2008年2月29日(金)
議会開会
今日から市議会3月定例議会が開会した。321日までの会期で議会が開かれる。初日の今日は、議会に提出した議案の提案説明を市長と担当部長が行った。市長にとっては最初の提案説明でもあるので、議案の説明の前に所信表明として、市長選挙を通じて言ってきたマニフェストを中心に所信を述べていた。おそらく秘書室で作った原稿を読み上げたのだろうが、ほぼ今まで出されていたマニフェストをまとめただけのもので、初めて公式の場で表明する考え方を聞いているのに、新鮮さを感じない内容だった。
当初予算の中には、古希や米寿を迎えた人への祝い金などこのマニフェストの一部を反映させた内容が若干入れられている。しかし、いくら前市長の市政を継続するといっても、
2月の選挙で当選して、前市長のもとで作られた当初予算案をそのまま出すのはいかがなものか?前市長も、前々市長のときでも当選して直後の3月議会では、当面最小限の必要な予算を組んだ「暫定予算案」を提案し、次の6月議会までにあらためて「本予算」を組み直して、提案している。今回も当然企画財政部では、暫定予算の準備をしていたはずなのに、なぜ本予算になったのか?
今度の市長は、前市長の息子が市長になるまでの繋ぎだ、と巷では言われているが、そう言われても仕方がないような姿勢ではないか。
40年以上も市の職員と市議の職に携わった行政経験を言うならば、もっと自分のカラーを打ち出す意味でも、まずは暫定予算案を出しておいて、じっくり限られた財源の中で、どういう事業を優先して予算を組むべきか、自らのマニフェストと照らし合わせた上で、その政策的な意図を市民にわかりやすく示す本予算を提示することが、まずは最初に取り組むべきことだと思うのだが・・・。新しい市長への期待がだんだんとしぼんでいくようで寂しい限りだ。
まだ、今日の議会が続いていた午後
3時で休暇をとって家に帰った。ちょうど小学生の下校時間だったが、今日は、「229日に埼玉県の小学生を殺す」という悪質なネットの書き込みがあったので、道々に保護者が子供を出迎える姿が目立った。黒い服装にリュック姿の私は、ひょっとしたら不審者に見られていたかもしれない。何となく冷たい視線を感じてしまった。
4時過ぎに家を出て、北御牧に向かった。途中、佐久市のヤマダ電機に立ち寄った。テレビや一眼レフカメラなど安かったら買ってしまおうと、意気込んで行ったが、上尾のコジマやノジマよりも割高だった。地方格差があるのだろうか?結局電話機だけ買って他のものは止めてしまった。
北御牧は室温
12度で寒く感じなかった。先週あんなに積もっていた雪はほとんどなくなっていた。
2008年2月28日(木)
残り20日?
昨日の夜メールをチェックしていたら、中学高校時代を送った聖光学院の同窓会の出欠状況を知らせるメールが届いていた。同窓生約200人のうち60人以上が出席するようだ。全員の名簿が付いていたが、半分以上名前を見ても顔が浮かんでこない。すでに故人となった者もわかるように記されていた。この名簿を見て刺激されたのか、寝床に付いた後もなかなか眠れなかった。
午前中はその影響でボーッとしていることが多く、産業廃棄物の許可申請の出ている現場を見に行く予定だったのも断ってしまった。明日から開かれる議会に備えた事務処理をこなした後、少し事務引継ぎの準備をした。いよいよ勤務を要する日も残り
20日になった。独りよがりの美学、といわれるかもしれないが、飛ぶ鳥跡を濁さず、最後ぐらいきちんと引き継いで退職しようと思う。去年、退職辞令が交付される最終日を何の連絡もなく欠勤した環境経済部の管理職に代わって退職辞令を受け取った。おそらくその人にはそれなりの理由はあったのだろうが、けじめとなる辞令を他人に受け取らせる、そのことへの感性の乏しさに寂しいものを感じた。
夜のニュースで、中国側が毒物入り食品について中国国内での混入の可能性を否定する記者会見が報じられた。予想された対応だ。最低でもオリンピックが終わるまでは絶対に肯定はしないだろうと思っていた。ヒステリックに中国製品ボイコットを叫ぼうとは思わないが、中国も含めて食品については材料をしっかり吟味することにしよう。しかし、外食などは何を使っているかわからない。少し控えなければならないか?
2008年2月27日(水)
定期監査
今日は午前9時から昼休みを挟んで午後2時半まで環境経済部の定例監査で缶詰めになった。毎年定例で行われている市の監査委員3人による環境経済部各課の19年度の予算の執行状況を監査するものだ。次長が、監査の開始の冒頭に挨拶をした後、部内の各課の状況を課長が監査委員に説明し、監査委員がそれに対し質疑する。割り当てられた時間はおよそ各課30分なので、突っ込んだ内容に至らずに簡単な説明と質疑で予定時間になる。あらかじめ説明する内容は定められた様式により資料として提出しており、監査委員事務局がチェックして監査委員には報告しているので、実際のやり取りの中で問題が発覚するとか、厳しい追及を受けるなどということはほとんどない。各課長は順番に部屋に出入りすることになるが、次長は一通り進行役として最初から最後まで付き合うことになる。次の課長が着席するまでの間などに思わぬ質問や話題が飛び出すことがあるので、そんなところに意外と緊張感がある。次長だからといって何でも知っているわけではないし、細かい内容は課長のほうが詳しいのだが、監査委員の中にはそういうことはお構いなく聞いてくる人もいる。
しかし、長年今回のような定例監査と決算監査に付き合ってきたが、通過儀礼的なもので、市民が期待するような、適正な予算の執行についてしっかり目を光らせるような緊張感あふれるものにはなっていないのが実態だ。監査委員
3人のうち、1人は議会の議員の中から推薦を受けた者、それ以外は執行部側が推薦した者でそれぞれ議案として議会に提出し、議決を受けて任命されている。今の監査委員のうち議会選出の委員は7期当選のベテラン議員だし、執行部推薦の監査委員の一人も元議員なので、仕事の内容もある程度理解しているし、我々とも知己の間柄だから、新鮮な視点から問題を抉り出すような鋭さは生まれない。第三者による行政評価の仕組みやオンブズマン制度できちんと評価を受けることも考える必要がある。ただし、それもどういう意図で、どういう人を選ぶかが重要な鍵だ。
太陽光発電の先輩である職場の
Oさんから、アドバイスを受けた。ホクシンハウスの見積りは現状では妥当な数字のようだ。ホットマンに変えてエアコンを新しい暖房装置として入れ替える費用も入れると、300万円を超えそうだ。これから年金生活者になることを考えるとこの出費は大きいが、市役所で環境分野にあしかけ11年も世話になったのだから、少しぐらい環境に貢献することをするべきと自分に言い聞かせ、妻に理解を求めようという考えに固まりつつある。東御市には太陽光発電を設置する際の補助金がある。補助金要綱で試算してみると12万円は出そうだ。
