2009年9月30日(水)
雨の中松本まで山ちゃん夫妻と一緒に4人で行ってきた。朝からの雨だったので、用事を済ませてからは、松本から安曇野の方へ足を延ばすこともせず、いつものようにジャスコのあるカタクラモールの駐車場に車をとめ、松本市内をまち歩きをするだけにとどめた。石井スポーツに寄ってスノーシューを探したがまだ出ていなかった。スキーの板も数が少なかったので、もう少し寒くなってこないと店頭に並ばないのだろう。先日のビーナスラインハイクのとき、ガイドしてくれたインタープリターの人から冬はスノーシューのガイドもあると聞いたのがきっかけで、冬場の過ごし方の一つとして俄然スノーシューに興味が湧いてきている。
お昼は松本に行きだした頃一度入ったことのある魚の定食を扱っているお店に入った。今日のお薦めのサンマの焼き魚定食を食べた。岩手の師匠に送ってもらったサンマをはらわたを取らずに食べたのに味をしめ、今日もサンマを骨と頭、尻尾を残してきれいに食べてしまった。今日は
30日の5%引きの日なので、松本のジャスコで買い物をしてから家に戻った。
今日で
9月も終わる。勤めていたときは、年度の前半が終わる節目だった。いまはもうそういう節目はなくなってしまったが、ともかくもこちらに本格的に居を移してから1年半が過ぎたことになる。そろそろマンネリになるところだが、今年の2月から山ちゃん家が加わり、5月からは市の主催する生涯学習の講座にも参加し、さらに隣に200坪近い畑をやるようになって、今のところはめまぐるしく過ごしながら、それを楽しんでいるというところか。それにしても半年、1年が早く感じる。こうしてあっという間に棺おけに近づいていくのだろうか?
2009年9月29日(火)
6時半に家を出て釣りに行った。途中望月のセブンイレブンで昼食を買い、現地について竿を出したのが7時だった。朝起きたときは雨は降っていなかったが、釣り始めるときには雨が降り出していた。渓流釣りには雨は大歓迎だ。時折ザァーッと強い雨も降ってきたが、釣りのほうは絶好調だった。
前回と同様、ポイントには必ずアタリがあった。型はいまいちで、
3尾に1尾はリリースするようだったが、雨で水量が増えるにしたがい、深場で大きいものも掛かるようになり、ついに尺ヤマメをゲットすることができた。さらに泣き尺のイワナも挙げることができた。明日ナベさんが来るので、各ポイントは深追いせず、11時過ぎで最初の川は納竿した。それでも全部で17尾だった。
車の中で昼飯を食べた後、雨もあがったのでもう一つの川へ行った。今年春からコンスタントに釣果を挙げることができた川だ。こちらでもヤマメ
4尾、イワナ1尾をゲットしたが、それ以上にハヤが多く釣れ、餌を消耗してしまったのと、また雨が降り出したので2時過ぎで納竿した。最終的にヤマメ19尾、イワナ3尾だった。
今年最後の釣りで初めてぎりぎりだが
30センチのヤマメを釣り上げることもできた。岩手の師匠は、先日最後の釣りで49センチのスーパーヤマメを釣ったというメールを写真付きで送ってきた。とても師匠の足元にも及ばないが、長野の渓流で初めて尺ものを釣ることができただけでもジイは満足だ。家に戻って魚の腹を割き、釣り道具を全て洗って、全て片付けたあとナベさんに報告をした。明日は同じ所をナベさんがやることになった。これで今年の渓流釣りは閉幕となった。
2009年9月28日(月)
コープ長野の配送を待っていると、山ちゃん家に遊びに行っていたポチが痙攣発作を起こして大騒ぎになった。今まで何度か発作を起こしているが今回は時間が長かったようだ。コープの宅配が来て注文品を置いていっても、ポチの様子を見ていたバアは山ちゃん家から出てこなかった。しばらくして抱きかかえて我が家に戻ってきたときは発作はおさまっていたが、ポチ自身が何が起こったのか理解できないらしく、呆然としていた。その後特に発作が再発することはなかったが、自分のベッドで寝ていることが多かった。夜になって声を出して鳴くようになったが、心なしか元気がないようだった。
昼食のデザートに今年最後のスイカを食べた。今年は畑で取れた
5個分のスイカを食べた。最初の1個こそ早く取りすぎて甘さが足りなかったが、あとの4個は甘さも水分も十分あった。大満足だ。今日はカブとカボチャの収穫をした。カブは春に植えて初夏に収穫して、今回は夏に植えたものなので、今年2回目となる。雨が少なかったせいか、いまいちみずみずしい感じがしない。カボチャもあと数個畑になっているが、まだ取ったカボチャが食べきれていないので、しばらく畑で待機してもらわなければならない。
畑に出たついでに、モロッコインゲンとキュウリの支柱を片付けた。モロッコインゲンは、今年初めて作ったが、夏の間毎日のように収穫し、食卓を賑わしたが、最後に中の豆をとってミッチャンが調理してみることになった。今年のキュウリは、我が家だけでなく生涯学習講座で知り合った人たちで畑をやっている人はみなキュウリがうまくいかなかった、と言っていた。おそらく一番の成長期に長雨にあったせいではないかと考えている。そろそろ野菜の収穫も終盤になってきた。ナスやトマト、ピーマンも新しい実がつくのがグンと減った。あとは山ちゃん家で作っているサツマイモや、我が家のサトイモ、ヤーコン、ダイコン、ニンジンなどの根菜類を残すのみとなった。
午後ナベさんから電話があった。
30日なら休みが取れそうとのことだが、30日は松本に行く予定があるので、ジイは明日しか行けない。結局ジイが明日下見を兼ねて、先日大漁だったポイントの様子を見に行く事にした。
2009年9月27日(日)
「インタープリターと歩くビーナスラインハイク30q」二日目の今日は、お弁当が出るというので、行く途中で買う必要がないのと、8時半までに集合すればいいので、昨日より30分遅く7時半に家を出た。それでも車山には810分に到着した。820分には全員集合したので、予定時間より早くホテルの車で和田峠まで送ってもらい、そこからスタートとなった。
今日のコースは、和田峠から鷲ヶ峰に登り、そこから八島湿原に下りて、八島湿原の端にある御射山ヒュッテまで行って昼食、そこから車山を登って、最後に車山高原スカイシティに下りてくるコースだった。初めの鷲ヶ峰までは、昨日と同様コースもよく整備されていて歩きやすかった。やはりアップダウンが多く、最後の登りはきつかったが、頂上からの眺望は、昨日と今日の歩いてきたコースが全て見える眺めに疲れが吹き飛んだ。直前の天気予報では一日曇りになっていたが、午前中は晴れ間もあり眺望もあった。今まで
2度ほど登ってきたことのある八島湿原に出るコースを下って、八島湿原のビジターセンターまで行った。そこにお弁当が届けられていたので、弁当を受け取り、観光客の多いそこでは食べずに、八島湿原の木道を通って御射山ヒュッテまで行ってから弁当を食べた。
この頃からインタープリターの人たちともすっかり会話が弾み、いろいろ教わりながら歩くことができた。草花の見方も、目で見るだけでなく臭いを嗅いだり、触ってみたり、五感を使って見ると違う形で見えてくることや、今の霧ケ峰、車山高原の植生の変化などなど、さらに種類の多い「アザミ」の中で、歩いている間に見分けることのできた
3種類、ノアザミ、ノハラアザミ、モリアザミを教わった。今回のコースが日本分水嶺と言われ、日本海と太平洋へ注ぐ川の分かれ道になっていることも知った。
