降ったことを知らなかった。北信地方では雪の予報もあったが、こちらでは晴れの予報だけだった。冷え切ってふわふわ風で飛ぶような乾いた雪だった。午前7時の段階で、もう日の出のあとだったので最低気温はもっと低かったかもしれないが、温度計はマイナス7度だった。
火曜日なので起きて早々可燃ごみを出しに、車で近くのステーションまで行ってきた。最近ポチが家の中のトイレで用を済ますようになったので、トイレ用の砂がたくさん出るようになった。水分を含むと結構な重さになる。毎日のことなので、
1週間ほどで他のプラスティック系のゴミと合わせて一袋にいっぱいになる。これをステーションまで歩いて持って行くと手が痛くなってしまうので、ゴミ袋一つだが車で運ぶ。あまりエコなことではないが無理もできない。
午前中クローゼットの棚にカーテンを取り付ける作業をした。上尾の山ちゃん家のリビングのカーテンが不用になったというので、それを譲り受けてクローゼットの目隠しを兼ねて取り付けることにした。丈が
240センチのものなのでほんのちょっと長すぎたので、バアが手縫いで丈を5センチほど詰めた。生地が厚い分縫っているうちに生地が寄ってしまうの、上手に縫うのが難しい、と嘆いていた。
今日は天気が良かったがずっと冷たい風が吹いていて気温が上がらず、ウォーキングは断念した。一日雲がかからなかったせいか、太陽光発電が
114日の新記録をさらに1キロ更新して28キロの発電量になった。晴れ間と空気が澄んでいることが原因だと勝手に思っている。太陽の高さと我が家の発電パネルの傾斜角も関係があるかもしれないが・・・。日の入り時刻は夕焼けを期待したが、夕日に映える雲が少なかったせいか意外とあっさりとした夕焼けで終わってしまった。
昨日の釣りの解禁の様子を今日の午前中にホームページにアップしたので、釣り仲間の二人からそれぞれ電話があった。田舎暮らしのジイとバアのことなど忘れて日々の仕事に追われていると思っていたが、どっこい毎日のようにホームページをチェックしてくれているようだ。
2009年2月16日(月)
解禁
5時半に起床、まだ外は真っ暗だった。今日から寒の戻りがあるといわれていたが、外の温度計は3度でさほど寒さを感じない。朝食をとり、熱いコーヒーをポットに入れて出かける。6時半過ぎに現地到着。先行者がいるのではないか心配したが、大丈夫だった。早速棹を出したが最初のポイントは当りがない。去年はここで立て続けに3尾ゲットした場所だ。次のポイントで1尾、傷だらけのパーマークのないヤマメ(塩焼きにしたら薄くパーマークが浮いていた)?だった。別のポイントでさらに1尾を上げたが、風が強くなり仕掛けが風で弓なりになってしまう。温度も下がって来てしばらく遡上したが当りがなくなったのでここは諦める。
車に戻って暖を取ったあと、次の川へ行ったが、
100メートルおき位に車が留まっており、ここかしこに棹を出しているので、仕方なくさらに上流を目指した。渓相が平場から谷に変わるところから入渓し、最初のポイントですぐに真っ黒なイワナがかかり、幸先良いスタートを切ったが、その後は2時間ほど粘って大石の影でイワナをゲットしたところで納竿、約5時間で5尾の釣果だった。まだ水温も低く、手を濡らすとしばらく冷たくて感覚がなくなる寒さで、鼻水も止まらない、他人には見せられない状況だ。もう少し暖かくなったらまた来よう。
午後
1時前に家に戻って、釣り道具を洗って干したり、片付けたりしたあとひと休みしてから、ポチをゆりかご動物病院に連れて行った。先週土曜日行ったが臨時休診だったので、今日は中10日あけての診療となった。まったく問題がなく、今日も太鼓判を押された。少し口臭がするので診てもらったら、人間と同様歯石がたまっているというので、先生に指で歯石を取ってもらった。取れるときにパチンと音がして、米粒大の歯石が2個も取れた。ちょうど今日でゆりかご動物病院にかかってから半年になった、ということで先生からご褒美に薬入りの高級なネコ缶をいただいた。早速今夜そのネコ缶を開けて出してやったが、ポチは全然口にしなかった。
夜のニュースは中川財政財務・金融担当大臣の酔っ払い記者会見の話題で持ちきりだった。風邪薬のせいに言い訳したところで誰にも通用しない。麻生内閣のまさにメルトダウンが始まっている、としかいいようがない。今日は内閣府から
GDPが年率換算マイナス12.7%になったとの発表があった。アメリカやヨーロッパ以上の落ち込みだ。日本の景気後退は欧米ほどではないと楽観していた麻生さんでは、景気回復は望めない?
