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2007年12月31日(月)
大晦日
朝から時折雪がちらつくこともあったが、積もるようなものではなかった。お客さんの来ない明るいうちに落ち葉堆肥の切り返しをしておこうと、囲いを開けてみたが発酵が止まってしまっているようだった。今回は発酵を促進させるため、先月から始めたEMぼかしの生ごみ処理器から出る液肥と米ぬかを追加して落ち葉の切り返しをしてみた。来年は畑として使っていた庭先が、家の建築のためにどうなるかわからないが、堆肥は花壇やプランターにも利用できるので、とにかく手作りの堆肥を完成させなくてはと必死だ。次女夫婦と孫の来夢(ムー君)が夕方やってきた。歩夢(アーちゃん)は軽井沢にいる祖父母のもとでスキーの特訓に励んでいるので北御牧には来ない。3人は元旦、2日まで滞在予定。ムー君の動きは活発だ。上尾よりも動けるスペースが広いので、目を離すわけにはいかない。誕生日(12)までには歩き始めるのでは、と思っていたがまだ伝え歩きまで。でもほんとに表情が豊かで多彩になってきた。大晦日なので年越し蕎麦を打った。そば粉500g、中力粉100g、量としては今までで一番多い量になったが、身内なら許される程度には打てたと思う。切るのは妻にやってもらった。妻も蕎麦を切るのは初めてだが、さすがに包丁さばきは年季が入っている。私が切るより余程上手に切ってくれた。蕎麦の後、ムー君の誕生日祝いにかこつけてみんなでケーキを食べた。当の本人はまだ母乳だけなのだが。大晦日恒例のNHK紅白歌合戦なども見ずに、ムー君を眺めている間に1年が終わってしまった。
2007年12月30日(日)
武士の一分
朝込み合う前に佐久平のジャスコにお正月用の買出しに義姉夫婦と一緒に出かけた。一緒に住むようになったら、こんなことが日常的に行われるようになるのかもしれない。道を覚えてもらう意味もあって、行き帰りで通るコースも変えて走った。昼食は外食のつもりでいたが、早めに買い物が終わったので、家に戻って食べることにした。新しくお餅を買ったので、残っていた古いお餅を焼いて食べた。「お雑煮もいいが醤油で焼いて海苔を巻いて食べる焼き餅を食べると、日本人に生まれて良かったと思う」などと言いながら4人で10切れも食べてしまった。朝から時折、横なぐりの雪が降る天気だったので、もう一泊するようすすめたが、内山峠で吹雪くといけないからと午後3時前に義姉夫婦は上尾に帰っていった。南と北からの低気圧が日本上空で合流して北海道から東北、北陸にかけて大荒れになっているようだ。北御牧も夜になってだいぶ冷え込んできた。夜は何もすることがないので、藤沢周平原作、山田洋次監督の映画「武士の一分」をテレビでみた。殿様の毒味役の仕事で失明した夫のために、上司に身分保障の口添えを頼みに行った妻が、それを条件に何度もその上司から関係を要求され、身を任せざるを得なかったこと、さらにその上司が結局なんの口添えもしなかったことを知ったとき、夫のために自ら辱めを受けることに甘んじた妻の愛にこたえるため、また武士として男としての意地を通すため、失明というハンディを乗り越えて仇を討つというストーリィ。単純でわかりやすい、勧善懲悪の日本的な話だったが、理屈ぬきで楽しんでしまった。
2007年12月29日(土)
義姉夫婦
北御牧は、朝から雨が降ったり止んだり、青空が出るかと思うか急に雨雲で空が真っ暗になったりと一日不安定な空模様だった。ただ比較的気温が高めで10度近くまであがり、外へ出ても震えるようなことはなかった。義姉夫婦が午前10時過ぎに北御牧にやって来た。それぞれの将来を話し合った。結論としては、義姉夫婦も北御牧の土地に家を建て一緒に助け合って暮らしていくことにした。敷地の中でおおよそどの辺に建物を建てるのか、駐車場や通路をどうしたらよいかなど、いろいろ話し合った。まだ、検討しなければならないこともたくさんあるが、とにかく来年中の完成をめどに建築をすすめていくことになった。
2007年12月28日(金)
仕事納め
仕事納め、それこそ最後の年末恒例の仕事納めになった。市役所に入った30年前は、午前中から執務室の掃除、片付けをし、お昼前にはみんなで集まってお茶菓子を食べ、職場によってはアルコールなども飲んで、一部の職員を残して解散となり、雀荘などへ繰り出したものだったが、今は全員午後5時の終業時間まで執務する。掃除も330分から照明器具と机周りをそれぞれ雑巾がけする程度で、それ以外のところは日ごろから委託の清掃会社がやっているので特に改めてはやらない。掃除の後のお茶まで飲まなくなった職場もある。アルコールなど論外だ。時代が変わったといえばそれまでだが、何か味気ない。午後5時になって職場の職員たちと「良いお年を」と簡単に挨拶を交わして、それぞれ三々五々家路へ、中には一杯飲みに行くグループもあるのだろうが、特に声もかからなかったので、家に帰り一路北御牧へ。今日は朝から大きなニュースが流れた。パキスタンのブット前首相が暗殺されたニュースだ。イラクやアフガニスタンに続き、パキスタンも政情不安定となっていたが、総選挙を前に野党党首がいとも簡単に殺されてしまうとは…。争いが日常化している国情では、こんな野蛮なことが当たり前になってしまうのだろうか?人間の本質に潜む罪悪性を思わざるを得ない。剣では平和は作り出せないという歴史の教訓を未だにわからないのだろうか?北御牧に着く前に、佐久中込のはなまるうどんを食べた。ここのぶっかけうどんは、つゆがない讃岐うどんで、何かうどんを食べたという気になれないのでいまいちだが、今日食べたメニューは普通の関西風のうすくちのつゆのあるうどんだったのでまあまあ満足した。9時ごろ北御牧に着いたが、雨が強くなってきた。この時期に雪にならず雨ということは気温が暖かいということなのだろうが、今年は灯油が高いので留守の間ホットマンをつけっぱなしにしておらず、部屋が暖まっていない。10度まで下がっていた。
2007年12月27日(木)
教科書検定沖縄戦
今日は休暇で1日家にいた。遅まきながら年賀状をパソコンで作成、印刷して書いた。郵便局では25日までに出せば元旦に間に合うといっていたが、明日の朝出すのでは、もう無理かな?去年もやはり今頃出した年賀状が松の内には届かなかったようだ。今年も年金確認通知書が大量に配達されている影響で、年賀状も遅れるというもっぱらのうわさだ。新聞に高校日本史教科書の検定問題で、出版社の訂正申請を認めた記事が載っていた。この検定問題は、阿部内閣が「美しい日本」にする?ために行った教育基本法の改悪の一連の流れの中のひとつだ。阿部内閣の、過去の日本の戦争責任をあいまいにしてしまおうとする意図を、文部科学省の検定担当者が汲み取って、沖縄戦における集団自決に対する軍の強制を記述した教科書の内容の削除を検定意見書に盛り込んだことに起因している。今年の9月には、この検定意見書に対する抗議集会が沖縄で10万人以上の参加者の下で行われた。参院選の敗北とその後の阿部首相の政権放棄によって福田政権に変わった矢先だったので、文科省もこの抗議集会を受けて検定の見直しを匂わせたが、結局検定意見書の撤回はしないまま、出版社の訂正申請だけを承認するという異例の方法で解決を図ろうとするものになった。そもそも教科書検定問題は、昭和40年代に家永三郎教科書裁判を発端として、ずっと続いてきている。問題になっているのはほとんど日本史の教科書だけで、特に太平洋戦争における日本の侵略戦争に関連した記述に関して、歴史的事実を歪めて侵略戦争を正当化するような記述に改めさせようとする検定を繰り返し行ってきている。南京大虐殺や従軍慰安婦問題など国際的な非難を浴びているにもかかわらず、それがあたかもなかったかのようにする動きが根強くあることは警戒しなければならない。こうした動きが憲法の改悪と連動しているのだから。
