2008年4月30日(水)
ポチと引越し
ゆっくり寝ていたかったところだが、西貝塚環境センターにごみを運ばなければならないので7時前に起床。昨日のうちにあらかた車に積んでおいたが、さらに昨日の夜に最後の片づけでまたごみが出たので最後は無理やり押し込んで家を出発。今回も顔パスでトラックスケールを通る。月末で混んでいるかと思ったが意外と収集車が少ない。退職してから一番感覚的に狂っているのが曜日の感覚だ。毎日が日曜日のようなのだから仕方がないが、今日は水曜日だった。可燃ごみの収集日ではないので車が少ないのは当然だった。それにしても北御牧ではごみの分別が非常に細かくて、引越しの片づけで出る大量のごみを出せる状況にはないので、上尾に持って帰ってきて今日出してきたわけだが、ごみの減量を市民に言ってきた者がこんなことをしていいのかと、少しうしろめたい気持ちになっている。しかし、背に腹はかえられない、今日のごみ出しで全て片付いたので内心ホッとしている自分でもある。
午前中にごみ出しも終わり、
JCOMの解約に伴う配線の撤去工事やガスメーターの検針と支払いも完了し、北御牧に持っていく荷物も車に載せられるだけ載せて、午後145分に最後の出発を迎えた。その前にジイとバアの共通の友人が、餞別にステンドグラスのスタンドと洋菓子と心づくしの手打ちのうどんをもってお別れの挨拶に見えた。添えられていた手紙に38年間のお付き合いと書いてあったが、我々が結婚する前からの長い付き合いだった。本当に物心両面でいろいろお世話になった。最後の別れになるわけではないと思うが少し悲しい気分になる。
車の中は後の
2列のシートを全部倒してそこに荷物が満載になっているが、1列目のすぐ後にポチがくつろげる空間を作って荷物を積み込んだ。出発してしばらくポチも緊張していたが30分を過ぎたころから落ち着きだし、最初の休憩地の甘楽のパーキングでは、荷物の隙間のくつろぎ空間に自分から横になりに行くまでになった。ポチのためにいつもの下仁田で高速を降りずに小諸インターまで行った。落ち着いているので一気に休憩を取らずに北御牧まで行った。心配した車酔いもなかったようで、家に着いてからはあちこち探検しまくっていた。小屋裏でジイが片づけをしていると入ってきたがった。好奇心旺盛なポチの面目躍如といった感じだ。2,3度ハーネスを付けて外をバアが歩かせたがトイレには行かなかった。
夜になると
2階の和室に置いてあったポチ用の寝床に自分から寝に来て、毛づくろいなどをするようになったのでまずは一安心だ。約1週間分の洗濯物がたまってしまったので、これから午後11時からの洗濯がしばらく毎日続きそうだ。今日で退職後の1ヶ月があっという間に過ぎてしまった。
2008年4月29日(火)
最後の晩餐
昨日は雫石で温泉に入ったので、帰宅後お風呂にも入らずすぐに就寝した。車中でも寝たので眠れないかと思ったがすぐに寝付いてしまった。朝は7時に起床して、燃えるごみの日だったので、北御牧から持ってきた引越しの片づけで出た可燃ごみを一部集積所に出した。
朝食後は釣り道具の水洗いをしたあと、庭や物置の片付けをした。今年の冬に剪定などした木の枝が庭に山になっていたのでそれを片付け、物置に長年しまいこんだままで使わなくなった物も整理した。これで朝集積所に出した可燃ごみよりもさらにゴミ袋の数が増え、明日西貝塚環境センターに運ぶのに積みきれるのか段々不安になってきて、不機嫌になったのを、敏感にバアが察知して注意をされた。遊び疲れが原因だがそうは言えないので、今日は多少無理をして一日片付けに明け暮れた。それでもこれが上尾での最後の片づけだ。住民票だけは先日先に異動したが、正式には明日ポチを連れて行って本当の引っ越しが完了となる。
夜は、隣の義姉夫婦が心づくしの晩餐を用意してくれた。文字通り最後の晩餐だ。ジイは型のいいイワナとヤマメ
2尾ずつを塩焼きにして持参した。岩手の師匠が教えてくれた「ハナワサビ」という山菜もバアが、汚れをとり硬いところをとっておかずとして提供した。いずれも義姉たちに好評だった。型の小さい魚は師匠に教わったやり方で冷凍にして保存し、残りの型のいいものはこれも師匠に教わった開きにして塩水に漬けた。2,3時間漬けてからペーパータオルで水分を取ってから網に干す一夜干しをするはずだが、網は北御牧にあるので塩水に漬けたまま明日北御牧にもって行き、網に干すことにした。
2008年4月28日(月)
岩手釣行第3日
昨日の早朝の釣りでいい思いをした二人に付き合って、今朝は全員で早起きをして馬渕川に行った。ところが天気予報では晴れのはずが、山の上の宿から川に向かって下っていく途中から雨模様となり、入渓したころは寒さと風雨に時折アラレも混じる最悪のコンディションで、当りもなくジイは完全に戦意喪失。ところがこんな悪天候にもかかわらず他の4人にはそれなりの釣果があったようだ。昨日とは逆に深谷のOさんに、まだ釣れそうだという場所を教わって、そこでかろうじて1尾を挙げて早朝の釣りは終わり。
朝食のために宿に戻り、温泉に入って冷えた体を温め、ゆっくり時間をかけて朝食をとる。コーヒーがサービスで付いていたので
2杯も飲む。朝食後は再度馬渕川の下流域、葛巻町役場近くのポイントでやることにした。しかし今度は、雨はあがったものの、「風の町くずまき」の名に恥じない強風で竿がしなってしまい、当りも取れない状態。体が冷えコーヒー2杯も利いてトイレも近い。それでも何とかリリースをしてもおかしくないような小ヤマメを5尾ゲット。20センチを越えるウグイ2尾は思いっきり川の奥へリリース。今日一日風が強いという予報を聞いて、ここで納竿することにした。
今回の釣行の結果は
26尾とまあまあの出来、これも岩手の二人の献身的なガイドのおかげ、感謝、感謝。お昼を道の駅葛巻高原で食べたあと、師匠の道案内で石川啄木記念館に立ち寄ったが、みんな一度は来たことがあるということで見学はパス。そのあとはNHKの朝ドラ「ドンと晴れ」で一躍有名になった小岩井農場の一本桜を見学、5分ほど見学したがその間でもひっきりなしに車が来て駐車場は常に満杯状態だった。それでも道路が渋滞しないというのは東北ならではの現象か?それにしてもテレビの影響力というものにただただ感心するばかりだ。しかし、これもあと1,2年もすればブームは下火になってしまうのだろう。
一本桜のあとは雫石町にある岩手県市町村職員共済の保養所「ゆこたんの森」の日帰り入浴を堪能。宿泊施設もあるので入浴後は、ミニメタボの師匠が設計、建築にも関係したことから、宿泊施設のほうを見学させてもらった。無垢の一枚板を使った廊下や一部コンクリートの打ちっぱなしの壁があったり、それなりの建築のコンセプトがはっきり素人にもわかるような造りになっている。支配人と師匠とは旧知の間柄のようで、名刺をいただいた上にコーヒーまでご馳走になる。
大体釣りの
3日目の最終日は、帰りの時間を気にして2時か3時には高速に乗るのだが、今回はETCの深夜割引を使えば4割も料金が安くなる、ということで観光をしたり、入浴をしたりと贅沢な時間を過ごしてからの帰路となった。師匠には最後まで付き合ってもらってしまった。午後6時過ぎに盛岡インターから高速に乗り、師匠とは北上金ヶ崎パーキングで別れた。あとはひたすら家に向かっての走行となる。深夜割引の対象となる午前0時を少し回ったところで館林インターを出て深谷経由で上尾に着いたときは午前2時少し前だった。深夜割引が4割というのも、ガソリンの高騰を受けての暫定的な措置らしいが、山口補選も自公候補が負けたことだし、ガソリンの暫定税率の再議決もぜひしないで欲しいものだ。
2008年4月27日(日)
岩手釣行第2日