2009年2月15日(日)
佐久教会
午前中山ちゃん夫妻を誘って日本基督教団の佐久教会に行った。教会のホームページを調べたが開設していないので礼拝の開始時間がわからなかった。多分10時半から始まるものと勝手に決め込んで、5分前に行ったらもう牧師の説教が始まっていた。出席者が10人足らずのところへ、ドタバタと4人が入っていってしまったので、牧師も一瞬説教の言葉を詰まらせてしまうことになってしまい、迷惑をかけてしまった。
礼拝終了後、報告のときに宇田牧師は、私どものことを覚えていてくれて、自己紹介する前に牧師のほうから住まいと名前を紹介してくれた。宇田牧師とは先日の読書の森で行われたバングラデシュ医療活動報告会のときに初対面で少し言葉を交わした程度だった。報告会の参加者名簿に名前や住所を書いてきたので、一度報告会のときの献金や外国コイン、古切手の送付結果を郵便で送って来てくれたが、しっかり我々のことを記憶してくれていたようだ。
佐久教会は、昨年で創立
120周年を迎えた歴史のある教会とのこと。会堂も明治38年に建てられたというから、100年は経っている。木造の三角屋根で小さな十字架が屋根についているだけのシンプルな建物だった。ここには牧師館が付属していないので、宇田牧師は御牧ヶ原の読書の森の近くに住んでいるとのことだった。
教会を出てから教会の近くのデーツーに車を停めておいたので、デーツーで買い物をしたあと、近くの佐久総合病院まで山ちゃん夫妻に道案内をしてから佐久平に向かい、途中ラーメン屋さんで昼食、最後にジャスコで食料品や図書などを買い、家に戻った。
出かけている間、外は昨日以上に暖かいというより、冬物を着ているので暑く感じたので、家に戻って外の温度計を見たら、
23度になっていた。昨日が観測史上最高の温度になったのに、僅か一日でまた新記録になった。
ジイは一人でウォーキングに出かけた。軽く
1時間程度と思って出かけたが、ポカポカ陽気で歩いていても気持ちがよく、どんどん足を延ばして結局1時か45分のウォーキングになった。整形外科へ行ったときに、ウォーキングは30分程度に控えるよう言われたのに、一向にそれを守っていない。処方してもらった薬では効かず、ファイテンのチタンテープを貼って痛みが引いて以来、痛くなったらチタンテープを貼ればいい、と思っているので医師の指示は無視することにした。
いよいよ明日は早起きして渓流釣りに出かけるので、今日は早めに寝ることにしている。日記を書いてホームページにアップすることも、釣りの道具を揃えることも終わらせ全て準備万端、明日を待つのみ。
2009年2月14日(土)
なんと20度
朝起きてみると妙に暖かい感じがするので、外の温度計を見ると10度になっていた。この時期氷点下が当たり前だというのに。この暖かさに小鳥も楽しそうに頻繁に飛んできた。シメとカワラヒワが並んで地面をついばんでいる所を写真に撮った。
午前中は雨が降ったり、急に陽射しがあったりとめまぐるしく天候が変わったが、午後にはすっかり晴れ渡った。温度計はうなぎのぼりとなり、午後
1時に見たら20度になっていた。午後からウォーキングに出たが、浅間山は噴火の影響だけとは思えないほど頂上から中腹まで雪が融けていた。おととい上尾でもう梅が五分ほど咲いているのを見て驚いたが、散歩の途中で紅梅が二分咲きになっているのを見つけさらに驚いてしまった。我が家の庭の梅は、さすがにまだ固い蕾のままだったが、少し膨らんできていた。ウォーキングしていても汗ばむほどだった。リンゴ畑を通るとタカノさんが剪定作業をしていた。昨日に続きこの暖かさで早く芽が出て、霜にやられるのを心配していた。温暖化を肌で感じている言葉だった。
ウォーキングから戻って、ポチをゆりかご動物病院に連れて行った。ところが病院には休診の札がかかっていた。
13日から15日まで臨時休診になっていた。先週来た時に確認しておけばよかったが、うっかりしてしまった。ポチにはかわいそうだがまた来週月曜日に出直しだ。
2009年2月13日(金)
春一番
