2007年11月30日(金)
人材と人件費抑制
125日に支給される期末勤勉手当(いわゆるボーナス)の明細書が手元に届いた。かつては夏、冬、年度末と3回に分けて支給されていたが、今は夏冬の2回になったので今回が公務員として受け取る最後の期末勤勉手当ということになる。公務員給与は、民間の給与水準との均衡をとるため、国の人事院や都道府県の人事委員会などが出す勧告をもとに決められていく。この10年近くほとんど給与水準はあがっていない、というよりは切り下げられている。特に最近は、明らかに公務員の給与水準を下げることが前提にあるようだ。人事院は、2006年から比較する「民間」の対象を従業員100人以上から比較的低い給与水準の50人以上の中小企業にまで拡大している。税収が落ち込み厳しい財政運営を求められている状況のなかで、事務事業を見直すよりは一番単純で手っ取り早い人件費の削減をしようとする。もともと団塊の世代の大量退職により、給与水準を切り下げなくても比較的給与の高い人が退職して、初任給の低い人が就職するわけだから単純に人件費は下がるはずだ。しかも国や地方は退職後の穴を埋めない、いわゆる不補充政策をとっている。補充しない代わりに委託や臨時職員でまかなおうとしている。上尾市役所でも、市民課や保険年金課の窓口事務を法の解釈を捻じ曲げてまで派遣職員に切り替えようとして、埼玉労働局の指摘を受けて急遽取りやめた。このような人事をしていると、将来有為な人材が育たずしっぺ返しにあうのではないか。組織にとって人材は宝、最も長期的視野に立った戦略が必要だ。しかも、公務員給与は、昔から低賃金にあえぐ中小企業の給与の指標にもなっていたし、消費動向にも大きな影響を与えてきたはずだ。大企業が史上最大とも言われる利益を内部留保している中で、一向に消費が伸びず景気に好況感がもてない一因に公務員をはじめとするサラリーマンの給与の抑制がある。この冬もボーナスどころかその日の生活もままならない人たちがいる中で、最後の期末勤勉手当を当たり前のように受け取れることを感謝しつつも、何とかならないかと思う。
2007年11月29日(木)
セクハラ
管理職対象のセクシャルハラスメント防止研修が行われた。今回の研修が行われた背景には、市長宛に職員の母親から「娘が職場で上司からセクハラにあっていて悩んでいる」との投書があったらしい。市長が庁議で「まだそんなセクハラをしている職員がいるのか」と激怒したと聞く。しかし、今回のセクハラ問題は、単にセクハラをしないよう注意喚起の研修をすればいい、ということではないだろう。そもそもセクハラを受けている職員本人が、家族にしか相談できなかったことに問題がある。職場には誰も相談できる同僚や上司がいなかったという職場環境が問題なのだ。市では数年前、裁判にまでなったセクハラ問題があった。セクハラをした職員が部長職でしかも市長の縁戚だったこともあり、被害職員に対する初期対応にいくつかの過ちもあって大きな問題となり、苦情処理委員会を作ったり、第三者(弁護士)も含む相談窓口を設けた経緯があるにもかかわらず、今回の事例はそれらが機能しなかったということのほうが深刻な問題のように思える。日本キリスト教団の牧師でさえ、強制わいせつで逮捕されるような今の時代、セクハラやパワハラを皆無にするのは難しいと思うが、少なくてもそれを抑止する、未然に防止する組織的風土が必要だ。そういう意味で、少し職員、なかでも自分を含めた管理職のモラルが下がってきているのではないか心配だ。
2007年11月28日(水)
お疲れさん
先日の次女と孫たちに続き、今夜は長女が仕事の合間を縫って上尾に野菜や干し柿をとりにやってきた。看護士の仕事も三交代制で大変なようだ。「若いときに比べきつく感じる」と言っていたが、まだ30代半ばでそういうせりふが出るということは、いつまでも続けられない仕事でもあるのかもしれない。少し疲れているようにも見えたので、「がってん食堂」へ行って、夕食を3人で食べた。仕事と生きがいについてしばらく話をしたが、看護士などのようないわば肉体労働のような仕事をしていると、仕事をとおして精神的にも経済的にも何か報われるものがないと、苦しくなるようだ。まして仕事以外でも心が満たされるような何かが支えになっていないと大変だ、というようなことを話した。そんな話とは別に、長女が手土産に持ってきてくれた麻布十番の「梅芯庵」のケーキはおいしかった。田舎暮らしでは手に入らないだろうな。