帰り道の途中にある2軒の大型電気店に立ち寄った。引越しに合わせて液晶テレビ、電話機、一眼レフカメラなどなどいろいろ買い揃えたいものがあって価格の動向調査をしたが、今購入を検討しているものを全部買い揃えたらどうやら退職金はあまり残りそうもない。
2008年2月26日(火)
一般質問
朝から昨日の午後5時に締め切られた議会の議員の一般質問の原稿を、夕方からの課長会議の資料とするためワードに打ち込んだ。原稿は、議員の手書きの「一般質問通告書」というものだ。それをコピーして配ってしまえば済むのだが、議会との申し合わせでコピーはしないことになっている。後日議会事務局で別途ワードに落としたものがデータで公表されるが、質問の割り当て(通告書の内容により担当する部、課を割り当てる)の会議には間に合わないので、原稿をもとに会議までにワードであらためて作成した。今回は、新人議員などが丁寧に細かく質問する内容を通告書に書き込んであったので、ワードに転記する手間がかかってしまった。
当初の議会日程案では一般質問の日程は
3日間だった。議会との申し合わせで、1日の質問者は6人までとなっているので、18人以内なら予定通りだったが、結局20人の質問者になった。12月の市議選で30人が当選、そのうち10人は新人だったから、当然新人議員さんにとっては初めての定例議会なので自らの存在をアピールする場として一般質問に登壇したいはずだ。やはり、最初から4日間の予定にすべきだった。環境経済部に関連した質問者は相変わらず多い。20人中10人が質問する。この質問に対する答弁書を作成するために、これから大勢の職員による膨大な作業時間が費やされる。
ホームページのアクセスカウンターを
24日に再度掲載してみた。今度は今のところうまくカウントしているようだ。「ジイとバアの家づくり」としてJCOMのサーバーに載せてから約20,000回のアクセスがあった。また、0からのスタートだがもう50台になっている。隠れた読者の皆さん、ありがとうございます。
2008年2月25日(月)
ごみ減量
午後から廃棄物減量推進審議会が行われた。こうした類の審議会は、市の情報公開条例ができた段階で、原則公開を前提に各委員に確認しているはずだが、担当課の西貝塚環境センターでは、そのような手続きをしていないので今回の会議の冒頭でその確認をしたい、ということだった。実際に今日は傍聴希望者1名が開会前に来ていた。その傍聴希望者は、会議の開会前の委嘱式や新任市長の挨拶などが終わった後の、会議公開の審議をしている間に、長いこと待たされたことに怒って帰ってしまった。議会の常任委員会の正副委員長が委員として入るような審議会では、会議の手順などそれなりのルールがあるので、そうした決められた手順を踏んだ後でないと傍聴は認められない。この辺のところは一般市民の常識の埒外となる。後で苦情の電話が入ったようだが、理解してもらうしかないだろう。
審議の内容は、
20年度のごみ処理計画案の諮問に対する審議である。市では、可燃ごみを18年度から22年度までの5年間で、16年度ベースの20%の減量を図る目標を、基本計画で定めている。3年目に入る20年度のごみ処理計画で、当初の目標をどこまで達成させるか、という問題があるのだが、実は19年度の実績はまだ1月分までしか出ていないが、これまでの実績では、どうやら16年度に比較して、約8,000トン、10.5%の減量になる見込みなのだ。5年間で達成する約16,000トンの半分を2年間で達成できたことになる。もちろんこのまま今後3年間で残り8,000トンを減らすことが順調に行くとは限らない。私自身もメタボリック症候群改善のために減量して8キロまでは、順調に下がったがそこで下げ止まったままだ。市の可燃ごみも、減量できるかどうかの決め手は、事業系の可燃ごみをさらに減らせるかどうかにかかっている。経済活動が停滞している今だから減少傾向にあるが、景気の回復とごみの増量が今までは連動している傾向があっただけに少し不安材料がある。事業者への啓発が重要だ。
仕事が終わって、大宮で妻と待ち合わせた。先日伊豆の旅行を済ませたばかりだが、退職後の旅行はまだなので、その予約をするためだ。近畿ツーリストの南九州の
23日のツアーを申し込んだ。今のところ、歳を取った老猫のポチを置いて、長旅にはでられない?ということで、海外旅行はご法度なので、国内旅行で我慢だ。予約後大宮そごうの9階のレストラン街の中のトンカツ屋で夕食、トンカツなど久し振りだ。妻はヘルシーメニューのレディースセット、私はヒレカツ膳。
2008年2月24日(日)
雪、雪、雪
朝目覚めると外が明るい。しかし、雪がブリザードのように吹き荒れている。雪で玄関のドアの下の方が埋もれていた。粉のような雪なのでドアを開けると粉雪が中にさぁーっと吹き込む。風が強いため、陽が射しているのに雪が舞い上がって、横殴りにまた降る、という状態が午後まで続いた。風に飛ばされてまったく積もっていない場所と、逆に垣根など風を止めるところは30センチ以上積もっている場所と極端だ。上尾に帰るまでに雪かきをしないと車が出せないほど積もっている場所が道路上にあったので、今日は二人で雪かきをした。
妻が以前に半年かけて編んだ手編みのレースのテーブルクロスをほどき始めた。そろそろ中断していた編み物を再開するようだ。確かにこんな雪が降るような日は、外に出ることもできず、家の中で何かできることを考えなければならない。
週末に雪が降るというパターンが続いており、今回も雪かきにだけ来たような印象だ。道路が凍結する前に早めに上尾に帰ることにして午後
4時に北御牧を出発した。内山峠から下仁田に降りてくるまでは雪があったのでゆっくり走ったが、下仁田からは全然雪がなく、車の走りもスムーズで別世界の感じだった。
午後
645分に上尾に着いた頃は、風がまだ強く吹いていた。こちらでは、昨日から強風だったらしい。家の中もザラザラしていた。早めに着いてゆっくり夕食をとり、9時からのNHKスペッシャルで、最後を自宅で迎えることを望む末期がん患者をケアする医師の姿を追った番組を見た。末期がん患者本人や家族の揺れる心に寄り添い、共感し、一緒に涙を流せる真摯な姿に、見終わった後のすがすがしさを久し振りに味わったような気がする。
2008年2月23日(土)
何もしない北御牧の一日
8時半からの全職員ボランティア清掃を済ませてから、北御牧に向かった。ポチのえさと、北御牧にポチを連れて来たときに外へ出て迷子にならないよう、繋いで散歩ができる猫用のハーネスを買うために、佐久平のカインズに寄って、買い物をした。猫用のハーネスは売ってなかったが、小型犬用のものを買った。
買い物を終えた後近くのデニーズで昼食にした。予報では夕方からの天気の崩れということだったが、食事中に早くも雪が降り出した。北御牧に着いた頃はうっすらと白く積もり始めていた。
明日ホクシンハウスの上田の展示場で
3回目の打ち合わせをする予定だった義姉から電話で、来週に延期にしたとのこと。姪からプラン図を見ていろいろ言って貰ったことで、またヒントを得たらしい。いろいろ迷ったり、別の考えが浮かんだりすることが家づくりの楽しみなのだから、大いに悩むといい。