車山のコースが思った以上に長く、予定の時間よりは
30分ほどかかってしまったが、3時半過ぎに無事車山高原スカイシティに到着した。最後に「完歩証」と記念バッチをいただいて終了した。お世話になった2人のインタープリターにお礼をいい、家路に向かった。4時半過ぎに帰宅し、冷やしたスイカを食べた。疲れてほてった身体に染み渡るおいしさだった。疲れた身体に鞭打って二日分の日記を書いた。
2009年9月26日(土)
今日と明日の2日間、車山高原観光協会に属する「自然遊学塾」の主催する「インタープリターと歩くビーナスラインハイク30q」に山ちゃん夫妻とジイとバアの4人で参加。申し込みは山ちゃんがしてくれた。今日は820分までに車山高原スカイシティ(ビジターセンターが含まれている)に集合ということで、家を7時に家を出て、途中山部のファミリーマートでお弁当を買い、大門街道を通って車山まで行った。思ったよりも早く8時前に到着した。スカイシティもまだ開いていなかった。
810分ごろに開門したので中に入り、受付を済ませた。2日間で一人3,000円という格安の料金で、インタープリターという単なるガイドというよりは、自然や環境、歴史、文化などを自然を通して伝えてくれる自然ガイドに引率してもらって、美ヶ原から車山までのビーナスラインでもメインの場所をあるくものだ。参加者は我々4人のほか我々よりほんの少し若そうな女性2人のグループだけだった。インタープリターとしてガイドしてくれたのは車山で旅館を経営しているオーナーの人と、登山家だった?人の2人という贅沢なハイクだった。
まずは車山からホテルのマイクロバスで美ヶ原高原の山本小屋まで行き、そこから歩き始めた。天気予報では晴れだったが、スタートしたときはまだ霧が立ち込めていた。コースは初めに美ヶ原の牧場を横切って茶臼山に登った。そこで昼食の予定だったが、まだ早めだったので扉峠の近くまで歩いてから昼食を取った。この頃には青空が広がって、眺望も良くなってきた。昼食を済ませ、扉峠まで下がってから、少しだけ車道歩きをしたが再びハイキングコースに入って三峰山を目指した。茶臼山のコースもこちらのコースも笹などがきれいに刈られていて歩きやすかった。途中何度もアップダウンがあって、久し振りに長時間歩くジイとバアには厳しいコースだったが、樹林帯もあれば眺望のきく開けた明るい場所もあり変化に富んだコースだったので、嫌になってしまうことはまったくなかった。三峰山の頂上からは、王が頭の電波塔から茶臼山、扉峠からアップダウンしながら歩いてきたコースがよく見えた。我ながらよくもこんなに歩いたものだ、と誉めてやりたくなるような眺望が見渡せた。三峰山から和田峠までのコースも全体的には下って行くコースだが、アップダウンがいくつもあり、インタープリターでもこれが最後の登りです、と言った後にもう一度登りがあるという間違いをするほどだった。最後はかつての中山道の和田峠に出て、その中山道を歩いて今の和田峠の駐車場に着いて、今日の行程は終了した。
今日は土曜日なのでたくさんの登山者と行き交うのかと思っていたが、茶臼山こそ
2グループとすれ違ったが、三峰山は完全貸切だった。少し紅葉も始まっていて、コースも整備されているのにハイカーの少なさがもったいないようだった。車1台で来ると、車の置いてある所まで戻らなければならないので、今日のようなコースを歩くのは戻ることを考えると難しいが、インタープリターの人から、車2台で来て出発地点と到着地点にそれぞれ車を置いて歩けばいいんですよね、といわれ山ちゃんとジイで目を見合わせた。ビーナスライン沿線なら車2台できても家からなら贅沢な、と言われないだろう。和田峠に停めてあったインタープリターのワゴン車に乗って、車山高原スカイシティまで戻って今日は解散となった。
帰りは、立科町のツルヤで買い物をするので、朝来た大門街道ではなく、白樺湖、女神湖経由の県道
40号線を通って帰った。走行距離は、大門街道のほうが近いと思ったがどちらもほとんど変わらず、約35kmだった。休憩時間を除いて約6時間歩いたので、かなりエネルギーを代謝しただろうと期待して体重計に乗ったが、意に反して僅か400gの減だった。
2009年9月25日(金)
午前10時からの北御牧公民館の「味な男の料理教室」に行った。いつもは第4火曜日なので今月は22日のはずだったがシルバーウィーク中で公民館の調理室が使えないので、今日に変更になった。8人の受講生のうち一人が忘れていて電話をしたらあわてて飛んできた。今日で5回目だが毎回全員集合、皆勤賞なので遅れてきた人も必死だった。
今回は旬の素材であるサンマの蒲焼をメインに、これから出回る根菜類を使ったゴマ味噌マヨネーズ和え、白玉リンゴ汁と豆腐団子スープの
4品だった。いずれも火を通す工程があり今までで一番手間のかかる調理だったが、5回目となると4人一組のチームワークも息が合ってきて自然とそれぞれの分担が決まり、手際よく段取りができたので、12時前には全てテーブルに並べることができた。調理に取り掛かる前に2030分、講師の先生の説明があるので、実際の調理時間は1時間半程度になる。4品を一人で作るにはとても時間的に無理だがうまく手分けできれば意外と時間内に完成するものだ。
ただ今回は、サンマを
3枚におろす作業は、全員替わりばんこにやった。野菜などを刻むのはいつでもできるが、魚の3枚おろしなどやったことがないので、全員がやるようになった。ジイは渓流釣りでいつもはらわたを取るのはやっているので、そこまではスムーズにできた。それでも渓流魚は釣って時間をおかずに内臓をとるので中もきれいなものだが、サンマなどは時間が経っているから内臓も崩れていて、取った後は水で流さないときれいにならない。3枚におろすのは、骨の上を滑らせるように包丁を動かせば思っていたほどは難しくなかった。
ジイは、ほかに豆腐団子スープを担当した。レンジで水を切った木綿豆腐と豚挽肉を塩と片栗粉と混ぜて練ったものを団子にして、ニンジンのせん切り、ホウレンソウ、春雨を入れたしょうゆ味のスープで仕上げるものだ。ホウレンソウは洗って根元を切り始めたら、先生から茹で終わってから根は切るように指導された。根元を切って茹でると、葉がバラけてしまって、後で切る時に苦労するからだという。なるほど既に切り落としたホウレンソウは、茹でた後なべから取り出すのに苦労した。
みんなで食事をした後、学級長の提案で最終回となる次回は、そば打ちをすることになった。ジイも含めて趣味でそばうちをする人が半数いるので、それぞれ道具や材料を持ち寄ってやることになった。話では二人は講師級の腕前のようだ。ジイのようにまだバアから他人にご馳走する許可を貰っていない未熟者には絶好の練習になりそうだ。
午後は昨日よりもさらに暑く真夏のような天気になった。西向きの玄関のところにかけてある温度計は
46度まで上がっていた。車の洗車をした後、庭に出ていた山ちゃん夫妻と日陰で井戸端会議となったが、そのうちミッチャンが冷たいシソジュースを用意してくれたので、我が家のデッキで会議の続きとなった。辺りが涼しくなるまで長いことおしゃべりをして過ごした。
2009年9月24日(木)