ミニメタボ師匠と太っ腹義兄さん、それに我々グループの若手(といってもジイと2歳しか違わないが)二人は朝5時には起きて宿の近くの長内川に釣りに出かけた。ジイと地黒Aさんの二人はみんなが出かけた後また眠ってしまった。4人はにこやかに戻ってきた。「早起きは三文の徳」を地で行く釣果だった。
ジイは朝食後の川で遅れを取り戻すべく、去年入渓していい思いをした久慈川の支流に行くことにした。しかし、現地に行ってみると久慈川の本流とその支流の合流点でもう竿を振っている釣り人の姿があった。道路にはそれらしき車が
2台も停まっている。これでは支流にも釣り人が入っている可能性が高いのでいったんはそこに入るのを諦めたが、橋の上から支流のほうを見ていたナベさんが「魚影が見える」というので、それならば、と思い直し入ることにした。いきなり石に足を取られて転び、ずぶぬれになってしまったが釣果のほうは去年以上のものとなった。ヤマメ9尾、イワナ2尾を挙げたがほとんど20から25センチのいい型のものだった。
太っ腹義兄さんと一緒にかなり先の久慈川支流に入った地黒の
Aさんはいい釣りをしたようだ。太っ腹義兄さんは身内に不幸があってお昼の集合時間をもって自宅へ戻った。ナベさんとOさんは久慈川本流や支流を狙ったが思った成果が得られず、お昼の集合後、ジイの入った支流を再度攻めておでこは免れたようだ。数の上では早起き組みの二人と同じようになった。
2
日目の宿に行く前に宿の方向の手前にある馬渕川で、明日の下見も兼ねてそれぞれの場所で竿を出した。ジイの釣った場所は、近くの畑から牛糞の臭いが漂ってくるような所で集中力に欠け、何も釣れずに終わった。釣っている最中に携帯電話が鳴り、出ると長野の不動産屋さんからで、ジイとバアの家の隣の畑の所有者から留守電が入っていたとのこと。そこへ電話してもなかなか出ないのでジイからも電話を入れてみてくれ、という話だった。あいにく川の中で竿を振っている最中で電話番号のメモなど出来る状態ではないので上尾の家にFAXをしてもらうことにした。
そんなこんなで釣りにならなかったジイに比べ、深谷の
Oさんと地黒のAさんとミニメタボ師匠は着々と釣果を挙げて戻ってきた。
2日目の宿は去年も泊った「平庭山荘」。ミニメタボさんのお心遣いで夕食は特別注文の「短角牛」のステーキ付き。他にもマメブという練った小麦を親指大にし、それに黒砂糖とクルミを入れて丸めたものをごぼうや季節の野菜を入れた魚のダシを使った汁に入れて食べるものや、やはり小麦粉をうどん風に延ばしてさらに引きちぎって、きし麺よりも幅広で
4,5センチほどの長さのうどん?にした「ひっつみうどん」などの郷土料理を堪能した。さらに途中で帰った太っ腹義兄さんが我々のために飲み代を置いていってくれたということで、生ビールを2杯も飲んでしまった。みんないつもよりも酒量が増えて、おなかもいっぱいになって部屋に戻った。
部屋に帰ってからはみんなで黙々と明日のための仕掛け作りに精を出した。ジイは師匠に天井糸の長さを調整できるリリアンの編み方を伝授してもらった。去年も教わって家に帰ってやってみたがうまくいかなかったので、今度は返ったらすぐに復習してみるつもりだ。
2008年4月26日(土)
岩手釣行第1日
紫波パーキングで午前5時の待ち合わせだったが、岩手の師匠とそのお義兄さんが4時過ぎにやってきた。ランドクルーザーとCRV2台での出迎えだ。ミニメタボの師匠と太っ腹の義兄さんは、我々の釣りの好みが源流志向の地黒のAさん、渓相にこだわるジイ、本流でも何でもこなすナベさんや深谷のOさんなどそれぞれの好みに対応できるよう、わざわざ車を2台出してくれたようだ。本当に嬉しい心配りをしてくれる。
早速寝不足も何のその最初の釣り場に向かう。しかし、パーキングエリアで仮眠しているときもそうだったが、異常に寒い。山の中の温度計ではマイナス
1度になっていたところもあった。ジイは師匠とコンビを組んで岩泉駅近くの小本川水系の鼠入川に最初に入渓、当りはあるが小型のヤマメばかりでリリース、1尾だけ針を飲み込んでしまったのでキャリーする。師匠がやってきて他に移動しよう、という。もちろん師匠の言うとおりに従う。移動先は猿沢川、こちらでは25センチのイワナ1尾をゲット。めぼしい釣果がないうちに集合時間となる。もちろん師匠はこちらが連れそうな場所をガイドする気を使いながらも、しっかりと確実に釣果を挙げている。
岩泉町は龍泉洞という日本三大鍾乳洞の一つとして有名。龍泉洞のレストハウスで昼食後、師匠たちを残して我々
4人で龍泉洞見学をした。以前ならわき目も振らず釣り三昧だったのだろうが、年の功かガツガツ釣るだけではなくなってきた。龍泉洞をあとにして次に向かったのは安家川。ここでも型は小さめだがヤマメ6尾、イワナ1尾を釣って何とか帳尻を合わせて納竿。師匠の釣りを参考にヤマメのあわせを少し会得した気になる。
泊りは久慈市新山根温泉「べっぴんの湯」。お風呂に入ると肌がつるつるした感じになるお湯で、宿のパンフレットには、ペーハー値
10.8(強アルカリ)で東北地方の温泉では最高の値とか。湯上りのあとの一杯と夕食は格別だ。しかし、夕食に出たイワナの塩焼きだけは、釣り人の我々には冷えすぎていてブーイングの嵐となってしまった。それでも食べてしまった3人を残し、残り3人はもう一度暖め直してもらった。例によって食後部屋に戻るやいなや爆睡した。あとから聞いた話だがグループ年長者の地黒のAさんだけはもう一度ゆっくりお風呂に入ってから寝たようだ。
2008年4月25日(金)
岩手へ出発
今日も朝から片付け作業をした。特にこの次来るときはポチを連れてくるので、「家の中がゴチャゴチャになっていてはかわいそう」というバアよりのお達しで、見た目にも普通に生活できる状態にするため、大きな荷物を片付けるのに専念した。上尾から持ってきたパソコンの設置もほぼ完了した。既に家のLANは、家を建てたときに立ち上げてあるので、特に不具合は生じなかったが、ネットワークの設定は今後時間があるときにやればいいと考えている。
午後は、不動産屋さんに連絡が取れたのでお世話になったお礼に出かけた。ちょうど我が家が土地を購入した直後、小諸市内にリサイクルショップを開店させた話は聞いていたが、そちらにいるということで挨拶に行った。不動産屋さんからの連絡には返事がなかったので畑を借りる話が頓挫してしまったのではと半ばあきらめていたのが、思わぬところから話が急展開して借りられそうになった経緯を話し了解してもらった。
小諸から戻って、ジイの岩手釣行のため片付けは終わりにして、上尾での
7時の待ち合わせに間に合うよう北御牧を出発した。ところが途中引越し疲れか、何度も眠くなり危ないので休憩などをしていたら到着が遅くなってしまった。上尾の家に置いてある釣り道具と北御牧に持っていった道具や衣類をまとめて、あわてて集合場所のナベさんの家に行ったが30分も遅刻してしまった。ただいつもは深谷のOさんの家に寄ってから東北自動車道に乗るのだが、今回はOさんが通勤の際に釣り道具を電車で運んできて、ナベさんと一緒にナベさんの家に来ていたので、深谷に寄る必要がなくジイの遅刻も寛大に許してもらった。しかし、あまりにあわてて出かけてきたので、釣りの現場で初めて致命的な忘れ物に気が付く、などということになりはしないか心配だが、それよりも明日からの釣行への期待がそんな心配などかき消してしまう。今回は2年ぶりにいつものメンバー4人が揃った。午後8時過ぎに上尾を出発し、変わり番こに運転をして、今回の岩手釣行のガイドをしてくれる岩手の師匠Nさんたちと待ち合わせをする紫波パーキングエリアには午前120分ごろ到着。
2008年4月24日(木)
畑が使えそう?