2007年12月26日(水)
行政評価
次長会議の後の「行政評価推進幹事会」で、20年度の行政評価本格実施に向けた各委員の意見集約結果が報告された。次長職を中心に約20名の委員の行政評価の取り組みに対する考え方は、賛成から反対までまったくばらばらだ。それでも総合政策課としては20年度から本格実施をしたいとのことである。しかし、今回の会議も事務局の報告の後、十分の意見交換もないままに今日のところはこれで終わりにして、次回事務局で検討したものを論議してほしいとのこと。委員の中でも大きく意見が別れていて、それについてまったく意見も戦わせず、議論もしないでどうして事務局がまとめることができるのだろうか?今日は意見を言わずにおこうかと思っていたが、「もっとこの幹事会できちんと議論しないままに、見切り発車で本格実施するのは危険である、また各課にも実施する前にフィードバックが必要である、私見としては行財政3ヵ年実施計画自体が本来行政評価の要素を持っているのだから、それを生かす方法論の検討をすべきである」という趣旨の発言をしてしまった。夜は、瓦葺の地域コミュニティ施設建設予定地の地権者説明会に出席した。23人の地権者のうち14人が参加した。事業の概要と用地の買収単価の見通しについて担当から説明をした。買収単価は、斎場の建設用地を買収したときよりも3割下がっている。当時より地価が下がり続けており、特に買収予定地が農地であることから、さらに下落要因が大きいため、鑑定どおりの単価を設定すれば、この単価は止むを得ない数字といえる。しかし、今まで買収が遅れた原因が、市の事業計画が二転三転したためなので、その点を地主の一人からも指摘されてしまった。最終的には提示した単価で理解してもらわなければならないが、市としても負い目を負いながらの交渉なので気が重いところだ。会議は40分ほどで終了し、7時過ぎには市役所に戻って帰路についた。妻からのメールで北上尾に745分に着くというので、急いで家に戻り車で駅まで迎えに行った。妻も夕食はまだだったので、近くの中華レストランで夕食をとった。
2007年12月25日(火)
退職手続き会
妻が朝65分の電車で広島に向かった。隣の義姉も一緒だったので、北上尾駅まで車で送った。家に戻ったら、鍵を持っていないことに気が付く。外出の時はたいてい妻が鍵を締めるので、うっかりしてしまった。隣の義兄に声をかけ予備に預けてある鍵を借りて開けた。こういうときは本当に隣が親戚で助かる。結局戻って一眠りするつもりが出来なくなった。午前中職場では、職員課による退職手続き会があった。共済組合関係の諸届けや退職金の振込書類など何枚も書類を書かされた。22日の日記にも書いたが、退職日まで100日を切って、いよいよ秒読みに入ったことを否が応でも自覚させられる手続きだ。11時過ぎに上田市の農林部長の訪問を受けた。上田市とは災害時の相互防災協定を結んでいる関係で、先日のあげお祭りへの出展やリンゴの予約販売などのお願いにこちらから訪問した返礼でみえられたものだ。リンゴや棚田のオーナー制度、さまざまな農業振興策など地方は地方なりに頑張っている様子が伺われた。首都圏ということであまり苦労もせずにそれなりの税収もある上尾市などぬるま湯に浸かっているようなものだ。夜広島に行っている妻から義母の様子がメールで報告があった。会えたけれど眠ってしまって言葉は交わせなかったようだ。昨日も30分ぐらい意識がなくなる状態があったようだ。
2007年12月24日(月)
めまぐるしく変わった天気
昨日の祝日の振替えで今日も休みとなり、3日目の滞在。静かなクリスマスイブだ。長女夫婦も2泊した。天気予報では晴れとなっていたが朝からどんよりとした曇り空だった。10時ごろには青空が広がってきたので、小海線に乗って甲斐小泉にある平山郁夫シルクロード美術館に行くことにしたが、先週から冬季閉鎖になっていることがホームページでわかった。仕方がないので、近くの明神館まで散歩して芝生広場でカイトでも揚げよう、ということで歩き始めたら、雪が降ってきた。それでも明神館に着く頃には日も射すようになった。天気がめまぐるしく変わる一日だった。カイトも風が廻っていて勢いよく上がったかと思うとあっという間に失速してしまい、散々な凧揚げになってしまった。どういうわけかカイトの持ち主である長女がやるときに、特に風が止まってしまう不思議な現象が起きていた。明神館のふれあい館ですいとんなどを食べ、再び家まで歩いて戻った。帰りは、明日の朝一番で妻が広島の特養にいる母の見舞いに行くので、早めに帰ることにした。長女たちも旅費を節約するために、我々と一緒に上尾まで車に同乗してきた。北上尾まで送って、別れた。今夜のニュースで、福田首相が議員立法で薬害肝炎患者の全員を救済する政治決断をしたことが報じられていた。なぜこの決断を19日に出来なかったのだろう?そうすれば福田さんの株も少しは上がったかもしれない。原告団の「散々政治にもてあそばれてきた私たちには、にわかには素直に信じることは出来ない」というつぶやきが印象的だった。
2007年12月23日(日)
燻製
昨夜から降り始めた雪が、先週以上に積もった。5センチぐらいは積もっただろうか。ただ、気温は比較的暖かく湿った雪だったので、先週と同様午後にはあらかた消えてしまった。教会に行っていれば格好のホワイトクリスマスだったはず。そういえば横浜の教会に通っているころは、12月に雪が降ることなどなかったので、ホワイトクリスマスに憧れていたこともあったっけ。長女夫婦が軽井沢のアウトレットに行きたい、というのでみんなで出かけた。お昼ごろ着いたが、駐車場はもう一番奥のスキー場に近いところまでいっぱいになっていた。やはりクリスマスとあって若者が大勢来ていた。若い長女夫婦とは別れて2時間後に落ち合うことにしたが、1時間半も経つともう疲れを感じるようになり、喫茶室で休憩していた。さまざまなブランドショップが軒を連ねているが、年をとって物欲が薄くなったのか、それとも将来の収入減を見越して守りに入ったのか、衣料品などにもあまり興味が湧いてこなくなっている。約3時間のウィンドウショッピングの後、北御牧に戻る。戻った後燻製機を製作してから2度目の燻製をした。チーズやウィンナー、ゆで卵、イワシなどを燻製にした。初めて燻製をしたときは、事前に調理方法や燻製法を調べてからやったのでそこそこにおいしく食べられたが、今回は適当にやってしまったので味はイマイチだった。お酒が飲めない夫婦なので、できあがった燻製は夕食のおかずになってしまった。