2007年11月27日(火)
行政評価
昨日の次長会議の後に行われた行政評価推進幹事会で、平成20年度から実施する行政評価の方針について、事務局である総合政策課の説明があった。昨日は退職準備研修会があったので考える時間がなかったが、今日は特に会議などもなくこの問題を少し考えてみた。上尾市の行政評価システムは、2003(平成15年度)にプロジェクトチームをつくって検討し、2004年から試行で導入された。もともと行政評価システムは三重県知事となった北川正恭氏が提唱し、三重県で平成8年から始められたのがきっかけに、国県、市町村レベルにまで波及されたシステムである。選挙の際の候補者のマニュフェストとともにブームのように広がったが、どうも形だけ真似をして実効性のない評価システムになっているような気がしてならない。上尾市でも、当初は1年間の試行を経て、2年目から主要な事務事業すべてを対象に、行政評価をすることになっていたが、19年度まで4年間試行を延長した。しかも、評価対象事業も各課1事業をサンプル的に自己評価したものを、次長クラスで組織する行政評価推進幹事会で、さらに45事業に絞り込んで二次評価をする、というきわめて簡略化した形で試行したに過ぎない。行政評価というのは、すべての行政事務に対して、PDCAサイクルつまりPlan(企画)Do(実行)Check(評価)Action(改善)のマネジメントサイクルで見直していこうとするものであり、本来日ごろからそういう視点で自分たちが行っている事務事業を点検すべき作業なはずである。4年間の試行を経て、2008年度からようやく行財政3ヵ年実施計画の継続事業約700件を対象に、本格的な実施をすることになったことは、大変にいいことなのだが、どうも上尾市も行政評価システムをやっていますというアリバイづくりをしているように思えてならない。行政評価はツールであってそれ自体が目的ではないはずだ。しかも、総合政策課では、内部評価だけして、第三者による外部評価には消極的なようだ。最小の経費で最大の効果をあげるための評価を、公務員が自らの評価で完璧にできるとは思えない。客観的な評価を受けずに自己評価だけというのはいかがなものか。しかも自己評価の基準とする成果の指標や、達成のための活動指標の設定がそもそも職場内できちんと論議し十分検討した結果というよりは、評価シートを作成する担当者の恣意的な判断にゆだねられていることのほうが多い。事務事業評価シートをその職場の主要事業すべてに対して作成しなければならない作業量もバカにならないので、個人任せになってしまうのだろうが、評価する基準を設けるところではしっかり職場の討議が必要であろう。極論すれば、現在の行財政3ヵ年実施計画の作業を、申請の段階から行政評価システムの視点から見直し、やり直したほうが作業の負担も少なく、同じ成果が得られるようになるのではないだろうか。
2007年11月26日(月)
退職準備研修会
午後から埼玉県市町村共済組合の退職準備研修会が、さいたま新都心駅の近くのホテルで行われたので行ってきた。今年は共済組合傘下の市町村で1,700人ほどの定年退職者がいるとのことで、数回に分けて研修会も開くらしい。今回だけでもざっと500人ぐらいは集まっていたようにみえる。退職年金や退職後の健康保険、生命保険の取り扱いなどの説明を受けた。こういう研修を受けると、いよいよ退職までのカウントダウンが始まった、という気持ちになる。私たち夫婦は、すでに退職後の年金については、申請手続きも終わり、共済年金と厚生年金の支給額もわかっているので、老後の経済的な設計はできているつもりだし、北御牧に移っての田舎暮らしも5年間の助走を経てからのものなので、それほど大きな不安はないが、その暮らしが本当に充実感に満たされるものになるのかは、未知数だ。