外に出ることもできず、パソコンのフリーセルゲームをしたり、テレビを見たり、雪の降るのを眺めて一日が終わった。
2008年2月22日(金)
ボランティア清掃
午後市長へ環境政策課の緊急課題について説明し、相談した。昨日と違って、何点か判断をしてもらった。ついでに職員のボランティア清掃について話が及んだ。前市長の肝いりでスタートしたボランティア清掃だが、次第に参加の意思表示をして登録している数は多いのだが、実際の参加者は最近かなり目減りしてきている。特に管理職のほうは、土日開庁当番を始め、防犯パトロールやイベントへの参加など、以前は時間外賃金を支給して一般職の職員がやっていたことも、管理職が無報酬で動員されている実態があるので、参加者が激減している。どちらかというと市長の顔色をうかがって参加の登録をする職員もいるので、市長が出てこなくなったと同時にさっぱり出てこなくなったものもいるようだ。そんな実態も多少知っている新市長は、管理職のボランティア清掃は止めて、全職員によるボランティア清掃に集約することに同意してくれた。管理職がやっている上尾駅周辺で拾うごみはほとんどがタバコの吸殻なので、いずれ路上喫煙防止条例が制定されれば、路上喫煙禁止エリアに設定される所であり、そうなれば吸殻も減るだろう。いずれにしても止める理由付けを考えなければならない。今日は金曜日なので、いつもなら仕事が終わり次第北御牧へ行くところだったが、明日今年度最後の全職員のボランティア清掃があるので、それに参加してから北御牧にいくことにしている。
2008年2月21日(木)
いい恋(1151)
今日は新市長に部の行政課題について説明する市長ヒアリングがあった。約1時間の間に18項目を説明するには、1項目3分以内に要点をまとめなければならない。内容によっては判断を求めるものもあるので、若干のやり取りを市長ともしなければならない。午前中から目白押しで各部の説明が続き、環境経済部は午後4時前からの最後だったせいもあってか、市長の表情にも疲れが出ており、こちらの説明に対する反応もいまいちであった。ほとんど具体的に判断が出されたものはなく、またあらためて個別に説明する必要がありそうだ。今日のところは、セレモニーみたいなものだから、過大な期待をするほうが無理というものなのだろう。
仕事が終わってから、大宮へ行った。東急ハンズに注文していた送別会のお礼用の品が届いたという連絡を先週もらっていたので、今日行くことにしたのだ。たまに賑やかなところに出てきたのだから、どこか立ち寄ろうかと思ったが、受け取った品物が大きな袋で、手で持って歩くと意外と重かったので、どこも寄らずに帰ってきた。
昨日
NTT長野から電話があった。先日、北御牧の家に電話を引くために申し込みをしていた返事があった。321日(結婚記念日?)に工事をすることに決まった。電話番号も114811491151115211535つの候補から一つを選んでくださいというので、1151を選んだ。最初は1153で「いいごみ」もいいかと思ったが、退職してまで「ごみ」を選ぶことはないと思い直し、結婚記念日にこじつけて1151「いいこい(いい恋)」にした。
2008年2月20日(水)
イージス艦
昨日今日と歩いて通勤することを再開したが、2日間ともいつものところですれ違う老夫妻と挨拶を交わした。しばらく一緒に歩かなくなっていた奥さんも元気そうで何よりだ。
昨日起きた海上自衛隊イージス艦とまぐろはえ縄漁船との衝突事故のニュースが流れている。次第にイージス艦のほうに問題があったことが明らかにされている。一隻
1,500億円ともいわれる軍艦が、日本人を守る前に漁民を殺すような行為をして許されるのだろうか?最新鋭のレーダーを搭載しているのに、それは防空用で海上の小さなものはわからない、などと軍艦としての弱点をさらけ出すような言い訳をしている。イージス艦については、以前に情報の流出騒ぎもあったばかりだ。北朝鮮の核実験やミサイル発射実験などの脅威に対抗して、ミサイル防衛システムを担うものとしてイージス艦が配備されているが、平和を守るのは軍事力ではなく、外交力だと思う。どの核保有国であってもそれをいったん行使すれば、それはその相手国だけにとどまらず、報復合戦が始まり、必ず自国を含めて地球そのものの破滅に至ることを知っている。核は外交カードの一つでしかなく、それも誰も使えないことがわかれば、単なるババになるだけだ。北朝鮮の脅威をあおって巨大な軍事費を消費させる軍需産業の戦略に載せられて配備したイージス艦が、レーダーで把捉できない自国の漁船を壊すことが関の山、というのは大いなるアイロニーだ。寒い海にいる漁師の親子が一刻も早く救出されることを祈る。
上尾駅の工事が目に見えて進んできているというので、駅経由でそれを見た上で、橋本屋によってワインを買って帰った。最近ビールを飲んで寝ると夜中にトイレに起きることが多くなったので、ワインに替えて飲んでいる。小さなコップの半分が適量。
2008年2月19日(火)
苦情対応
午後、仕事の合間をぬって情報推進課の職員にカウンターのCGIについて聞きにいった。手ほどきを受けた方法でやってみてうまくいかなかったら、北御牧に引っ越したときにそちらへ行って直接やってくれる、ということになった。
午後、以前に苦情の電話を受けた人が訪ねてきた。
82歳ということだったが、午後1時半から5時まで、ずっと話し続けるタフで強靭な精神の人だった。簡保の定期年金保険をめぐって、5年越しに民営化前の郵政公社との間にトラブルがあり、消費者保護の立場から問題のある年金保険を追及すべし、という趣旨の訴えをし続けた。詳しいことは書けないが、要するに郵便局が示した途中解約ないしは途中死亡の場合の還付金にかかる計算式では、不当に課税される仕組みになっているから、改善させるようにとのことだ。自分のためではなく多くの高齢者が泣き寝入りにならないよう訴え続けるという正義感でやっているとのことであったが、話を聞きながら、この人をここまで突き動かしている本当の動機は何なのか考えていたが、結局わからずじまいだった。また、来るという事なので、置いていった膨大な資料に後で目を通しておこう。
5
時過ぎに健康福祉部の職員二人と久しぶりに飲みに行く。来月に送別会をやってくれることになっていて、その打ち合わせも兼ねての飲み会だ。気のおけない仲間との飲み会は苦にならない。10時過ぎまでしゃべって、飲んで、食べてしまった。先週の旅行以来、体重が今年初めて70キロ台に増えてしまい、ようやく昨日から69キロ台に戻ったのに、入浴前に計量したら再び大台に乗ってしまった。
2008年2月18日(月)
新市長訓示
久しぶりの出勤となった。出勤してみると、玄関前で新市長の登庁式が行われていた。8時半の開庁前に、まずは玄関前で後援会の人たちによるセレモニーが行われた後、8時半に庁舎内に新市長が入場し、職員、市民が出迎え花束を渡した後、3階の市長室へ入るという、どこでも新しい首長が就任する際に行われる型どおりの儀式だ。タレント首長でもないので、マスコミが殺到するような派手さはない。庁舎に着くまでそんな登庁式のことをすっかり忘れていた。