2007年12月22日(土)
ワーキングプア
暦の上では、ちょうど今日は退職日から起算して100日目に当たる。いよいよ退職も秒読みに入ってきた。午前中は、先週失敗してやり直した落ち葉堆肥の様子を確認した。中のほうでしっかり発酵が進んできていた。切り返しの作業をしていると湯気が出てくる。購入した腐葉土の袋を開けたときと同じような匂いがしたので一安心。午後は、長女夫婦が夕方東京から新幹線に乗って来るというので、早めに佐久平まで買い物に出て、佐久平に到着するのを待つことにした。思ったより早く午後625分着でやってきた。自宅から1時間半で佐久平まで来てしまう。北御牧の家から佐久平駅まで車だと30分弱で来ることができるから、約2時間で来られてしまうということになる。新幹線や高速道路ができていなかった時代では、それこそ1日がかりだった。出迎えたあと駅の近くのそば店「草笛」で夕食後、北御牧へ。久し振りに長女夫婦の近況を尋ねた。長女の夫は、3年間の柔道整復師の専門学校を終えて昨年度から新しい柔道整復の仕事に就いたが、来年度からさらにレベルアップを図るため、鍼灸の学校へ3年間通いたいという。聞けば柔道整復の仕事も、自ら開業でもしない限りは、収入が少なく自活も困難らしい。何かワーキングプアを地で行くような話しで驚いた。レベルアップをしないと収入増に結びつかず、かといってそのための学資すら今の仕事では稼ぎ出せない、という悪循環。そんな話を聞いても、こちらは来年から年金生活になってしまう身ゆえ、側面から精神的に支援することしかできない。身近にまで押し寄せている格差社会の拡大を是認する政治だけは早く代わってもらわなければならない
2007年12月21日(金)
クリスマスプレゼント
議会の最終日で提出議案はすべて可決成立となった。午後から休暇を取った。孫たちがクリスマスのあいさつで家に来た。少し早めだがクリスマスプレゼントを渡すために来てもらった。プレゼントといっても、実際にはジイやバアでは何をあげたら喜ぶのかわからないので、お金を出して孫たちのお母さん、つまり私たちの娘に用意してもらったものを渡すだけなのだが・・・。それでも年々プレゼントの変化と孫たちの成長の変化が相応して不思議な感覚にとらわれる。物や値段は自分たちや子どもたちの時とは比べようがないのだろうが、プレゼントを手にして輝かせる目や触れる手の感動は相通じるものがあるのだろう。孫たちが帰った後、北御牧にやってきた。久しぶりに途中佐久平のデニーズで夕食。今まで何度か夜利用したときは、近くの大学生と思われるお客で込み合っていたのだが、もう大学は冬休みなのか、それらしいお客はあまりいないで、家族連れのお客がほとんどだったので静かな雰囲気で食事ができた。今日は我が家にとってビッグニュースが飛び込んできた。隣に住む義姉夫婦も長野に移住する土地を探し始めていたのだが、北御牧に家を建てて一緒に住んでくれてもいいような話になってきたのだ。定年後の北御牧での生活は、もちろんいろいろ今からやりたいこと、やろうとしていることが山ほどあるが、これも二人が健康であることが大前提であり、どちらかがこけたらその時点でもう一度、北御牧での生活を続けるべきか、また違う生き方をすべきか選択を迫られるに違いない。そんな時、お互いに気兼ねなく助け合える身内がそばにいれば、お互いに選択の幅も広がる。子どもたちも、少しは安心が増すだろう。ただ、まだ具体的なこれからだ。
2007年12月20日(木)
薬害肝炎訴訟
薬害肝炎訴訟の大阪高裁の和解協議で、舛添厚生労働大臣は、原告団の一律全員救済の願いを無視して、各地の地裁の中で救済対象者を最も狭く限定している東京地裁の判決を基準とした和解案を提示した。原告団が、昨日中の福田首相の最後の政治決断を求めたにもかかわらず、昨日のうちには結論が出ず、今日になって発表した内容は、結局原告団の願いを聞き入れるものではなかった。12日の日記にも書いたが、舛添厚生労働大臣のパフォーマンスと二枚舌ぶりがさらに露呈した結果になった。今まで記者会見や国会答弁でも、全面解決に向けて努力する、年内決着させる、と大見得を切っていたのはなんだったのだろうか。被害者を線引きしようとする国の姿勢を察知して、一人当たりの補償額を下げてもいいから線引きをせず全員を救済するよう譲歩した原告団の思いは、お金での解決ではなく、人として患者に向き合う姿勢を求めた、強いメッセージが込められていたと思うのだが、線引きから外れた人へは30億円を払うからそれで自分たちで配分すれば全員救済と同じだという、いわばお金で片を付けようとする、言葉を変えれば札束で顔を張るような答えを出した舛添大臣。やはりこの人には、苦しんでいる人や貧しい人の心は読めないのか。その上福田首相にいたっては、何の政治決断もできない、国のトップとしての能力に疑問を抱かせる対応であった。おりしも今日来年度予算の財務省原案が示されたが、相変わらず軍事費は48千億円も計上されている。その中で、1160億円もする次期対潜哨戒機PXが4機分も盛り込まれている。防衛事務次官までも関与した水増し請求がまかり通る防衛予算には、湯水のように使い、病をおして訴える薬害被害患者の願いには背を向けるような政府は、1日も早く退陣してもらわなければ困る
2007年12月19日(水)
忘年会

午後から上尾駅のペデストリアンデッキで、消費者被害防止の街頭キャンペーンとして消費者団体連絡会に属する団体、グループの活動家20人と一緒に、ビラやティッシュ配りをした。外はこの冬一番の冷え込みということで寒かった。振り込め詐欺や悪徳商法、食品の偽装など消費者被害が尽きることなく続く今、こんなキャンペーンでどれほどの被害防止になるのか、難しいところだが何もしないで手を拱いているよりはいいだろう。
 夜は、環境政策課の忘年会で、電車に乗って北与野の「大宮甲羅本店」に行った。近年、職場の忘年会のために電車に乗って出かけるなどということはほとんど無かったので新鮮だった。蟹尽くしの料理もよかった。あまり無口にもならずに楽しく飲めた。帰りは、幹事の気配りで乗り換えのないさいたま新都心駅までタクシーに分乗して行ったが、常磐線の火災事故の影響で電車が遅れていて、家に着いた頃は10時半になってしまった。

2007年12月18日(火)
後期高齢者医療制度