ただ、そういうものは与えられるものではなく、自分たちで創りあげていくものだ、といことだけは頭でわかっているつもりなのだが・・・。先日紳士服のお店で買ったスーツの仕上げが終わってお渡し日になったので取りにいった。あいにく合わせてみたらズボンの裾が長すぎたので、やり直しをしてもらうことにした。実は、先日のあーちゃんの七五三のお祝いで、冬服を出して着てみたらぶかぶかになってしまっていたのだ。一番太っていたときに比べ、今は約8キロ体重が減って、メタボリック症候群状態だった腹がへこみ、身体全体が小さくなったようで、今あるスーツではどれも合わない体型になってしまった。退職前でもうスーツを着る機会も少なくなると思うのだが、やむなく新調することにした。今後は、このスーツが着続けることができるよう、今の体型の維持に努めなければいけない。
2007年11月25日(日)
堆肥つくり準備
昨日ボランティア清掃が終わってから、北御牧にやってきた。庭のマリーゴールドがここのところの低温と霜のためか、茶色く枯れ始めていたので、片付けた。昔、妻が学校で生け花を習った先生から、枯れはじめた花をそのままにしておくのは、「花に恥をかかせることになる」と教わったそうだ。そういうわけで今年の夏から秋まで、庭一面に彩りを与えてくれ、目を楽しませてくれたマリーゴールドに恥を欠かせないよう片付け、畑で焼いた。燃やすのに1時間ほどかかった。煙が丘の向こうまで広がったがこの辺では苦情も出ないだろう。上尾ならすぐに生活環境課に苦情電話が入ってしまうところだ。片付けたあとの庭はすっかり寂しくなり、冬のモノトーンの世界に近づいてきた。先週から堆肥を作るための囲い作りをはじめて、ようやく完成に近づいた。ジイ小屋作りのときに出た端材とポリカーボネイトの波板を使って、何も事前に設計しないで、現場あわせで適当に作ったので、形がゆがんでしまった。前々から堆肥を自分で作りたいと思いながら、なかなか実行にまでいたらなかったが、今年はこうして形ができたので何とか来月には近くの山へ落ち葉拾いに行って、堆肥を作ろうと思う。米ぬかやEMぼかしなどを混ぜ込むといい堆肥ができるそうなので、米ぬかは職場の人に頼んである。近いうちに持ってきてくれることになっている。いつもは、午後8時前後に北御牧を出て上尾に戻るのだが、昨日・今日と二夜連続で午後9時から始まる松本清張原作の「点と線」のテレビドラマを見るため、6時前に出発した。3連休の最終日のせいか関越自動車道が渋滞していたが、何とか9時前には上尾に着いた。
2007年11月24日(土)
ボランティア清掃
朝、今年度3回目の全職員ボランティア清掃が行われたので、中妻地区の集合場所へ行った。8時半のスタートだが、相変わらず参加者が少ない。年度当初に参加希望者を募り、登録した職員数は1,033人。市内23ヶ所の道路を約1時間かけて清掃する。私の属する班は、登録数19人だがいつも参加は6,7人。今回は班長が事前に各班員にメールで参加要請し、参加できない場合は連絡するようお知らせし、一人でも多く参加してもらうよう苦心してくれた。欠席の連絡があったのは一人だけということだったのでそれ以外は全員参加のはずだが、最終的に9人が集まった。それでも今年最高の参加者数だ。管理職だけのボランティア清掃も年6回行われているが、そちらも毎回参加者が減ってきている。このボランティア清掃も曲がり角にきている。もともと現市長が提唱して、上尾駅周辺の通りの環境美化奉仕活動を管理職に呼びかけてスタートし、その後全職員を対象に市内の23の路線の清掃に拡大されたものだ。純粋に清掃ボランティアをやろう、と自然発生的に始められたのではなく、トップの掛け声で始まったが故に、さまざまな動機で加わる職員もいるわけで、トップの熱も冷めると自然とそれが職員にも伝わることになる。かといって、ボランティアを標榜している以上、出席を取ったり、半ば強制的に参加を促すこともできない。来年の2月で現市長が勇退し、新しい市長になるので、今後このボランティア清掃を継続するのか、廃止するのか、形を変えて存続させるのか、一工夫が必要だ。個人的には、路線を決めて皆で集まってやるのでなく、職員が自分の住んでいる地域の道路を30分間回れる範囲で清掃することにしたほうがよっぽどかいいのではないかと思う。身近なところをきれいにする、近所の人も参加してくれるようになるかもしれない、新しいコミュニケーションも生まれるかもしれない、そんなモチベーションでボランティア清掃をしたほうがいいと思うのだが・・・。