昨日は夜遅くまでジイの日記をホームページにアップするため夜更かししたので、朝は8時過ぎまで寝てしまった。朝食をとる前に電気温水器の不具合を見に業者の方がみえてしまった。不具合の原因は電気温水器にあるのではなく、シャワーの混合栓のお湯と水の調整に問題があるようだ。最終的には混合栓を買い換えるしかないようだが、少し様子をみることにした。無職無収入の身になったせいか今までのように気軽に取り替える決断ができない。
業者が帰ったあと遅い朝食を始めたら今度は組長さんが先日終了した今年度の総会資料を届けに来てくれた。予算のほか役員名簿も載っているのでわざわざコピーして持って来てくれたようだ。あわせて、早速隣接する土地の仮登記をしている所有者に電話をしてくれた結果を伝えてくれた。どうやら所有者本人は現在行方不明になっているらしい。所有者の息子の奥さんと電話で話をしてくれて畑として使ってもいいということになった、と言ってくれた。これで晴れて隣の土地を畑として使ってもよさそうだ。荒れ放題になっているので作物が取れるまで何年かかるかわからないが、家庭菜園としては十分すぎる広さなのでこれから頑張って耕作していこうと思う。
午後から片付けに飽きてしまったので、ケヤキの木の細かい枝や燃えるごみを燃やした。小雨が降って風もなく絶好の焚き火日和だった。一山あった枝もきれいに全部燃やすことができ、引越しの片づけで出た可燃ごみも燃やしてきれいに片付けることができた。片付けは完全には終わらないがとりあえず日常生活を送るのに支障が出ない程度には片付けることができた。テレビやパソコンの設置と接続もどうやらうまくいった。ジイとしてはこれでいよいよ転居した気分になり始めたが、バアに言わせれば、我が家の飼い猫「ポチ」がこちらに来て初めて家族全員揃ったところで転居の完了ということらしい。
明日の夜から上尾の釣り仲間と岩手に渓流釣りに出かけることもあって、一度上尾に戻り釣りから帰る
28日の夜から30日にかけて最終的な片づけをし、水道やガスの解約手続きを済ませてポチと一緒に30日に北御牧に行く予定をしている。それで本当の転居が完成するわけだ。そのためにもポチを迎え入れられるよう引越しの片づけを明日の午後までに済ませなければならない。そんなわけでこの日記もしばらくお休みになる。
2008年4月23日(水)
生協と契約
朝から片付けに精を出す。バアは頑張ってキッチン周りはほぼ終わらせた。朝から気温が上がり片付け作業中ジイなどは半そでのTシャツ1枚だった。
9時半ごろ義姉夫婦の浄化槽の工事をする業者が来て、浄化槽の地下浸透の浸透試験をしていった。昨日ホクシンハウスから業者が重機を持って伺うからよろしく、という連絡をもらっていたが予想以上の大掛かりな浸透試験の作業だった。我が家の敷地は廻りに水路がないのでどうしても汚水や生活雑排水は地下浸透させなくてはならない。この辺は粘土質の土地なので建物にはいいが水を浸透させるには難しさもある。しかし、我が家の建設のときにすでに浸透試験はしているはずなので、やらなくても実証済みと思ったが、市の補助金をもらうためにはこうした浸透試験の結果も資料として出す必要があるらしい。お昼ぐらいまでかかって調査をしていた。
午後からは生協に宅配の係りに来てもらって個別配達のシステムについて説明をしてもらった。上尾のほうでやっていたパルシステムと多少異なるが、安心、安全な食材や日用雑貨を購入するため、また将来車で買いに行けなくなることも想定して、生協に配達をお願いすることにして契約をした。こちらでは県内に店舗はまだ
4店舗しかない。利用者も首都圏に比較するとまだまだ少ないようでこの近辺にはほかに誰もいないようだ。
片付けは午後
7時で中断して、夕食後ジイは25日の夜から出発する岩手への釣行に備えて仕掛け作りをした。10時過ぎに長女からメールが来て、ホームページの日記が更新されず生存不明です、と書かれてしまった。あわてて3日分をアップした。
2008年4月22日(火)
東御市民になる
8時半前にサカイの運転手がやってきた。サカイのシステムでは運転手が作業責任者になっているらしい。若いが経験豊富でプロフェッショナルだ。助手は昨日と違って長野のほうから二人が9時近くにやってきた。運転手は、その二人が来る前に養生シートを張ったり、一人で運べる物をさっさと運び入れたり、最終的には2時間近くの作業をまったく休憩無しに動き通しだった。ジイがダンボール1個をやっと運んで準備したものを2個から4個まとめてもって小走りに運ぶ。昨日、今日の作業を見ていてコマーシャルで顧客満足度日本一と自慢するだけのことはあると納得した。
サカイの積み下ろしが終わって帰ったあと、ジイは北御牧総合支所へ転入の手続きに行ってきた。お客はジイ一人だったが、データ処理など
30分ぐらいかかる、といわれたが午後ホンダが軽自動車の登録手続きのため住民票が必要なのでできるまで待つことにした。昼休みの時間になってしまったが、職員は終わるまでちゃんとやってくれた。待っている間に他の職員がごみの出し方について説明してくれたが、気の遠くなるような細かい分類をしなければならないようだ。バアはジイにその話を聞いて早速ジイにごみ分別係りを命じた。
手続きの最後に我々の住み地区の区長の名前と電話番号のメモを渡され、転入してきたことを連絡するように指示された。その区長には午後一番で電話をした。我が家の属する組
(上尾でいう班)の組長さんの家を教えてもらった。午後から荷物の整理に取り掛かったがなかなか捗らなかった。
午後
6時過ぎから区長から聞いた組長さんの家に引越しのあいさつに行った。玄関口で話しているうちに我が家の土地の前の所有者とは遠い親戚筋にあたっていて、この土地を紹介したのも、土地を手放す際に地元の不動産屋に斡旋したのもこの組長さんだったことがわかった。話の中で隣の荒れた畑が使えるよう前の所有者に連絡してくれることなった。おそらく先月地元の不動産屋に所有者に畑を借りられないか聞いてもらうよう頼んだことが、この組長さんにも伝わっていたような節がある。
昼間に電話した区長の下にこの地区は
7つの組があって、我が家の属する組は6組でいままでは7戸だった。今回わかったことだが、我が家の南側の一人暮らしのおばあさんはこの組に入らず、隣接する立科町のほうの付き合いをしているとのこと。家の前の道路を舗装するときに立ち会っていた地元の人が、我が家の家の先にあるそのおばあさんの家のほうは、舗装しなくてもいいのだと言っていた意味がようやくわかったような気がする。しかし、まだまだこのことにはもっと深いわけがあるかもしれないが、30メートル近く離れてはいても隣は隣なので、よろしくと他の家と同じように挨拶に行った。帰り際に取れたてのウドをいただいてしまった。7戸のうち留守だった1戸を除いて6戸に挨拶をしてきた。初対面の家もあったが皆人のよさそうな人たちだった。
2008年4月21日(月)
引越し積込み終了
サカイ引越センターが来る前にと思って昨日までの荷造りで出た大量のごみを出しに西貝塚環境センターに持ち込んだ。今まで貯め込んで捨てられなかった本や雑誌もあったので結局2往復になったが、最初の搬入時間を始業時間直後にしたので10時半には終了できた。環境センターの職員も手際よく指示してくれたので予定よりも大分早めに終わらせた。
さらに午前中に埼玉りそな銀行に行って、市町村共済の保険の任意継続のための保険料の振込みやホンダの軽自動車の購入代金の振込みなどの手続きをした。最近は