議会一般質問の3日目。通常の定例議会では、20人程度の議員が4日間で質問をするのだが、今回は最後の議会ということもあって全部で13人、昨日までに10人が終わっているので、今日の質問は3人だった。それも全部共産党の議員。9時半から始まって、途中休憩も入れて、1230分で3人の質問が終了した。質問の中では、後期高齢者医療制度についての質問が目に付いた。今度の議会には、後期高齢者医療に関する条例の制定議案が提出されていて、それを審議する福祉・消防常任委員会では予定された1日の審議では採決できずに、会期中にもう一度審議するということで、一般質問の終わった今日の午後に再開して、その条例案を可決したそうだ。もともとこの後期高齢者医療制度は、去年6月に自公連立政権が強行採決して成立させた「高齢者の医療の確保に関する法律」に基づいている。さらに去年の12月議会で議決された「埼玉県後期高齢者医療広域連合の設立」により、県単位で行う後期高齢者の医療制度の運営に関する市町村の事務を規定するための条例が今回出されたものである。去年この法律が成立した時点で、もはや一市町村のレベルで制度そのものを覆せるものではなくなっている。しかし、来年4月からスタートするこの制度は、だんだんと実態が明らかになるにしたがって、問題が大きいことがわかってきた。埼玉県の広域連合の試算では、この制度の対象となる75歳以上の被保険者に新たに課せられる保険料は、一人当たり平均で年額94,000円になるとのこと。国保のような世帯課税ではなく、加入者一人ひとりに保険料がかかるので、夫婦で別々に年金から特別徴収されてしまう。保険料の算定の基礎は所得割と均等割の合計額となるので、年金所得が多ければ保険料も平均以上になる。さらに現役並みの所得がある人は、自己負担が1割ではなく、3割になるそうだ。診療報酬体系も後期高齢者用の新たな枠組みを検討しているという。どうせ医療費を抑制するための枠組みつくりになるだろうから、病院から高齢者が追い出されることにならないか、注目する必要がありそうだ。かつて岩手県沢内村(現西和賀村)から始まり、東京都などから全国に広がった老人医療費無料化の流れは、これで完全に終息してしまった。ほかにも所得税の老年者控除の廃止や介護保険料の負担など、これらはあきらかに今の団塊の世代の高齢化を見据えた国の高齢者いじめのシフトの一環である。まさに国民に痛みを求める小泉改革の実態のひとつといえる。この問題を考えているうちにだんだん腹が立ってきた。
 仕事の帰りにデパートまるひろで、ワールドマーチの靴を買った。何度か下見をして、一番高いほうの靴だったので買えないな、と思っていたが自分へのクリスマスプレゼントということにして買ってしまった。妻も今日、東京へ出たついでに欲しがっていた服を買ってきたので、お互い様ということになった。最近は、ちょっとした買い物をするときに、退職したらもう思い切って買えなくなるから、買うなら収入のある今のうち、という心理が働いているような気がする。

2007年12月17日(月)
どちらが正論?

議会一般質問二日目。今日は5人の登壇者のうち、2人に環境経済部に関連した質問があった。そのうち1人は、14日の日記に書いた議員。結局矛盾をそのままに質問が出され、挙句の果てに再々質問で、ごみの戸別収集の早期実施を要望する、というおまけつき。地域の互助組織のことはどっかへ行ってしまったかのようだ。同じ会派で今度の市議選で落選した議員も登壇して、この4年間一貫して取り上げてきた地域コミュニティの問題を今回も取り上げ、住民自治と行政の関係のあり方を追及したが、二人がまったく逆の主張をしているようでおかしかった。私から見れば落選した議員のほうが、正論のような気がするのだが。
 昨日、妻のもとに96歳になる母の具合がよくない、という連絡があり心配していたが、回復して今朝はご飯も食べたとのことで、ひと安心。夜チクマ農園のリンゴを頼まれていた友人宅2軒にリンゴを届けた。

2007年12月16日(日)
風花
午前1時ごろ降り始めた雪が、10時ごろまで時折横なぐりになるほどに降り続け、庭一面うっすらと白くなったが、その後の晴れ間で、昼過ぎにはあらかた融けてしまった。今季滞在中の最初の雪。雪と言えば、昨日チクマ農園に行ったとき、農園主が「さっきまで風花が舞っていた」という言い方をしていた。ちょうど農園に着く前に、日が射しているのに小雪が車のフロントガラスに当たっていたので、そんな雪のことを風花というのだと見当がついたが、自分では使ったことのない言葉だったので、新鮮な感じ、さりげない風流を感じたものだった。少し晴れ間が出てきたので午前中、先週落ち葉で作った堆肥がどうなっているか、ブルーシートで厳重に囲っておいた柵を開けてみたら、先週の作業終了後の状況となんら変わっておらずがっかり、大失敗だ。どうやら水分が全然足りなかったようだ。かさかさに乾いたままだったので、ホースで水をかけ、さらに米ぬかも足して上下の切り返しをした。作業後、年末の年越しそばに備えてそば打ちをしたが、これも失敗で、そばが細かく切れてしまった。来週もう一度練習しておかないと、本番で乾麺を食べることになってしまう。トヨタカップ3位決定戦で浦和のPK戦勝利を見届けてから、北御牧を出て家路に就いた。このところ5時前には暗くなってしまうので、早めに外仕事を切り上げ、ETCの通勤割引を使って帰るようにしている。途中で夕食をとっても9時過ぎには家に着けるので、カラダは楽だ
2007年12月15日(土)
農園
先週帰りがけにお礼の手土産を置いてきた近所のTさんの奥さんが、お米10キロと自家製のプルーンとネクタリンのジャムをお返しに持ってこられた。またまた海老で鯛を釣るような結果になってしまった。毎年、山ほどの稲わらをいただいている。上尾のあたりのホームセンターで買えば1万円以上するような量だ。お持ちする手土産は、そんな金額にはとても及ばない些少なものなのだが・・・。午後から湯の丸山へ行く途中にある(東御市新張)アトリエ・ド・フロマージュに贈答用チーズを注文するためにでかけた。ここのチーズは、軽井沢にも出店しているが味は保証つき、ただ値段がいいので自家用には買えない。何点か試食して満足するしかない。そのあと佐久のチクマ農園に、頼まれたりんごと自家用りんごを買いに行く。ついでに来年の1月、2月分の自家用りんごの予約もした。農園主から、こちらに越してきたらりんご園を手伝ってみないかと誘われた。少し心が動いたが、そういうことはゆっくり腰を落ち着けて周りの状況が見えてきてから考えようと、自らに言い聞かせた
2007年12月14日(金)
一般質問

議会の一般質問が始まった。今日は5人の議員が登壇したが、そのうち3人から環境経済部に関係する質問があった。今日の3人は、あらかじめ質問の要旨を聞いて答弁書を作成し、議員に事前に目を通してもらっている。傍目から見れば「できレース」だが、議会答弁は記録に残るし、今はインターネットの生中継が見られる時代になったので、議員が聞きたいことと市が答える内容がぶれないために、お互いに内容を確認しておいたほうが無難なのだ。それでも、議員は1時間という質問の持ち時間のなかで、質問、再質問、再々質問までできるルールになっているので、時として想定外の質問が飛び出すこともある。そこで、議場に入れない市の関係者は控え室で待機していて、いざというときは急いでメモを議場にいる答弁者(市長や部長)に渡せるようにしている。今回は、最後の議会ということもあってか、持ち時間の1時間全部を使い切る議員が少なく早めに終わったし、想定外の質問も飛び出さなかった。しかし、来週月曜日にある一般質問で、健康福祉部で対応していたものが、急遽環境経済部にも答弁が求められるものが出てきてしまった。高齢者が安心・安全な日常生活を送れるようにするための互助組織の結成についての質問が主旨なのに、西貝塚環境センターの高齢者の家庭へのごみの戸別収集について、市の考え方を聞きたいというものだ。行政が直接サービス提供しては、地域の住民が支えあう互助組織は育てようという流れに逆行すると思うのだが、そんな矛盾した質問も時には飛び出すのが現実だ。今度の市議選に当選しているベテラン議員だが、最近の質問にぶれやずれを感じるようになったとのもっぱらな噂だ。