2007年11月23日(金)
消費生活展
仕事がなければ3連休の初日で今頃は北御牧に出かけているところだが、今日はコミュニティセンターで行われた消費生活展に出席した。オープンセレモニーで市長の代理で祝辞を述べた。この消費生活展は今回が25回目なので、気の利いた祝辞が言えればよかったのだが、結局用意された原稿を棒読みするだけに終わってしまった。心のこもっていない挨拶で、一生懸命準備してきた関係者には申し訳ない。今回の消費生活展は、実行委員会に今までで最高の33団体が参加して行われた。今年のテーマは、「消費者情報発信基地〜住み良い地球を残したい・知って考えて行動しよう〜」。今回は各展示コーナーごとに展示内容に即したクイズ問題があり、それに正答するとスタンプがもらえるクイズラリーがあった。一通り出題のあるコーナーは全部回り出展者と会話しながら、答えを聞きだしたり展示内容から答えを見つけるなど、通り一遍で展示を見過ごさせない工夫、アイデアがよかった。西貝塚環境センターも今回は参加して、レジ袋がごみとして一人が年間出す量を会場の入り口にディスプレイして人目を引いていた。畳1畳に大きな山になっていた。ぜひレジ袋をやめて自前の買い物袋(エコバック)を持参して買い物をするよう心がけよう
2007年11月22日(木)
孫たち

午後6時過ぎ上尾の家に、次女と孫の歩夢(あーちゃん)と来夢(むー君)がやって来た。先週佐久市のりんご園で買ったフジをおすそ分けするからお出で、と呼び寄せたのだ。ついでに北御牧の畑で収穫した大根や人参、干し柿なども持たせた。孫たちと会うのは、1028日に大宮の「いちの家」でやったあーちゃんの七五三のお祝い以来だからわずか約1ヶ月しか経っていないが、本当に成長が早い。あーちゃんは、来年4月には小学校1年生になる。弟ができて俄然お姉さんらしい立ち居振る舞いが見られるようになった。むー君は、この1ヶ月でつかまり立ちがスムーズになり、しばらくつかまっている手も離せるほどになっている。歩き始めるのも間もなくだろう。自分の子どもを育てているときは、冷静に一つひとつの動きを、ゆっくりと見ることはできなかったと思うが、孫ともなると気楽に眺めることができる。実によく動く。表情も多彩だ。ふとした表情に、母親に似かよったものを見つけると、つくづくと自分たち夫婦のDNAが引き継がれているのだと思う。

2007年11月21日(水)
老いの実感
今日は歯医者に行った。診察は歯の清掃チェック。もう10回近く歯磨き指導を受けているが、一度も合格点をもらえない。50年以上正しい磨き方をしてこなかったのだから、一朝一夕で直るわけがない、と思いつつも悔しいので頑張る決意を新たにする。そこで診察代を払うときに、歯ブラシを購入するため追加料金を支払った。ところが肝心の歯ブラシを受け取らずに歯科医を出てしまい、途中で気が付いて、自転車をUターンさせようとしたところハンドル操作を誤り、見事に転んでしまった。転び方ももんどりうって背中までついてしまう、柔道で言えば完全な「いっぽん」の状態になった。その結果、右手3ヶ所、右足1ヶ所にすり傷までつくってしまった。こんな時ほど自分の「老い」を痛感することはない。今日は特に、普通では考えられない二重のおおぼけだ。物忘れといい、身体の平衡感覚の衰えといい、若いときとは明らかに違う自分がいる。しかし、こんな自分でも素直に受け入れてうまく付き合っていくしかない、とも思う。
2007年11月20日(火)
広域ごみ処理
