過去の日記07年11月〜08年10月

思いつくままに(ジイの記録)
2008年11月30日(日)
家具屋
ジイ小屋の周りも昨日の舗装工事ですっきり舗装されたので、買ったりいただいたりした材木を、仮置きしてあったデッキからジイ小屋の北側の屋根の下に、山ちゃんにも手伝ってもらって移動した。この材木を使って今後、ブドウやキュウイの棚を作ったり、デッキのテーブルやベンチを作る予定だ。いつ完成するかはわからないが・・・。
お昼前に山ちゃん夫妻と
4人で佐久平に出かけた。昨日友人二人を出迎えに行ったとき、新幹線の改札口の所から軽井沢方面を電車が入ってくるのを見ていたら、「ニトリ」の大きな看板が目に入った。この間からコタツを探しに家具屋めぐりをして、気に入ったものが見つからず最終的には妥協して買ってしまったが、近くに「ニトリ」でもあったらいいのに、と思っていたので、青天の霹靂(へきれき)だった。そこで早速新居に何かと新しい家具が必要な山ちゃん夫妻を誘ってニトリに行ったのだ。
ジャスコに車を置いて、これからジャスコを利用することも多くなるので、山ちゃん夫妻がイオンカードの申請手続きをしたあと、散歩も兼ねて
20分ほど歩いてニトリに行った。しかし、なんとまだ開店準備中でオープンは125日と看板が出されていた。開店前から目立つ大きな看板だけは早々に掲げていた、というわけだ。少しがっかりしながらも、今度来る楽しみにしておこう、ということになった。その足で、岩村田教会まで行ってみよう、ということで道に迷いながらも教会の所まで歩いていった。教会の所在だけ確認して、再びジャスコまで歩いて戻ることにした。
お昼を大分過ぎてしまい、空腹で少し不機嫌になりながらも、ジャスコの隣にあるデニーズでようやく昼食にありつけた。食事も済ませて気分も戻ったところで、
30日で5%引きの日であるジャスコに再度行って食料品などを買いこみ、家に戻った。山ちゃん夫妻も定住するようになると、4人でこんな買い物ツアーをたびたびするようになるんだねー、とお互いに語り合い、笑い合った。まだ、定住まで行かない山ちゃん夫妻は夕方5時前に上尾に戻って行った。
2008年11月29日(土)
二人の知り合い
昨夜入浴時に体重計に乗ると、68.8kgだった。安心して今日一日お客さんと一緒に家で昼食をとり、いただいたお土産をお腹一杯いただいた結果、今夜の体重計は最近の数値に戻っていた。また70kgの大台に乗ってしまった。油断大敵、一夜にして元の木阿弥だ。
今日は朝から雲一つない快晴となった。長年ジイとバアの共通の知り合いである二人が、初めて我が家にやってくるので佐久平駅まで迎えに行った。二人は最近
JRが売り出した「週末日帰りパス」という乗車券でやってきた。この乗車券は関東一円を二人一組で、一日フリーパスで乗れる切符で、新幹線も東海道を除く東北、上越、長野の各新幹線も自由席に乗ることができ、長野新幹線は佐久平までがエリア内に含まれている。一人当たり7,000円ということで、佐久平から上尾まで普通は、乗車券と特急券で5,430円掛かるから、往復で3,860円もお得ということになる。今年一杯のキャンペーンらしいが来年以降も続けて欲しいものだ。日帰りで東京へ行く機会もあるかもしれない。
この乗車券を利用して来てくれた二人と、家まで来る前にちゃたまやにまず立ち寄って、コーヒータイムのお茶請けとして定番の「ひよこプリン」を買い、さらにツルヤに寄って、最近コマーシャルで流しているうなぎ専門店のまかない料理の「うなぎ焼きおにぎり」を買った。自分達の食べたいものをお客さんをダシにして一緒に食べよう、という魂胆だ。
二人とは夕方
5時過ぎまで食べたり、しゃべったり、お茶を飲んだりと楽しい時間を過ごした。二人とは、バアもジイも仕事を通じて知り合った。二人とも30歳になる知的障害を持った子供さんを育ててきた人たちだ。言葉にはならないたくさんの苦労があっただろうし、これからもずっと障害のあるお子さんと向き合っていかなければならない大変さがあるに違いないが、そういうことを感じさせない明るさの中で語る言葉の一つひとつに、我々にはない力強さを感じた。
我々は子供達がそれぞれ結婚し、親元から独立していったので、子育ては卒業したとばかりに呑気に田舎暮らしを決め込んでいるが、彼らには自分達が死んだ後のことまで子供達の行く末を心配しなくてはならない状況がある。日本の福祉の現状は、障害者が親から自立して生活できる環境で暮らせる生活ホームなどの施設の整備がまだまだ不十分なのだ。一国の総理大臣が、社会保障の根幹に関わる失言を重ねているが、それは福祉の現状の貧困さを映している鏡のようなものだ。
佐久平駅発午後
612分の新幹線の間に合うよう二人を車で送った。8時前には帰宅したという電話があった。二人を送っている間に山ちゃん夫妻が到着した。今日カーポートや進入路のアスファルト舗装の工事が行われ、山ちゃん家の周りもすっきりして、ようやくこれで山ちゃん家のレポートも終幕になりそうだ。
2008年11月28日(金)
大腸検査
午前7時過ぎに起床し、午前7時半に用意されている飲み薬を飲む。8時から10時までの間に「ムーベン」という腸管洗浄剤2リットルを少しずつ時間をかけて飲んだ。この間に何か作業ができるかと思ったが、何もできなかった。新聞も満足に読めない状況だった。といって横になって眠ることもできず、トイレの脇にあるバアのパソコンでゲームをしながら、トイレを行ったり来たり、ようやく11時半ごろ落ち着いてきたので、昨日塗装を終えて組み立てるだけになっていた山ちゃん家のポストを完成させた。
午後
1時半までに佐久総合病院の胃腸科の受付に行かなければならないので、12時半に家を出た。110分ごろ着いて受付を済ますと間もなく、呼び出しがあって手術服に着替えて待つように指示があった。2時からの検査予定になっていたが、それより前に内視鏡の検査室に呼ばれた。先に何人かの人が検査を受けていたが、みな30分もしないうちに戻ってきたので、自分もそのくらいで終わるものと思っていたが、1時間近くかかってしまった。
切除を要するポリープが
3つも見つかり、検査をしながらそのポリープを電気メスで切除していたので大幅に時間がかかってしまったようだ。内視鏡検査やポリープの切除の様子は、手術台の上についている液晶画面で見ることができた。その画面を見ていると何か映画やテレビドラマの一場面を見ているような錯覚をしてしまうが、時折内視鏡の動きで腸が痛くなって、我に返るような不思議な感覚だ。検査が終わったときには看護士さんから「時間がかかってごめんなさいね」と言われた。普通の人よりも余程時間がかかってしまったのだろうか。いずれにしても、切除したポリープや腸内の一部から切り取った組織を病理診断に出して詳しく検査してくれるそうだ。結果は来月22日にわかる。今日から1週間はお酒を避け、お腹に力を入れるような運動や作業はしないこと、刺激的な食べ物は避けることなどの注意を受けて終わった。
バアは自分の経験から、一人で検査に行くのは大変だから付いて行くといってくれたが、渓流釣りに行くためバアに付き添ってやらなかった過去があるので、意地でも一人で行くといって病院にいったが、内心不安もあったが行き帰り自分で車を運転している間特に支障もなく無事に済んだ。帰りは、途中でタイヤ館に寄って先日取り付けたスタッドレスタイヤのナット締めやタイヤバランスの調整をしてもらった。今日はコーヒーも飲んでいないので、タイヤ館で待っている間に自販機の缶コーヒーを一気に飲んだ。コーヒー中毒で朝から一滴も飲んでいないので頭痛が始まっていた。午後
4時半過ぎに家に帰ってもう一杯コーヒーを飲んでようやく頭痛も治まってきた。
バアが今日一日何も食べていないジイを気遣ってくれて、すぐに暖かい消化の良い肉うどんを作ってくれた。
5時前に朝食兼昼食兼夕食だ。うどんだけでは足りずに、リンゴや甘いお菓子などむさぼるように食べた。今日だけはお腹一杯食べても許されるだろう。体重は2キロぐらい減ってるかな?