昨日一日ゴロゴロしていたせいか入浴のときに体重を計量して愕然とした。北御牧に越してきてから最高値に近い体重になっていた。今日は天気もいいので絶対にウォーキングするぞ、と宣言し用事を済ませて出かける支度をした。以前に「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介された別所温泉の近くの里山である野倉の集落と、そこから簡単に登れる「女神岳」に行くことにした。
出かける前に、ちょうど外出先から戻ってきたミッチャンを誘ったら一緒に行くというのでバアと
3人で10時過ぎに出かけた。往きは鹿教湯温泉を経由する山道を通って行った。対向車が来たらすれ違いができないような細い林道だったが、対向車なく野倉の集落に無事着いた。「鶴瓶の家族に乾杯」でも取り上げられた「夫婦道祖神」などを見て廻ったあと、女神岳の登山口から登り始めた。
ガイドブックでは
30分の登り、と書いてあった。ただし直登とも書いてあった。それを見落としていたので、登山靴も用意せず普通のウォーキングシューズで行ったので大変だった。スキー場の上級コース斜度40度に近い登りだった。途中で息切れして休み休み登ったので45分かかった。久し振りに大汗をかいた。標高927mで頂上には小さな祠が2基あるだけで、眺望もないところだった。頂上でお弁当を食べてしばらく休んでから下山した。下山は20分で降りることができた。日ごろの運動不足解消にはちょうどよかったのかもしれない。帰りは別所温泉を経由する道路で帰ってきた。こちらのほうが道幅も広くアクセスしやすい。
2
時半ごろ帰宅して、ゆっくり昼寝でもしようかと思った途端、ポチを病院に連れて行く日だったのを思い出した。出かける前にポチにも外の散歩をさせてから、支度をして出かけた。ゆりかご動物病院に着くと先客があったが、そちらは別室で処置するらしくいくらも待たされずに治療を受けることができた。体重も変わらず皮膚の張りもよく、今回も太鼓判だった。
早めに治療が終わったので帰りにホンダに寄った。最近後のリフトバックドアがカードキーのセンサーで開かなくなってしまったので見てもらった。取っ手のところについているセンサーの故障で交換が必要と言う。工賃込みで
2万円以上かかるという。お金をかけて直すか、カードキーをやめて普通のキーで開け閉めするか一晩考えて返事することにした。オデッセイも横腹をぶつけてへこます事故を起こしてからろくなことはない。3年間上尾と北御牧を往復して1年に2万qペースで乗りこなした車なので愛着は強いのだが・・・。
2009年9月23日(水)
朝目が覚めると雨上がりのような空だった。今日は一日雨模様かと決めつけ、どこにも出かけずに家でゴロゴロすることにした。降りそうだった空も時々雲が切れて晴れ間が見えるときもあったが、一度ゴロゴロすると決めた気持ちをリセットすることができず、ほとんど外に出ることもなく一日を過ごした。
午後からは、プロ野球の巨人対中日戦が放映されていたのでそれを観て過ごした。昨日の勝利で優勝マジックを
1にしていた巨人は、今日勝てばリーグ優勝するので、試合開始から優勝の瞬間までずっと観てしまった。この優勝ですぐにパリーグの優勝チームと日本シリーズを戦うわけではなく、それぞれクライマックスシリーズという予備戦があるので、リーグ優勝といってもにわかに喜ぶわけにはいかない。
鳩山首相は就任早々地球温暖化対策として、
2020年までのCO2の削減目標を1990年比マイナス25%とすることを、マニフェストを踏まえて表明していたが、いよいよ国際舞台である国連の気候変動サミットの22日(日本時間同夜)の開会式でもその趣旨の演説を行った。京都議定書のマイナス6%どころか7%も増加させてしまっている現状で、それを10年間で目標を達成させるのは大変なことであるが、そうしなければ未来の地球がないことを肝に銘ずべきだろう。
鳩山代表が9月7日の環境フォーラムで初めてこのことを発表したときに、昭和電工の社長が、こんなことで企業を縛ったらみな生産拠点を海外に移さざるを得ないとコメントしていたが、海外とは地球外なのか?もしそれが地球上のよその発展途上国というなら、発展途上国で
CO2を無制限に出していいとでも考えているのだろうか。環境を破壊する人間の生産活動は、言ってみれば地球にできた癌細胞だ。癌が広がって体を蝕み、やがて命を奪ったらその癌細胞も死ぬことになるように、地球が死ぬときは人間も滅ぶときでもある。海外に拠点を移したところで何の意味もないことを考えるべきだ。
昭和電工のホームページには、
CSR社会貢献の一環として環境に配慮した製品づくり、省エネ対策、温室効果ガス削減・・・といろいろ美辞麗句を並べていた。今日の経団連会長は慎重に言葉を選んではいたが、企業のトップの意識も変わらなければならないだろう。
2009年9月22日(火)
火曜日なので可燃ごみをステーションまで出しに行くと、誰も出していないのでおやっと思って表示板をみると休日の時は収集しない、と書いてあった。がっかりして、また家まで持って帰った。ネコのトイレの砂が入っているのでゴミ袋はいつも重いが、帰りはもっと重く感じた。戻ってから長女たちに持たせるナスやピーマンを収穫したが、寒暖の差がましたせいか皮が少し硬くなってきたようだ。
11
時過ぎに長女が農産物直売所でリンゴの紅玉を買いたいというので一緒に行ったが、もうリンゴはほとんど売り切れてなかった。バアは一足先に滋野公民館の講座「植物観察」に参加するためミッチャンと出かけた。長女夫婦が午後2時半東部湯の丸インター発の高速バスに乗るので、2時前に家を出てバス停に向かった。バス停のある東部湯の丸サービスエリアに人だけが通れる入口に通じる道には既に車がびっしり停められていて置く場所もなかったので、バスに乗るところまで見届けようと思ったが、諦めて入口で別れた。バスは数分遅れで到着し順調にスタートしたというメールが入ったが、その後は渋滞に巻き込まれたらしく、新宿に着いたのは何と午後8時を過ぎてしまったようだ。通常は3時間程度なので、倍近くかかったことになる。明日には日勤、深夜の勤務があるというから「ご苦労さん」としかいいようがない。
送り届けたあと家に戻ってからは、新たにセットしたソファーに座ってテレビを見ていると、いつの間にかうとうとと眠り込むことを夜の間何度も繰り返した。ちゃんと寝室で寝るときには寝過ぎで眠れないかと思ったがそんな心配もどこ吹く風、朝までぐっすり眠ってしまった。おかげで日記は翌朝になってしまった。
2009年9月21日(月)
リビングのレイアウトを変えたいとずっと思っていたが、ジイとバアだけでは非力で無理だった。長女夫婦が来ている間に手伝ってもらって変えることにした。2階の小屋裏に仕舞いこんであった応接セットを出して、階段を伝って下までおろした。階段の幅が狭いので結局ジイと長女の夫の二人でおろさざるを得なかった。応接セットを据えつけて見ると、今まで置いてあったダイニングテーブルは片付けるしかなかった。その代わりに去年買った二人掛け用のコタツテーブルを出したが、それでも手狭な感じがしたのでそれもやめて応接セットだけにした。しばらくそれでやってみて駄目ならまた考えることにした。この次にレイアウトを変えるときは、応接セットを処分しなければどうにもならないだろう。いずれにしても長い時間リビングで過ごすようになってきているので、足腰が痛くならず、楽な姿勢でリラックスできる家具が必要だ。だからといって四六時中だらしなくごろごろとしているのも嫌なので、どういうふうに折り合いをつけようか?