 国会が115日まで再延長された。新テロ特別措置法を何が何でも通そうということか。参議院に議案が送付されてから60日以内に議決されないと、その時点で否決したものと見做すらしい。その60日目が112日になるということで、衆議院で再可決するための日程が115日。それにしても、イギリス軍も、治安が安定したという理由で、イラクから撤退することになった状況のなかで、国会を再延長してまで新法を通さなければならないのか、防衛省幹部や防衛族議員と軍事産業との癒着が取沙汰されているときに、疑惑が高まるばかりだ。
 今夜のうちにETCの通勤割引を使って、北御牧にやってきた。出かける前に上尾のスタンドでガソリンを入れたが、先週から151円だった値段が149円に下がっていた。本当にガソリンが高くなってしまった。早く上尾と北御牧の往復から卒業したい

2007年12月13日(木)
委員会
今朝は、久しぶりの雨の中の通勤となった。こんな日は市内の道路も混み合うが、こちらは徒歩通勤なので渋滞は関係ない。最近では30分強の徒歩通勤にも慣れ、億劫に感じることがなくなった。暑さ寒さも直接皮膚で感じるし、住宅地の草花や木に季節の移ろいが手に取るようにわかるので、気持ちがいい。退職まであとどのくらい通うのかカレンダーを繰ってみたら、土日祝日を除き、休暇を取らずに通ってもあと70日だった。議会のほうは、今日は文教経済常任委員会に出席。委員会に付託された案件は、補正予算と教育委員会から出された条例改正案2件のあわせて3件だったので、1時間足らずで終了した。委員会の委員で落選した議員は欠席していた。最後ぐらいきっちり職分を全うしてもいいのではないだろうか。それに引き換え、隣の福祉消防常任委員会では、落選した議員の追及もあって、審議が紛糾してしまい午後までかかってしまったようだ。それも日を改めてもう一度委員会を開くとのこと。いずれにしても、この12月議会で現議員の議員活動は終わりとなり、新しい議員の活動が、18日に予定されている臨時議会から実質的に開始される。今回の議会は多少日程も変則的で、いつもなら委員会の後1日空けてから一般質問が始まるのだが、明日から一般質問が始まる。毎回環境経済部への質問は多く、20人ほどの議員の質問のうち半数近くが環境経済部関連の質問をする。今回は、最後の議会ということで、保守系の議員は申し合わせたように一人も登壇しない。全部で13人が質問に立つが、環境経済部関係は最終的に5人になりそうだ。それぞれ関係する課で作成した答弁書に目を通し、手直しをしてもらったり、直接データを送ってもらって直したりして、とりあえず部長答弁の準備は完了した。
2007年12月12日(水)
舛添のパフォーマンス
昨日舛添厚生労働大臣の記者会見の模様が報道された。今日は衆議院厚生労働委員会でミスター年金といわれるようになった民主党の長妻昭議員とのやり取りもニュースになった。参議院選挙の際には、宙に浮いている5,000万件の年金記録を、来年3月までにすべて調査し明らかにすると、繰り返し言っていたはずだが、結局4割近くは明らかにできない、ということになった。舛添大臣には就任早々から何か胡散臭いものを感じていたが、やはり化けの皮が剥がれてきた。年金を使い込んだ職員については、「悪いことをした人には牢屋に入ってもらう」と言って、すでに使い込みなどで懲戒解雇され、弁償も済んでいる者に対して、市町村長などに刑事告訴を迫った。確かに使い込みなど許されることではないが、すでに決着した旧悪を暴き立て正義面をしてみたところで、ほとんどのケースは社会的制裁が済んでいるということで不起訴処分になったという。今度も、2年後には年金記録をすべて調査完了させるという決意を求められ、「やる決意です」と開き直ったが、当事者の社会保険庁長官は、とうとう同じ決意を述べなかった。それはそうだ、誰もできるとは思っていないのだから。それにしても、ここのところ厚生労働省の後ろ向きな姿勢が目立つ。薬害肝炎への補償も、対象の範囲を狭めようとしている。先日の中国残留孤児支援法の改正により、残留孤児の人たちの裁判は訴訟を取り下げることになったが、これにもいろいろ裏がある。今度の改正で、残留孤児全員に基礎年金月額66,000円が全額支給されるようになり、さらに生活保護を受給していた孤児には、生活保護費として受けてきた生活扶助(単身で約8万円)、住宅扶助(家賃相当額)、医療扶助(自己負担なし)を、生活保護とは別の給付金制度の下で、同じ水準で受給し続けるようになったのだが、これらの費用は本来国が全責任をもって負担すべきものであるはずだが、生活保護と同様に市町村が4分の1を負担する方向で検討されているようだ。国の政策、国の責任というべき中国残留孤児に関し、なぜ市町村に財政的に4分の1の負担を求めるのか、理解できない。生活保護費にしても国は市町村の負担を今の4分の1から3分の1に引き上げ、国の負担を減らそうと画策している。ここ数年で高齢者や母子世帯の加算を廃止したうえに、生活保護より貧しい人がいるという理由で、来年度には保護基準そのものも引き下げようとしている。病魔や貧困に苦しむ人の顔が見えず、格差社会に手も打たず、年々増え続ける生活保護受給者に対し、財源の総額を抑え込むことが初めにありきという政策しか考えられない政治は、代わってもらうしかない。夜の民放のニュースで、さいたま市の消防局が、3年前のドン・キホーテの火災で焼死した遺族から訴えられたことが報道されていた。逃げ遅れて焼死した女性が119番通報した内容を録音した音声が流されていたが、そのやり取りを聞いていて驚いた。まるでいたずら電話に応対するような話し方で、おそらく切迫した状況で電話してきただろう女性への想像力が働いていないのだ。緊張感もなくただ漫然と受け答えをしている様子に、同じ公務員として自戒したい気持ちでいっぱいになった。
2007年12月11日(火)
12月議会開会