2008年11月27日(木)
空腹
明日の大腸の内視鏡検査のため、今朝から病院指定のレトルト食品の食事しか食べられなくなった。朝食こそものめずらしさもあり、結構美味しいじゃないか、などと思いつつ固形物も入ったおかゆを楽しんで食べたが、昼食はほとんどご飯粒だけの五分がゆで中華風の味が付いているだけのもので、あっという間に食べ終わってしまった。最近、食事のたびに30回咀嚼することを心がけているが、10回も噛む前に完全に液状化し、飲み込まざるを得ない形になってしまう。親切に間食用の飲み物とカロリーメート風のビスケットがあったが夕食までに2回に分けて食べたが空腹を満たしてくれるような量ではなかった。夕食はポタージュだけで、隣で美味しそうに普通食を食べるバアの姿を恨めしく思いながらポタージュをすすった。
夕食後は、何をする気力も起きてこず、コタツに入ったままテレビを見ながら
1時間近くも居眠りをしてしまった。今日のカロリー摂取量は、1,162kcalだった。しっかり食事をし、それなりのカロリーを摂取しないと、元気に体を動かしたり脳を働かせることができなくなることを実感した。こうして日記を書いていても今日一日のことを思い返すことが一苦労だ。
今日は午前
9時過ぎに、家具屋さんに注文していたリビングコタツが配達されてきた。二人用のコンパクトなものだが、リビングに置くと、ダイニングテーブルも置いてあるので、結構部屋が狭く感じる。それでも普通のコタツのように、座って入っているうちにごろごろと横になってだらしなくなるよりはましかと思ったが、足元が暖かいと横にはなれないが、椅子に座ったまま居眠りをしてしまうのは同じだった。
今年からエアコンによる床下暖房が始まったが、予想以上に電気の消費量が多いので、まだ本格的な寒さが来ていない今は、深夜電力の時間帯である午後
11時から午前7時までエアコン暖房をつけるようにしている。今日のように雨が降っていたり曇っていると、いくら高気密高断熱の家とはいえ日中に室温がなかなか上がらず、逆に少しずつ室温が下がってくるので、じっとしていると足元が寒く感じるようになる。エアコンよりは消費電力の少ないコタツに入っていると足元が暖まるのでちょうどいい。ただ、コタツに入っていたら何もせず、おやつを食べながらテレビを見て一日過ごしてしまうので要注意だ。
午後
4時ごろ食料品の買出しに立科町のツルヤに行ったついでに、隣のコメリで塗料やキャスターを買ったので、家に戻ってから山ちゃん家のポストスタンドの塗装をした。これを作るためポストをジイ小屋に運んでサイズをあわせたりしていたので、今日の日中山ちゃん家に郵便物を届けに来た郵便屋さんが郵便物を置くのに一苦労していた。ちょうどジイ小屋にいるときに、郵便屋さんが来たのに気が付いて声をかけたら、「ドアの隙間にはさんでおきましたからいいですよ」、と言って笑った。まだ滅多に郵便物が来るわけでもないだろうが、早く仕上げなければいけないので、明日病院に行く前に仕上げて玄関前に置くようにしよう。
2008年11月26日(水)
冬支度
そろそろ雪の便りも聞くようになってきたので、オデッセイのタイヤをスタッドレスに交換した。今日は天気も良く風も強くないので、外での作業にはもってこいの気候だった。毎年この時期なると2台の車のタイヤ交換をしなければならないが、今年だけは新車の軽自動車が新たにスタッドレスタイヤを買って取り付けてもらったので、1台だけで済んだ。年々タイヤ交換の要領もわかってきて所要時間も短縮できるようになっているが、意外とジャッキを揚げたり、タイヤを付け替えるのに全身の力が必要で、作業を終えた後はどっと疲れがでる。交換しながら、こんなことを自分でできるのはあと何年ぐらいかなと、ふと考えてしまう。
タイヤ交換のほか、毎年冬の寒さに葉が赤茶けてしまう沈丁花に風除けの壁をつけてやったり、寒冷紗をかぶせてやったりした。先日キンモクセイの木に寒冷紗を巻いてやったところで寒冷紗を使い切り、支柱だけ立てたままになっていたギンモクセイの木にも寒冷紗をかけた。庭はこれでほぼ冬支度が終わった。間もなく氷点下
15度にもなる冬を初めて毎日過ごすことになる。
2008年11月25日(火)
カメラ故障
昨夜は帰宅した後、片付けやお風呂に入るなどしてさすがに夜中の就寝となってしまったので、朝は8時までぐっすりと寝てしまった。昨夜の雨は雪には変わらなかったようで、目が覚めたときは、朝日がまぶしいくらいに晴れていた。
遅い朝食後、浅間連峰が雪に覆われて白く輝いている姿を写真に収めようと、カメラを向けたがどうしても焦点が合わずピンボケになってしまう。何故だろう、とよくよく考えてみたら、昨日新幹線に乗ったとき、網棚に荷物を載せようとしてリュックに付けていたカメラがケースから飛び出して通路に落ちたことを思い出した。自分たちの指定席に座っていた人にどいてもらって、無理な体勢で荷物を棚に載せようとした結果だ。そのときの衝撃で壊れてしまったのだろう。昨日の結婚式を撮った画像データのほうは無事だったが、こちらは広いドーム屋根や窓から射してくる変則的な明かりの光線の影響?で、こちらもピンボケや明暗が濃すぎる画像ばかりでいい写真がほとんどなく、二重に悲しい思いになってしまった。これで一眼レフカメラを買う動機付けがより鮮明になった。ホームページ更新にも画像がないと「北御牧の今」や「山ちゃん家レポート」の最後を飾れなくなってしまう。近いうちに手に入れないと・・・。
今日にでも買いに行きたいところだったが、今日は自重して山ちゃん家のポストスタンドの製作に打ち込んだ。ほぼ完成したが、最後の組み立て前に玄関ドアの緑色と同系色の塗料を塗らなければならないので、今日はここまでで終わりにした。
2008年11月24日(月)
結婚式
甥の結婚式に出席するため、朝5時起きして支度をし、オデッセイに乗って新幹線佐久平駅に向かった。545分に家を出て駅に着いたのが610分だった。まだ外は暗かった。帰りは天気予報では雪になるかもしれない、ということでまだオデッセイはスタッドレスタイヤに替えていないので多少不安もあったが、暗い道を走るには軽自動車よりは運転しやすいだろうと、あえてオデッセイにした。
佐久平に着いたのが早かったので、予定の
630分の電車の前の電車にも乗れたが、指定席を取ってあったので、その電車をやり過ごし予定通りの電車に乗ったが、こちらは各駅停車の新幹線だったのでたっぷり時間をかけて東京駅についた。乗り換えに10分しかないので、東京駅から同じ電車に乗るようになっていた山ちゃん夫妻に朝食の駅弁を買っておいてもらった。おかげであせらずに乗換えができた。
天気は西から崩れるという言葉どおり、新神戸に着く頃には外は雨模様で、最寄り駅である神戸市営地下鉄御崎公園から地上に出ると、結婚式会場になっているホームズスタジアム神戸まで、傘なしには行けないほどの雨になっていた。新婦が大学時代女子サッカー部の選手だったこともあって、ヴィッセル神戸のホームスタジアムになっているこのサッカー場を式場に選んだようだ。
広いサッカー場の一角で人前結婚式を挙げた。サッカーボールに結婚の誓いのサインをしたり、実際のグランドのペナルティーエリア内で、新婦の蹴る
PKを新郎のキーパーががっちりと受け止めるセレモニーなど、印象に残る式が行われた。
その後は、グランドが同じ目線で見渡せるガラス張りのレストランで披露宴が行われた。披露宴では、宴の終盤で花嫁が両親に贈った感謝の言葉がとても感動的だった。ありきたりの決まり文句のようなものではなく、障害をもったご両親の愛情に包まれて育ちながらも、両親に反抗したりその障害を恥ずかしく思ったりした時期もあったこと、そういう経験を乗り越えて今本当に両親の愛情が分かるようになったことを、しっかりと自分の言葉で語ってくれた。新郎も、友人たちも、そして参列者の皆が感動の涙を流した。心からほとばしる飾りのない言葉には、ひとの心を揺さぶる力があるということを、久し振りに体験した。彼女が語り終えた後には、清々しい空気が会場に流れ、その後に大きな拍手が鳴り続けた。やんちゃ坊主だった新郎もこんなしっかりした新婦と一緒なら安心だ。
午後
4時過ぎに披露宴が終わったあと、とんぼ返りで家に帰らなければならない。新神戸駅午後622分発の新幹線の指定をとってあったので、まずは新神戸まで地下鉄で行って、新神戸の駅構内の喫茶店で孫のアーちゃんと電車の時刻になるまで時間をつぶした。
新幹線は
3連休の最後の日とあって混んでいた。以前は新幹線ののぞみは全席指定だったはずだが最近は自由席も付いているので、その自由席をあぶれた乗客が指定席の車両の通路までいっぱいになっていた。特に我々の席が一番前の席だったので、すぐ横に何人も立っているせいかゆっくりくつろぐこともできなかった。さらに混雑で電車が遅れ気味で、一時名古屋駅では東京からの乗り継ぎの時間である15分と同じ時間の遅れとなっていた。新横浜に着くまでに8分遅れまで取り戻した。結局東京駅8分遅れで到着した。同じ電車に乗ってきた次女家族や山ちゃん家との挨拶もそこそこに、急いで長野新幹線のホームに走った。何とかぎりぎりで指定席を取ってあった電車に乗ることができ、予定通り佐久平まで来ることができた。途中軽井沢の駅では雪が降っていて、ホームには23センチの積雪があった。佐久平駅では雪ではなく雨だったので、ほっと胸をなでおろした。1047分に駅に着き、駅に隣接する駐車場に停めてあったオデッセイに乗って、家に帰りついたのが1120分だった。いろいろあった長い一日が終わった。