朝から生暖かい風が吹き、春一番となった。うす曇りなのに気温はぐんぐん上昇し、午後には13度まで温度計が上がった。福寿草は5輪ほどが満開になっていた。
昨日上尾から運んできた箪笥の板などを収納するため、ジイ小屋のテラスを整理した。山ちゃん家の工事の時に出た端材を乱雑に置いたままにしてあったのを種類ごとにまとめ、箪笥の板も大きさに合わせて立てかけられるようにした。一緒に積んで来た敷石も車から降ろした。
午後から、上尾の家の玄関の外に付けてあった照明器具をはずして持ってきたので、それをジイ小屋のテラスの屋根の下に取り付けた。この照明器具は、暗くなると自動点灯し、人が近づくと
100%明るくなり、設定した時間で20%の明るさに絞られ、深夜の時間帯になると自動消灯する。それ以降は朝まで、人が近づいたときだけ100%点灯する優れものだ。こちらの北御牧の家の玄関等がそういう照明灯だったので、ホクシンさんに取り寄せてもらって、上尾の玄関に取り付けたものだ。上尾の家に付けていたが、隣の山ちゃん家も引っ越してくるので、もう管理をしてもらうわけにもいかないし、電気も止めてもらうことにしたので、昨日はずしてきてこちらで活用することにした。
ついでに防犯用に勝手口に付けてあったセンサー付きの防犯灯もはずしてきて、こちらの家のデッキの柱に取り付けた。これで夜暗いときに、山ちゃん家との往き来をするのに足元が明るくなる。昼間は汗をかきながらこんな外仕事で身体を動かし続けた。
午後
4時過ぎに家を出て上田のバンバンというアウトドアショップへ行った。釣り用のシューズの底が磨り減り、交換用のスペアを注文してあったのが入荷したという連絡を受けていたので、それを取りに行きがてら、16日の解禁用の餌を買いに行くためだ。ミミズとブドウ虫を買い、0.3号の糸が半値で出ていたのでそれを購入した。ついでに会員カードも作成した。今後は釣り道具や餌はすべてこの店で調達することになるので、ポイント集めに精を出そう。
バンバンのあとはすぐそばにあるコメリとツルヤに寄って、必要なものを買い、最後に五輪久保のタカノ林檎園に寄って、先日の林檎ジュース代を支払い、また自家用のリンゴ
10キロを買って家に帰った。タカノさんの話では、こんなに暖冬だとリンゴの木の生育が早すぎて返って良くないそうだ。年々温暖化の影響で収穫にも悪影響が出始めている、とのこと。やはりCO2の削減を一人ひとりから始めなければ温暖化の解決はない。
2009年2月12日(木)
上尾の家
上尾に出かけるため朝6時に起床。昨夜寝る前に降り出した雪で外はうっすらと白くなっていた。車で出かけるので内山峠など雪が大丈夫か心配したが、道路には積雪は全然なくまったく問題がなかった。毎日が日曜日のような生活をしているのでうっかりしてしまったが、佐久市内は通勤時間帯になっていて望月トンネルあたりで、のろのろ運転になった。世の中は仕事に精を出す平日だった。ちょっとした通勤渋滞を抜け出すとあとは長野県から群馬県に抜ける山道なのでほとんど車の通りはなく、スムーズに下仁田インターまで行けたが、予定より30分ほど時間がかかったが朝のETCの通勤割引には間に合うことができた。
10
時に上尾に到着し、山ちゃん家で一服したあと作業に取り掛かる。山ちゃん夫妻と4人で山ちゃん家との家の間の通路に敷いてあった敷石をはがして、泥を落とした。花壇に使っていたレンガも掘り出して泥を落とした。これらは北御牧に運んで今後の庭造りに活用する。そのあと、ジイは2階に置きっぱなしになっていた箪笥2棹を分解した。この家を建てたときに整理箪笥とあわせて3点セットで購入したものだ。当時としては少し無理して買ったものなので、捨てるには忍びなく何かを作るときの木工用の素材として使うことにした。
お昼はバアのリクエストで春日の大島食堂(がってん寿司)に行った。以前は回転寿司だったのを改装して新鮮な魚を使った食事のできるお店に代わったものだが、上尾にいるときは家からそれほど遠くないので、時々利用していた。久し振りに行ってメニューで美味しそうな刺身や牡蠣フライのついた特別ランチがあったので、それをたのんだ。出てきたマグロやハマチの刺身はメニューの写真の半分以下の厚みしかなく、少しがっかり、以前にはこんなことはなかったのに残念だ。マッもう来ることもないだろうけど・・・。