ATMでの振り込みは10万円以下しかできないと聞いていたが、通帳とキャッシュカードがあればATMを使って振込みの手続きができることがわかった。振込手数料も400円で済んだ。退職金も振り込まれているのが通帳に記帳されていた。よくぞ退職金を棒に振るようなことにならずに30年余勤めたものだと思う。大学を辞めてから4回転職したあとの公務員生活で落ち着くとは市役所に勤め始めたときは思ってもいなかった。
午後
2時前にサカイ引越センターがきた。当初3人と聞いていたが総勢4人で来て、実に手際よく、しかも丁寧に積み込んでいった。大型冷蔵庫など買った電気屋では玄関が狭くて散々苦労した挙句冷蔵庫を傷つけてしまったというのに、サカイはいとも簡単にその狭い玄関から運び出した。しかも冷蔵庫には厚み数ミリの養生用のカバーもつけた上である。運び出した瞬間ジイとバアは思わず拍手をしてしまった。約1時間半で作業は終わった。思った以上の速さで終わったので、こちらも早めに北御牧に向かうことができた。
北御牧に向かう途中はさすがに疲れて運転中睡魔に襲われそうになった。明日の搬入に備えスペースを確保するための作業をした。
2008年4月20日(日)
義姉夫婦契約
今日は義姉夫婦がホクシンハウスの佐久展示場で契約をした。我々は引越しの作業があるので同行しなかったが、これで来月には着工となりそうだ。
引越しの作業は午前中でほぼ終了した。サカイ引越センターからは最終確認の電話が入った。昨日も書いたように相当量のごみが出たので、果たして
2往復で間に合うか心配になったので、長女の家に行く時間を遅らせて車に積み込んだところ、何とか2回で済みそうだ。
午後から長女の家まで電車でバアと一緒に出かけた。湘南新宿ラインと地下鉄を乗り継いで練馬区にある長女の家まで
1時間半弱で着いた。都内へ出かけるのには本当に便利になったと思うが、こういう便利さとは全く反対の極にある信州の田舎暮らしへ明日旅立つのだ、と思うと不思議な感覚にとらわれた。やっぱり明日のほうがワクワクする。
長女の家のパソコンからテレビが見られるようにする接続は問題なく成功した。もう一つの懸案事項のハブを使って
2台のパソコンのネットワークを設定する作業は、うまくいかなかった。16日に長女がハブを持って帰って設定した最初はうまくできたのにその後エラーしたあとうまくいかなくなったらしい。ジイがやってエラーは修復できなかった。これは長女の今後の検討課題ということで作業は終わりにし、3人で池袋に出て夕食を一緒にした後ジイとバアは上尾に戻った。
明日は朝から西貝塚環境センターへの
2往復と、銀行へ行って振込みなどを午前中に済ませ、午後の積み込みに備えなければならない。明日以降ホームページの更新がいつできるかわからないが何とか時間を見つけて、この日記ぐらいはアップしたいと思っている。
2008年4月19日(土)
引越し準備(続)
引越し作業4日目となってだいたい荷造りは終わりに近づいてきた。午後4時前に買い物に出かけた。北御牧の近所へ引越しのあいさつ回りに持っていく手土産や、引越しの際の飲み物などを買って用意した。引越しのほぼめども付いたので、明日は宿題になっていた長女のパソコンからテレビがみられるよう設定に行くつもりだ。テレビを購入した「ノジマ」で、購入したときにいろいろケーブルテレビの接続方法について親切に教えてくれた店員さんが、今日もパソコンのモデムにつながっている同軸ケーブルをインターネットとテレビに分配する分配器や配線の接続方法について教えてくれたので、少しは安心して行けそうだ。
2008年4月18日(金)
違憲判決
今日も朝から夜まで引越しの荷造りに明け暮れた。ようやく先が見えてきたような感じだ。先日契約した引越しセンターの社員は、2週間先の引越し日というのは少し不安に感じる、と言っていた。一般的には1ヶ月前ぐらいから準備を始めるらしい。若い頃何度も引越しをした経験のあるジイにとっては、毎日作業ができる今のような状況では1週間あれば大丈夫と考えていたので、引越しの専門家がそういうのには驚いた。実際に準備を始めて今日で3日となるが自分としてはあと2日あればほぼ終わると思っている。
それにしても昨日
1回運んだと言うのに、西貝塚環境センターに持っていく廃棄物が思った以上に出てくる。今朝は可燃ごみの日だったので家の近くの集積場に10袋も出したのに、来週の月曜日には西貝塚環境センターに2往復する必要がありそうだ。そのうちの一回は古本、雑誌、ダンボールなどリサイクルするよう仕分けた分ではあるが。
西貝塚環境センターの
19年度の可燃ごみは、最終的に年度末でどうなったか知らないが、2月までの数字では前年の10%近い減量になりそうだった。市では、可燃ごみを22年度末までに16年度の量の20%を減量する目標を設定したが、2年目で目標の2分の1まで減量したことになる。この目標を設定したときは、努力目標であって実際には5%減量できれば御の字だと思っていた。減量に貢献しているのは家庭ごみより事業系ごみのほうが比較的大きいようだが、今度の引越しではリサイクル可能なものも細かく分類できずに「ごみ」にしてしまっている。引越し屋の言うように時間と日数をかければいいのかもしれない。せっかくごみの減量が順調に推移しているのに、我が家でこんなに大量にごみを出すことに少し罪悪感にかられながら作業を進める。自分の体重の減量のほうは、夜入浴時に計量したら昨日のことはなかったかのようにいつもの体重に戻っていた。
昨日
17日名古屋高裁で、自衛隊が米兵をイラクに輸送するなどの活動したことは、憲法9条違反である、という判決が出された。何か久し振りにさわやかな、しかし当たり前の司法判断を聞いたような気がする。
2008年4月17日(木)
引越し準備
午後から雨の予報になっていたので、降る前にと思って西貝塚環境センターに粗大ごみなどを出しに行った。重さを量るトラックスケール、ごみを投げ入れるごみピット、そして事務所と在職中世話になった何人もの職員とあいさつを交わす。事務所の中では入るとすぐにお茶まで出してもらった。9年間もいた職場なので、こちらも遠慮がない。しかし、仕事の邪魔をしないよう長居は無用で家に帰って、引越しの準備をする。
今日は
2階の小屋裏の片づけをした。小屋裏は屋根換気をするため簡単なメッシュでふさいだだけのガラリが付いているので、外の埃が積もっている。しかもこの家に引っ越したときにしまいこんだままの荷物や子どもたちがそれぞれ巣立ったあとに残していった荷物を押し込んだまま手を付けずに放置してきたものが多かったので、片付けは大変だった。小屋裏にしまいこんだものは、捨てられずに残したものだけにいざ片付けるとなると迷ってしまう。特に子どもたちのものは、それぞれ「生きてきた証し」になるものだし、文化財がそうであるように、古くなればなるほど価値が出るかもしれない。子どもたちが我々と同じような年令になったときに無性に自分の子ども時代を思い返したい気持ちに駆られたとき、その手がかりとなるような品物が残っていたほうがうれしいに決まっている・・・などと考えながら片付けていると手が進まず、ダンボールの数も増えていく。午後7時過ぎにようやく小屋裏が片付き、今日の作業を終わりにした。
埃だらけになってしまったので、夕食前にお風呂に入ることにして、体重を量ったら食事前のせいもあると思うが
2キロ近く体重が減っていた。昨日は子どもたちとの会食でそうとう食べ過ぎたので密かに心配していたのだがそれは杞憂に終わりそうだ。それよりあと何日か引越し準備に精を出せば、もっとダイエットが期待できるか?