2008年11月23日(日)
ウォーキング
朝は氷点下になる厳しい寒さだったが、日が昇ると風もなく暖かくなってきた。昨夜自宅に泊った山ちゃん夫妻と一緒にウォーキングに出た。歩いたコースはジイとバアがもっとも気に入っている明神館裏道コース。県道より一段上の山の尾根のような高い所にある農道を歩くコースだ。北東に浅間山から烏帽子岳にいたる浅間連山、北西には時に北アルプスも見える。今日はそちらのほうは雲があってほとんど見られなかったが、南のほうは蓼科山から八ヶ岳連峰まで見渡せる。農道の周りには畑が広がっていて遠目に集落が見える里山の風景が歩いていて気持ちがいい場所だ。山ちゃん夫妻が住むようになれば、山歩きのほかにこうした近所のウォーキングも一緒にできるようになることだろう。
明神館の近くで、ジイとバアの家の土地を斡旋した不動産屋さんが自宅を売りに出した、という通知をもらったので、どの家か探したが分からなかった。どんな事情で自宅を売るようになったのかいろいろ想像を膨らませたが、本当の理由など知る由もない。今年になって、隣接地の畑の所有者との連絡をお願いするなど、お世話になったばかりなのだが、そのときにはそんな話は何もなかったので、その後に事情が変わったのかもしれない。われわれをこの地に結び付けてくれた人だし、数少ない知り合いの一人でもあるので、商売を続けられればいいのだが・・・。
散歩から帰ったあと、山ちゃん夫妻にも手伝ってもらって、延び延びになっていたチューリップの球根を庭の畑に植えた。その後
3時半ごろ山ちゃん夫妻は、明日の神戸の甥の結婚式に早い時刻の新幹線で行くため、早めに上尾に帰っていった。われわれも明日は佐久平駅630分発の新幹線で神戸に向かうので、早く寝ることにする。
2008年11月22日(土)
プロの業
カーポートの工事屋さんが朝から生コンを車に積んでやってきた。昨日支柱を立てるところまで済ませ、今日は支柱の周り深さ50cm、幅縦横70cmに生コンを入れて支柱を固定させ、最後に骨組みにポリカーボネートの屋根を取り付けた。この作業を全部一人で手作業で完成させていった。さすがに昨日太い支柱を固定する作業のときは、強風の吹く中でやったので大変だったと言っていたが、二人でやれば支え合って簡単にできるものも、いくつも脚立を駆使して、全て一人でやっていた。
山ちゃん家の基礎屋さんも家の基礎のほか我が家の排水工事や畑の耕運、カーポートへのアプローチの造成などほとんど一人で
2台のユンボと小型ダンプを駆使してやっていて、そのプロの業に舌を巻いたが、カーポートの工事屋さんも、以前に我が家のテラスを一人だけでわずか一日で作り上げていって驚いたが、今回も同様に二日でカーポートを仕上げていったのには、本当に感心した。どれほどの請負金額でやっているのか分からないが、自分の腕一つで頑張っているのは、助手を雇ってまでやるほど受け取っていないことの証しなのかもしれない。こういう現場で働くプロの職人さんたちの力で日本の技術や経済が支えられているのだということを、政治家は見て欲しいものだ。
午後はコバチャンとスーさんが来て、山ちゃん家のトイレの手洗いの防水ボードの貼り付けや、玄関の階段スロープの手すりのデザインなど、山ちゃん夫妻がこちらに来る時間が遅くなったので、代わりに打ち合わせや工事の立会いなどをした。コバチャンはもう次の現場で仕事をしていて、忙しい合間に来てくれたようだ。今日は何か
30年も公務員をしてきたのに、プロとして自慢できるような技術や知識を何ひとつ得ることもできなかった自分と、プロとしての業を発揮してものづくりをしている若い人たちと較べて、うらやましくもあり寂しくも感じた一日だった。
2008年11月21日(金)
タカノさんのリンゴ
今日は朝8時過ぎには山ちゃん家のカーポートを設置する業者がやってきた。8時半には、水道の工事屋さんが、我が家の水道の量水器の移設工事にきた。さらに9時過ぎには山ちゃん家の合併浄化槽の維持管理をする業者が、浄化槽の点検にきた。昨日は、誰も来なかったので、山ちゃん家の建築工事はもう終わったんだな、としみじみした気分だったのに、どっこいまだまだ工事が残っていた。カーポートのほうは明日まで続くが他は午前中には終わって引き上げていった。
ジイは、午前中マリーゴールドが植わっていた跡にチューリップの球根を植えるため、ミニ耕運機で耕した。肥料は自作の堆肥を使った。そろそろ今年の落葉で新しい堆肥を作る準備をするため、残っている去年の堆肥は全部花壇に使い切るつもりだ。
3日続けて冷たい北風が吹きぬけているので、今日は耕しただけで球根の植え付けはもう少し暖かい日にすることにした。
午後ポチの定期診療でゆりかご動物病院へ出かけた。以前にポチが車の中でおしっこをしてしまったので、トイレを積んで出かけるようにしているが、今日は病院に着くまでに、おしっこのほかにウンチまでしてくれたので、軽自動車の狭い室内に臭いが充満してしまった。ひと月前に芳香剤を買って置いておいたので何とか我慢できたが・・・。トイレを使うのを覚えてくれたのは嬉しいが、何も車内ですることはないだろう。出かける前にわざわざ外へ出したのにその時は用を足さずにすぐに戻ってきてしまった。なかなか人間の思うようにはしてくれない。
病院の帰りにタカノリンゴ園に友人から頼まれたリンゴを注文に行った。忙しい盛りでタカノさんの表情も少しお疲れ気味で、「どこか遊びに行きたい」とぼやいていた。帰り際チョウ特大のサイズのリンゴをいただいた。大きすぎて贈答用の箱には合わないので、単品売りにする品だとのこと。量ったら重さは
559g、直径11cmだった。少し家に飾ってから食べてみよう。今日付けの到着でタカノさんにリンゴを発送してもらったので、それぞれお礼と感想が寄せられてきた。みんなの評判はまずまずのようなので、自家用も含め今後はタカノさんを利用しようかな。
2008年11月20日(木)
憂鬱な気分
昨夜ワールドカップ予選日本対カタール戦を試合終了まで観てしまった。寝たのは午前4時ごろで起床は7時半だったせいか一日眠かった。勤めていたら翌日のことを考えてこんな夜更かしはできなかったが、今は自由の身、好きにさせてもらっている。
深夜から朝まで雪の予報だったが積もるようなことはなかった。いつ降ったのもわからなかったが、朝、山ちゃん家の北側の屋根の雪止めが、塩を蒔いたように白くなっていた。起きたとき見た外の気温は氷点下
2度だった。浅間山や烏帽子岳は、雲が取れると白く積もっているのがよく分かるほど降っていた。
今日は
20日なのでジャスコが5%引きの日ということもあって、佐久平に買い物に行ってきた。お世話になった大工さんや基礎屋さんへのお礼の品を頼んでおいた「キッチンファーム」から、品物が届いた連絡もあったので、そちらにも行ってきた。一昨日佐久方面には、タイヤ館や家具屋にも行っているので、立て続けに買い物に出ていることになる。ただ、おととい軽自動車のガソリンを給油したところ、リッター122円だった。一番高い頃に比べると50円近く下がってきたので、車で出かけることに対するブレーキが少し甘くなってきているのかもしれない。
この
2,3日何ともいえない憂鬱感がある。原因はいろいろあるのだろうが、一つは厚生労働省事務次官とその家族への殺傷事件だ。こういう問答無用の暴力が起きる時代的状況が滅入らせているのかもしれない。さらに毎日マスコミに登場する麻生総理の顔と言動を見せ付けられることもある。今日テレビで最近の新語として「新KY」というのが流布されているという。「KY」は「空気が読めない」の頭文字を取ったものだが、新語は「漢字が読めない」ということで麻生総理を揶揄することから始まっているとのこと。毎日のように失言を取り上げられ、政治の本質のところではないところでこうした政府批判が噴出するのも嫌だが、もう麻生さんの顔を見るのも食傷気味であることも確かだ。
2008年11月19日(水)
いよいよ冬近づく
昨日の雨は、浅間山や烏帽子岳の頂上付近は雪になったらしく、白く冠雪していた。気温は氷点下までは下がらず、1.5度だったが、窓ガラスの縁が1,2センチほど結露していた。今日は朝から冷たい風が吹いて体感温度はかなり低めだった。昨日、今日と二日続きの寒風で我が家の落葉樹も、近くの山の木々の葉もほとんど落葉した。ついこの間まできれいな紅葉を楽しませてくれたのに、散り始めると早い、あっという間にモノトーンの世界になりそうだ。