11時からは、管理職を集めて最初の市長訓示があった。要旨は次のとおり。市の職員として、議員として、そして3度目の今度は市長として上尾市に奉職することになった。上尾市は成熟期を迎えているが、停滞することなく、すばらしい上尾へ、もっと良くなる上尾へ発展させる必要がある。「上尾が輝(ひか)る8つのキラリ☆」というマニフェストを作ったが、3月議会に向けて勉強させていただいているが、日に日にこのマニフェストの項目は可能だ、という確信を持った。今朝の初登庁の際の職員の皆さんの輝いた顔をみて、また島村と一緒に仕事ができるんだという気持ちが伝わってきた。ぜひ皆さんと一緒に、こどもからお年寄りまですべてにやさしい、思いやりの市政を進めたい。選挙戦を通じてたくさんの市民から直接聞いた意見の中で感じたことだが、市の職員として担当している仕事のことだけでなく、職員として常識的なこと(人口、面積、高齢化率等)を身に付けて欲しい。些細なことでも一つひとつの積み重ねが市民の信頼を得る。市民の目線に立って、何でも聞ける、開かれた市役所づくりをお願いする。最後に、(出典はわからないが)井上靖の作品からの引用で締めくくった。「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」。アンダーラインを引いた部分は、これから市長の代理で団体や住民組織などで挨拶するときや、市で発行する冊子などの市長名の巻頭言の原稿を書くときに、キャッチフレーズとして使えるところだ。21日に行われる政策課題のついての市長ヒアリングの準備をする。時間の都合で担当課長まで同席できないので、18項目のうち10項目は私が説明することになっている。環境問題など前市長の時代は、なかなか陽の目を見ることがなかった事業の中にも、すぐに実行を求められているものもあるので、その辺はしっかり新市長に伝えておきたい。
夕方孫たちを連れて次女が家に来るというので、仕事が終わった後急いで帰宅した。先週旅行をしていたのでバレンタインに渡せなかったといって、ココアの入ったケーキを焼いて持ってきてくれた。むー君は先日会ったときよりもさらに歩き方が進化していた。もうずっと前から歩いているような動き方だ。でも先週は生まれて初めて発熱したとのこと、あーちゃんのほうも、少し風邪気味とかいっていたがバアと
DSのゲーム対戦で元気に笑い声を上げていた。軽井沢でスキーの5級検定に合格といっていた。孫たちが帰って夕食後、ホームページの移設作業に取りかかる。何とか移し終えたが、アクセスカウンターはうまくいかなかった。JCOMの場合は、CGIのタグをコピーして張り付けるだけで簡単にできたが、レンタルサーバの方は自分で編集する必要があるようだ。明日情報推進課の職員に聞いてみよう。
2008年2月17日(日)
義姉夫婦の家づくり
朝はまた一面の雪景色となった。ただ、さらさらの雪で積雪量は1センチ程度なので雪かきはしなかった。午前中には陽のあたるところはあらかた解けてしまった。
義姉からの電話でホクシンさんから書き直したプラン図が届いているので、夕食を囲みながら検討会を開こう、というお誘いがかかった。
午後
3時半に北御牧を出発、関越道が先週ほどではないがやはり渋滞があり、到着まで3時間かかってしまった。早速、用意された夕食をいただいた後、あーじゃない、こうじゃないと意見百出、もう1回プラン図の書き直しが必要のようだ。ホクシンさんは、最初の打ち合わせのとき、プラン図は10枚でも20枚でも書き直しますよ、と言ってくれているのでまだ序の口だ。我が家のときは2枚で決まってしまったが、義姉夫婦には、検討している今が一番楽しいときなのだから、納得がいくまで検討したほうがよいとアドバイスした。
11
時近くになり、話も尽きないので打ち切りとなった。
2008年2月16日(土)
ケータイ・ネット依存症
今日は渓流の解禁日、前日まで釣りに出かけるつもりで、ミミズなどを採取して用意していたが、氷点下の低温とおなかの調子も今ひとつだったので見合わせることにした。4月からはいつでも行けるのだから、と自分に言い聞かせた。
今回は上尾に携帯電話を置いてきてしまった。持っていないとわかると何か気持ちが落ち着かない。今、柳田邦男著「壊れる日本人−ケータイ・ネット依存症への告別」
(新潮文庫)を読んでいるが、その文中で、医師が診察中に患者の顔を見ないで、パソコン画面ばかりを見ているので、患者が注意を促したら、聴診器を当てずに、うっかりマウスを胸に当ててしまった、という笑えない話が紹介されていたが、大なり小なりネット社会の便利さと引き換えに、必要な人間どうしのコミュニケーションを削ぎ落としてしまう、ネット依存症に罹っているのかもしれない。
午後から佐久市のチクマ農園に今シーズン最後のリンゴを買いに行った。おまけに「グラニースミス」というヨーロッパではポピュラーな青いリンゴをいただいた。
帰りに八丁地川の様子を見に寄った。あちこちに釣り人が立っていた。晴れているが冷たい風が吹いているので、喰いはどうだろうか?
午前中と買い物から帰った夕方から午後
7時過ぎまで、ホームページの修正の続きをした。こちらのネット環境では、容量の多いデータを送ると途中でエラーになってしまうので、アップは上尾に帰ってからにする。夜になって昨夜に引き続き雪が降り始めた。昨日より積もりそうだ。
2008年2月15日(金)
ホームページ
午前8時に可燃ごみを出し、その足で北御牧に向けて出発。平日の道路は混んでいて、東松山インターに入ることができたのは、ETCの通勤割引の制限時間9時ぎりぎりになってしまった。昨日帰り際にガソリンを入れておいて正解だった。
11
時に北御牧に到着した。11日以来雪が降っていないはずだが、あまり雪は解けていない。やはり今週は低温が続いていたのかもしれない。今日は、午後から夜まで外へ出ずに、ホームページの修正に明け暮れた。JCOMの契約は、4月中に解約する予定なので、それまでにレンタルサーバーにホームページを移す準備を進めているが、トップページの体裁を変えようと考えてそれなりのページを作ったのだが、トップページを変えるということは今まで作ってきたいろいろなページとトップページがリンクしているので、そのリンクの修正をしなければならず、一つひとつチェックしながら修正していく作業に追われてしまった。よくもこれだけたくさん積み上げてきたものだと我ながら感心してしまった。まだ、完全に終了したわけではないが、夜中になってしまったので終わりにした。いつの間にか外は、雪が舞い始めた。
2008年2月14日(木)
伊豆旅行3日目