山ちゃん家の引越しの手伝いはほとんどせずに、我が家のほうの片付けを済ませ、敷石
15枚と箪笥などを車に載せて北御牧に戻ることにした。敷石やレンガはとても1回では積みきれず、残りはまた上尾に来たついでに積み込むことにした。帰る前に上尾の我が家をカメラに収めた。20年住んだ家、今後どうするかまだ決めてはいないが、少なくとももう我々自身で住むことはないだろう。ちょうど電気の検針に来ていた人に、電気も19日で止めてもらうようお願いした。浅間台大公園のほうから我が家を眺めてしばし感傷にひたった。
帰りは通勤割引に引っかかるよう上尾を出発し、上里サービスエリアで時間を調整し、午後
5時過ぎに下仁田インターを降りて、家には6時半ごろ到着した。日帰りで往復するのは少ししんどくなってきた。
夜のニュースは、小泉元首相が麻生首相を批判したことでもちきりだった。「怒るというよりも、笑っちゃうくらい、ただただあきれる」といったけど、国民はずっとそんな姿を就任以来見続けさせられている。これで麻生自公政権に引導が渡されたはずだが・・・、来週あたりに政局に動きがあることを期待しよう。
2009年2月11日(水)
信教の自由を守る日
今日は世間では建国記念日らしいが、われわれにとっては信教の自由を守る日だ。美しい国というフレーズのもと、どんどん危うい道へ進んでいる今の流れを止めなければいけない、と思いつつ何もできない自分に多少いらつくこともある。
今日は休日扱いで一日中電気料金が割安になるので、午前中ゆっくりしたあと、家の掃除を少し丁寧に時間をかけてした。午後はウォーキングに出かけた。山ちゃん夫妻が昨日引越し準備で上尾に戻ったので、ジイとバアの二人だけで歩いた。浅間山の噴煙が大量に出ているのが気になった。歩いているうちに雲が広がって陽射しがなくなってしまった。
1時間半歩いて家に着く頃には、浅間山もすっかり雲に隠れてしまった。
夜はサッカーを見た。宿敵オーストラリアはやはり手強かったが、このオーストラリアに勝てないようではワールドカップ本戦に出場できても予選リーグ止まりだろう。
明日は引越しの手伝いや我が家に残してある家具の片付けをしに、久し振りに上尾に出かけるので早めに寝る。
2009年2月10日(火)
また噴火
昨日22日に続き2度目の小噴火が2回あったようだ。昨日は曇りがちで浅間山が雲に隠れていたので気がつかなかったが、今朝2階の和室の窓から浅間山を見ると、今までにない量の噴煙が上がっていた。風向きによって見える量が違うので、噴火があったせいだとは言い切れないが、今朝はことのほかこちら側に噴煙が広がっていた。
地元のニュースでは連日のように、今回の浅間山の噴火に対して、事前に予知して警戒レベルを上げていたことが報じられている。日ごろからの観測機器から集めたデータと過去の噴火のデータをつき合わせて予知に至った経緯が知らされた。大地震の後の自信なさげな様子と違って、得々と解説している気象庁の職員の姿が印象的だった。
それでも現在国内に
108ある活火山の中で浅間山のような常時観測する態勢が取れている活火山は、5分の1程度だという。確かに浅間山のように常時噴煙を上げ、火山性微動を群発させている山は少ないのだろう。浅間山は数年に1回は噴火しているので、注目度も高く、全国規模でのニュースにもなる。しかし、遠くの人からは心配をいただくが、浅間山の地元に暮らす人々は(私も含めて)意外にも差し迫った様子を見せない。噴火といっても下から見ている限りでは、報道されているような溶岩で赤く染まった山肌が見えるわけでもなく、火山礫が飛んでくるわけでもない。今回など降灰の被害もなかった。
それよりオーストラリアの山火事のほうを心配する。
100人以上の死者が出る山火事など想像できないからだ。気温が46度にもなったりする一方で大洪水にも見舞われているオーストラリアの異常気象と、今年の日本の暖冬と因果関係があるのだろうか?