今日はどこへも出かけず、ジイ小屋の片付けや掃除をした。今日午前中に工事用のトイレや敷き鉄板などが引き上げられていった。基礎屋さんがカーポートの最後のアスファルト舗装のための砕石の押し固めなどの作業を一人でやっていた。トイレがなくなって困るだろうと、ジイ小屋のトイレを使ってくれるよう声をかけた。その作業も午後
1時過ぎには終わって引き上げていった。半年間楽しませてもらった山ちゃん家の工事もとうとうあとはアスファルト舗装と道路の修繕を残すのみとなった。これで終わりかと思うと、何か気が抜けたような感覚だ。
2008年11月18日(火)
いろいろ冬支度の買い物
農作業がなくなるこれからの長い冬の間にやろうと考えているブドウやキュウイの棚作りに必要な沓石(くついし)や砕石、外壁のコケ落としのための二連梯子などを買うために東部湯の丸インターの近くのコメリに行った。梯子が自分の車には載らないので、コメリのトラックを借りるため1時間以上待った。その間時間をかけてじっくりとコメリの商品を眺めて回った。普段なかなかゆっくりと見る事ができないので、十分堪能した。道具を揃えるのも道楽の一つなのかもしれないが、こんな道具があればあれもできる、これもできると結構想像力を膨らませて楽しんでいるところがある。想像力だけで実行力が伴わないことが多いので、時々バアからイヤミを言われるはめになるのだが・・・。待っている間に、最近調子が悪くなったインパクトドライバーの替えに新しいのも買ってしまった。
貸トラックで購入した物を運ぶために家とコメリを往復した後、帰り際に田中駅の近くの郵便局に結婚式のお祝いのお金を下ろしに寄った。最近はお金の出し入れは
ATMが主流なので、新札が出てこない。新札が欲しいのですが、と窓口で尋ねたら、普段は新札は置いてない、と言いながらもしぶしぶ奥の金庫から出してくれた。ゆうちょ銀行になっても客への対応は一朝一夕では変わらないか?
午後からは佐久市内のタイヤ館にスタッドレスタイヤを買いに行った。たしかここのタイヤ館は聖光学院時代の友人が店舗のレイアウトをデザインしたところ、と聞いたような気がする。早ければ今夜あたりから北信地方を中心に雪が降るとの予報も出ているので、早めに軽自動車のタイヤを換えておこうと思い立った。交換に
30分ほどかかるというので、その間に近くの家具屋や本屋、西友ストアなどを見て歩いた。タイヤの交換を終えたあとは、同じ佐久市内にある別の家具屋に行って二人掛け用のリビングコタツを購入した。14日に旧丸子町の家具屋にも見に行ったが、最後は色にこだわるのはやめて、椅子の座り心地やコタツの形で決めてしまった。27日に納品となる。今日一日で二人の年金1か月分の買い物をしてしまった。夕方から雨が降り出したが雪にはならなかった。
2008年11月17日(月)
ポカポカ陽気
今日も11月中旬とは思えないポカポカ陽気だった。お昼前に五輪久保のタカノさんの家まで贈答用の送り状をもって歩いて行ってきた。予め畑に出ているタカノさんの携帯に電話してお昼の時間に行くことを告げておいた。かきいれ時にお邪魔するのは気が引けたからだ。昨日買った自家用のリンゴも美味しかったので、安心して頼めそうだ。来年の4月ごろまで自家用にリンゴは買えるとのことなので、もう農産物直売所なないろ畑まで買いに行かなくても済みそうだ。
タカノさんの家でリンゴを注文した後また歩いて帰ってくるともう汗で背中が濡れるほどだった。タカノさんのところでリンゴを
1個ずつ試食でいただいてしまったので、昼食は簡単に済ませた。ホクシンのスーさんが来て水道のメーターの移設の件の報告があった。スーさんが帰った後眠くなり、ひとしきりうたた寝をしてしまったようだ。夜は、山ちゃん家のデッキに置くガーデンデッキ、チェアの設計のための調べ物をして過ごした。以前に作ったものとは違うものを作ってみようと思っている。
2008年11月16日(日)
五輪久保のリンゴ
完成引渡しから一夜明けて、朝のうち降っていた雨が一時あがった。朝食後隣の山ちゃん家を訪ねるとテレビのデジタルチューナの視聴ができないというので、いろいろ設定をいじくっているうちに何とか観ることができるようになった。
リンゴのフジがそろそろ収穫時期にきているので、山ちゃんたちと散歩がてら五輪久保のリンゴ生産農家まで行って注文してこようと、出かけようとしたら雲行きがまた怪しくなってきたので、車で行くことにした。
9月に散歩の途中リンゴ畑の間を歩いているときに出会ったリンゴ農家のタカノさんの家に行ってみると、すぐに畑に出ているタカノさんを携帯で呼び出してくれた。今から10日ぐらいがフジの収穫の真っ最中で忙しいときだが、すぐ畑から戻ってきた。タカノさんの話では五輪久保のリンゴと銘打っているのは、五輪久保地域の生産者14軒で作る組合だけで、それ以外は別物とのこと。早速取れたてのフジを試食させてくれた。去年は農業大学の研修で知った佐久市内の千曲農園さんのリンゴの世話になったが、遠いので今年は折角近くに引っ越してきたからには、立科産のリンゴの中でも一番美味しいと評判の五輪久保のリンゴを食べたいし、贈答用にも使いたいと思っていた。そんなとき散歩の途中で食べさせてくれた津軽が美味しかったので、フジが取れる時期に訪ねようと思っていたのだ。試食したフジは蜜が入ってしゃきしゃきして甘みと酸味がほどよく混ざり合っていて気に入った。自家用のリンゴ10キロを買い、贈答用の送り状の用紙をもらってきた。明日にでも書いて持っていくつもりだ。
リンゴのめぼしがついたので、その足で車で御牧の湯の駐車場に行って車を置き、
4人でウォーキングをした。ケアポートみまきから千曲川に向かって行き、途中の集落を抜けて千曲川に架かる橋を渡り、対岸の滋野の広い田んぼから勾配のある坂道を登って信濃鉄道の滋野駅に出る道を歩いた。以前にジイとバアで真夏の暑いころに歩いたことのあるコースだが、車や人通りがほとんどなく、紅葉の最後のこの時期はまた格別の風情のある景色だった。滋野駅から上田寄りの隣の田中駅に向かって歩いていくと、車をとめた御牧の湯へ戻る方角となる。しばらく歩いたところでよく行く「ふるさとの草笛」の向かい側にある「花空間」の所まで来たので、そこで昼食にした。食事をしている間に雨が降ってきてしまったので、ジイだけ先にそこから御牧の湯まで車を取りに行った。ちょうど歩いて15分だった。花空間に車で戻って皆を乗せ、家に戻った頃には皮肉にも雨もあがり西の空からどんどん青空が広がっていった。
山ちゃん夫妻は午後
4時ごろ後ろ髪を引かれる思いで、上尾に帰っていった。最近ETCの通勤割引が、土日祝日の日中も対象になるようになったが、できれば終日割引にしてくれればもう少しゆっくり出かけられるのにと思う。緊急経済対策案では1,000円で乗り放題?というがそれもどうなるかわからない。
2008年11月15日(土)
山ちゃん家完成引渡し
山ちゃん家の完成引渡しの日がやってきた。朝6時半ごろ日の出になったが、朝焼けが赤く空を染めていた。これは山ちゃん家の完成祝いに朝焼けになったものと勝手に決め込み、外に出てカメラに収めた。山ちゃん夫妻も8時前に到着し、早速家の内外を見学。山ちゃん家としては初めての新築の家を手に入れた感慨にふけっている様子だ。
ひとあたり家を見回ったあと一緒に朝食をとっていると、スーさんもやってきて引渡しの準備に余念がない。
10時前には支店長のO さんも来て、引渡しの説明が始まった。合併浄化槽の管理や水まわりの取り扱いについては、それぞれ設置した業者のほうから説明を受けたあと、一通り設備の使い方や維持管理の方法などの説明を受けていた。経験的に言えば、恐らくいっぺんに説明され、ほとんど分かったつもりでも、いざ使う段になるとあらためて説明書やマニュアルを読み返さないとうまく使いこなせないものだ。
お昼は
Oさんやスーさんも一緒に我が家で食事をし、Oさんが帰ったあともスーさんが気密測定などをして、今日もカーポートの整地作業をしてくれている基礎屋さんとの仕上げの確認をしたあと帰っていった。あさってにも次の現場の引渡しがあるという。これからますます住宅建設業界には厳しい環境が待ち受けている中で、それを乗り越えていい仕事を続けていって欲しいものだ。
夜はささやかに山ちゃん夫妻とジイとバアで、山ちゃん家完成祝いをした。山ちゃん家持参のワインとビールで乾杯、めずらしくボトル
1本と缶ビール(350)3本と、大量の?おいしいお酒を飲んだ。お互いに老後を一つ敷地の中で助け合いながら暮らせることに感謝しつつ・・・。山ちゃん夫妻は初めての「八重原の我が家」に泊りに行った。
2008年11月14日(金)
丸1年
朝から水道工事や山ちゃん家のデッキの設置作業、カーポートの整地作業など大勢の人たちの作業を見て楽しんだ。
午後は
1時半から3時まで断水になるので、その間に買い物に出かけることにした。旧丸子町にある家具屋とホームセンターのデーツーにまず出かけた。距離的には上田や佐久平よりも近い。家具屋にはダイニングテーブル型の二人掛け用コタツを見に行ったが、今ひとつ気に入るものがなく諦めて別の家具屋に日を改めて探しに行くことにした。