2008年4月16日(水)
子どもたちと会食
娘たちがジイの定年退職の慰労と上尾の家で家族が揃う最後の機会を作るため集まってくれた。次女夫婦が用意してくれた鴨鍋に舌鼓を打ったあとは、長女が麻布十番にある洋菓子店から買ってきた美味しいケーキを堪能した。孫二人も参加して賑やかな1日になった。
現在の上尾の家は住み始めてから
21年が過ぎた。長女は6年間、次女は10年間をここで過ごした。ジイとバアにとってはいろいろな思い出が詰まった21年間だが、子どもたちが過ごした時間が意外と短いのにはいまさらながら驚いた。それでも二人とも10代の最も多感な時期を過ごした家であるし、今のそれぞれの生き方を決定付けるような出会いをしたり、人生観を形成する営みをこの家を中心にしていたことだろう。そういう意味で自分が育った家を「実家」というならば、この実家を処分してしまうのは親の身勝手かもしれない。しかし、経験的なことを言えば、親のいる家が「実家」ともいえるのではないか?変化の激しい時代では、「実家」に自分が育った時代の自然や環境が残されていることはほとんどない。親と共に暮らした家も建替えらるなどして、新しい家で生活した経験がないと家に対する愛着も薄れ、親が亡くなって次の世代に代わると「実家」であることの意識も次第に薄れていき足も遠のいていく。だからいいということではないが、これからは子どもたちにはジイとバアが生きている間は、自然豊かな北御牧を実家と思って帰ってきて欲しいと思う。
次女たちが帰った後、電車で帰る長女を駅まで車で送るついでに飼い猫ポチの車に乗る
2回目の訓練をした。駅までの距離では短すぎるので前回と同様行きつけのガソリンスタンドまで給油をする回り道をした。やはり緊張はしているようだが、車内で初めてニャーと鳴いた。わずか15分程度の乗車訓練だった。荷物の引越しは22日に終わるが、ポチの引越しは月末頃にする予定である。それまでもう少し訓練が必要のようだ。何せ本番は2時間半以上の長旅になる。
2008年4月15日(火)
転出証明
午前中市役所に行って転出証明の申請の手続きをした。証明ができるまでの待ち時間で退職後初めて以前の職場へ行った。退職の日に忘れてきたロッカーの品物を受け取るためだ。4階のフロアーを歩いている間に何人にも声を掛けられた。4月の異動で変わらなかった職員が結構いたようだ。今月下旬に一緒に岩手へ釣りに行く友人と簡単な打ち合わせをして早々に立ち去ることにした。長居をして迷惑になるのはやはり不本意だ。
転出証明で転出予定日を
422日付けにした。先日書いたとおり車の購入の手続きの関係でそのようにした。市役所のあとは埼玉りそな銀行へ行って埼玉県市町村共済組合の口座の解約の手続きをした。こうした手続きを一つひとつ積み重ねるといよいよ退職した実感が沸いてくる。
午後からは家で引越しの荷造りを始めた。衣類などは小さくて着られなくなったものや痩せたためにぶかぶかになったものなど、捨てきれずに残していたものを思い切って捨てることにした。
10年以上前にはけなくなったジーンズが最近はけるようになって喜んだこともあったが、そんなのはまれでまず2年着ていないものは一生着ることはない、と思って処分することにした。衣類に限らず雑貨類や図書類も一つひとつ思い出があって捨てるには忍びないものがたくさんあるが、いくら北御牧の家に収納スペースがあるからといって全部持っていくわけにはいかない。そんなことを思いながらの荷造り作業は一向に捗らず、気が付くと夜中になっていた。
2008年4月14日(月)
パソコンの設置
長女の家に注文していたDELLのパソコンが届けられていたのでその初期設定をするため車で出かけた。ジイが上尾の家で使っていたパソコンデスクが不要になったので、それを積んで行くため車で行くことにし、バアを誘って一緒に出かけた。久し振りに首都高に乗ったのはいいが、カーナビに頼りすぎて降りるべき戸田南インターで降りずに板橋本町まで行ってしまったのでかなりの遠回りになってしまったが、1時間で到着できた。10時過ぎから始めてパソコンやプリンターの接続、インターネットやメールの設定、ウィルス対策ソフトのダウンロードなど順調に行ったが、テレビの設定だけはうまくいかなかった。今まで使っていたノートパソコンでもインターネットにつながるようにしたいというので、次はハブを買ってきて接続することにし、それまでにテレビの接続についても調べることにした。何だかんだと10時過ぎから午後6時近くまで長女の家で過ごした。バアと長女はジイの作業を横目におしゃべりに興じていた。長女は準夜のあとで眠かったはずだが我々に付き合って起きていた。
2008年4月13日(日)
車購入
義姉夫婦がいる間に引越しのための準備の手伝いをしてもらった。上尾からも冷蔵庫や洗濯機を持っていくので、北御牧にある冷蔵庫や洗濯機は主役の座を明け渡し別の場所に移さなければならない。ちょうど手が多い時に、ということで義兄に手伝ってもらって冷蔵庫をキッチンから玄関脇のサンルームへ、洗濯機をジイ小屋へ運んだ。他に運び込む家具や衣類、雑貨の置き場所のスペースを確保するための片付けをして22日の荷物の搬入の準備をした。
義姉たちが午後
3時前に帰ったあとわれわれも早めに帰り支度をして家を出て、おととい軽自動車の見積りをしてもらったディーラーへ行く前に同じ国道沿いにあるもう一つのホンダのディーラーに同じ車種の見積りをしてもらって比較材料を手に入れた。こちらは新車の見積りだったが、どの程度の値引きをするのかわかった。結局おととい行ったディーラーに行って登録済み未使用車を購入することにし契約した。名義変更の手続きだけなので、25日には納車になりそうだ。その前に住民票が必要なので、22日に住所変更の手続きをすることにした。これで31年間の上尾市民としての生活に終止符を打つことになる。
2008年4月12日(土)
義姉夫婦の家
今日は義姉夫婦の家の打ち合わせを午後1時からホクシンハウスのO店長に我が家に来てもらって行った。その前に懸案のジャガイモの植え付けをするために、もう一度畑をミニ耕運機で耕した。種芋としてキタアカリ2キロと男爵1キロを買ってあったのでそれを植えた。今年の新しい試みとして、畝を立てずに5センチほど植えつけるところをスジ状に掘り、30センチ間隔で並べて全体に土をかぶせる方法にした。この方が芋が育つ過程で土から飛び出して青くなる確立が少なくなるのではないかと考えたからだ。もう一つは、種芋を4等分から6等分に小さく切って植える量を増やしてみたこと。参考書に書いてあるような2等分では大きすぎるのではないか、小さくしても収穫量は変わらないのではないか、実験してみたかったからだ。今年は庭の畑が狭くなるので来年に向けて近所の畑を借りる計画をしている。そうなれば今まで以上の広い場所でたくさん作れるのでそのための試験をするつもりなのだ。
ジャガイモの植え付けのほか友人からもらった大きな樽を井戸の水の汲み置き用に使っていたが、水漏れをするようになってしまったので、補修用のパテで漏れているところを塞いでみたら見事に漏水が止まった。
午後の義姉夫婦の家の打ち合わせでは
5時間近く話し合われ、いよいよ大詰めの契約額の話し合いもされて、義姉夫婦も大きな決断をする気持ちに近づいたようだ。来週にも結論が出るかもしれない。我々ジイとバアにとっても老後も共に現在の上尾と同じように隣同士としてお互いに助け合って生活できるのであれば大歓迎だ。夜は疲れきってテレビを見ながら居眠りをする者がいたり、新しい家についてあれこれ話しに花を咲かせたりとそれぞれ遅くまで時間が過ぎていった。