夕食は旧丸子町にある信州国際音楽村の近くにある菜園レストラン「ル・ポタジェ」に行って食べた。長女たちが雑誌に載っていた当店を見つけ、事前に予約しておいたらしい。音楽村は数年前ラベンダー祭りをしているときに行ったことがあるが、とにかく道が狭くて迷路のようになっているので、わかりにくい。
6時の予約だったが、早めに5時過ぎに家を出てお店に向かった。暗くなる前に場所を確認したうえで時間まで音楽村周辺を散策すればいいと思っていたが、案の定道に迷ってしまい、お店に電話して行き方を聞いてようやくたどり着いた。着いてみれば音楽村の駐車場のすぐ近くだった。20分ほど時間があったので、音楽村周辺を歩いた。浅間連峰とそのふもとの上田市や東御市の夜景が眺望できるロケーションのいいところだった。
「ル・ポタジェ」での食事は長女夫妻がジイの誕生日をお祝いしてセットしてくれたものだ。自家製の野菜をふんだんに使った前菜やスープなど新鮮でおいしかった。メインディッシュはポークとサーモンを選べるようになっていたので、それぞれ夫婦で別々に注文して分け合って食べた。長女夫婦もお酒は駄目なので、アルコールなしの食事だったが、夜景を眺めながらゆっくり時間をかけての寛いだひと時を過ごすことができた。ささやかな贅沢かもしれないが、
1年のうち何回かはこんな時間があってもいいと思う。帰りも、とにかく曲がり道が多くてナビの矢印も付いていけないので、道を2,3回間違えてしまった。
2009年9月20日(日)
午前中家の中を掃除したあと、客布団を広げて干した。外は良く晴れていたが風が強く隣の畑の土が舞い上がるので外には干せず、仕方なく2階の和室の畳の上に広げた。この家の押入れは、換気をしているので布団がかび臭くなる心配はないが、やはりしばらく使っていないので風だけでも通しておいてやりたかったのだが・・・。
そのあとは昨日「里山を歩く」の発表の体裁について講師の先生の了解をもらったので、それを仕上げた。あとは昨日の冠着山の頂上で撮った写真と次回の山の写真を貼って提出すればいいだけになった。
午後から、
20日の5%引きの日なので上田のジャスコまで買い物に行った。ジイはジャスコの近くにある画材屋さんに行って、水彩画用の画用紙やスケッチブック、絵手紙サイズの用紙などを買った。このお店は水彩画の講師の先生に紹介してもらったお店だ。風景画を描くのに四つ切サイズにするよう先生に勧められていたので、四つ切を注文したらその場で大きな紙を4つに切ってくれた。それで四つ切というのだということを初めて得心した。この手の用紙はホームセンターなどでは売ってないので、これからも水彩画を続けるならこのお店の常連客になるだろう。購入代金の2割に相当するサービス券をいただいた。次からそれを使うことができるそうだ。
夜長女夫婦が乗ったバスが到着する東部湯の丸サービスエリアまで迎えに行った。午後
11時の到着の予定だったが、10分ほど遅れてやってきた。サービスエリアのどの辺に停車するのかわからなかったので、外で待っていると体が冷え込んでしまった。おそらく気温は10度以下になっていたに違いない。長女の夫は、仕事の帰りでバスに乗り込んだので夕食も食べていないと言う。バアに用意をしてもらうよう電話をして、急いで家に戻った。長女もICU病棟に転勤になって8ヶ月、相当忙しい思いをしているようだ。それでも元気そうな二人の様子を見て胸をなでおろした。
2009年9月19日(土)
5回目の「里山を歩く」に行ってきた。バアは早起きしてお弁当作りをした。8時半に家を出て、集合場所の滋野公民館に向かった。今回の山は千曲市と坂井村の境にある「冠着山(かむりきやま)」別名「姨捨山」と言われる山だ。先月登った大林山の隣にあるので途中の坂城町までは同じ国道18号線を通った。坂城を過ぎて戸倉上山田温泉街の入口を通り過ぎて急な山道を登った先に登山口があった。そこから頂上までは1.1kmの表示があったので、普通に登れば30分で登れるようなところだ。例によって植物観察をしながらの登りなので約1時間掛けて頂上に着いた。途中ネコのしっぽのような白い「サラシナショウマ」や紫の「トリカブト」の花があちこちに咲いていた。ビールに使うホップの実もあった。頂上からは千曲市街が見えた。田毎の月で有名な姨捨の棚田も見えた。
頂上には虚子の「更級や 姥捨山の 月ぞこれ」という句碑も建っていた。頂上に建っている小屋の中に登山記念を記帳するノートが置かれていたので、代表してそこにグループの名前を記帳してきたが、そこには毎日のように午前
5時半ごろ登ってきて記帳している人の名前があった。何かの願掛けでもしているのか、健康のためなのか、登ることを生きがいにしているのか、その動機はわからないがいずれにしても続けることに意味を見出しているのだろう。とてもまねのできることではない。
下山は同じ道を辿らずに、山を巻くようにして歩く別のルートを歩いた。講師の先生は、この山が好きでもう
36回も来ているといい、四季を通じてどこにどういう花が咲くかをそらんずることができる。その巻き道で、葉の中央に黒い5ミリほどの花を付ける「ハナイカダ」という花を教えてくれた。さらに羽根突きの羽根の形にそっくりな花を付ける「ツクバネ」も見つけてくれた。「ツクバネ」というと上尾に住んでいる頃、近所にあった和菓子屋さんのお店の名前で、そこの団子が好きでよく買いに行ったことがある。つい花より団子で、そんなことを考えてしまったが、確かに「ツクバネ」の花は、羽付きの羽根の形をしていて自然の造形の面白さを実感した。それにしても、もう70に手が届くという先生の記憶力には舌を巻いてしまう。行き帰りジイの運転する車に乗って道案内をしてくれたが、車の運転はしないというのに、草花のことだけではなく,道路も良く知っているのがよく分かった。