デーツーにはポチのお気に入りのレトルトタイプの餌が足りなくなったので買いに行った。このレトルトは、デーツーブランドなので他のホームセンターには売っていない。最近動物病院で購入している薬の成分入りのドライフーズだけではポチがすぐ飽きてしまうので、このレトルトも一緒に食べさせている。上尾にいるときは、デーツーが歩いていける距離にあったので、なくなりかけると買い足していたが、最近は義姉夫婦にこちらに来るときに買ってきて貰うようにしている。今回もお願いしてあるが、明日までに間に合わないほど、最近食欲があって食べてしまい在庫がなくなってしまった。丸子に出たついでにデーツーに行って同じものが置いてあるかも確認したかったので、行ってみたところ同じものがおいてあったので、頼んである義姉には申し訳ないが
10袋購入した。いずれ来年6月には義姉夫妻もこちらに越してくればもう頼めなくなるので、今回意外と近いところで同じものが買えることが分かっただけでもよかった。
帰りに海野宿の近くにあるヤオフクに寄って寒天を買った。寒天と言えば長野県の茅野市産が国内のシェアの大半を占めているらしい。海なし県の長野で何故?と思ったら、どうやら寒天を干すのに冬の盆地の茅野の気候風土があっているらしい。そのせいか地元スーパーのヤオフクで手ごろな値段でいつも店頭に置かれている。最近ダイエット食として寒天と野菜を入れたおじやをよく食べるようになったので、買ってきた。寒くなってきて少し散歩が少なくなってきている中で、ジイの体重も
70キロをまた切り始めてきたのも、このおじやの効果もあるのかもしれない。
買い物から
3時半ごろ戻ってみるとまだ水道工事が終わらず、断水も続いていた。山ちゃん家も水道が通らないとエコキュートをはじめ水まわりの最後の点検ができない。結局明日の引渡しを前に最後の仕上げにスーさんたちは夜9時ごろまでやっていた。
ウェブ上で日記を書き始めて今日で丸
1年が過ぎた。よくぞ続いたものと我ながら感心した。今まで61年間の歴史の中でこんなに長く続けて、良くも悪しくも日記を書き続けたためしがなかった。いつまで続くか分からないが、もう少し頑張って書き続けてみるつもりでいる。
2008年11月13日(木)
カウントダウン
ポチの診療日なので午前中ゆりかご動物病院に行ったが、今日はどうしても佐久平の「キッチンファーム」のお店でプレゼント品を買いたかったので、獣医さんに皮下点滴を任せて1時間半ばかり買い物をした。獣医さんからは、用事があるときは用事を済ませている間に預かって診療しますよ、と以前から言ってもらっていたので今回初めてそういうことをさせてもらった。おかげで「キッチンファーム」の用事を済ませた後、カインズでも買い物ができ効率的な時間を使うことができた。
ポチのためとはいえ、
79日に1回車で片道40分ぐらいかけて通うのは、続けているうちに時には大変にもなってきている。順応性の高いポチでも、さすがに車にはどうしても慣れることができないようで、車の中ではニャーニャーと鳴き続けているので、寄り道もできず、まして車に一人残して買い物をすることもできないので、診療のときは家と病院を往復するだけになってしまう。そういう意味では今日は新しい通院のパターンが出来たので、時々はこういう方法も取らしてもらうことにしよう。
今日は最近の冷え込みと打って変わってポカポカ陽気になった。カインズで買ったビオラの苗も陽気のせいか元気に見える。玄関前に飾ってあった菊の花が終わったのでおととい花壇に下ろしたので、家の前に花がなくなって寂しくなっていたので、今日寒さに強いビオラを買ってきてプランターなどに植えて玄関前に置いた。これからのここの厳しい寒さに耐えられるかわからないが、できるだけ長くもって欲しいものだ。
山ちゃん家の工事はあわただしく最後の仕上げに入っている。水道工事ではポチの診療と買い物を終えて戻ってみると、掘った穴から水が流れ出していた。既設の水道管を切ってしまったらしい。おかげで予定外の断水となり、直るまで昼食も食べられなかった。家の中にはハウスクリーニングの業者が入って、掃除やガラス磨きをしていった。今まで養生シートで覆われていた床が姿を現し、太陽の光を浴びて輝いて見えた。味気ない段ボールでふさがれていた玄関ドアも淡いオリーブ色の雄姿を見せた。あとは和室に畳が入れば、家の中はもういつでも引渡しを受けられる状態になってきた。引渡しまでのカウントダウン
2日。ジイとバアの田舎暮らしにもう一組のジイとバア?が加わるスタートがだんだんと近づいてきた。
2008年11月12日(水)
通行止め
朝から山ちゃん家へ引く水道管の敷設工事のため道路が溜池のところから通行止めになった。軽自動車を池の脇の空き地に移動しておいた。田舎は、仮の停める場所がいくらでもあるので、工事をするほうもおおらかだ。それでも夕方の5時前には、まだ工事が終わっていないが、掘削した場所を埋め戻して安全確保をしている。考えてみれば水道工事は基本的に役所からの委託工事だから、最低限の安全確保は当然だ。
道路をカッターで切ってコンクリートを剥がして水道管を太いパイプに交換する工事もあわせてやるようなので、今日から
3日間かけて工事をする。コンクリートの道路は既に山ちゃん家の工事で出入りする車両で傷みがひどくなっているので、水道工事にあわせて修繕することになっている。
通行止めになっていても結構最後の工事にやってくる業者の出入りが多かった。木工事をやってくれた大工の棟梁コバチャンが久し振りにやってきて、ドアの取り付けをしていった。明日にはウッドデッキの据付けに来るということで、それに間に合うよう基礎屋さんが珍しく女性の助手を連れて、ウッドデッキの基礎にするピンコロの設置を暗くなるまでやっていた。設備屋さんによるエコキュートの取り付けも今日終わったようだ。
ジイは午後
4時ごろ北御牧総合支所のケーブルテレビ担当のところへ行って、山ちゃん家用のデジタルチューナの購入とケーブルの敷設工事の打ち合わせに行ってきた。予定では14日に工事に来ることになっているが、その日は夕方まで水道工事があるので、工事車両が入れず延期せざるを得なくなった。15日に出来るか返事待ちになった。
夜のニュースでは連日の定額給付金の話題に辟易した。ばらまきを糊塗するために、やれ所得制限をするのしないのと二転三転した挙句に、最後は市町村に判断を委ねるなどと、見たくもない茶番劇を見せられてしまった思いだ。こんなことで補正予算が通りでもしたら、それを実行する市町村は、かつての地域振興券のとき以上に大変な事務量になることだろう。こういう事務は受けられません、と市町村から反乱を起こせればいいのだが・・・今の国と地方の関係では無理か?それにしても、地方に判断を委ねるのは無責任ではないか、との記者の質問に「地方分権の時代だからそれもいいのではないか」とうそぶいたのにはあきれてしまった。自公政権に替わる民主党もそれほど期待できるわけではないが、今はとにかく
changeすることを願いたい。
2008年11月11日(火)
松本
4週間ぶりに松本まで行ってきた。用事を済ませた後、ジャスコの駐車場に車を停めて、市内を歩き回った。上尾に住んでいるときによく行った大宮の石井スポーツが、松本にもお店を出しているので、最初にそこを覗いたが値段のいいものばかりで買えるものがなかった。
お昼時間になったので、近くの蔵が建ち並ぶ中通りにある和食のお店に入ったら、店内は落ち着いた雰囲気で
1,000円のランチだったが、食事は焼き魚や揚げ物などバラエティに富んでいて、味付けも濃すぎずバアの評価は「上」だった。
食後は駅の近くの中心街でウィンドウショッピングを楽しんだ。覗いた婦人服のお店でバアはマフラーを買った。バアの話では結構目の肥やしになるお店がありそうだ。商店街を通り抜けて、旧制松本高校が廃校になった跡地を公園にした「あがたの森公園」まで歩いていった。戦後の大学制度改革で、信州大学に統合されたあとしばらく文理学部の校舎として使われた後、学部が移転して使われなくなったため、その校舎とキャンパスを国から松本市が払い下げを受け、校舎は図書館や文化会館など生涯教育の活動の場とし、キャンパスは公園として利用するようになったとのこと。オフィスビルや住宅街になっている一角に
6haの広い敷地が確保され、太い幹のヒマラヤスギの並木や日本庭園があって、市民の憩いの広場になっている。
しばらく公園内を散策したあと、中心市街地に戻って市内唯一のデパート「井上」でショッピング。ジイがデパート内の喫茶店でコーヒーを飲んで待っている間、バアは今月神戸で行われる甥の結婚式に行くのに着ていく洋服などを買った。やはり田舎暮らしをしていると、たまには地方の都市でもいいから少し賑やかなところで刺激を受けてくるのも必要なことなのかもしれない。久し振りにバアのテンションが上がっているように見えた。
松本市の人口は