今日から市議会12月定例会が始まった。今の議員の任期は1231日までなので、122日に行われた市議選で立候補しなかった議員や落選した議員11人にとっては、最後の議会となる。個人的な付き合いがあるわけではないので、今回で勇退した事情や落選したことへの思いなど知る由もない。一般質問や常任委員会で舌鋒鋭く市の姿勢を質した議員、答弁に立ち往生した職員をやさしくフォローした議員、最後まで政治的なスタンスがはっきりしなかった議員など様々な議員の顔が浮かんでくるが、これもつかの間で、退任した議員のことは次第に記憶の外へ追いやられていく。職員にとっても、おそらく市民にとっても関心の的はあくまで現職の議員なのだろう。ただし、今回勇退した議員のうち2人は、来年23日に行われる市長選に立候補するという下馬評なので、そちらはまた別の大きな関心事だ。既定の事実だったが、市長は今日の提出議案の提案説明の中で、正式に次回の市長選への不出馬を表明した。312年間で、上尾市政も大きく旋回した。バブル崩壊後の財政状況の悪化の中で、最も職員が知恵や工夫を出し合って施策の立案と実行をすべきときに、一方的なトップダウンが多くなってしまった。在任中に策定された市の総合計画では、「みんなでつくるいきいき都市あげお」〜あなたにげんきをおくるまち〜を目指すことになっているが、作り手、送り手の側に立つ職員に、元気がなくなっているのが現状だ。夜は、渓流釣り仲間と忘年会。釣り談義もさることながら、すでに定年退職した仲間もいるが、話題はいつの間にか市役所の現状を憂える内容にと移っていく。それぞれ立場やポリシーは異なるが、結構本気の議論になる。思わぬ鋭い意見や視点があって、刺激になる。本当はこういう議論がそれぞれの職場で自由に出し合える雰囲気が必要だ。かつて行財政3ヵ年実施計画で事業申請する際には、計画事業について職場討議の有無が、査定の要素に含まれていた時代があった。
2007年12月10日(月)
歯医者
10分ほど仕事を早退して、家に帰り歯を念入りに磨いたあと歯医者に行った。歯医者には去年3月に、以前に詰めたところの虫歯が痛くなり、どうにも我慢できなくなって10年ぶりに行って以来もう1年半以上も通いつめている。この間虫歯や歯肉炎の治療はもう済んでいるはずだが、もう大丈夫です、となかなか無罪放免してもらえない。最近34ヶ月は、歯の磨き方指導が続いている。診察のたびに歯ブラシの使い方、糸楊枝の扱い方を一つひとつ指導される。今回こそ完璧に磨き上げて、合格点を貰おうとわざわざ早退して時間をかけて磨いていったにもかかわらず、歯の裏側の付け根の部分の磨きが足りないと指摘され、新たに歯間ブラシを買わされ、これを使ってきれいに磨く方法を指導されてしまった。治療よりも予防のほうが大切なことは、歯に限らず、心身全体に言えることだが、これだけ長い期間通うのも飽きてきたので、もうおしまいにしたいところだ。しかし、待合室には、新聞の切り抜きが張ってあって、そこには、70歳台で自分の歯が20本以上ある人は、それ以下の人に比べ1ヶ月の医療費が平均で9,600円も少なくて済む、という統計記事が載っている。若いときに抜いてしまった親知らず以外、いまのところ全部で28本健在だが、そのうち10本は詰めたり被せたりしている。これ以上虫歯を増やしたり悪化させたりしないためには、日ごろの歯の手入れが大事だ、ということか。最近は夫婦で競って、夕食後テレビを見ながら、30分以上も歯磨きをしている。人には見せられない姿だが・・・。
2007年12月9日(日)
堆肥作り
少し風はあったが天気が良かったので、堆肥用の落ち葉拾いに出かけた。笠取峠から入る学者村という分譲別荘地の中へ行った。はじめに目星を付けていたところは、松の葉が混ざっていたので、そこはやめてさらに道に沿って奥へ行った。以前に散歩で歩いたところよりもかなり奥まで車で入ったが、まだ分譲別荘地が続いていた。ちょうど道路端で落ち葉が山になっているところがあったので、車を止め拾い始めた。そこへ、近くの別荘地に住んでいるという女性が散歩で通り合わせ、言葉を交わした。人気のないところだったので驚いたが、聞いてみるとさらに奥まで分譲地があるという。われわれのように開けた、360度眺望のあるような場所を好む者もいれば、平坦地がなく山林の中で眺望もないような場所を好む人もいるのだ、とつくづく思った。この辺では、鹿が出没して野菜をだめにされてしまうので、鹿が憎らしく思うようになってしまった、とも嘆いていた。今年我が家でも畑のトウモロコシが、目撃したわけではないが猿らしき動物に荒らされた。先日NHKのBSハイビジョンで放映された「ムツばあさんの秋」という番組で、秩父の山奥で農業をしていた老夫婦が、高齢で急峻な段々畑が耕せなくなったので、畑をそのまま放っておくのは申し訳ない、せめて花を植えて山に返したいという姿を長年にわたって取材した映像を見た。その中で、ムツばあさんがイノシシに荒らされた畑で、イノシシを恨むのではなく、遠くを見つめるように「イノシシがかわいそう、昔の山には餌となる木の実がいっぱいあったのに、戦後その山を人間がみんな杉の山に変えてしまった」とつぶやく姿が印象的であったが、そのことを思い出した。落ち葉拾いのあと、立科町の農産物直売所「菜々色畑」に立ち寄った。ちょうどお客様感謝デイのような催し物の最中だったようで、野菜がたくさん入ったおいしいトン汁や漬物をご馳走になった。いつも元気よくお客さんに声をかけてくる「関さん」というおばさんに薦められて、焼き芋をついつい買ってしまった。関さんには、何かと野菜の作り方や、野菜を使ったお惣菜作りを教わっている。去年教わって作ってみたら、ことのほかおいしかった、外が白く中が赤い、丸い形の酢漬け用の大根を、この間から探していたのだが、他のお店の人に聞いてもわからなかった。今日久しぶりにお店に出ていた関さんに聞いたら、さすがである、すぐに置いてある場所へ案内してくれた。家に戻って妻は、その大根の酢漬けと先週に引き続き青首大根を使った切干しを作った。私は、落ち葉と先日上尾の家に部長が届けてくれた米ぬかを混ぜ、その上にEMぼかしと土を載せ、重ねていく作業に精を出した。踏み固めたら思いのほか体積が減ってしまった。これで発酵が進めばさらに減るので、あと1,2回は落ち葉を拾いに行くようだ。上尾への帰り際、わらをいただいた近所の家に御礼を持って伺ったが、留守だったので玄関に置いて帰った。早めに北御牧を出て、午後830分には上尾の家に着いたが、今度はうちの玄関にたくさんの柚子の入った袋が置いてあった。柚子好きな私のために毎年友人がこの時期に柚子を届けてくれる。また、1年間この柚子を使った料理が食べられる、感謝
2007年12月8日(土)
久し振りの工作
昨日の西貝塚の会議のあとの忘年会でお酒を飲んでしまったので、一夜明けた今日朝7時に上尾を出て、北御牧にやってきた。途中佐久平のジャスコで買い物をしたついでに宝くじ売り場で年末ジャンボを購入。いままで、半分冗談、半分本気で「1億円の宝くじが当たったら即、退職して悠々自適の生活をするんだ!」と公言してきたが、とうとう実現しないままここまで来てしまった。もう当たっても、定年退職まで我慢する。午後から先週の続きの畑の天地返しをした。先週掘り起こした土は、1週間雨が降らなかったらしく石のように硬くなっていた。今日掘り起こした土のなかに、冬眠していたトノサマカエルが出てきた。最初、驚いたようにモゾモゾ動いていたが、そのうち動かなくなったのでそっと土をかぶせておいた。かわいそうなことをしてしまった。夜は、久しぶりにジイ小屋で工作タイム。先日スタッドレスタイヤに交換し、取り替えたノーマルタイヤはいつもどおりビニール袋に入れて軒先に積み重ねて仕舞ったが、交換するたびに思うのだが、こんな保管では雨や埃、ゴミなどがたまり、見苦しいしタイヤにもよくないので、専用のラックを作ろうと思い立った。10時ごろまでかかってようやく完成。あとは明日塗料を塗って仕上げする予定。エアコンをつけてのジイ小屋での作業は、暑いくらいだった。定住後の冬の室内での趣味、道楽の場所の条件はクリアできたことを実感。