2008年4月11日(金)
車のディーラー
午前中買い物に出かけた。最初に立科町にある「なないろ」(農産物直売所)にいった。いつも行くと、何かと野菜作りや野菜を使ったこちらのほうの郷土料理の作り方などを教えてくれる「関さん」が店番をしていて、今日は「千本ネギ」という細いネギの食べ方をバアは教わっていた。何でも刻んで生食で食べるらしい。
佐久平のカインズ、ジャスコで買い物をし、昼食後にホンダのディーラーに行った。フィットと
2種類の軽自動車の説明を受けたが、フィットは予算的に初めから手が出なかった。ジイが軽トラ貯金で貯めたお金では軽自動車でも新車は買えそうもない。主たる利用者がバアであること、軽トラではないことを条件にバアにお金を足してもらってようやく新車が購入できる状況なので、決定権はバアにある。そこでは結論を出せず、次にスズキのディーラーへ行ったが若いセールスは、購入意欲を失わせるような対応で見積りも取らなかった。ホンダからは夜になって再考の依頼の電話があった。登録済み未使用車という車があって格安になるというお奨めだ。何台も展示してあったので、なぜそんな車があるのか聞いたところ、メーカーとの関係で決算を控えてノルマによってマージンが変わるらしく、そのノルマを達成するために多少の損をしてもディーラーが買い取り(登録する)するらしい。日曜日上尾への帰り道に寄る約束をした。
2軒のディーラーに行ったあとは北御牧に戻って、ジャガイモの植え付けをしようとミニ耕運機で畑を耕し始めたが、昨日の雨で土がまだ湿っていて粘性が強く、畝も作れない状態なので植え付けは明日に再延期した。一昨日の夜に種芋は切ってしまって早くも切り口が黒ずんできているので心配だが仕方がない。
2008年4月10日(木)
仙人的生活
予定していたジャガイモの植え付けが朝からの雨でできなかった。昨夜のうちに種芋を切って用意してしまったので、早く雨があがって欲しかったが結局一日中雨は降り続けた。ジャガイモの植え付けも外仕事も何もできないので、思い立ってテレビ台を作ることにした。午前中どんな風に作るか思案に暮れたが、テレビ台の上部をコーナーラック風の棚2段にする形をイメージして、午後から作業に取り掛かった。しばらく使っていなかったジイ小屋に夜までこもって何とか完成にまでこぎつけた。
バアはコタツに入って、伊豆旅行のときに海岸で拾ってきた流木を使って、我が家の飼い猫のポチをイメージした猫の彫り物をやはり午後から製作した。それぞれどのように仕上がったかは「北御牧の今」に画像を載せるつもりだ。
そんなことをしていたおかげで、今日はバアと二人で仙人のような暮らしとなった。二人ともほとんど家の外に出ず、誰とも会わずに一日過ごしたからだ。わずかに長女と電話で話しただけだった。
おりしもニュースではチベットでの人権抑圧とそれに抗議する手段としての北京オリンピックの聖火リレーへの妨害?行動が盛んに報じられている。どちらが正しいのか判断するためにもチベットで今何が起きているのか、客観的で正確な報道が必要だ。そのための取材が自由にできないこと自体まず中国政府に非があると言われても仕方がないだろう。聖火リレーに限らずオリンピックというスポーツの祭典の場を抗議活動の対象にすることにはあまり気乗りしないが、オリンピックそのものもかつてのクーベルタン男爵が唱えた「アマチュアリズム」は薄れてしまったし、スポーツと言う競技を利用したナショナリズムの発揚は相変わらずだから、この際もう一度純粋な競技の場に返るためにもオリンピックは中断してもいいのではないかと個人的には思う。
2008年4月9日(水)
東御市の補助金
庭に義姉夫婦の家が立つ場所に「地縄」が張られていた。図面の建物の四隅がわかるように、杭とテープが張られている。こういうものを見ると本当に家が建つんだなと実感が沸いてくる。東御市に問い合わせたところ、今年度から合併浄化槽の補助金が5人槽で36万円から332千円に下がっていた。ただ、浸透トレンチで排水を地下浸透させれば10万円が別の補助金で出そうなので、義姉たちには朗報になりそうだ。
我が家の太陽光発電の補助金は、今年度も金額は変わらなかった。1キロワットにつき、
3万円が交付される。もうひとつケーブルテレビのデジタル対応チューナーについても問い合わせたところ、今斡旋販売している37,800円のチューナーが近いうちに2万円台のものに変わる予定で準備しているとのことなので、それになってからチューナーを購入することにした。
今日は先日切ったケヤキの枝を細かく切り刻んで燃やせるようにした。一気に燃やすつもりでいたが、日中気温が上昇するにしたがって風が出てきてしまったので、燃やすのは後日ということにした。
ポストに大阪の友人からのハガキが来ていた。こちらのポストには電気や水道の検針票や領収書以外の私信のような郵便物はほとんどないので、昨夜は気が付かなかったがポストに入っているのを見たときは格別に嬉しかった。先に退職した彼から慰労の便りをいただくのは何となく面映い感じだが、素直に喜ぼう。
2008年4月8日(火)
孫の入学式
昨日からの雨が止まず、降り続いた。市役所へ忘れた荷物を取りに行こうかと考えていたが、義姉がホクシンハウスから家の見積書が届いたので見て欲しい、というのでそれを見ているうちに、市役所に行くのが億劫になってしまい、雨も止まないのでやめにした。予算と見積りとの間に開きがあるようだ。12日にジイとバアの家でホクシンハウスと打ち合わせすることになっているので、お昼をはさんで3時まで自分たちの経験などを話した。
そのあと、今日からしばらく北御牧に行くことにしていたので、急いで支度をして出かけた。途中いつものガソリンスタンドで給油した。値段は、先月
28日に入れたときは143円、今日は124円だった。確か41日にここのスタンドの前を通ったときは、はまだ前の値段のままだったが1週間経ったらこれだけ下がっていた。率直に言ってガソリンは安いに限る。といって福田首相が言うような環境に負荷をかける無駄遣いはするつもりはない。先週北御牧でタイヤをノーマルに替えたので、燃費も約1キロ伸びている。午後7時過ぎに到着。平日のこの時間は佐久市内に入ってから混んでいた。ちょうど退勤時間帯だったのだろう。
次女から電話があった。今日は孫のアーちゃんの小学校入学式だったのだ。あいにくの雨だったが、本人はうれしそうだったとのこと。幼稚園の入園式ではひざの上で泣きながらの式典だったのに、今は一人でしっかりと入学式を楽しんでいる様子を次女は不思議な感慨で眺めたそうだ。幼稚園のときの友達や近所の子も同じクラスになったらしい。これからどんどん知識も人の関係も新しい世界が広がっていく。自分からそれを広げていけるような積極的な人間に育って欲しい。
午前中に上尾の家に届けられていた新しいテレビを運んできて、セットした。ケーブルテレビ専用のチューナーがないのでどこまで受信できるかわからなかったが、
NHKと長野のローカル局4局のデジタル放送は見ることができた。
2008年4月7日(月)
同級生