228,000人だから上尾とほとんど変わらないが、松本市には全国規模の会社の支店などがあって、見た目に大宮市にひけを取らない地方の拠点としての風格を感じる。しかも、大宮よりも歴史的建造物などでは格段に優れたものが多く残されていて、文化的な薫りがする。以前にちょうど松本の市内観光に行った時「あめ市」という飴のお祭りの日にぶつかり、市内が大渋滞の上車を停める所もなく、何も出来ないで帰って以来あまり好きになれなかった松本だが、引っ越してから月に1回ペースで松本に出かけ、市内を歩き回っているうちに結構見応えがあるように思えるようになってきた。まだ、しばらくは松本通いをしようか、とバアと話し合っている。
夕方家に戻るとちょうど西の空が赤く燃えるような夕焼けに染まっていて、しばらく立ちつくして眺めていた。年に数回しか感動できる夕焼けに出会えないが、今日はその
1回に加えることができるような夕焼けだった。
2008年11月10日(月)
エアコン
先日からエアコンを深夜時間帯に点けるようにしているが、あまり暖かくならない。室外機の1台は、水がぽたぽたと出てきているし、もう1台は音に元気がない。どちらが具合が悪いのか分からないので、昨夜は水の出ているほうを点けないで音の静かなほうを点けたが、今朝の室温は16度まで下がっていた。エアコンの温度設定は25度なのにどうもおかしい。このエアコンの取りつけ工事をした業者が、今日山ちゃん家のエアコンを取り付けに来たので早速調べてもらったところ、こちらの音の静かなほうが、どうもガスが抜けていて具合が悪かったらしい。室外機から水が出るほうが正常らしい。こちらはまったく反対の素人診断をしていたことになる。後日修理してもらうことにした。直るまで片肺飛行で、床下を暖めなければならない。本格的な寒さがこない前に至急直してもらうよう頼んだので明日にでも、ということになった。
今日も曇りがちで風も冷たく気温は、
10度までいかなかった。去年寒さで葉が落ちてしまったキンモクセイに寒冷紗をかけてやろうと、行灯仕立てに1本目のキンモクセイに巻いてやったところで寒冷紗がなくなってしまった。溜池の滲み出し水の排水工事が始まったので、おととし自分でやった下の畑へ落とし込む排水パイプの撤去作業をした。おそらくこの排水パイプのせいで一人暮らしのおばあさんは、家の裏がじめじめするようになった、と恨めしく思っていたのだろう。少なくても目に見える形で水が落ちることはなくなるので、少しは心安らぐかもしれない。排水工事が終わったら報告に行ってこよう。
午後
4時に来ることになっていたカーポートのメーカーさんが道に迷っている、とコメリのKさんが一度やってきて探しに行った挙句に、あたりが暗くなってからようやくメーカーさんの車を伴って到着した。一度我が家のテラス屋根を注文したときに来たことがある人なので、コメリのKさんも油断したらしい。少し方向音痴の人だと、我が家へは一度や二度ではたどり着けない。昨日の保険屋さんでさえ予めインターネットの地図などで下調べをしてきてシチズンミヨタの工場まで来られたが、あとはジイが携帯電話で誘導しながら来てもらった。暗い中でカーポートの位置や広さなどを計測して、注文内容を確認して帰っていった。
2008年11月9日(日)
来客
今日はたくさんの来客があった。まず8時前に山ちゃん夫妻が家の引き渡し前最後の週となって、仕上げの作業に入っている家の様子を見ることやカーポートの打ち合わせなどのためにやってきた。山ちゃん家のほうは日曜日にもかかわらず、左官屋さん、基礎屋さん、設備屋さんなどがあわただしく最後の仕上げ作業をしていた。引渡し直前の12日から14日まで水道工事で家の前が通行止めになるので、作業に入ることが出来なくなるので、実質的に11日までに全て仕上げなければならないので急ピッチで作業している。
9時ごろコメリのリフォーム担当のKさんが、カーポートの発注の最終確認のために来訪した。カーポートは最終的にコメリに頼むことにした。積雪や強風に耐えられる3本柱のがっちりしたものだ。ただ、引渡し日までに材料を手配して着工するには間に合いそうもなく、駐車場まわりのアスファルト舗装は、カーポートの柱が建てられるまで延期しなければならなくなりそうだ。
コメリさんとの打ち合わせが終わって間もなく、上尾にいるときからの長い付き合いの保険屋さんが、埼玉から訪ねてきた。ジイとバアの家の火災保険の更新をするためにわざわざ来てくれた。引越しに際して保険屋さんを替えなければいけないと思っていたが、保険屋さんの奥さんが上田市の出身でときどきこちらに来ることがあるので、何かあれば飛んできますから大丈夫です、というので車の保険は継続した経緯がある。引っ越して最初の更新を迎えた火災保険のために、前言にたがわないよう本当にやってきた。そんな誠意も示してもらったので、家財の掛け金を増額し、契約年数の単年度から
5年契約に変更した。
保険屋さんと話しているうちに次のお客さんがきた。山ちゃん家の木工事の資材を搬入していた会社に、2×4材などをまとめ買いするので我が家にも搬入してもらったが、今回その材木を積み替えたらかなり使えない質の悪いものが混ざっていたので、交換をお願いしたところ、品物を見に来て搬入した材木全品を交換してくれるということになって、今日その材木を交換に来たのだった。保険屋さんが帰ったあとまだ積み替えをしていたのでジイと山ちゃんで荷降ろしを少し手伝った。今度の品物はちゃんと使えそうなものがほとんどだったので胸をなでおろした。
次はスーさんが、山ちゃん家の契約時の見積りからその後の変更差額の書類やジイが頼んだため池から滲みだしてくる水の排水工事や畑の掘削、整地作業の請求書などを持ってきた。今日からその排水工事も始まっている。山ちゃん家の建築工事が始まってから、南側の一人暮らしのおばあさんとの間にわだかまっていた水の問題に一応の決着を付けられる。
午前中次から次と来客があったので、お昼は山ちゃん夫妻と一緒に外食しようということになり、東部湯の丸インターのそばにあるコメリに用事があったので、行きがてらに近くの「倭らく」というトンカツ屋さんに行った。混んでいて待たされそうだったので、コメリの用事を済ませてから再度行ってみると少し待たされたが、何とか食べることが出来た。最近はトンカツ屋に入るなどと言うのは滅多になくなってしまったので、久し振りに食べたせいもあるかもしれないがまあまあ満足できる味だった。
夕方山ちゃん夫妻が上尾へ帰ったあとは、昨日に続き日本シリーズ第
7戦をテレビで観た。予感どおり?巨人が負け、今年から頭に埼玉という名前が付くようになった西武が優勝となった。
2008年11月8日(土)
父の命日
今日はジイの父親の命日だ。3年前の今日、86歳で亡くなった。急な死だった。元気に過ごしているものと思い1年近く会いにも行ってなかったので、不意を突かれた思いだった。
親子でありながら、大学に行くために家を出て以来、一緒に暮らしたことがなかったので、お互いに何を思い、どのように生きてきたのかをじっくりと話をしないままで終わってしまった。大学進学のときと、大学への機動隊導入の際逮捕されたときの
2度ほど夜を徹して話し合ったことがあった。そのときは若くて、自分のことしか見えず結局自分の主張だけを一方的にして終わったように思う。自分の生き方は、親の理解を超えたところにあるがそれも仕方がない、親とは生きて行く場所が違うのだ、と生意気にも公言していた。自分の息子が手の届かない所へ勝手に行ってしまうことをどう感じ、どう思ったのかにまで思いやることもできなかった。
それから
40年がたち、その間に母親が亡くなり、そして父親が亡くなるまで、そういうことについて一度も話すこともせずに終わったことを、父の死に際し後悔したが、後の祭りだ。残念ながら父にも母にも日記やメモなど、二人の思いや心情が推し量れるような記録は残されていなかった。
去年父の
3回忌を済ませたころ、父親がまだ勤めていたころ、定年退職まで残り2年で子会社に出向したが、そこを1年で辞めてしまい、定年までの1年を残して退職したことを思い出した。そのころの詳しい理由は知る由もないが、父親なりにいろいろと悩んだ末の決断だったことだけは伝わってきた記憶がある。ちょうど自分も定年退職を4ヵ月後に控えていたので、そんな父親の退職のときのことが思い出されたのかもしれない。そのときも、父親の当時の思いがどうだったのか、そしてそのことを妻であるジイの母親はどう受け止めたのかを、自分の今の心境からでしか推し量ることができないことに残念な思いをした。
そのときに思いついたのが、せめて自分だけはブログという形で思いつくままに、その時々の暮らしや心情を書きとめていこう、ということだった。これも
1年近く続いてきた。どこまで続けられるか分からないが、ちょっとホームページにアップが遅れると、子供たちから生存確認ができない、とせかされるので、もう少し続けられそうだ。
2008年11月7日(金)
電気工事
昨夜は早起きしたせいか眠くて、日本シリーズを見たあと早めに寝てしまった。
今日は朝から中部電力の引込み線の工事が行われた。