9時に宿を出て、まずは三島に向かった。柿田川の湧水をまだ見たことがなかったのでそこへ行くつもりで、場所を聞くために三島市役所へ行った。ところが市役所で聞いたところ、柿田川の湧水は三島市ではなく隣の清水町にあるとのことで行き先を確認してから、まずはそこへ行く前に三島市役所の近くの三島大社へ行く。源頼朝が伊豆に流されていたとき源氏再興をここで祈願して、後に鎌倉幕府を建てて願いが成就したとしていろいろ寄進されたものが宝物として残されているらしい。そういうことにはあまり興味はないが、1000年以上経った国指定文化財の金木犀の木が印象に残った。
三島大社見学後三島市役所で教わった柿田川に行った。国道
1号線を沼津方面に行った国道沿いには入り口があり思ったより簡単に行くことができた。柿田川は、かつてはヘドロの川だったものを、住民のトラスト運動によってよみがえらせた富士山の伏流水が湧いてできた川である。源流域の展望所で長くトラスト運動に関わった人のガイドを聞くことができた。観光の人波が去った後、シジュウカラやメジロ、キセキレイ、シメがすぐ近くに飛来してきた。さらにカワセミが来て、水中に飛び込み姿まで見ることができた。透き通った川の中にはミシマバイカモやセリが青々と生えていて、心まですがすがしくなった。
柿田川で心が洗われた後、近くのホームセンターで花と線香を買い、裾野市の普明寺にある両親の墓へお参りに行った。去年の
11月に父の三回忌の法事をして以来の墓参りとなる。そのときに、父のことを思いながら日記をつけることを思い立ってから、3ヶ月日記を書き続けてきた。最初は23日か週1回程度の頻度で書こうかと思っていたが、今日まで一応毎日(書くのは23日分をまとめて書くこともあるが)書き続けてきた。どこまで続くかわからないが、思いつくままに書くことがそんなに苦にならなくなってきた。
墓参りの後、五竜館の滝のある裾野市中央公園を散策したあと家路に。午後
7時過ぎ無事帰宅。充実した3日間の旅行を終わった。明日からまた北御牧に行く。
2008年2月13日(水)
伊豆旅行2日目
今日は朝から好天気で、宿の窓から海を眺めると、7時前から海岸ではサーフボードに打ち興ずる若者が数人いた。9時に宿を出て、下田駅周辺の黒船、ペリー来航の記念館など歩こうと下田駅周辺に行ったら、何と横殴りの雪、雪、雪。海側は青空なのに山側は黒い雲に覆われ、雪が降っているのだ。結局雪景色を写真に撮っただけで下田は早々に退散して、西伊豆に向かった。
まずは湾の形が弓のようになっている弓ヶ浜に行った。その後石廊崎に行った。二度目のはずだが最初の駐車場から長い山道を登るアプローチがあり、初めて来た様な感じだ。先へ先へと登っていくと閉鎖されたみやげ物店があった。そこを通り過ぎた後に見覚えのある灯台への道とその先の神社が現れた。初めて来たときとアプローチの道が違ったようだ。
石廊崎のあとは西伊豆に回りこみ、雲見温泉のところでは海の向こうに富士山が雲ひとつなくすっくと立つ姿が見られた。久し振りに美しい富士山を眺めることができた。そのときの写真はホームページに載せるつもり。家族旅行で昔訪れた長八美術館やなまこ壁の家並みなどなつかしい松崎の小さな漁港の入口の食堂で、自家製の干物を焼いた定食を昼食でいただく。炭火で焼いたエボダイ、アジ、キビナゴの干物にイワシの味醂干しを熱々のうちに食べる。あまりの旨さに、帰りに干物をお土産に買ってしまった。
松崎のあとは堂ヶ島、ここはかつての賑わいはなく、何か寂れた感じになっていたので素通りして恋人岬に立ち寄る。若い人たちに混ざってジイとバアの恋人岬といったところか?
3時過ぎには土肥温泉に着いてしまい、旅館に入るには少し早いので昔子どもたちと遊んだ花時計のある公園や海岸で流木や小石拾いをした後に宿に入る。投宿後も、宿の前の海岸に出て、小石拾いをする。流木や小石は、北御牧に移転したら暇なときに妻がペインティングなどをして飾る材料にするらしい。
夕食は再び海鮮料理で魚づくしだが、年齢のせいか飽きない。宿のサービスで生酒
300ccがついていて、ほとんど一人で飲んでしまい、7時過ぎには眠り込んでしまう。9時にいつも見ているドラマを見るため、妻に起こされる。ドラマを見た後、温泉に浸かり就寝したがエアコンの音がうるさく夜中に何度も目が覚めてしまった。エアコンで安眠を妨げられなければ、100%の満足度の旅館だったのに残念。
2008年2月12日(火)
伊豆旅行1日目
昨日の夜、新聞を見ていて岩国市長選で井原前市長が敗れたことを知った。井原市長は駐留米軍再編によって岩国基地が強化されることに反対して、合併後の新市長に当選していたが、国がそのことを理由に合併による新市庁舎建設に対する37億円の交付金を見合わせるだけでなく、米軍の再編交付金も出さないという兵糧攻めに抗議し、もう一度市長として信任を得るために辞任して、あらためて市長選となった経過だ。札束で頬を張るような国の横暴があっていいものかと思うが、さらに残念なのは市民がこうした国の横暴に抗し切れなかったことだ。
基地の町岩国の問題にだけ矮小化できない大きな日本の民主主義が問われていた選挙だと思うのだが、これからの日本の行く末を考えると少し悲しくなる。その上に昨日の夜のニュースでまたもや沖縄の北谷町で米兵による中学生暴行事件が起きたことを伝えていた。いずれにしても、日米安保条約がある限り解決しない問題だ。世界に誇るべき憲法
9条を持つ日本として、もう一度軍事力により安定ではなく、不戦による平和を追求すべきと思う。その精神を支える昨日は「信教の自由を守る日」でもあったのだ。
そんなことを頭の端に思いつつ、定年退職を前に
30年勤続のご褒美としてもらった3日間のリフレッシュ休暇で伊豆旅行に出発。午前8時いつもの出勤よりちょっと遅めの時間に家を出て、一路伊豆へ向かう。昼食に寄った熱川温泉では、適当なところがなかったので真っ直ぐ河津に向かう。2,3日前の天気予報では晴れの予報だったが、雨模様の天気で最初の目的地、河津町の河津桜の並木を歩いている頃は本降りになっていた。この河津桜は、オオシマザクラとヒカンザクラの自然交配したものだということだが、いくら伊豆が暖かいといっても2月のこの時期でもう3分咲きになっている、本当に早咲きの桜である。河津桜を見物したあとに入った駅の近くの食事処で食べた金目鯛の煮つけと海鮮丼は美味しかった。今度の旅は、魚尽くしの予感。河津桜のあとは爪木崎の野水仙。広大な須崎の御用邸の敷地の先にある爪木崎の公園に水仙がもう盛りは過ぎたということだが、まだまだ沢山残っていた。ここでもアロエの赤い花が咲いていたが、このあと道路沿いにアロエの花をあちこちで目にした。
午後
4時過ぎに下田の旅館到着。この頃には雨も上がり、夕日の中を海辺を散歩したあと温泉に浸かり、食べきれないほどの夕食に腹鼓を打った。
昨日夜遅くこの日記を読んで、音沙汰のなかった長女から電話があった。元気そうで何より。
2008年2月11日(月)
明日から伊豆へ旅行