今日は午前中、
7日にやった御影石の敷石に合わせて、デッキの階段から玄関前の駐車場へつながる歩道を作った。今まで飛び飛びに小さい敷石を敷いていたが、御影石が足りなかったところに3枚ほど用立ててしまったので、穴が空いてしまった。5色の玉石が余っていたのでそれを敷き詰めることにした。庭の一部で野菜作りをしてきたが、今年からは野菜は隣の畑でやるので、庭は全体を花壇に大改造する予定がある。いまバアと義姉で構想中だが、力仕事はジイたちにお鉢が回ってくることだろうから、ちょうど今はそのための訓練のようなものだ。ジイとしてはこういうことは嫌いではないので、構想が早く固まるのを待っているところだ。
午後は、釣りの仕掛けの長さや竿の調子を確かめたりして、釣りモードを高めた。
2009年2月9日(月)
川の水が少ない
午前中風がなかったので、可燃ごみを外で燃やした。先日剪定した白樺の枝も一緒に燃やした。枝を火にくべると一瞬だが緑の新芽が枝からいくつも開いていく。冬の間新芽は固い皮に覆われていて、春になって暖かくなるとその皮を破って芽を出すのだろうが、その前に剪定されてしまってもまだ枯れ切っていなかったのだろう、その枝の新芽を包んでいた皮が火にあぶられて破れ、隠れていた新芽が飛び出したと思われる。その様子を見ながら、ここにも命があったのにかわいそうなことをしたと、ちょっぴり悔やんだ。白樺の木も植栽して6年が立ち、丈も伸びて電線にあたりそうになってきたので思い切って頭を詰めた。ついでに余計な枝も切り落としたがそれもこれもみんな人間の都合というものだ。
午後は
2日もウォーキングをしていないので、少し雲が広がって陽射しはなかったが山ちゃん夫妻と4人でウォーキングに出かけた。今日は車で布施温泉の駐車場まで行き、そこから整備された林間コースに沿って山道を歩いた。途中でそのコースも枯葉に埋もれて道がなくなってしまい、仕方なく尾根伝いに林の中を迷いながらも歩いていって、何とか車道に出ることができた。そこから布施小学校の大きな建物を目指して歩いた後、布施の集落の本通りに出ることができたので、そこから布施温泉まで戻った。約1時間の行程になった。
車に戻って、車で長者ヶ原まで行った。おととし農業大学校で
23日の農業体験研修に参加したときに実習先として案内されたところだ。記憶よりも実際にはかなりの距離を山に向かって登っていった先に大きく開けた高原の畑に出た。ここが長者ヶ原だ。標高1,000メートルほどの所にあるこの高原は、見るからに開拓地という風景が広がっている。
普通の年ならまだ雪が畑一面を覆っているのだろうが、今日見る限りではもう黒々とした肥沃そうな土がきれいに耕されて、いつ野菜が植えられてもいいような状態になっていた。下のほうからはただの林の山にしか見えないのに、上がってくると広大な畑が広がっている。日本の国土は本当に隅々まで人の手が入っている、と実感する。この後は、ひと山越えて鹿曲川に沿って走り、春日温泉まで行ってから家に戻った。
今日のウォーキングのコースにここを選んだのには、
16日からの渓流釣りの解禁に合わせ、川の様子を見る目的もあったからだ。鹿曲川や布施川、細小路川、八丁路川の様子を見たが、今年は雪が少ないせいか川の水量がかなり少ない。今日の夕方のニュースでイワナ、ヤマメを放流している様子を報道していたが、そこに写っていた川も水量が少なさそうだった。水温は高めなので、食いはよさそうだが果たして釣果はどうなるか?
長女からもウォーキングしている途中電話があった。やはり新しい職場になって忙しいようだ。タカノ林檎園の林檎ジュースも届いたようだ。
2009年2月8日(日)
岩手の師匠
今日は長女の30ん回目の誕生日。バアがお祝いのメールを送ったが夜まで反応なし。過酷な三交代勤務のある現役の看護師でもあり、特に今年からICU室勤務に替わったばかりというから仕方がない。便りのないのが元気な証拠と、昔は我々自身が親に言い訳をしていたこともあった。
岩手の釣りの師匠が軽井沢の信濃追分にいる学生時代の恩師に会いにくるというので、折角だから時間があったら我が家にも寄るようお誘いした。昨夜のうちに長野に到着して投宿したとの連絡があったので、今朝
9時半過ぎに新幹線上田駅で落ち合うことにした。久し振りの再会ですぐに分かるか心配したが、帽子をかぶってマスクをしていたにもかかわらず、新幹線の階段を下りてくる姿をひと目見ただけですぐに彼と分かった。人の記憶というのは、顔だけではなく身体全体の形や動き、その人の持つ雰囲気までもひっくるめたイメージで記憶しているのだと実感した。
我が家に到着してバアやポチにも旧知の間柄のように話しかけていた。これもこのホームページによくアクセスしている成果か?お昼前まで楽しく時間を過ごした後は我が家を訪問してくれた人によく案内する「ふるさとの草笛」で一緒におそばを食べた。並み盛のおそばだが量が多いのには驚いていた。