2007年12月7日(金)
西貝塚地区
西貝塚環境センターのある地元の西貝塚の住民で組織する西貝塚地区連絡協議会の会議とそのあとの懇親会(忘年会)に出席した。西貝塚環境センターには、平成24月から平成113月まで9年間在職した。老朽化したごみ焼却施設の建替えの同意をもらうことから始まって、新施設の建設、地区の集会所の建替え、下水道、都市ガス、道路などの周辺環境整備、余熱を利用した温浴健康施設「健康プラザわくわくランド」の設計まで、関わってきた。約30年間の公務員生活のなかでも、最もインパクトの強い9年間だったように思う。単に公共的施設を建設する、ということにとどまらない、施設の建設を受け入れた住民との奥の深い関係を求められた気がする。うまく言えないが、いわゆるお役所仕事のような対応ではすまない、全人間的な付き合いが必要だった。新しい焼却施設の性能や公害対策について百万言を費やしても、相手が嫌だと思えば一切通じない。地域がどれだけの負担を負うことになるのかを理解し、それに対して市としてどこまでその負担に代わる施策ができるのか、その施策を考え、予算を確保し、実施していく過程では、市としてだけではなく、個々の職員の仕事に対するスタンスや思いまでもが、時として会議の席上で問われることもあった。その場しのぎの言動では許されない真剣勝負が、いくつかの場面であったと記憶している。そんな修羅場もあったせいか、仕事上の直接的な関係から離れて8年が過ぎ、たまに会議に出席するだけの関係にはなってはいるが、西貝塚の人たちには、敷居の高さを感じることもなく、古巣に帰ったような感覚がある
2007年12月6日(木)
環境推進協議会
午後630分から行われた上尾市環境推進協議会全体会に出席した。この協議会は、自然や環境の保護に取り組む市民団体と、市内に事業所のある企業と、行政の3者で構成する組織で、会長は市長になっている。平成12年に発足した組織で、今年で7年が経過した。市民団体、事業者、行政がそれぞれの役割や能力に応じて自主的な取り組みを行うとともに、相互に緊密な連携を図りながら協働して、循環型社会の構築を目指して環境の保全と創造に取り組んでいきましょう、という趣旨で組織されたものだ。しかし、行政側の姿勢として、必ずしも一貫して積極的にこの組織の運営に関わってきたとはいえない。会長である市長も協議会が行う事業に参加することはほとんどない。何かにつけ環境経済部の次長が会長の代理として挨拶をしたり、行政の立場を代弁することになる。市民団体の中には、失われていく緑地の保全や再生、希少動植物の保護に積極的に活動しているNPOの人たちも多く参加しているので、活動の場面ではたびたび行政側とも緊張関係に立つことにもなる。また、事業者にしても最近ではISO14001などを取得する企業も増えてきて、工場排水の浄化などの公害対策やリサイクル、温室効果ガスの削減などの取り組みが行われてきているが、あくまでも経済活動の一環だから、純粋に自分の生き方や思い入れで自然や環境を守ろうとする市民団体と、まったく同じ地平で活動するのは難しい。3者がこうした状況を抱える中で協働して何かをしていこうというには、よほど行政側が、しっかりとしたポリシーを持ってリードしていかないと、組織の活性化は望めないのではないか・・・。しかし、事務レベルではそれなりにやっていこうとしている。発足以来会議などへの通知は郵送などで案内していても、今までほとんど訪問したこともなかった会員企業33社を1軒1軒訪問して、協議会への参加促進をお願いしてくれた。こうした地道な活動を行政がしていけば、いつか3者が「同床異夢」の状態から抜け出て、何か共有できるものも生まれてくるだろう。今日の定例記者会見で、現市長が来年2月の市長選に不出馬の意向を表明した。新しいトップのもと流れが変わることを期待する。
2007年12月5日(水)
路上喫煙
環境経済部では今、たばこの路上喫煙禁止条例案を検討している。事務局は生活環境課だが、部内の各課の主幹がメンバーになって検討委員会を作り、検討している。路上喫煙禁止の条例については、200210月から東京都千代田区が条例で路上喫煙者に罰金を科すようになったのが大きなニュースになって以来、各地で条例化されていった。県内でも近隣の市町村で条例化が進んでおり、市民からも市長へのはがきなどを通じて条例化への要望が多数寄せられているので、当市としても検討せざるを得ない時期に来ていた。条例案を提出するには、人が多数集まる駅を中心にどれぐらいの路上喫煙者がいるのか、実態調査が必要だということで、今月の9()10()2日間、朝昼夕の3時間帯を30分ずつ職員で通行者数、喫煙者数を調査することになった。また、市民意識調査も実施する。路上喫煙について、条例制定について、罰則についてなどを、15歳以上の市民1,000人を抽出して調査し、データをとることにした。最終的には、路上喫煙禁止エリアを設定して、そこだけは罰則で取り締まる方向で条例案をまとめる方向だ。私自身、6年前の10月に禁煙して以来、最近では路上でたばこを吸われると、煙だけではなく臭いが嫌に感じるようになっているので、ぜひとも条例化を進めたいと思っている。職員のボランティア清掃でもたばこの吸殻が圧倒的に多いのが実情だ。でも、罰則で取り締まらないと路上喫煙がなくならない、というマナーの悪さ、他者への配慮のなさも気になるところだ
2007年12月4日(火)
人事評価
人事評価者研修が行われた。今最も気が進まない仕事のひとつだ。人事評価は、去年は管理職、今年からは全職員を対象に本格的に導入された。職員課は、人材育成と市民サービス向上のために人事評価をするのだと強弁するが、たった1年の試行を経て導入されてしまった。いくつか問題があるように思えてならない。まず評価の客観性だ。人事評価の研修のなかで、評価事例に対してグループで討議すると、一人ひとりの評価の仕方や基準が違うことがよくわかる。どんなに精密で客観的な基準をつくっても、評価者自身がその基準を完璧に使いこなせるわけではなく、部分的に偏ったり、別の要素で判断してしまうことのほうが多い。誰が評価しても同じ結果にならない評価が一人歩きしたら危険だ。いつも職員は自分の上司が正しく評価してくれているのか、疑心暗鬼に陥ってしまう。人事異動で上司が変わると評価も変わる不安定な状態が生まれる可能性もある。評価手順は、はじめに自己評価を記入し、直属上司が一次評価、次の上司が二次評価をするようになっているが、その過程で自己評価に対し一次、二次の評価がどのように変わったのか、またその評価の根拠や理由が本人に正確に伝えられなければ、誰も人事評価に信頼性を持たないだろう。