午前10時前にホクシンハウスのOさんが打ち合わせに来られた。さすがプロだ、最初の提案プランとはぜんぜん違う形で、しかもこちらの希望をある程度満足させるような配置図を2時間の打ち合わせのうちに仕上げていった。数日後にはちゃんとした図面にした新しいプラン図が出来上がってくることだろう。これで予算内の見積りが出れば義姉夫婦も満足することだろう。
明日から
14日まで2泊3日で伊豆へ小旅行に出かけるが、泊まる旅館は予約してあるが、どういうコースで、どこに立ち寄るかほとんど決めていない。河津桜と爪木崎の水仙は見てこようと思っているが、西伊豆のほうはまだぜんぜん決まっていない。昔訪れた所を思い出しながら車を走らせ、帰りには裾野の両親の墓参りに寄って帰ろうと思っているぐらいだ。
北御牧を4時ごろ出て、佐久平のジャスコに寄って買い物をした後上尾に帰ろうとしたが、高速道路は3連休の最後の日なので、スキー帰りの車で渋滞していた。3時間半もかかってしまった。家について明日からの旅の支度を急いでした。これから寝るまでに、北御牧の途中佐久平のジャスコで買ったルルブのガイドブックなどを見ておこうと思っている。小旅行から上尾に戻った後、
15日からはまた北御牧で過ごす予定だ。16日から渓流釣りの解禁になるのでこの休みの間に行ってきたいと思っている。しばらく日記のアップはできないかもしれない。
2008年2月10日(日)
朝食後恒例になった雪かきをする。奥の家の奥さんが、すぐに解けるから無理しなくていいですよ、と声をかけてくれたが、この辺の土地のルールはわからないが、自分の家の周りぐらいはやらなければと思っている。
明日義姉夫婦の家の打ち合わせをすることになっていたので、義姉夫婦が昼過ぎに北御牧にやってきた。一緒に昼食後、上田市内に新しくできたホクシンハウスの展示場を見に行った。途中、バール・マタンという洋菓子屋さんに義姉夫婦を案内した。焼き菓子のほか、今月誕生日を迎えた義姉のおごりでケーキも購入。義姉の提案で、今後誕生日を迎えた者が、それぞれスウィーツをおごる事になった。展示場は新しいだけあっていろいろ床材やキッチンやバスなど新しいものが目を引いたが、色合いなどどちらかというと若向きにしつらえてあった。もともとの展示場のほうが参考になるかもしれない、ということで忙しい中そちらにも行った。われわれは今の家を作るまでの打ち合わせ場所としてさんざ通った懐かしさ漂う場所だが、義姉夫婦にもこちらの雰囲気のほうがしっくり来るようだった。
夜はバール・マタンのケーキを食べながら
(美味しかった!)深夜まで、間取りや外観など家づくりについて話し合ったが、いい解決策も浮かばず袋小路に入ってしまい、最終的には明日打ち合わせするホクシンハウスのOさんに任せようということになった。ホクシンハウスから届けられた我が家のほうの太陽光発電と土留め工事の見積もりは、予想どおりでもあるが期待していた価格よりもかかりそうで、もう少し考えてから結論を出すことにした。
2008年2月9日(土)
猫はどうする?
土曜日で普通なら休みだが、現在の市長のトップダウンで始められた土日開庁の当番日で出勤した。午後からの雪の予報のせいか朝から出足がいい。電話も立て続けに何本もかかってきた。そのうちの1件は、飼い主のわからない猫が車にはねられて苦しんでいてかわいそうなので、動物病院に連れて行ったが、15,000円かかるといわれたがどうしたらいいか、という相談だ。
夕べ守衛室に一報が入り、今日開庁してからあらためて手配することになっていたものだ。その後今朝になって動物病院で亡くなった連絡があり、午前中に引き取ってもらうことと、
1万円の請求をされたが、どうしようという内容になった。生活環境課長に連絡して対応をお願いした。猫をペット霊園に連絡して引き取ってもらい、相談者には市で動物病院の費用は検討する旨連絡したとのこと。生活環境課長は、ペット霊園に引き取ってもらう予算はあるが、治療費のような予算はないので頭を抱えていた。善意でやってくれるのはいいが、その結果としての費用までは負担したくないからそれは行政で負担してくれ、というのはいかがなものか。動物病院も、一晩で死ぬような状況ならば治療を控えるなどという判断してもいいのではないだろうか。
犬の場合は、狂犬病予防法という法律があって、予防注射や登録制度が法的に義務付けられているので、行政もそれなりの対応する体制ができている。さらに犬と飼い主が一緒に散歩などをしているので、ある程度飼い主どうしのネットワークができやすいので、犬に関しては情報を得やすい。鑑札を付けていれば飼い主をそれから調べることもできる。それに比べ飼い猫は近所でもどこの家が飼い主なのかわかりにくい。我が家も猫を長年飼ってきているので飼い主に気持ちがわかるが、おそらくその猫の飼い主は必死に行方を探しているに違いない。でも今回のような形で処理されてしまうと、飼い主にまで情報が届くことはないだろう。動物病院に問い合わせする術を知っていることを期待するしかない。猫とともに暮らすことで、日常生活の中で癒されているという人も多い。いずれ行政も支援する形でこういう人たちのためのネットワークを作る必要がありそうだ。
天気予報では午後
3時ごろから雪が降り出す、といっていたが本当に3時ごろから雪が降りだした。5時の終業後急いで家に帰り、北御牧へ。途中雪が本降りとなり、吉井インターから北はチェーン規制になった。妻は、下仁田で高速を降りて内山峠越えをするいつものコースをやめて、上信越道の小諸インターまで行くように言ってくれたが、いつものコースのほうが自分としては運転しやすいので、下仁田で降りて内山峠を越えた。山の上のほうは雪が圧接されていて、スキーのコースのような状態だったがスリップせずに無事に走れた。北御牧は積雪10センチ以上になっていた。
2008年2月8日(金)
むー君が歩いている
午前中、路上喫煙のアンケートのデータ入力が終わった。条例化には8割程度の賛成があった。また、罰則規定についても概ね賛成というのが多かったので、議案提出の時にはアンケート結果を説明材料として活用できる。
午後
3時で仕事を切り上げ、休暇をとって大宮の東急ハンズに行った。送別会のときのお礼の粗品に何をしようか思い悩んできたが、結局環境に配慮する意味で、「マイお箸」にし、注文してきた。箸が半分に分かれてケースに収めてバッグなどにしまって持ち歩けるタイプのものだ。色や柄がいまいちだが費用などと相談して決めた。ムー君が家に来るというので、東急ハンズの用を済ませて急いで家に帰った。
先月から歩くようになった事は聞いていた。また、メールで歩いている姿の画像は見ていたが、実際に歩いている姿はまだ見ていなかった。早くしないとよちよち歩きを通り過ぎて、すたすた歩きになってしまうというので、わざわざ今のうちにということで連れてきてくれた。指差しで「あーあー」となん語を言うようになった。幼児教育に詳しい妻の説によれば、こうした動作はこの時期大きな成長の証だという。言葉を獲得していく過程の重要なステップだということだ。
今日は長女の誕生日、
36歳になった。妻からお祝いのメールを送ったが、音沙汰無し。便りがないのが無事の証しか?