21町広域ごみ処理検討会の会議があった。上尾市の環境経済部の次長がこの検討会の会長にあたる。最近この検討会が暗礁に乗り上げている。平成26年度を目途に21町でごみ処理施設を造ろうというということで検討しているのだが、公平性を担保するため、まず21町でそれぞれ建設候補地を出し合いましょう、というところで隣接する市が候補地を出せないと言い出したのだ。もともと上尾市と他の町で検討していた計画に、あとから平成14年に隣接する市が頭を下げて参入してきたものなのだが、その時点でおそらく隣接する市はすでに自区内では作れない事情があったようなのだが、それを伏せて参入してきたものと思われる。その辺の事情を確認しないで参入を受け入れた当時の上尾市の詰めも甘かったと言わざるを得ないが、ごみ処理施設の建設予定地を決めるという大変デリケートな問題で、初めから公平性を欠いていては、最終的に候補地を1ヶ所に絞り込んだときの説得力に欠けることになる。そこが広域行政の難しさともいえるのだが、隣接する市としては形だけでも候補地を出すことはできないという。結局は、事務的レベルでは、物別れとなってしまった。個人的には、西貝塚環境センターの建替え事業に携わった者として、当時からの懸案である東側地域のごみ処理施設の整備について、その道筋をつけることを置き土産に退職を迎えたい、と思っていたのだが、残念な結果に終わりそうだ。これから他の町との計画を早急に練り直す必要がありそうだ。
2007年11月19日(月)
環境審議会

午後3時から環境審議会があった。今年の6月に新たに替わった審議会の会長は、20年前総合計画策定プロジェクトチームの事務局をしているとき、コンサルタントとして、一緒に口角泡を飛ばして議論し合った人だ。今は大学の教授をしている。「人と地球にやさしい都市上尾」という将来都市像で、総合計画を2年かけて作りあげたいわば仲間みたいなものだ。5時過ぎに会議が終了した後、環境政策課の職員や当時のプロジェクトチームの職員も参加して、会長と一杯やることになった。7時には東京で別の会議に出なければならない、とのことであったが話が弾み結局8時過ぎまで飲んでしまった。大学の仕事のほか、荒川の自然保護や石垣島の珊瑚の保護などNGOの活動もしており、超多忙な中を付き合ってくれた。当時のプロジェクトチームのメンバーや事務局(企画調整課)の職員だった者は、その経験がその後のそれぞれの仕事に向き合うときのスタンスにいい影響を与えたものと思う。そのころは、まだ今ほど環境問題が声高に語られてはいなかったが、「これからは環境の時代だ」という思いが共通の認識だった。上尾市の環境行政が、それから20年経ってどこまで進んだか、というと必ずしも順風満帆というわけではないが・・・。

2007年11月18日(日)
チクマ農園
泊まりに来た義姉夫婦と美ヶ原方面に出かけた。義姉夫婦お勧めの道路(旧武石村から松本へ抜ける道路)を通って武石峠から思い出の丘を経由して自然観察センターまで行った。思い出の丘の駐車場は霧で視界がほとんどなかったが、一面幻想的な霧氷の世界になっていた。駐車場から思い出の丘の塔が立っている高台まで5分ほど登って記念写真を撮り、早々に降りてきた。霧氷のほか今季初の霜柱にも遭遇。この駐車場からさらに上に車で登っていくと自然観察センターの広い駐車場に出る。もう自然観察センターは閉鎖されている。車はここまでだが、ここから王が頭ホテルまでは歩いて行ける。王が頭ホテルから美ヶ原高原の牧場にかけては、冬場はスノウシューハイキングができるそうだ。今度スノウシューをやりに来て見よう。寒いのでゆっくり山歩きする気にもならず、山を降りて佐久市のりんご農園に行くことにした。下の天気は晴れ間がのぞいてそれほど寒くもない。佐久市のりんご園「チクマ農園」は、今年6月末に23日で行われた長野県農業大学校の「アグリターン農業研修」に参加したとき、視察研修先として見学させてもらい、農園主からりんごづくりについて熱く語ってもらったところである。