評価結果を本人が請求すれば直ちに公開されるとともに、いつでも評価の根拠や理由について評価者から直接説明を受けることができるようにすべきである。二つ目の問題は、評価を数値化することにある。「極めて優れている」「優れている」「満足できる水準である」「求められる水準を満たしていない」「かなりの努力が必要」の5段階評価で、能力、意欲のいくつかの評価項目ごとに51で数値化して評価するが、数値化して評価する意図が明らかにされていない。たとえば能力評価の中の「技術・知識」などは新しい職場に異動になれば、ゼロからのスタートになる。今の人事異動のサイクルでは、十分な技術・知識が身につく前に異動させられるケースが多い。異動して間もない職員と、経験の長い職員とでは別の尺度から評価しないと明らかに差がついてしまう。あえて評価を形にするならば、点数として数値化するのではなく、それぞれの事象にもとづいてどう職員が対処したのか、それがどう評価されたのかを、あとで誰が見てもわかるよう文脈のわかる文章で残すべきではないだろうか。数値化することで、それが給与や期末勤勉手当の査定に利用される危険性が増えてしまうだろう。もうひとつ問題点を挙げれば、評価結果がすべて職員課に集約されるシステムだ。実際の仕事での職員の人事管理は、課単位で行われている。人材育成や市民サービス向上が目的ならば、評価結果はそれぞれの部内で管理すれば事足りる。人事異動の時期になると毎度のことだが、不透明な人事異動や昇格のうわさが庁内を駆け巡る。もともと人事などは密室で行われるものなので、憶測やうわさの温床になりやすい。その火種にもなりかねない人事評価を、直接人事には反映させない担保として、職員課は評価結果を集約しないほうがいいだろう。
2007年12月3日(月)
市議選

昨日の市議会議員選挙は、32人から30人に減った定数に対し38人が立候補する激戦となった。当選したのは現職20人、新人10人で、現職では4人が落選した。中には10期目を目指した70歳の社民党の議員もいたが、落選した。36年間の議員生活だから、人生の半分以上を議員として活動したことになる。今回は勇退するものとばかり思っていたので、また立候補していると聞いて驚いた。私もちょうど人生の半分を公務員として過ごしていよいよ定年を迎えるが、議員もある程度の年数を経たら、後継者を育てバトンを渡すことを考えたほうがよかったのかもしれない。その点今の市長親子は用意周到だ。現職市長の在任中に、市議選に息子が立候補するというのは初耳だ。30人中2位の得票で当選したが、それも当然だろう。市長自身は来年2月の任期で勇退すると表明し、公然と息子を応援していたのだから。仄聞によると、将来は息子を市議から県議を経て市長へと、自分の歩んできた道を踏襲させる計画だという。国レベルでも二世議員が幅を利かせる世の中だから、地方都市の議員でもありうるが、首長や議員は、世襲では引き継げないポリシーや住民に対する思いや視点が欠かせないと思うのだが、残念ながらまだまだ地縁、血縁などが優先する社会が生きているようだ。年明け早々には新議員による臨時議会が開かれ、正副議長の選出のほか常任委員会の正副委員長や付属委員会などの割当てなどが行われる。特に今回は新人議員が3分の110人もいるので、市の職員としては新人議員に関する情報収集をしなければならない。その場合、立候補にあたってどのようなポリシーや選挙公約を掲げていたかよりも、どの会派に属し、地域でどういう人と関係があるのか、選挙で誰が中心に動いたか、また本人はどんな性格かなどといったことのほうが重要だ。それによって、自分たちの職務に直接関わりが生じたときの対処方法が決まるからだ。今度の市議選で落選した現職議員のうち二人の若手議員は、ある意味で地域のしがらみから離れた形で、かたくなに自分の選挙公約を議会活動の中で訴え、それ自体は評価すべきことだが、しばしば行政と衝突し、その結果職員からは嫌がられた。従来の地域の利益代表的な存在とは違う、これからの地方政治の新しい波になる可能性はあったが、ポリシーと人間性と両方を持ち合わせていないとまだまだ市民の付託を得られない証左となってしまった。

2007年12月2日(日)
稲藁
先週、近所の人が農作業の帰り際、車を止めて「今年も稲藁が要るか?」と聞いてくれたので、まだ去年いただいた分が大分残っていたがご厚意に甘え、「いただきます」と返事をしておいたら、駐車場に積んで置いてくれてあった。お礼をしたいところだが、お礼に手土産でも持っていこうものならば、恐縮されてその3倍以上のお返しをされてしまうので、今回も黙ってありがたくいただくことにした。北御牧に暮らすようになったら、忙しいときにでも農作業の手伝いをするなど「カラダで返そう」と妻と話している。そのいただいた稲藁と残っていた稲藁を合わせて駐車場の隅に積み直し、ブルーシートで覆った。来年の農作業ではふんだんに使える。こちらの畑の土は粘土質なので、藁などをすきこんでこまめに耕さないとすぐに固くなってしまう。来年は畑の一角で、まったく耕さないで野菜を作る不耕起栽培も試してみようと思っているが、それがうまくいけば苦労しなくて済む。しかし、不耕起栽培は見た目が草だらけなので、あまり性に合わない気もしている。そんなことで大根、人参、玉葱が植わっている部分を除いて、スコップで天地返しの作業をしたが、半分で力尽きた。今年購入したミニ耕運機では、1015cmの表土しか耕せないので、1年に1回は5060cmほど掘って土を裏返すとよいとマニュアル本には書いてあるが、そこまではやり切れないのでスコップの深さ分約30cmを返した。また、来週続きをする決意のもと、市議会議員選挙の結果も気になるので、早めに午後9時には上尾に戻った。
2007年12月1日(土)
浦和レッズの敗戦
いよいよ師走だ。今日の北御牧は、朝から晴天になるはずだったが、実際はどんよりした曇り空のスタートとなった。午前中は、佐久平まで買い物に出かけた。カジュアルズボンを買おうと試着してみたが気に入ったものもなく、またこの次にした。買い物から戻った午後からは、ようやく予報どおりの晴天が広がり、絶好の畑日和となったが、切干大根用に大根を6本収穫しただけで、あとは浦和レッズのJリーグ優勝のシーンを見ようとテレビにかじりついた。最下位で来シーズンからJ2落ちが決まっている横浜FCにまさかの敗北で、最終節で鹿島アントラーズに優勝をさらわれてしまった。数年前までの、ここぞというときになかなか勝てないレッズの姿を思い出してしまった。サポーターといわれるほど応援しているわけでもないが、虚脱感でそのあとは何もせず『週間文春』などを読んですごしたが、妻は収穫した大根を刻んで切干しにしたので、網に干す作業を手伝った。切干し大根は、去年に続き2度目の試みだが、来週の出来上がり結果を見てうまくいっていたら、妻は大根を買い足してでもさらに作ろうと考えているようだ。

思いつくままに(ジイの記録)