食事後恩師の家を訪ねた。大学を辞してから趣味で集めたアンティーク時計(ポケットウオッチから掛け時計まで)を販売するお店も構えていて、ネット販売もするためホームページも開設しておられる。そのホームページに所在地を示すグーグルの地図が掲載されていたので、あらかじめコピーをとって持っていったので、簡単に見つかると思っていたが、そこは別荘地で林の中に別荘が点在していて、なかなか見つけられなかった。ぐるぐる林の中を探して見つからず、もう一度振り出しに戻って国道
18号線から別荘地に入りなおして、11本道路を確認しながら探したらようやく見つけることができた。
我が家を訪ねてくる人もそうだが、初めて行く田舎道は同じような景色や道路がどこにでもあるので、一旦入り口を間違えると、とんでもない所へ行ってしまう。師匠も米寿を迎えたという恩師の元気な様子を見ることができて嬉しそうだった。恩師の住まいをあとにして、師匠を軽井沢駅まで送ってそこで別れた。この次は岩手の渓流での再会を約束した。
2009年2月7日(土)
敷石
午前中予定どおり丸子のケイヨーD2に行って、御影の敷石を20枚買いに行った。120キロぐらいあるので山ちゃんにも一緒に行ってもらって、積み込みを手伝ってもらった。さすがのオデッセイも荷台に400キロも乗せると前のボンネットが上がって見えた。丸子からの帰りのきつい坂もオデッセイのパワーで昇りきり、無事家に着いた。車から降ろすのも山ちゃんに手伝ってもらった。
午後から
4人で敷石を敷く作業を始めたが、いつのまにか女性陣は高みの見物、口だけの冷やかし部隊になってしまった。予定した敷く場所には、あと23枚必要だったが、最後はもともとあった半分の大きさの敷石で帳尻を合わせてしまった。これで雪や雨が降ってぬかるんでもジイとバアの家と山ちゃん家を行き来する通路は、石の上を歩けば靴が泥だらけにならずに済む。再来週には山ちゃん家の引越し荷物が来るので、この石があればひと安心だ。
作業している間、風もなくポカポカ陽気でデッキの温度計は
16度まで上がっていた。朝のうち先っぽが黄色く色づくだけだった福寿草の花芽が、午後には口が開き始め中の黄色い花芯が見えるようになった。一昨日の日記にあと10日以内と書いたが、明日には開花しそうだ。今日の信濃毎日新聞では、先日安曇野に見に行ったコハクチョウが北に帰る「北帰行」が暖冬のせいで例年よりも1週間以上早まっているとのことだった。そんなに早く帰ると知らなかったので、先日が最後のタイミングだったようだ。
渓流釣りの解禁まで
いよいよあと1週間と迫ったが、このままだと今年は雪のない解禁日となりそうだ。明日岩手の釣りの師匠が、軽井沢の恩師を訪ねてくる途中、我が家に寄ってくれることになった。
2009年2月6日(金)
丸子で買い物
昨日の夜はNHKBS2で黒澤明監督の「赤ひげ」を最後まで見ていたので、寝たのが深夜になってしまった。朝はゆっくりして8時前に起きた。赤ひげは1965年の作品だから、44年前にもなる。全編通してみたのは初めてだが、赤ひげのせりふを通じて「無知と貧困が病気を生むが、その無知と貧困を放置する幕府(権力)はけしからん」などと言わせているのが面白かった。
午後こそ晴れ間が出てきたが朝から午前中は曇りがちで少し風も冷たく気温が余りあがらなかった。ウォーキングには向かない天気だったので歩くのはやめた。山ちゃん夫妻が家具屋さんに行きたいというので、午後丸子にある家具屋に案内した。家具屋の近くに最近できたショッピングモールがあるのでそこでも買い物をした。ホームセンターのケイヨー
D2やスーパーのツルヤ、ドラッグストア、100円ショップなどがあって駐車場も広い。上田や佐久平への買い物に行くことが多いが、実は距離はここが一番家から近い。ここへ行くのに北側斜面の急な坂を通るので冬場は少し嫌だが、今年のように雪がほとんどないときは何の問題もない。
ケーヨー
D2で庭に敷く御影石の値段を見たら、明日コメリに買いに行く予定だったものと同じものが1200円も安かった。庭に敷く枚数はざっと20枚は必要なので、明日はコメリはやめてもう一度ケーヨーD2に行くことにした。
先月
10日にベトナムのハノイに向けて、新しい仕事をしに行った友人から今日メールが届いた。忙しいのかまだ詳しい状況は書いていないが、とにかく元気にやっているようなのでほっとした。
2009年2月5日(木)
福寿草
今日は次女の30ン回目の誕生日。当時は神奈川県厚木市の県営住宅に住んでいた。勤めは、レストランの経営や弁当給食、社員食堂の受託運営をする会社で、経理の仕事をしていた。同族会社で社員の数は100人に満たない中小企業で、不安定で低い給与水準やお粗末な福利厚生の改善を求めて組合をみんなで立ち上げて、それなりに頑張っていた時期でもあった。