7時半過ぎに玄関のチャイムが鳴ったので、何事かと思って出たら、工事の誘導員であるガードマンの若い太目のアンちゃんが、軽乗用車を溝に落としてしまって困っているので助けてくれ、ということで呼びに来たものだった。そこで、彼が車に乗りジイが押し上げようとしたが、車が空回りするだけで、びくりともしなかった。仕方がなく、彼が車から降りて一人で持ち上げたら、簡単に動いて溝から脱出できてしまった。ジイの力が弱くなったのか、それとも車の中の彼が重すぎたのかはわからない。
8
時過ぎから3台の工事車がきて山ちゃん家への電線の引き込みや、我が家の入口の電線についているトランスの交換など手分けして行っていた。予告どおり920分には停電となり、予告では50分間ということだったが、約20分で停電も終わり、無事に作業も終わって引き上げていった。山ちゃん家にはメーターも取り付けられたので、これで引渡し日から通電されるだろう。
昨日に引き続き山ちゃん家には工事の人たちがひっきりなしに出入りしていた。内装屋さんは残っていた壁や床のクロス張りも今日で終わったようだ。照明器具も搬入された。ウッドデッキの材料も届いた。基礎屋さんが昨日から、階段やエコキュート、エアコン室外機の設置場所のコンクリート打設の作業を夜までやっていた。建具屋さんも来て、和室の窓の建具を取り付けていった。小屋裏の入口のドアも付けていった。
ジイは昨日夕方
2日続きの霜のせいですっかり茶色くなってきたマリーゴールドを引き抜いて片付けた時に、間違えて土に埋もれた境界杭の目印にしていた木の棒まで抜いてしまい、杭の場所がわからなくなってしまったので、杭探しで午前中の時間を使ってしまった。なかなか見つからず以前に撮影した写真を調べたり、役場が工事したときの図面を調べたりして、やっと見つけた。こんどはしっかり簡単に抜けないよう目印を付けた。午後からは山ちゃん家用のテレビ台作りをして、あと一歩のところまで進めることが出来た。
今日筑紫哲也が死んだ。学生のころから彼が編集長だった時代までの朝日ジャーナルは時々読んでいたように思う。
TBSNEWS23も彼が出ている間はほとんど欠かさず見ていた。彼の視点や判断基準が結構参考になっていた。同じ名前だったので親近感も増したのかもしれない。静かな語り口でずばりと確信を突くあの姿をもう二度と見れないのかと思うと残念だ。
2008年11月6日(木)
ダッタンそばと原田泰治絵画展
6時に起きて部屋の掃除をした。二日続きの氷点下で朝こそ冷え込んだが、その後は一日ポカポカ陽気になった。今日は二つの目的で外出した。
先日旧軽井沢でダッタンそばの実を買い、お米に入れて炊いて食べているが、ダッタンそばにはルチン(ポリフェノール)が普通のそばの百倍以上も含まれている、というのがうたい文句になっていて、バアは最近このせいか体調がいいと言っている。いつも体調のいいジイにはその効果がわからないが・・・。そこで、そばの実ではなく、手打ちのダッタンそばを食べさせてくれるお店に行こうというのが一つ目の目的で、長和町の「和紙の里」へお昼の時間に合わせて食べに行った。少し固めで口の中でごわごわする感じだった。普通のそばのように、口に入れるとそばの香りが口の中に広がることはなく、いかにも健康食品という感じだった。ちょうどひとくち
30回噛むことを目指しているわれわれにはぴったりの固さだった。帰りに軽井沢で買ったそばの実のパックを3袋買った。
次は、上田市の総合文化センターである「上田創造館」へ行った。ここで「原田泰治の世界展
in上田」が開催されているので、それを観に行くのが二つ目の目的だった。以前に諏訪湖のほとりに立つ原田泰治美術館に行ったことはあるが、今回は旧武石村の風景を描いた新作も展示されているというので見に行くことにした。水彩を始めようと思っているので、彼の繊細なというのか、精緻なというのか細かい筆致の点描画のような筆使いや独特なデフォルメされた?遠近法に、興味を感じた。屋根の瓦や草の葉っぱの11枚に至るまで細かく描いているかと思うと、風景の中に登場する人物はみなほおを赤く描くだけで目鼻口をまったく描いてないのも、おもしろい。そのことで見るものに想像力をかき立てる仕掛けになっているようだ。全部で50点はあったろうか、じっくり見ることができた。
2008年11月5日(水)
change
今朝は霜が降り気温は初めて氷点下に下がって、初氷が見られた。朝日が出てしばらくもやっていたが、そのうち快晴になった。昨日とうって変わって穏やかな小春日和となった。
山ちゃん家には内装屋、基礎屋、設備屋さんたちが入って一日賑やかだった。基礎屋さんは畑の掘削の仕上げをしたあと、玄関に一段階段を付けるための掘削、配筋をしていった。設備屋さんは床下から外の浄化槽までを接続するパイプの取り付けやエコキュートの配管や雨水枡の据付けなどをしていった。これで明日から基礎屋さんが、エアコンやエコキュートを設置するコンクリートや勝手口の階段のコンクリート打設が出来るようになった。水道管の敷設は後日とのこと。内装屋さんは今日も遅くまでやっていた。昨日一日で半分近く済んでいるので、今日当りで終わっているかもしれないが確認していない。引渡しまであと
10日に迫っていよいよ最後の仕上げが急ピッチに進んでいる状況だ。
ジイは設備屋さんや基礎屋さんの仕事振りを横目に見ながら、畑仕事をした。例年チューリップを植える花壇をミニ耕運機で耕して堆肥を入れた。また、トマトやナス、キューリが植わっていた所のワラを細かく刻んだ後やはりミニ耕運機で耕して漉き込み、堆肥を入れた。ミニ耕運機の運転を始めてバアにもやらせてみた。感想は聞いていない。肥料も入れたので、このまま春まで寝かしておくのももったいないので、ほうれん草と小松菜の種をそこに蒔いた。もう氷点下になるぐらいだから育たないかもしれないが、
9月中旬に蒔いたほうれん草が食べごろになっておいしいので、夢よもう一度で試しに蒔いてみた。一応寒冷紗のトンネル仕立てにして様子をみることにした。
午後は、久し振りに明神館まで約
1時間半のウォーキングをした。ポカポカ陽気になったので少し汗ばむ歩きだった。
アメリカ大統領選はオバマ氏の圧倒的な勝利に終わった。初めての黒人の大統領の誕生だ。アメリカという国は好きにはなれないが、日本にはない民主主義の懐の深さのようなものがあるようには思う。日本も早く「
change」が必要だ。
2008年11月4日(火)
航空幕僚長の更迭
今日は朝から強い風が吹いていたが晴れていたので、頼んでいた隣の畑の掘削が始まった。桑の木の根やカヤの株を丁寧に取り除き、深さ3050センチほど掘り返して均していく作業を、夕方薄暗くなるまでやって、ほぼ予定のエリアがきれいに耕した後のようになった。これですぐに来年から作物が出来るわけではないが、寒くなって表土が凍る前に、肥料を入れてミニ耕運機で何回か耕しておきたい。それにしても今まで庭の一角でやっていた家庭菜園の規模とは比べ物にならない広さだ。
ジイはその作業をずっと見ていたかったが、午前中は昨日の作業の続きでジイ小屋の南側のテラスの前に敷いた玉砂利の片付けをし、午後からは郵便局、北御牧総合支所の用事を済ませた後、ポチの定期診療でゆりかご動物病院に行ってきたので、戻ってきたときには最後の片付けをしている時間になってしまった。
山ちゃん家は中断していた内装工事が再開し、暗くなってもまだクロス張りをしていた。スーさんの話では張り終わるのに金曜日ごろまでかかるとのことだった。
ポチは獣医さんに、
19歳の年令と慢性腎不全にもかかわらず、皮膚の弾力性もあるし、毛づやも良くなったと褒められた。
日本が侵略国家だったというのは濡れぎぬだ、という趣旨の論文を書いて
111日付けで更迭された航空幕僚長が書いた論文の要旨を朝日新聞のホームページで読んだ。「満州や朝鮮半島の人々は日本政府と日本軍の努力で圧制から解放され生活水準も格段に向上した」とか、「大東亜戦争後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放された。日露戦争、大東亜戦争を戦った日本の力によるものだ」と歴史的現実を歪曲している。さらに「東京裁判は戦争責任をすべて日本に押しつけようとした。そのマインドコントロールが今なお日本人を惑わせている。自衛隊は領域の警備もできない、集団的自衛権も行使できない、武器の使用も制約が多い、攻撃的兵器の保有も禁止されている。がんじがらめで身動きできない。このマインドコントロールから解放されない限り、我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」のだそうだ。この航空幕僚長こそ、どこかの人たちにマインドコントロールされているような発言だ。以上の主旨の結語として日本が侵略国家といわれるのは濡れ衣だ、ということらしい。航空自衛隊のトップがこのような認識を堂々と公言してはばからないのは、まさに旧日本軍の時代から真の戦争責任についてきちんと総括しないまま引き継がれてきた自衛隊の体質そのものではないだろうか。こういう体質の軍隊を果たして今の自公政権がシビリアンコントロールなどできようか?