先月、そのときのお礼も兼ねてりんごを買いに行き、フジの収穫期になる今の時期に再度姉夫婦を伴って、やってきた次第である。3代続く農園だけあって最も古いりんごの木は70年経つという。園内もきれいに手入れされているので、あらためて見学させてもらった。ちょうど高台のはずれに位置していて、その先は100メートルほど下に切れ込んで田んぼとなっている。こんな地形もりんごを美味しくさせているのかもしれない。みんなでそれぞれ贈答用のりんごの発送をお願いし、自家用のりんごを購入したところでお昼近くになったので、昼食は、磊庵(らいあん)というお蕎麦屋に行った。ジイとバアの家の外構工事をお願いしたグリーンライフの社長が連れて行ってくれた蕎麦屋さんだ。その後テレビの旅番組でも紹介されたので、逆に腰が引けてしまっていたのだが、姉夫婦の話の種にということで再度行った。午後は家に戻り、天気が下り坂になってきて予報では雪になるところもあるということだったので、タイヤをスタッドレスに交換した。
2007年11月17日(土)
干し柿
今朝の気温は、この秋一番の冷え込みとなった。珍しく午前6時半ごろ目が覚めて外を見ると、霜が降りて一面白くなっていた。デッキに架けている温度計を見たら、マイナス6度になっていた。いよいよ冬到来だ。この冷え込みで、先月からつるしてある干し柿は、どんな塩梅かと試食してみたら、グー。あっという間に3個ほど胃袋に収めてしまった。今日は朝の冷え込みから一転、陽が昇るとともにぽかぽか陽気になってきたので、網戸洗いをした。洗った網戸は毎年二階の小屋裏にしまうのだが、これが結構厄介なのだ。壁や階段の手すりなどに当てて傷つけないよう気を遣いながら運び上げるのは、年を取ってくると意外と重労働に感じるようになってきた。妻の進言で、今年作ったジイ小屋にしまうことにした。離れに建っているが、平屋建てなので掃き出し窓からささっと運び入れられた。リビングの大きな網戸がなくなったので、室内から見える眺望がはっきりとするのでうれしい。リビングから見える隣家の畑には今年も3年連続で麦が蒔かれていて、青々とした苗が育っている。これから冬にかけてだんだんと周囲の景色がモノトーンになっていく中で、麦の緑は命の息吹を感じさせてくれる貴重な存在だ。夜、義姉夫婦が久しぶりに泊まりに来てくれた。4人でエビスビールなどを飲みながらの夕食となった。
2007年11月16日(金)
武州の煮ぼうとう
週末には北御牧に出かける、という生活パターンが始まってちょうど5年が経った。とはいっても時々、仕事などでそのパターンが崩れてしまうことがある。10月、11月は、特に仕事上のイベントが週末に集中して行われるため、このパターンが崩れがちである。本当は、明日も夜上尾駅のイルミネーションの点灯式が行われるので、出席すべきところだがわがままを言って欠席させてもらい、今夜北御牧に出かけることにした。途中関越自動車道の上里サービスエリアのレストランで夕食をとった。寒くなってきたので、煮込みうどんのメニューが追加されていた。ここの冬季限定の煮込みうどんには、「甲州のほうとう」「上州のおっきりこみ」と「武州の煮ぼうとう」の3種類あるが、なかでも「武州の煮ぼうとう」はとてもおいしい。野菜がたくさん入っていて、麺はきしめんよりもさらに幅広の食べ応えのあるものである。だしも程よく、ついついつゆもいっぱい飲んでしまうので、満腹感に満たされる。温まったところで北御牧へむけてハンドルを握るのも心地よい。北御牧は、冷え込んでいた。外は2度、室内も14度になっていたので、すぐにホットマン(暖房機)を点けた。次にきたときに家の中が冷え切ってしまわないよう、そろそろ上尾に帰るときにホットマンを点けっぱなしにしていく時期がやってきたが、このところの原油高の影響で、ガソリンや灯油の値上がりが激しいので、それも躊躇してしまう。エコな生活をする意味でも、もう少し点けっぱなしはやめておくことにしよう。
2007年11月15日(木)
年金と生活保護(2)