午後
3時半過ぎに滋野公民館に戻って解散した後、東部湯の丸インターの高速バスの駐車場とバス停を確認してから家に帰った。明日の深夜に長女夫婦が高速バスで来るので、その場所を確認しておいた。以前にジイとバアが新宿まで往復したときは東御市役所の近くの国道18号沿いのバス停だったので、今回のように東部湯の丸のサービスエリアに停まるバスは利用していない。深夜に初めて行って迷ったら困るので下見をしておいたわけだ。
2009年9月18日(金)
朝から洗面台や浴室の掃除をした。普段からこまめに掃除をしているつもりだが、目の行き届かない所にカビが出たり、汚れがたまったりしてしまう。窓を開け、カビ取り専用の洗剤を使って汚れを落とした。臭いがきついのでバアはこの洗剤を使うのを嫌うが、これで汚れを落とすと見違えるほどきれいになるので使ってしまう。昔のようにがむしゃらに力を入れてこすらなくても済むので楽だ。
掃除を終えた後は、滋野公民館で発表展示する内容を模造紙に張る素材作りをパソコンでやった。昔なら模造紙に文字や絵を下書きし、その上をマジックでなぞって描いたりしたものだが、今はパソコンを使って文字の色や大きさ、字体まで自由自在だし、それをプリントアウトして張り付ければいいのだから、簡単になったものだ。失敗してもパソコンでやり直せばいいし、レイアウトもいろいろ健闘できる。ほぼ完成したので明日の「里山を歩く」の例会のあと講師の先生にも見てもらって、意見も聞く予定をしている。
お昼前釣り仲間のナベさんから電話があった。昨日のブログを見て電話してきたのだが、何と昨日ナベさんもジイの行った川に夕方他の川に行った帰りに寄ったそうだ。何とか休暇が取れたので急遽一人で来たらしい。しかし同じポイントだったかどうか確認しなかったがあまり釣果はなかったようだ。禁漁までに一度こちらで一緒に釣ろうと誘った。
夕方
4個目のスイカを収穫した。明日は山ちゃん家に姪たちが遊びに来るし、明後日からは我が家の長女夫婦も遊びに来るので、自家製のスイカを食べさせてやろうと思う。今までのより少し小振りだが、しっかり実は熟しているので、まずいと文句は言われなくて済みそうだ。
2009年9月17日(木)
いつもより30分ほど早く起きて釣りに出かけた。デッキの温度計は10℃だった。あとで聞くともっと早起きした山ちゃん夫妻によると7℃だったそうだ。いよいよ朝晩は冷え込むようになってきた。釣りはいつもの所にまず向かったが、さっぱりだった。やっと小さなヤマメ2尾で、あと釣れるのはハヤとリリースサイズのヤマメだけ。
餌をとられるだけなので、仕方なくいつも2番目に行く川の少し下流に行ってみた。それが正解で、ほとんど入れ食い状態だった。おそらく放流したあとあまり釣り人が入っていないのだろう。小型だが一つのポイントに複数のアタリがあった。リリースサイズも多かったがビクがどんどん重くなっていった。圧巻は泣き尺のヤマメだった。手ごたえで大きい、と思ったので春先の失敗を繰り返さないよう、慎重に川下の足場のいいところまで誘導し、タモですくい上げた。釣り上げたときはついに尺ものを釣り上げたと思ったが、測ってみたら残念ながら1センチ足りなかった。それでもしばらく釣り上げたヤマメを眺めて余韻に浸った。結局その川で午後4時まで粘って、最終的に
26尾釣り上げた。全体的に型が小さいのでまた甘露煮用に保存することにし、泣き尺のヤマメと唯一のイワナを塩焼きにして夕食のとき食べた。今月末で禁漁になる。あと1回ぐらいいきたいものだ。
2009年9月16日(水)
朝から空が澄み切って青空が広がり、少し強めだが心地よい風が吹いていた。午前中に掃除や用事を済ませ、午後から散歩に出た。近所を歩くのは飽きたので、御牧ヶ原まで車で行って、台地のまだ一度も歩いていないところを歩いた。滅多に車も来ない農道を歩いた。田んぼはもう水を抜いたのか乾き始めていた。稲も大分黄色く色づいてきている。稲穂を見るとちゃんと実が入っているようにたわわに垂れ始めている。ススキも目に付くようになった。景色は段々と秋になり始めていた。
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時間半ほど歩いて車に戻ると、助手席のドアが開いたままになっていた。どうやら閉め忘れて歩き始めてしまったようだ。年を取るとこんなドジが日常茶飯事になるのだろうか?佐久平のカインズまで足を伸ばして、ポチのトイレの砂やご飯、里山歩きの発表会に使う模造紙などを買った。軽自動車で行ったので、ガソリンも入れてきた。ついでに前輪のエアが減っているようだったので、エアを入れた。セルフのスタンドなのでエア入れもセルフだった。上尾ではエアだけは店員が入れてくれたが、こちらでは全てセルフのようだ。車の取扱説明書に書いてある量よりも一目盛多く入れた。この方が燃費がいいとどこかで読んだ記憶があった。おかげでカーブでタイヤが鳴る現象はなくなった。
家に帰ってくると民主党鳩山新内閣誕生のニュースでもちきりだった。閣僚の布陣もいずれ劣らぬ論客ぞろいのようだ。キチンと論を尽くして国民のための政治をして欲しいものだ。そのためには議論の中味を情報公開することが大前提だが。夕方久し振りに西の空が茜色に染まった。新しい政権に対する祝福か、はたまた警告か?