2008年2月7日(木)
別れ
今日は朝から路上喫煙防止条例検討委員会で出した市民アンケートのデータ入力に明け暮れた。市民1,000人に出して、437人から回答が戻ってきている。担当の生活環境課の職員が忙しそうなので、暇な?私がデータの入力をすることを申し出て、やっている。今日で300人のデータ入力が終わった。エクセルの表に回答内容を打ち込むのに、表が小さいので目が疲れる。300人やったところでいやになってしまったので残りは明日にした。昨年定年退職した先輩が訪ねてきた。元気そうである。おととしは二人で健康福祉部の次長として上尾保育所の園児死亡事故に関して、事故調査委員会や再発防止委員会の運営にかかわってきた間柄だ。私が退職して長野へ引っ越してしまうともう会えなくなってしまうのでまだ在職中に、一度会って当時お世話になったお礼をしたい、とのことだった。そんなお世話をしたつもりはないが、ただ心情的にはしいて言えば一緒に困難に立ち向かった「戦友」というところか。でも確かに退職してしまうと、30年の間に関係のあった市役所の同僚のほとんどの人とはもう一生会わないことになるのだろう。今まで退職していった人でももう何人も退職以来あってない人がいる、というよりは退職後にも会ったという人のほうが圧倒的に少ない。人の別れとはそんなものなのだろう。今日、中学高校時代を過ごした聖光学院の315日に開かれる同窓会への出席のはがきを投函した。今年はみんな定年退職を迎え、様々な別れがあるせいか、昔の仲間への郷愁が募るのかもしれない。年賀状で、同窓会で会おうよ、と言ってきた友人もいた。その友人とも阪神淡路大震災の後に被災した彼を見舞いに行ったとき以来会っていない。今日はオデッセイを車検に出した。この3年間で約6万キロ走っている。殆んど北御牧との往復に使った。よく無事故でここまで来たものだ。上尾と北御牧との往復もあとわずかとなった。
2008年2月6日(水)
個人情報
午前中上尾市社会福祉協議会が主催する「地域福祉を考える集い」に参加。二人の講師の講演があった。一人目の講師は、同じ町内の同じ班に住んでいる浦和大学の先生で地域福祉の専門家だ。話の内容は、日常生活で支援が必要な人が、孤立した生活を送り相談やサービスにつながらない問題に対して、見守りから初期相談、橋渡しを通じて必要なサービスへと結び付けていくための地域の基盤をどうやってつくるかを解き明かすものだったが、少し新鮮味に欠けている嫌いがあった。そういう問題は、それこそ何十年も前から言われていてなかなか実現できないできて、さらに介護保険制度の導入によって地域との関係がますます薄れたところでサービスを受けているケースが増えてしまった。高齢者や障害者にサービスを提供している事業者と地域住民とがどういう連携を図るか、そこでの行政の果たすべき役割など、そのあたりに焦点をあてた話が聞きたかった。二人目の講師は、田園調布学園大学の人間福祉学部の准教授で、「地域で使ってなんぼの個人情報」というタイトルで、現行の個人情報保護法の問題点を説き起こすとともに、地域福祉活動でいかに個人情報を上手に利用するかを提案している。そもそも個人情報保護法は、本来「個人情報の活用と保護に関する法律」という名称にすべき内容を含んでいて、個人情報の収集や活用を一方的に制限するための法律ではなく、個人情報の利用する目的を明確にし、その目的を本人が同意の上で目的にのみ沿って利用すれば、なんら支障がないはずだが、マスコミを中心に、法律制定後の行政や様々な事業者の個人情報漏洩問題だけがセンセーショナルに取り上げたために、過剰反応して必要な情報の活用までしなくなってしまった。去年佐賀県で起きた病院入院患者の人違い殺人事件など病室の名札が付けられていれば起きなかったかもしれない。最近では災害時要援護者の名簿問題などがクローズアップされているが、これなど地域にきちんとした組織があれば、行政も本人の承諾がなくても必要な情報は提供すべきだと思う。現に渋谷区では、「渋谷区震災対策総合条例」で要援護者情報を民生委員、区民自主防災組織に提供することにしている。20年近く前に、上尾市の情報公開制度を検討するためのプロジェクトチームでリーダーを仰せつかり、情報公開と個人情報保護について10数人のメンバーで侃々諤々議論したことを思い出した。当時は平成4年の新庁舎オープンまでに条例化を図るために検討して報告書をまとめたはずだが、条例として陽の目を見たのはそれから10年経った平成11年の12月になってからだった。行政情報は本来住民自身のものであり、したがって住民に対しては原則公開すべきという前提に立って、市の保有する行政情報をいかにまちづくりの主人公である住民に公開、提供していくか、を考えた報告書だったが、上尾市の土壌では時期尚早だったのかな?
ワールドカップ三次予選が始まった。小雪の降る埼玉スタジアムで初戦の対タイ戦が行われ
41で勝利したが、印象としてはサッカーが小さくなった感じで面白みに欠けていた。テレビを見ながらぶつくさ言うものだから妻が脇であきれていた。
2008年2月5日(火)
次女の誕生日
午前中生活情報センターへ行って、先日苦情を受けた問題について経過や内容を聞いた。年金保険の契約約款の解釈をめぐる相談で、その内容は当事者間での話し合いは決裂状態で、最終的には裁判で争う以外に決着できないところまできているようだ。こうなると生活情報センターの守備範囲を超えているが、相談者は生活情報センターに過度の期待をしていて、自分の訴えを聞き入れない限り納得できないようだ。80代の相談者が、5年以上にわたってこの問題について、生活情報センターのみならずさまざまな機関に働きかけ、食らいついているエネルギーや心情は、どこに由来するのか?今月中旬に連絡し話し合うことにしている。午後は、路上喫煙防止条例案の検討をした。いよいよ検討委員会としては大詰めになってきた。条例と施行規則、路上喫煙禁止エリアの設定の議論をした。新市長就任後早急に委員会での検討結果を市長に報告し、承認を得たうえで市のホームページにパブリックコメントを求める手続きをする予定である。6月議会には条例案を提案することになるだろう。最後まで見届けることはできないが、何とか成立して欲しい。午後6時から行われた新井市長を送る会は欠席した。今日は次女の32歳の誕生日だった。妻からの誕生日お祝いメールに対する返事では、「むー君のおかげで、一年があっという間、自分が何歳だったか忘れがち、チキンステーキとコールスローサラダと北御牧産パンプキンのスープでお祝いしました」とあった。ふと我々の子育て時代を思い出してしまった。子育ての奮戦の相手だった子供がいま、同じような苦労をしている、不思議な感慨を覚えた。
2008年2月4日(月)
形見分け