仕事も忙しかったが、組合の会議や付き合いで毎晩遅くなることも多く、家事や子育てはバアにまかせっきりの生活が続いたものだった。そんな家庭環境の中で生まれた次女も、今や
2児の母親になって子育てに奮闘中だ。子供達の成長を見ていると、さまざまな社会環境の影響があるとはいえ、親から受け継ぎ子へ引き継いだDNAが、何気ない所作のなかにはっと気付かされるようなものがある。歴史は繰り返す、といわれる由縁かもしれない。
今日も暖冬を象徴するような暖かさだった。午後は山ちゃん夫妻と一緒に家の近所を約
1時間ウォーキングした。昨日読書の森でフキノトウが出始めている、と聞いたので田んぼの土手など散歩しながら探したが、見つけることは出来なかった。いくら暖冬とはいえまだ春を感じさせる植物はまだのようだ。それでも有名な刀鍛冶の作者の家の陽だまりの庭に福寿草が咲いていた。ウォーキングから戻って我が家の庭の福寿草を見ると、蕾が頭を出し、先が黄色くなり始めていた。あと10日もすれば咲き始めるかもしれない。
今日はポチの診療日、午後
4時オープンの時間に合わせて家を出たが、10分前に到着し、しばらく開くまで駐車場で待った。午後の診療でいつも一番で診てもらえるよう早めに行っているが、今日は少し早く着きすぎたようだ。順番に遅れると待ち時間が長くなってしまう。ポチの皮下点滴に20分ぐらいかかるので、今日もポチの診療が終わるときには二組が待っていた。ポチの状態は今日も獣医さんから太鼓判を押してもらった。こういう状態がいつまで続くかわからないが、通院が1週間から10日に1回のペースなら我々にもそれほど負担にもならないので、ポチにはこのまま頑張って欲しいものだ。
2009年2月4日(水)
読書の森その3
立春の今日、既に何日も前から春めいた陽気なのであまり実感が沸かない。午後から山ちゃん夫妻が北御牧総合支所に用事があったので一緒に行き、その足で御牧ヶ原台地に車で上ったあと農業大学校の近くに車を停めて、そこからウォーキングをした。農業大学校の敷地を通り抜けて、茶房読書の森まで歩いた。ちょうど1時間の行程だった。
誰もお客さんがいなくて、
4人だけでしばらく貸し切り状態だった。物静かな詩人のマスターと話題の豊富な奥さんとしばらく会話を楽しんだ。岩手県一戸町の奥中山のカナンの園の成人の知的障害者の更生施設「小さき群れの里」のことが読書の森のホームページに書かれていたので、そのことを尋ねた。東京で行われた作品展のことを知って問い合わせをし、読書の森で作品展をしたとのことだった。カナンの園の活動が思わぬところにも広がっていることに驚きと感動を覚えた。
読書の森を出て車を停めてあるところまで
15分ほどの距離があったが、読書の森の「ノンちゃん(暢気のノン)」がずっとエスコートしてくれた。車の通行も多くなる道路に出ても先導するので、どこまで行くのか心配になったが、結局車の所まで一緒だった。しかし、車に到着してドアをあけるとそれとわかったらしく、一人でUターンして帰っていった。この賢いワンちゃんの人間以上の大変な気遣いをいただいて、4人で感激してしまった。ほのぼのした気分で家に帰った。
帰る途中で、タカノりんご園から電話があり、リンゴジュースが入荷したと連絡してくれた。家に着いてから折り返し電話をしたところ
5時過ぎには畑から家に戻るというので、時間を見計らってタカノりんご園に行き、娘達への宅配を頼み、自家用に1ケース購入してきた。100%タカノりんご園のリンゴを絞った生のリンゴジュースだ。試飲させてもらったが濃厚でフジだけではなく複数の種類のリンゴが味が複雑に絡み合った深い味がした。
2009年2月3日(火)
白鳥
松本に出かけたついでに、安曇野の白鳥の飛来地、その名もずばり白鳥湖まで足を伸ばした。松本から国道19号線を北上し、篠ノ井線の田沢駅から豊科インターに向かって左折し、犀川を渡ってしばらく田園地帯を案内標識に従って車を走らせると、再び犀川の広い河川敷に出た。そこに駐車場と餌付け用の小屋が建っているところがあった。名前から白鳥がいるのは湖かと勝手に思っていたが、実際には、犀川の川幅が広がって中洲が出来ている場所に白鳥がいた。平日だったので2,3台の車が止まっているだけで、数組の人を見かけただけだった。
白鳥は、現在
300羽近くがいることが確認されている、と看板に出ていたが、見たところその10分の1ぐらいしかいなかった。それよりも、鴨が川面を埋めつくさんばかりにいたことのほうが印象的だった。鳥インフルエンザを懸念して、個人的に餌をやらないようにという看板が出されていた。しかし、これだけの鳥が集まっているということは、相当の量の餌付けをしない限り、長くとどまってはいてくれないだろうと、想像した。さすがに川は冷たい風が抜けて長居ができないので、カメラに鳥たちを収めて早々に引き上げた。