2009年9月15日(火)
昔は今日の15日は「敬老の日」の祝日だった。「国民の祝日に関する法律」の改正で、敬老の日は9月第三月曜日に変えられ、今年は来週の月曜日で秋分の日にまたがって5連休になり、シルバーウィークという聞きなれない言い方までされるようになった。今日は休みにならないただの「老人の日」として残されたらしい。確かにカレンダーを見ると日付の上に小さく老人の日と書かれていた。自分が老人の域に達してみると、こんなもの祝っても祝わなくてもどうでもいいから、心穏やかな生活が送れるような社会の仕組みを作るようにしてもらいたいと思う。
朝起きると夜中に一雨あったのかデッキが濡れていた。起きてすぐ可燃ごみを置きにステーションまで行った。途中で我が家の西側の畑でセンブリを作っている
Tさんの車が畑へ行くのにすれ違った。7時にはもう畑仕事を始めている。センブリの収穫が始まっているようだ。
曇りがちで出かける気が起こらず、午前中は釣りの仕掛け作りに専念した。前回の釣りの時に仕掛けを入れたケースを落としてきてしまったので、手持ちの仕掛けがなくなってしまった。とりあえず仕掛けを
20セット作った。これで今シーズンあと何回いけるかわからないが足りるだろう。
午後の
3時に山ちゃん家のご招待でお茶をした。山ちゃん夫妻は13日、14日の2日間大人の休日倶楽部会員パスを使って秋田、青森に行ってきたので、そのときの旅の様子を話してくれた。われわれは函館旅行のことを話し、お互いに面白い経験談などを交えて2時間ほど楽しい時間を過ごした。
2009年9月14日(月)
滋野公民館で10月に行われる生涯学習講座の発表会に、里山を歩く講座の発表をどうするか、公民館まで出かけていって確認する予定をしていたが、その前に電話で用が済んでしまったので行かなかった。朝から空気が澄み渡って浅間連峰がくっきりと姿を見せていた。浅間山からあがる噴煙も久し振りに見たような気がする。山にでも行って来たくなるような好天気だったが、午前11時ごろには生協の宅配が来るし、午後にはポチを病院に連れていかなければならないので出かけるのは諦めた。
イチロウの
200本安打を見ようとテレビを見ていたが、午前中のダブルヘッダー第一試合ではあと1本までで終わってしまい、その後の第二試合は見ていなかったので、あとからこの試合で200本を達成したことをニュースで知った。大記録を達成した影に、日ごろから退屈と思われるような練習や体力の維持管理の積み重ねがあったという。そういう鍛錬に妥協を許さず持続し続ける精神力には脱帽だ。こちらは何事も三日坊主で終わることが多いので、それだけでもすごいことだと感心してしまう。
午後は動物病院へ行くまでの時間刈払い機で芝生や道路際の雑草を刈った。もう雑草も真夏の時のような勢いがなくなっているのでこの草刈りが今シーズン最後になるかもしれない。全部刈り終える前にポチを病院に連れて行く時間になってしまったので草刈りを中断し、支度をしてゆりかご動物病院に出かけた。いつもより
2,3分早く病院に着いたが先客のワンちゃんが2頭いた。先生にあとから聞いた話では、この時期はフィラリアの予防接種の時期なので混んでいるそうだ。
診察を待っている間にも次から次と犬やネコが待合室にやってきたので、今日のポチは少し興奮気味だった。順番が来て皮下点滴を受けている間も何度も逃げ出そうとしていた。アヤ先生が足の爪が伸びているのを見つけ、点滴のあと爪を切ってくれたときは大暴れして押さえるのに助手を呼んだほどだった。それで疲れてしまったのか家に帰ると真っ直ぐベッドに行って横になっていた。
帰りに佐久平の行きつけのガソリンスタンドで給油したが、表示価格は
130円になっていた。サービス券を使って割引価格でいつも給油しているが、今まで表示価格より6円引きだったのが、今回は8円引きになっていた。実質前回よりも1円高くなっただけで済んだ。民主党政権になってマニフェストどおり石油関連の暫定税率が廃止されるのがいつになるのかわからないが、廃止しても今のような価格ならあまり効果がない。せめてレギュラーガソリンが昔のように100円前後になってくれればいいのだが・・・。
2009年9月13日(日)
5時半に起きて草刈の支度をし、集合時間の6時よりも10分前に集合場所へ行ったが、さすがにまだ早過ぎたようで誰も来てなかった。長袖の作業着を着ていったが少し肌寒く感じた。いつの間にかこんな季節になってきたようだ。6時にはHさん兄弟を残してみな集まったので、草刈りを始めた。みんなが始めた頃になってHさん兄弟が出てきた。ちょっと変わった兄弟だ。
既に山ちゃんがやった所も含めてかなり刈り終わっていたので、それほどやる面積は残っていなかった。それでもみんなそれぞれ手分けした場所を刈り終わって集合解散するときには
7時近くになっていた。これでとりあえず組の人たちが集まってやるイベントは、今年はもうないはずだ。
草刈りに参加していた
Tさんの話では、今年の稲は長雨の影響で茎が長くなりすぎて、少し強い風でも吹くと倒れやすいので心配とのこと、また収量も平年よりは落ちるのではないかとのことだった。丹精込めて作っているセンブリも今年は病気がちでできはあまり良くないという。昨日の雨の前まで1週間以上雨が降らず朝夕水遣りをし、やっと降ったかと思えば一日中雨で降りすぎるし、と第一次産業は苦労の割りに実入りが少なくて大変だと自嘲気味に言っていた。趣味で野菜作りをして喜んでいるこちらには耳の痛い話だ。民主党の戸別所得補償制度というマニフェストも、具体的にどういう形で補償されるのかまだ見えていない現状では、農家にとっては期待と不安が入り交ざっているのだろう。
旅行中収穫できなかったナスやピーマン、トマトを夕方収穫した。以前のように収穫するたびに篭いっぱいになるということはなかった。スイカも
1個収穫した。山ちゃん家と半分にするので、切るのは山ちゃん夫妻が帰ってくる明日以降になる。スイカはあと大きいのが2個と小さいのが1個畑にある。小さいのは涼しくなってきたので大きく育たないかもしれない。20日に長女夫妻が来ることになったので食べさせることができるかもしれない。ジャガイモが植わっていた畑の一角を使って先月種を蒔いて育てていたレタスの苗を植え替えた。秋にどれだけレタスが育つのかわからないが、初夏に収穫できたようにまた育てばいいなと期待して植えた。農家のように失敗したら即収入がなくなるという危機感のない気楽な菜園をやっているのが少し申し訳ないような気もするが、代わりに少しでも食料自給率に貢献するという気概で行く、ということで許してもらおう。
2009年9月12日(土)
朝目が覚めると雨が降っていた。もう一度寝込んで起きたのは8時過ぎだった。遅い朝食を取っていると玄関のチャイムが鳴った。クール宅急便で次女からの誕生日祝いが届けられた。次女が焼いた手の込んだ洋菓子だった。早速朝食に加えていただいた。宅急便が帰ったと思ったらまたチャイムが鳴って同じ宅急便の運転手が、実は道の脇の柵に車をぶつけて、柵を曲げてしまったという。仕方がないのでHさんの家に行ってもらった。どういう話があったのかわからないが、雨の中Hさんが傘をさして様子を見に来ている姿を見ることができた。
午前中は、留守にしている間貯まった新聞を読んで過ごした。午後から旅行中の日記や写真を整理してホームページにアップした。終わったのは午後
7時前だった。ずっと雨だったせいもあって一歩も外へ出ることもなく過ごしてしまった。これでは運動不足もいいところだ。昨夜帰ってからお風呂に入るときに体重を量ったら、出かける前とあまり変わっていなかったので安心したが、運動もしないとあとからドンと増えるかもしれない?