前夜の冷え込みで道路が凍結していて歩いて出勤するのに苦労した。滑って転んで、ということはなかったが34回は靴底がツルッときた。車のほうはあちこちで接触事故があったようだ。渋滞に巻き込まれて遅刻する職員もいた。昼休みに、上尾市議を7期勤めたあとも団地の役員として忙しく活動していた合間に、渓流釣りに一人で出かけ、釣り場の車止めで急死した私の釣り仲間であり先輩でもある人の釣り道具の形見分けを受けた。故人の愛用した釣竿やベストなどを受け取った。元気だった頃のことを思い出し、少しつらい気分になったが、生きていれば彼が果たしたであろう釣果を、彼に替わって彼の竿で挙げてみよう。家に帰ってからNTTに電話した。北御牧にそろそろ電話を引く手続きに入ろうと思う。今の上尾の電話は数年前にJCOMの電話に切り替えてNTTを解約していた。そのとき送られてきたNTTからの通知が北御牧に電話を引くときに必要と思い、先週から家中探したがどうしても見つからず、恐る恐るNTTに電話したが、そのときの書類は休止通知書で、手元になくても手続きに差し支えないものだった。今朝も朝早くから目が覚めてその書類のことを考えていて寝付けずに寝不足のまま出勤したことなど、杞憂だった。それにしても物忘れ、しまい忘れなどいよいよ老いを身にしみて感じるようになった。
2008年2月3日(日)
新市長決まる
朝起きると外は白一色、白銀の世界だ。15センチは積もっているだろう。こういう日は何もしないで窓から外を眺めているのが至福の時だ。しかし、そうは言っていられない、雪かきをしなければ上尾に帰れなくなる、ということで朝食後雪かきを始める。最初のうちはサラサラ雪なので楽だったが、雪がボタン雪に変わり、掻く雪も重くなってきて終わるころには腕が痛くなってしまった。雪かきをしながら、こんなことを何歳まで続けられるのだろうか、などと考えてしまった。しかし、雪かきをしたところはその後も降り続いた雪もすぐに解けるのでやった効果は大きい。雪が降って小鳥たちもえさを求めてしきりに庭にやってくる。ジョウビタキなどは白い雪を背景にしていると、背中の黒や白い斑点、オレンジの腹など色鮮やかに映える。ヒヨドリがジイ小屋のテラスの軒につるしてある干し柿をねらってつつこうと何度も試みていたので、庭のりんごや梨の木の枝に干し柿をつるしてやった。この干し柿は、甘柿を干したもので正直言ってあまりおいしくない。そんなものでも食べてくれるなら、と硬くなった表面をキッチンバサミで切れ目を入れて木の枝につるした。まだ警戒して寄り付かないが、来週までにどうなっているか楽しみだ。解禁まで2週間となったので、釣りの仕掛けづくりをした。今回は、釣り糸に0.2号という細いものを試しに使ったものも作った。今まで0.4号というのが一番細い糸として使ってきたがさらに細いものにした。あんまり手先が器用ではないので、細い糸は敬遠してきたが、やはり魚に見えにくい細い糸のほうが釣りやすいというので、少しでも数で釣果を挙げたいという欲望には勝てず、使ってみることにした。時間をかければそんな細い糸でも仕掛けは作れた。あとは、現場でうまく使いこなせるか、期待どおりの釣果が挙がるか、楽しみだ。内山峠の積雪の凍結が心配だったので、早めに上尾に戻ることにして午後3時半過ぎに北御牧を出発した。群馬県側の雪が想像以上に多く、時間も遅くなって凍ってきたのか、トラックが何台も立ち往生していた。それでも無事に約3時間で家に着いた。市長選の結果が10時半の速報で判明、現市長の後継候補の島村氏の当選が決まった。何年ぶりかの大雪という天候も災いし、投票率が34.81%と低く、浮動票が出なかったので、流れは変わらなかった。公務員として残された2ヶ月、粛々と与えられた職務を全うするだけだ。
2008年2月2日(土)
のんびりとした1日
久しぶりに朝9時ごろまで寝てしまった。7時前に今年最低の冷え込みかと思って起きて外の温度計を見たらマイナス10度で先週と変わらなかったので、写真には記録せずまたベッドにもぐりこんでしまった。レンタルサーバーの設定ができるようになったので、遅い朝食後から、ホームページのデザインを一新しようと2階にあるパソコンに向かったが、結局一日中パソコン画面とにらめっこになってしまった。作成ソフトは、ホームページビルダー9を使っているが、マニュアルが大雑把なので思ったような形にならず悪戦苦闘した挙句、まだアップできない状態だ。とりあえず現在のホームページをそのまま転送することにしたが、送っている途中でエラーになってしまい公開できる状況にいたらなかった。天気予報どおり夜遅くなってから雪が降り出した。ただでさえ静かなところだが、シンとした静けさの中で、さらさらの雪が舞うように降っている。6年目の冬を迎えた経験から推し量るところでは、今夜は積もりそうな予感。
2008年2月1日(金)
廃棄物処理審査
午前中廃棄物処理審査委員会という会議があり、庁内の14課ほどの関係課が集まって協議を行った。県から、市内の廃棄物処理施設の変更申請に対する市の意見を求められたことに対して検討するための会議である。申請のあった処理施設は、工業団地の一角にある廃塗料の中間処理施設である。会議の前に施設を見に行ったが、工場内には塗料から出るシンナー臭が充満していた。簡易なマスクをして従業員が働いていたが、非常に劣悪な職場環境だ。こういうところで働いていたらいずれ病気になるのではないだろうかと心配してしまった。しかし、施設そのものの許認可権限は市にはなく、法的な条件を満たしていれば、市の意見の如何にかかわらず県は許可を出すことになっている。こうした類の県からの照会には次のような文書が付されてくる。「(中略)許可は、いわゆる羈束(きそく)処分とされており、申請内容が法令の基準に適合する場合、知事はこれを許可しなければならないものと解されています」。要するに現行法上適合していれば、一般常識上許されないことであっても、許可せざるを得ない縛りになっていますよ、という意味である。特に公害などは周辺住民と発生源の事業者との間のトラブルがおきやすく、許認可を与えた行政に対する責任を追及されることが多いことから、行政の立場からはあくまでも法に則った処分であることを明確にしておく必要があるわけだ。したがって市の立場としては、権限がない以上何を言っても仕方がないわけだが、住民とのトラブルが起きることが予想されるケースについては、法的に問題がない場合でも、「周辺からの苦情がある場合は誠意をもって対応すること」などとの意見を提出する。市としては、権限がないけれども予測される事態にはあらかじめ県には意見を出しておきました、というアリバイづくりもなるからだ。今回のケースは、工業団地の一角で住宅のないところなのでトラブルが発生することはないと思うが、都市計画法上の工業地域は、住宅の建設もできるので将来住宅が建てられないとはいえない。だいたい後から宅地開発が進んだ上尾のようなところでは、公害のトラブルの多くは発生源の工場付近に後から住み着いた住民と元々あった事業者との間に起こる。これとて本来なら工場付近に住宅が建たないよう行政指導ができればこういう問題は起きないのだが、都市計画法や建築基準法で適合していれば、最初に書いたことと同様「羈束(きそく)処分」として建築が許可されてしまうので、市町村レベルでは地区計画などの条例を作って対抗する以外、建築を止めることができない。「安心、安全なまちづくり」をうたっている市長選の候補者が多いが、公害と同様法律の仕組みを変えないと市町村レベルでできることは限られている。妻はおととい、私は昨日のうちに市長選の期日前投票(以前の不在者投票)を済ませたので、夜北御牧にやって来た。今年は留守の間暖房をつけていないので、さすがの家も冷えている。今度も室温は10度しかなかったが、上尾でも暖房していない部屋はもっと寒いのだから、と言い聞かせて我慢をしている。

思いつくままに(ジイの記録)

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