昨日の夜にインターネットで「引越し.com」というホームページから引越し費用の見積り依頼をしたら、3社の紹介がありそれぞれ近いうちに連絡します、というメールの連絡があった。もう1社テレビのコマーシャルを流しているサカイ引越センターにも見積り依頼をしたところ、午前中に連絡があって午後1時に見積りに来るという。きっかりサカイが1時に来た。他の3社には今日、明日中に来てもらえれば都合がいいので、連絡のある前にこちらから電話をした。しかし、サカイの見積りでおおよそのアタリはついたので、見積り合わせをせずに、サカイに決めた。引越しの荷物の積み込みを21日午後に行い、22日午前中に北御牧に到着することで決定。早速段ボール、布団袋、ガムテープなど引越し必需品を無料で置いていった。連絡して一番にやってきて、こうした用品も営業車に積んであって、成約と同時に気が変わらないうちに置いていく、お役所仕事にはないそつのなさ、フットワークの良さには感心してしまった。
午後
5時上尾駅で先日42年ぶりに会った聖光時代の友人とやはり5年前の同窓会で南浦和に住んでいることを知ったもう一人の同級生と待ち合わせをした。雨が降っていたので市内循環バスに乗っていこうと、時刻表にあわせてバス停へ行ったらもうバスの時刻はとっくに過ぎていた。仕方が無いので歩いて駅まで行くことにした。ぎりぎり5時前に到着した。既に二人は来ていた。42年ぶりの友人のほうは今日の再会に会わせて上尾市内の仕事関係の用事を済ませ、既に3時半には会える状態だったらしい。
静かなところでゆっくり飲みながら話したいということで、駅西口の「太郎」の座敷にあがった。
9時過ぎの電車に乗る二人を見送るまで、聖光時代の思い出から、それぞれの42年間の生きざまや思い、そしてこれからのことなど尽きない話題であっという間に4時間が過ぎた。ジイの田舎暮らしの思いや、ホームページの内容にも話題が及んだ。
話していてわかったことだが、
3人とも金沢区の出身でそれぞれ隣の小学校でもあった。そんな不思議な共通項が、あらためて自分の幼少年期の思い出と重なって何とも言えない懐かしい感情が沸き起こってきた。同窓会に出席することにある種の気後れのようなものがあったが、結果的には大阪の友人にも会えたし、こうして二人にも会えたし、良かったと思う。このような再会を通して自分の来し方を振り返り、これからのありようを考えるある意味で自分の生き方の「総括期」に突入したのかもしれない。
2008年4月6日(日)
日記
朝から旅行中にメモをしておいた日記の整理と、旅行写真をホームページに掲載する作業で一日が過ぎてしまった。日記も旅行中全部その日その日で書き終わらせておけばいいのだが、最近は手書きで文書を作成するのが億劫になってしまい、パソコンに向かわないと文章が浮かばなくなってきた。そんなわけで旅行中は、メモ帳にその日の出来事や感想をメモにしておいて、今日それを文章にする作業をしたわけだが、それはそれで結構時間がかかってしまった。サンデー毎日になってたっぷりと時間があるはずだから、日記も時間をかけて書けると思っていたが、時間があるゆえにさっさとパソコンに向かって書き始めるきっかけを作ろうとする意識が働かない。
2008年4月5日(土)
体重戻る
昨夜入浴前に体重を量ったら、今回の旅行で1キロ増えて、70キロ台になってしまった。覚悟の上とはいえ、早速減量をすべく午後は、バアが先日予約しておいたリュックが入荷したという丸広からの留守電が入っていたので、丸広のある上尾駅まで歩いて行く事にした。リュックを買った後は、今泉の生協経由で家まで歩いた。買い物に費やした時間を除いて2時間ほどは歩いたことになる。それが功を奏したのか、今夜の計量では69キロ台に戻っていた。それ以外は旅の疲れでのんびりと一日を過ごした。バアは朝から洗濯で忙しかったようだ。
2008年4月4日(金)
南九州3日目
夕べは夜中に蚊に刺されて何度も目が覚めてしまった。合計で3ヶ所も刺された。4月の初めに蚊に刺されるなんて思ってもいなかった。挙句の果てに朝6時前から排水管の共鳴音が響いてきて眠れず、すっかり前日と正反対の寝不足になってしまった。しかも、7時ごろ朝食バイキングの会場に行ったが、満席で座るところがないのに、次から次へとお客を入場させていたので、諦めて時間を遅らせてもう一度出直すことにした。今日は出発が840分で遅い時間だったから良かったが、こんな不手際は黙っていられなくて、フロントの責任者に文句を言ってしまった。
旅行
3日目の今日は、宿からすぐ近くの指宿篤姫館見学。ここは、鹿児島県の施設でもともと宿泊施設や研修施設、健康施設を有する高齢者交流センターとして設置された「なのはな館」の中央ホールを1年間貸し切って、NHKの大河ドラマの放送に合わせて開設されたようだ。篤姫の実家の今和泉島津家の領地が指宿だったので、それにあやかってのことのようだ。この大河ドラマは見ていないので、話の中身は良くわからないが、どうやらこの篤姫、後の天璋院が明治維新の際の江戸城の無血開城や徳川家の存続に果たした役割が大きかったらしい。
そんな知識を仕入れるのに役立った篤姫館のあとは、長崎鼻という岬から海に浮かぶ開聞岳を眺め、記念撮影をした。深田久弥の日本百名山の一つにも数えられているだけあって、姿、形が美しい。標高は
924メートルとそれほど高くはないが、一度は登山してみたい山だ。
長崎鼻の次は九州で一番大きな湖である池田湖へ行き、ここからも開聞岳を眺める。この池田湖にはイギリスのネス湖のネッシー、屈斜路湖のクッシーと並んで幻の怪獣イッシーがマスコミに取り上げられて有名だったらしい。かなりローカルな話題だと思うが、そのイッシー伝説の大元になった大うなぎを水槽で飼って見世物にしていた。何でもありの商売とはいえ、ここまでやると少し食傷気味になる。
その後は知覧に行き、昼食後特攻平和会館の見学をした。知覧から沖縄に向けて、敵艦に体当たりするいわゆる特攻隊として死んでいった
1,036人の隊員の遺書や遺品、遺影を展示している。「当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与する」という趣旨がパンフレットには書かれているが、果たしてそれが正しく見学者に伝わっているのだろうか。遺書として展示されている手紙では、祖国のため、民族のため一命を賭して敵艦に向かう並々ならぬ心情を書き連ねている。しかし、生きていれば戦後いろんな分野で活躍したであろう10代、20代の有為の若人に、ここまで悲壮な思いをさせ、あたら命を奪ってしまった国家としての戦争責任については、残念ながらどこにも展示も説明もされていなかった。このことについて正しく伝えない「世界恒久平和」とは何なのか?一歩間違えれば、若者を駆り立てた「愛国心」だけを美化し、ふたたび戦争への道へ進もうとしている改憲論へ簡単に転んでしまうのではないか。中国人の監督が製作したドキュメンタリー映画「靖国」の上映を中止する映画館が続出するという最近のニュースと合わせて考えるとそんな不安をぬぐえない。
特攻会館の見学の後は近くの薩摩藩の武家屋敷の庭を見学した。特攻の前線基地だった知覧飛行場の周辺が爆撃で破壊されずに残っていたのが不思議に思えるような落ち着いたたたずまいの通りが続いていて、全部を見学する時間がなかった。
ここの見学を最後にあとはお決まりのお土産屋のはしごをさせられ時間を調整した上で、鹿児島空港に到着した。ここで解散となり
1915分発の羽田行きのANAに搭乗した。羽田上空では着陸態勢に入ったところで、2機前の飛行機が鳥と衝突するというトラブルがあったらしく、再び待機の旋回をした後に約20分遅れで無事着陸した。予定より遅くなったので、上尾駅で降りタクシーで帰宅、1140分無事帰宅。
2008年4月3日(木)
南九州2日目