明日は朝
6時集合で近所の道路の草刈りをしなくてはならない。山ちゃん夫妻は、草刈の日程が知らされる前に、明日から一泊で東北に出かける計画で切符や宿も手配してあったので、昨日山ちゃんは先に草刈りをしたそうだ。今回我々の旅行は山ちゃんに佐久平まで送迎をしてもらったお返しに、明日からの旅行の送迎をする約束をしていたのに、ジイが明日草刈りに参加しなければならないために、送迎ができなくなってしまった。申し訳ないばかりだ。
2009年9月11日(金)
7時に目覚ましをセットして起床し、支度をして函館朝市に出かけた。歩いて5分も掛からない。おととい函館に着いたら昼食に食べようとして閉まっていた「馬子とやすべ」が開いていたのでそのお店に入った。他のお店は待ち時間なしで席につける状態だったが、そこは席が空くまで少し待たされた。一番人気のどんぶりは値段が3,150円だったのでさすがに朝食としては手が出ず、1,680円の「五色どんぶり」と、同額の特別セットメニューを注文(写真は別ページに掲載)して食べた。おとといのお昼に食べたお店のどんぶりとは違って味付けもよくおいしかった。
朝食後は市場を一回りして、お土産を買い込んだ。お土産といっても山ちゃん家へ以外は自分達が食べるためのものだが・・・。ホテルに戻り、荷物をまとめて
10時にチェックアウト、今度は道を間違えず最短距離で駅まで行って昨日と同様コインロッカーに荷物を預け、また市電の一日乗車券を購入してまずは五稜郭へ行った。
五稜郭タワーから五稜郭を見下ろす。タワーも新しくなり、周りの建物も高いものが増えていたが、五稜郭の形だけは昔と変わらなかった。タワーを降りた後堀に架かる橋を渡って五稜郭の一角を歩いた。今のような重機で地形を簡単に変えられるような時代ではなかった当時、堀をうがち泥を積んで築いた堤などそこで働いた人足達の流した汗と、その後の函館戦争で流されたたくさんの血に思いを馳せた。五稜郭内の一角に函館奉行所の復元工事が行われていた。来年には完成する予定らしいが、完成後の姿はもう見ることもないかもしれないのでよく目に焼き付けておいた。
五稜郭見学後はまた市電に乗って再び金森倉庫へ行った。昨日食べておいしかったペイストリー・スナッフルスというお店の生チーズケーキをお土産に欲しくて買いに行った。
7時間持つと言う保冷剤を入れてもらって購入、さらにかの有名な花畑牧場のアンテナショップのあるところで生キャラメルがあったのでそれもゲット、やはり要冷蔵ということで保冷剤に入れてもらった。最後に函館塩ラーメンのお店でハーフサイズを食べて金森倉庫を後にし、市電に乗って函館駅まで戻った。電車の時間まで2時間近くあったので、駅前のホテルの喫茶室で休んで時間を過ごした。さすがに3日間動き回って疲れてしまい、これ以上観光する気が起きなかった。
午後
342分発の特急スーパー白鳥に乗り、一路八戸へ向かう。途中青森の手前の駅で修学旅行の小学生の団体を降ろすため臨時停車をした。函館にいる間、中たくさんの小中学生の団体に市電や観光施設で行き会った。今の時期が修学旅行の最盛期のようだ。子育てが終わって大分経っているジイとバアには思いも寄らない事態だった。そのせいか八戸到着が2分ほど遅れたが、後は東北新幹線も長野新幹線も全て時刻どおりだった。
長野新幹線では、大宮から乗ると指定の席が大きなリュックが置かれ、ジュースのカップなど飲みさしの物がテーブルに載せられ、二つの席を占領していた。しばらくして車掌が来たので文句を言っていると、当の本人がトイレにでも行っていたのか戻ってきた。日本語のイントネーションが少しおかしかったので外国人の女性だったかもしれないが、大きな荷物で他の乗客の邪魔になるから、と言い訳を車掌にしていた。結局こちらには何の挨拶もせず車掌に別の所へ案内されていった。ようやくあけられた席に座ることができた。旅の最後で嫌な気分になってしまったが佐久平に着くと、改札口まで山ちゃんが迎えに来てくれていた。疲れて戻ってきた最後に
30分弱とはいえ自分で車を運転して帰るというのは辛いものがある。車に乗せてもらって帰ることができ、無事3日間の函館旅行が終わった。
2009年9月10日(木)
朝食もバイキングで和洋取り混ぜて選ぶのに迷うほどたくさんの食材が並べられていた。昨日から普段の倍以上の量とカロリーを摂っているに違いないのだが、ついつい手を出してしまう。朝からまたもやお腹いっぱいになってしまった。
チェックアウトの際、「函館まる得スペッシャル」という市電
1日乗車券と観光施設の入場に使える13枚つづりのチケットを2,000円で購入した。ホテルから2分の所にバス停があるというので、そこから路線バスに乗り、函館駅に行ってまずはコインロッカーに大きな荷物を入れ、市電に乗って「十字街」という駅まで行った。そこから歩いてレンガ造りの金森倉庫へ。ここはいくつかの倉庫が並んでいて倉庫の中はさまざまなショップが入っている。一通り見て廻ったあとはそこを後にして元町エリアへ。
きつい坂を登り、カトリック元町教会、ハリストス正教会、聖ヨハネ教会などの教会群を見て廻った。さらに足を伸ばして旧函館区公会堂を見学した。ここは建物を見た瞬間
24年前に観光タクシーに乗って来たことを思い出した。建物も黄色い縁取りが当時と変わっていなかったからだろう。そのあと旧イギリス領事館を見た後、観光パンフレットには載ってないが、地図にあった日本キリスト教団の函館教会も見てから、再び金森倉庫に戻って、倉庫の中の金森ビアガーデンで昼食、そのあと北方民族資料館、函館市文学館を見学した。これも1ヶ所1ヶ所入場券を買って入る方法だったら入らなかったかもしれない。13枚つづりのチケットを使い切らなければと思うから入館したようなものかもしれない。文学館など石川啄木の常設展では、啄木の直筆の原稿や手紙が多数展示されていた。バアも高校生の頃一時啄木の作品を一心不乱に読んだ記憶がよみがえったらしく、熱心に見ていた。
しかし、こういう施設をはしごするとどういうわけか疲れる。十字街駅から市電に乗り函館駅まで戻ってコインロッカーから荷物を取り出し、宿泊先の函館国際ホテルまで歩いていった。