北九州市で生活保護を打ち切られた人が餓死するというショッキングなニュースが流れてから大分時が過ぎたが、いまだに各地で生活保護申請に関わるトラブルが起きているようだ。私が社会福祉課に在職中にも大なり小なり申請を巡って苦情があった。決して申請を却下するなり不受理を前提に生活保護の相談を受け付けているわけではないが、申請者の「持てる資産、能力」を最大限活用してなお及ばないときに限り、初めて生活保護を開始するという大きな壁がある。ここで言う「持てる資産、能力」というのは、単に換金可能な資産(不動産、預貯金、生命保険など)だけではなく、自分や家族の稼動能力さらに扶養義務の関係にある親族(親兄弟、子など)からの支援力も含むかなり広い意味での「資産、能力」なのである。大抵の人は、親戚や他人にも言えず、恥を忍んで相談に来ることが多く、相談の際の「持てる資産、能力」の確認のところでめげてしまい、泣く泣く申請を断念するケースも多い。もちろん安易に手持ちの金がなくなったからといって相談に来るケースも多くなった昨今、ケースワーカーの対応にも自然に厳しい口調になることがないとはいえない。しかし、第一線で相談に乗っているケースワーカーばかりが責められることには疑問が残る。実は、本来生活保護行政は国の事務であり、市町村は法定受託事務として請け負っているわけで、責任はすべて国に置かれるべきであるが、保護費の財源でも国は全額負担せず、4分の1は市町村に押し付けている。しかも今後さらに市町村の負担を3分の1に引き上げる動きもある。ちなみに上尾市では生活保護費は、18年度決算ベースで1735百万円となり、そのうち市の負担は438百万円にもなる。年々数千万円単位で市の負担が増加しているのだ。単純計算で上尾市では生活保護世帯が1世帯増えるごとに約270万円保護費が増える。窓口で「誰でも安心して相談にいらっしゃい」と、気軽に言えない実態がある。年金と同様、制度そのものの見直し変えていく政治の力が必要に思えてならない。
2007年11月14日(水)
年金と生活保護(1)
市町村職員共済組合の年金証書が届いた。先日、社会保険庁からの厚生年金証書も届いているので、これで今後の退職後の年金生活の収入面の設計が出来ることになった。基礎年金の支給される64歳まで当面年収150万円ということになる。これだけではとても暮らしていけそうもないが、妻の年金も合わせれば贅沢しない程度の生活ならやっていけるだろう。5000万件もの年金記録が宙に浮いている中で、公務員であるがゆえに過去の確かな年金記録に基づき、支給されることが保証されていることはありがたいことだが、それでも一人の年金ではつましく暮らすしかないほどの金額である。国民年金だけの人や記録の不備で受け取れるはずの額を満額受けられない人たちは、果たして憲法25条で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことが出来るのだろうか?厚生労働省のホームページに載っている資料によれば、国民年金の老齢基礎年金の月額は、19年度66,008円である。同じ厚生労働省の生活保護のデータでは、なんと17年度で生活保護受給者は、1,475,838人、人口千人に11.6人の割合になっていることがわかる。13年度に100万人の大台に乗ってからわずか4年で475千人も急増した。貧困と格差の拡大の証左だ。その生活保護を受給している人のうち高齢者単身世帯の場合、標準の生活扶助費は、東京都区部で80,820円、地方郡部で62,640円となっている。国民年金の老齢基礎年金の月額と地方郡部の生活扶助費と数字的に近いが、生活保護世帯ではこの生活扶助費以外に、医療費が全額支給される医療扶助や借家の場合の原則家賃分が支給される住宅扶助など別に支給されるところが、単に年金だけというのとは大きく違う。資産もなく老齢基礎年金だけで生活保護を受けずにがんばっている人がいたら、そっと肩をたたいて「国民はだれでも、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があることが憲法25条で保障されていることを告げるべきである。
思いつくままに(ジイの記録)