夕べは午後9時からのNHKのニュースを見ているうちに眠ってしまい、朝6時頃まで久し振りの長時間睡眠となった。朝の出発が8時だったので、7時前にレストランで朝食バイキング。
今日の最初の観光地は、宮崎日南海岸の鬼の洗濯板といわれる波の浸食でできた不思議な景観の海岸線を抜けて、日向灘に面した断崖の中腹にある鵜戸神宮へ。駐車場から神社まではかなりの距離のアップダウンのある参道を行くが、食べ過ぎのこの旅行ではちょうど良い運動になった。
鵜戸神宮は、日本書紀の伝説によると海彦・山彦の山幸彦の子で、神武天皇の父である人物を祀っているらしい。何でもこの人物を生んだ母親の残したお乳が石になって残って、お乳岩になって祀られている。実に見る角度によっては女性の乳房に見える岩を見て、作り上げた物語の作者の想像力の逞しさには笑ってしまうが、そのお乳岩からしみ出る水を使ってできたというお乳飴を売っていたその商魂には脱帽だ。
鵜戸神宮のあとは青島のレストランで昼食後、青島神社へ。ここはプロ野球の巨人の選手が毎年春のキャンプの際に優勝祈願に来るところで有名だ。実際に今年のお参りで書き残していった選手たちの絵馬が飾られていた。しかし、皮肉なことに昨日まで巨人は開幕
5連敗。それよりもおそらく育成選手だろう名の通ってない選手の「支配下確保」という切実な願いが叶えられたのか、そちらのほうが気にかかる。参道の途中にテントを出して売っていたソテツとガジュマルの寄せ植えの鉢を記念にバアが買う。2千円というのを500円まけさせて買っていた。
青島観光の後は再び鹿児島に戻り、桜島に向かう。桜島の南岳はいまだに噴煙を上げていた。間近に見る桜島は雄大で迫力があった。桜島からフェリーで鹿児島市内に渡り、そこから指宿温泉へ。鹿児島市内を通っているときにガイドから九州新幹線が
4年前に鹿児島、熊本八代間で開業が始まっていることを聞いて驚いた。将来は博多まで延びて山陽新幹線と結ばれるらしい。地方にとっては鉄道や道路で中央と一つに結ばれるというのが悲願になるのかもしれないが、将来人口減少が予測されているような状況の中で、自然を破壊してまでさらにインフラ整備を進めなくてはならないのだろうか、と不安になる。鹿児島市から指宿までは意外と距離があった。鹿児島湾に沿って薩摩半島を南下する地図上ではたいした距離のように思えないが、1時間半近くかかって到着した。
指宿いわさきホテルは大きくて広大な敷地の中に建っていた。午後
6時前に到着して夕食が7時半だったので、待ち時間を利用して広い敷地内の庭園を散歩した。庭園の先はホテルのプライベートビーチにもつながっていた。
夕食はバイキング方式で和洋いろいろ取り揃えていた。前日の会席料理とは違い、食べたいものを自分で選べるが、カロリーの高そうな動物性たんぱく質の料理が多く、食いしん坊のジイとしてはあれもこれも食べてみたくなって、結局今夜も食べ過ぎてしまった。
食後指宿名物の砂蒸し風呂に入った。目安では
10分から15分ということだったが、5分もしないうちにかかと、お尻、背中が熱くなりじっとしていられなくて、かかとは砂をけってどかし、お尻と背中は交互に上げたり下げたりして熱さに耐えたが、結局12分でギブアップした。
2008年4月2日(水)
南九州初日
今日から近畿ツーリストの「南九州満喫の旅」のツアーで初めての南九州にやってきた。朝850分の建ちゃんバスに乗って北上尾駅から上野、浜松町そしてモノレールに乗り換えて、羽田第2旅客ターミナルへ10時半過ぎには到着。ANA 11時半発の鹿児島行きで午後2時前に鹿児島空港到着。通常は2時間弱のフライトらしいが、迎え風が強かったらしく少し時間がかかったようだ。空港に到着すると添乗員やバスのガイドのほか篤姫に扮した女性の出迎えを受けた。ツアーの参加者は30人ということだったが、全国から3つの便で到着するということで、後の便の参加者が到着するまで待たされた。早い便では午前10時半には着いて待っているとのことだった。パンフレットには二人からでも催行決定となっていたが効率よく客を集めたようだ。
結局全員が揃うまで予定時間を過ぎてしまったため最初の予定地を飛ばして、宮崎県側にある北霧島の生駒高原へ案内された。菜の花が満開だったが、目玉のアイリッシュポピーはまだまばらだった。お客もなく閑散としていた。この後は定番の神社詣で、霧島神宮へ。
どうしてこういうツアーは神社仏閣が多いのか?神社に来たら当たり前のようにお賽銭を投げ、拍手を打って参拝するツアー客たちを横目に、色鮮やかな社殿の彫刻や御神木といわれる樹齢
800年の杉の大木を見上げる。幹周りが7メートルあるといわれる大木には確かに生命力のような勢いを感じるが、そこに神が宿るという信仰にはなじめない。それよりも信仰という力をとおして人間が造りだした文化的な建造物や芸術的な彫刻や絵画の素晴らしさに驚嘆する。
神社のあとは宿泊地霧島温泉に向かう。途中、湯煙があちこちから上がっていていかにも温泉地に来た、という雰囲気に満たされる。硫黄の匂いが漂う源泉が吹いている箇所もある道路端をやり過ごして、霧島いわさきホテル到着。それほど温泉にこだわるほうではないが、ここの温泉は、誰もいないときに泳いでしまったほど露天風呂も広いし、気持ちの良い温泉だった。夕食の黒豚のしゃぶしゃぶはじめ他の料理もみな美味しくて、今夜は食べ過ぎても自分を許してしまおうと思った。
2008年4月1日(火)
退職初日
退職初日、いつも起きる時間に目が覚めてしまった。もう一眠りできそうもないので、起きて朝食。昨日まで配達されていた新聞2誌は、昨日で契約が切れたので配達されていない。今まで朝食をとりながらテレビのニュースを見、新聞を読むという習慣を続けてきたが、妻からこれからは食事中の新聞は禁止と宣言されている。確かに一緒に朝食しているときの妻からの話しかけに満足に返事をした記憶がない。引っ越すまで新聞のない日が続くので食事中の新聞はだめという条件はクリアできそうだ。
妻も今日から朝はのんびりできる。今までの昼の弁当を作るというプレッシャーから開放されて、ゆっくりと起きてきた。しかし、まだ感覚としては休暇をとった休日というところか?
午後から丸広デパートへ明日からの南九州旅行に持っていくものなどを買い揃えるのに出かけた。妻がおしゃれなリュックを見つけたが、気に入った色の在庫がないため、明日からの旅行には間に合わないが、予約をした。上尾駅の近くの喫茶店でコーヒーを飲んだあと、帰り道にある電気店2店をはしごして液晶テレビを品定めし、
40インチのテレビを買うことにした。今日から家計簿を付ける事にしているが、初日から大きな出費をしてしまった。予定していたものとはいえ、年金暮らしになる身、財布の紐は締め加減にしなくてはいけない。
ガソリン税の暫定税率の期限切れで今日から安売りを始めているスタンドもあるとニュースは伝えているが、行きつけのスタンドはまだ先月までと同じ値段になっている。自公政府がすぐに衆院で暫定税率を継続する法案を可決するだろうから、つかの間の安値になることだろうが、
120円台のガソリンを安く感じてしまう今の異常な原油高の世界経済の構造にも注視する必要がありそうだ。
明日から2泊3日の旅行で日記はしばらくお休み。

2007年11月 2007年12月 2008年1月
2008年2月 2008年3月 2008年4月
2008年5月 2008年6月 2008年7月
2008年8月 2008年9月 2008年10月

思いつくままに(ジイの記録)