2008年11月3日(月)
カーポート
朝一番でコメリのリフォームの担当さんが先日お願いした山ちゃん家のカーポートの見積書をもってやってきた。見積り金額は、カタログの定価の5割近い数字だった。我が家のテラス屋根のときもそうだったが、定価と実際の金額の差の激しさはどうも理解に苦しむ。安く済むに越したことはないが、定価とは何なのか、本当のところはどこまで安くなるのか消費者には疑心暗鬼にさせるだけだと思うのだが・・・。いずれにしてもお願いする方向で検討することになった。
そのあとスーさんや基礎屋さんもやってきてカーポートやそのアプローチの地盤面のとりかたについて提案を受けた。スーさんもいろいろ考えてくれて、思った以上の解決策も見出してくれたので、概ね提案いただいた方法で工事をすることにした。山ちゃん夫妻は打ち合わせが終わったあと午後一番で、高速道路が混まないうち、といって上尾に戻った。
ジイは、早速明日から基礎屋さんのほうで工事に入るということで、ミニユンボも持ってきたので、午後から工事の邪魔になるアジサイの木やシランやホトトギスという草の苗などを別の場所に移植した。前の地主さんが植えて残してあって、ジイが刈り込んで丸く形を整えていたイチイの木も、池の水を逃がす排水管を埋めるコースに当たって邪魔になってしまうので、かわいそうだが切り落とした。また、アスファルト舗装するのに邪魔になるジイ小屋の北側に敷き詰めた玉砂利や、先日購入して積んでおいた材木の片付けもした。最近は午後
5時ごろには日没で暗くなってくるようになったが、それでも作業が終わらず、終わったときは6時前になってしまった。
2008年11月2日(日)
野辺山
今朝は冷え込んで、氷点下にはならなかったが0.5度まで下がった。8時過ぎに山ちゃん夫妻がやってきた。今日は山ちゃん夫妻と野辺山の知り合いの家にお悔やみのために訪ねてきた。飯盛野教会の出身の人で、野辺山に開拓に入ったご家族だ。今年7月に奥さんを亡くされた。その奥さんはバアが幼稚園生のときの先生だった。葬儀に出られなかったのでずっと気懸かりになっていたのだが、遅ればせながらようやくご挨拶に行くことが出来た。
佐久平のジャスコの中の花屋さんによって花束を作ってもらい、山ちゃん家で用意した手土産をもって野辺山に向かった。お昼時にかかってしまったので、野辺山を通り過ぎて清里まで行って食事をしようとしたがどこも混んでいたので、さらに清里をやり過ごして須玉町に入ったところにある道の駅まで行って、その中のレストランで昼食を食べた。もうここは山梨県ということで、みんなでホウトウを食べた。
昼食後野辺山まで戻って知り合いの家に伺った。ご主人は元気そうだったが、やはり最愛の連れ合いを亡くし、寂しげだった。娘さんも最近甲府のほうから
Uターンして近くに住むようになったとのこと、お子さんたちに見守られてこれからもお元気で暮らされるようお祈りして、家を辞した。
実は、この家の息子さんが同じ敷地内にホクシンハウスで我が家よりも少し前に家を建てた。そのことはホクシンハウスにジイとバアの家を建ててもらう話を進めているときに、ひょんなことから初めて知った。このときほど、世間は広いようで狭いものだと思ったことはない。その息子さんとも今日は会うことが出来た。ジイはその息子さんがまだ小学生のころ会って以来だ。
最近、何十年もの空白を隔てて再会し、旧交を温める経験を何人かとの間で取り交わしたときに感じた、言葉ではうまく言い表せない不思議な感覚をまた味わったような気分だった。時空を越えた人のつながりというのだろうか。絶対に埋め戻すことの出来ない時間の隔たりや生活歴の違いがあるのに、ひとたび再会するとそういう隔たりを感じさせない過去の一点に戻って何かを共有できてしまう不思議さと言うべきか?
野辺山から戻って、夕食は山ちゃん夫妻と久し振りに食事をしながらワインとビールを飲み交わし、といっても
4人でワインとビール各1本ずつが限界だったが、そのあとはみんなでコタツに入ってしばらくいびきの大合唱となってしまった。
2008年11月1日(土)
釣り仲間の深谷のマイスターの家に行った。彼の籠原にある畑の柿ノ木の柿を譲ってもらうためだ。去年初めてこの柿をたくさん頂き、この柿は種のない渋柿なので、干し柿にしたり、焼酎漬けにして渋抜きをしたりして食べた。特に干し柿は、長野のジイとバアの家の駐車場で干したので、寒風にさらされ甘くなって大変おいしくなり、いろんな人に自慢しながらお裾分けした。
そんなことで、今年は早くからマイスターに「柿はまだか?」と催促がましく様子を聞き、今日いよいよ収穫に伺った次第だ。午後
1時過ぎに到着し、お茶をいただいて早速籠原の畑へ出向いた。去年木が大きくなり過ぎたので、高い所の枝を太い幹の根元から切り落とした影響で、今年は多少実が少ないようだが、それでも我が家には、コンテナケース2個に目いっぱいいただいてしまった。マイスターが先日我々と一緒に七二会で散歩したときに転んで足首を捻挫し、そのときの痛みがまだ残っているというので、かわりにジイが木の上に登り、去年と同様高い場所の枝をノコギリで切り下ろしながら柿を収穫した。久しぶりに高い木のうえに登り、童心に帰って楽しみながら木を切った。
柿の収穫後、深谷のマイスターの家に戻って、焼きたてのシナモン味のぶどうパンや鳥のから揚げなどのご馳走までいただいてしまった。お腹がいっぱいになったところで、帰ってから干し柿作りもしなくてはならないので、深谷の家を辞し、北御牧に戻った。
午後
6時過ぎに家に戻り、バアが柿の皮をむく担当で、ジイはむいた柿を干し網に並べて駐車場の屋根の下に掛ける担当になった。干し網3個に干した量は約140個、さらに紐に柿を5個ずつ結びつけてジイ小屋の屋根の下に12連吊るした。合計約200個の干し柿を作り、さらに焼酎漬けを約50個作って、そのうち12個ずつ2箱に箱詰めして娘たちに郵送する荷造りをした。夜10時過ぎまでかけて一気に仕上げた。バアは作業が終わって腕や指が固まったようになってしまった、といって笑った。今夜は冷たい北風が吹いているので干し柿にはもってこいだ。