この時期は毎年テレビで、風物誌のように白鳥の姿が映し出されるので、一度実物を見てみたいと思っていた。ようやく実現したが、思わぬところで発見するような驚きが伴っていなかったせいなのか、正直言ってあまり感動しなかった。明神館あたりでいつもいる鴨たちに混ざって、白鳥がいたらきっともっと感動したことだろうが・・・。
松本、安曇野から午後
3時ごろ家に戻って、疲れて夕方1時間ぐらい寝てしまった。今夜は山ちゃん夫妻が上尾からやってきて、夕食の後はケーキのお土産で一緒にお茶をした。去年から、4人のそれぞれの誕生月に本人が美味しいものを買ってきてみんなに振舞うというルールができ、今年はその2巡目で最初に義姉が誕生月を迎えて、そのお祝いを今夜したわけだ。今年から4人に加えて、ポチの誕生月を4月に定め(子猫のときに我が家に紛れ込んできたので正確な生まれ月はわからない)、次は4月に20歳の誕生日をかねて盛大にやることになっている。スポンサーを誰にするかはまだ決まっていないが。山ちゃん家の引越しは今月中旬に決まったそうだ
2009年2月2日(月)
浅間山噴火
朝から浅間山の噴火をニュースが伝えている。浅間山が午前151分に噴火したからだ。昨日の午後1時の気象庁の発表で、1日程度で噴火する可能性があると発表していたが、発表の13時間後には予測どおりに噴火した。気象庁としては、してやったりというところか。去年の8月にも小噴火しているし、5年前には溶岩流が流れるほどの噴火をしている。最近の観測データの解析から、かなりの高い精度で噴火の予知ができるようになっているようだ。予知が出来るからといって、噴火を抑えることは出来ないようだが、今回は真冬で農作物などに被害がなかったのでまずはひと安心だ。
この辺りは降灰の影響もほとんどなかった。かえって群馬、埼玉、東京辺りにほうが降灰に見舞われたそうだ。今日は一日ことあるごとに浅間山を眺めていたが、多少いつもより噴煙が多いかな、という程度で、この辺りからは特に変わった様子は見られなかった。
午前中には雲もとれて快晴となったので午後からウォーキングに出た。家を出たところでは風があったので、はじめは
30分程度で帰ろうと思ったが、しばらく歩いているとさほど風が感じられなくなったので、足を伸ばして結局2時間のウォーキングになってしまった。
家に戻ってから、家の敷地の入口の白樺の木の剪定をした。かなり背が伸びて電線に届きそうになってきていたので、脚立に昇って思い切り背伸びをしながら、てっぺんの枝を切り落とした。我が家のシンボルツリーだが、よく見ると芯食い虫やカイガラムシにだいぶやられている。去年カイガラムシをブラシでこすり落としたがまだまだ幹に付着している。芽が吹いてくる前にまたブラシ掛けしなければいけない。とにかくこの辺の樹木に取り付く虫は強い。消毒をしないのでなかなか退治できない。
我が家の庭だけではなく周辺の林でも、特に松はマツクイムシにやられていて、あと
10年もしたら山の林から松がなくなって風景が一変するのではないかと心配している。今の時期は、落葉樹の葉が落ちて、常緑樹の松や杉だけがよく見えるので、その中で枯れた松は一段と目立つ。広重の浮世絵に代表される日本の原風景に松がなくなったら洒落にもならない。
2009年2月1日(日)
パン焼き
夜中に少し雪が降ったのか塩を蒔いたように所々が白くなっていた。時折、風花が舞うすっきりしない天気で、気温も5度までしか上がらず、ウォーキングにも出る気がしない天候だった。
浅間山が最近の政治状況に業を煮やしたのか、怒りの爆発が近づいているようで、火山情報でレベル
3が発令された。このレベル3になると、浅間山火口から4キロ以内に近づくことが禁止される。高峰高原ホテルのある車坂峠がちょうどそのぐらいの距離になるらしい。黒斑山も登山禁止になった。気象庁の発表では山頂付近が膨張しており、1日以内に噴火の恐れもあるといっている。軽井沢の鬼押し出しに抜ける有料道路も封鎖された。
午前中掃除をしたあと、チーズ入りのフランスパンを焼いた。ねかしたりする時間もあったのでオーブンで焼きあがったのは、午後になったが・・・。夜は夜で食パンの仕込をした。以前に深谷のマイスター
Oさんのお宅でご馳走になったパンが美味しくて、それ以来食パンはそのレシピを踏襲して焼いている。シナモンの香りがするので焼きたては格別だ。タイマーで明日の朝7時前に焼きあがるようセットした

過去の日記07年11月〜09年01月

思いつくままに(ジイの記録)