24年前にも泊ったことのあるホテルで、当時の印象では駅から近かったように記憶していたが、かなり歩いて到着した。どうやら道を間違えて遠回りをしたようだ。
4時過ぎにチェックインし、1時間ほど休んだあとホテルを出て再び市電に乗って十字街駅まで行き、そこから函館山ロープウェイの発着所までの坂を登った。ロープウェイで函館山の頂上に着いたのは5時半過ぎだったので、まだ外は明るく夜景どころではなかった。展望室を出て外に立つと風があって少し肌寒く感じたので展望室に戻り、展望のいい場所に陣取って暗くなるのを待った。結局6時半過ぎまで約1時間待つ羽目になった。ようやく夜景らしくなったところで、それまで立ちっぱなしで疲れてしまったのと、後に立っていた若いアベックのうるさいバカ話と隣の中国語のにぎやかなおしゃべりに嫌気がさして、その場を引き揚げた。
ロープウェイで下まで降りた後金森レンガ倉庫の近くにある炭火焼のお店で焼き魚やおさしみ、海鮮サラダなどを注文して食べたり飲んだりした。北海道限定のサッポロビールを飲んだ。またまたお腹がいっぱいになるほど食べてしまった。何か
2キロぐらい太ったような感じだ。市電に乗って帰らずに、夜風に当たりながらホテルまで歩いて帰ったら意外と近く20分もかからなかった。一日歩き回って足が棒のようになってしまい、ベッドに横になりながら、テレビで9時のニュース、10時のニュースを見ていたつもりだが、ほとんど覚えていなかった。
2009年9月9日(水)
山ちゃんが佐久平駅まで車で送ってくれるというのでその好意に甘えて、朝545分に家を出て610分に佐久平駅に着いた。623分発の一番電車を待つ間、浅間山を見やると頂上付近は澄んだ空気にすっきりと姿を現していたが、山裾は雲のジュウタンというかふとんというか白い雲に覆われていた。
新幹線に乗り込むともうほとんど満席状態だった。結構我々と同じような大人の休日倶楽部会員パスを利用していると思われる熟年たちの姿が見受けられた。さすがに日本の新幹線は時刻どおりの運行で、最初の乗り換えの大宮駅、次の八戸駅と全て時刻どおりの到着、発車だった。八戸駅から在来線になり特急スーパー白鳥に乗り換え、青森を経て青函トンネルを通って函館に到着した。高校時代修学旅行では青函連絡船で渡り、子供達を連れて
24年前に家族旅行したときは飛行機で、そして今回初めて海底のトンネルを通って渡った北海道の地。1分の遅れもなく午後114分に函館駅に到着した。
事前にネットで調べてあった函館朝市の海鮮どんぶりのお店へ直行したが、既にその店は今日の営業を終えていた。仕方なく「どんぶり横丁」の名のとおり周りに連なっているお店を一通り覗いたあと、「史実」というお店が空いていたのでそこに入った。何はともあれ「ウニイクラ丼」を注文した。ウニはさすがにおいしい、と思ったがイクラの味付けは少し塩っぱくていまいちだった。以前に新潟の魚市場で食べたイクラがプチプチしておいしかった記憶があるので、それを越えない味でないと良しとしないのかもしれない。
昨日の夜の天気予報では、函館は今日一日晴れのはずだったが、駅周辺は雨上がりで路面がまだ濡れていた。雲の動きが早く、晴れ間も見えるがまた一雨来そうな雲行きでもあり、電車に長時間揺られた疲れもあったので、予定を変更して湯の川プリンスホテル渚亭に早めにチェックインすることにした。函館駅から市電に乗り、当初寄る予定だった五稜郭を通り過ぎて、湯の川温泉駅まで行った。そこで市電から降りホテルまで歩いた。市電の駅からすぐ近くだったと思っていたが、
10分近く海岸に向かって歩いてようやくホテルが見えた。
ホテルの入口には出迎えの従業員が数人待ち受けていて、重い荷物をサッと替わって中まで運んでくれた。予約してあったのは普通の和室だったが、露天風呂付きの海側の和室を用意してくれていた。ネットで予約するとき
5,000円ぐらいの差があったので、露天風呂のない安い部屋にしたはずなのに、ありがたいことだ。もちろん料金は予約した料金で。
チェックインしたのが午後
3時だったので、時間をもてあまし、夕食までに遅い昼食だった分運動してお腹をすかせなければ、と海岸を散歩するため外へ出た。ホテルの窓から目の前に砂浜が見えたので、そこへ行くつもりだったが行けなかった。理由はあとで分かったが、目の前の砂浜は、大浴場の露天のまん前だし、各部屋の露天が丸見えになる場所だった。立ち入れるのはカモメだけだった。仕方なく海岸は諦めて、湯の川温泉のホテルが点在する静かな通りを小一時間散策した。その間に雨も降り出し、ホテルに戻る頃には傘なしには歩けないほどの降りになってきた。
部屋に一旦戻った後、まだ夕食までに
1時間以上あるので大浴場に行った。露天風呂付きの客室が多いせいかそれほど大浴場は混んでいなかったので、サウナに入ったり露天風呂で思いっきり手足を伸ばして寛いだ。海の上には二重に虹が掛かっていた。散歩している間雨を降らせていた雨雲が過ぎ去って、青空の向こうにかすかに下北半島や津軽半島が見えた。
夕食はバイキング形式の食事だった。窓際の夜の海が見える場所に陣取って、満載の魚介類を好きなだけ取ってきては味わった。ホテルブランドの「渚の雫」という冷酒を
1合飲んだ。いろいろ食べたいのでビールなどお腹が張る飲み物を選ばず日本酒にしたのは正解と言えば正解だったが、食べ過ぎてお腹が苦しくて夜遅くまで眠れなかった。寝る前に部屋の露天風呂に入り、潮騒の音を聞きながらライトアップされた波打ち際で揺れる波を心ゆくまで眺めた。なかなかいい62歳の誕生日だった。
2009年9月8日(火)
昨日の朝は資源回収日だったので、新聞雑誌を車に載せて八重原公民館まで出しに行ってきたが、今日は可燃ごみの日なので歩いてステーションまで出しに行った。最近は夜寝る時間が遅くなっているせいか、ごみを出しに行く日は目覚ましを掛けておかないと寝坊して間に合わなくなる心配がある。遅くても730分前には出さなければならない。最近はポチのトイレの砂がコンスタントに排出されるので、週1回は出しに行かないとごみが貯まってしまう。生ごみは庭の穴と堆肥化の専用バケツと併用しているのでごみとして出すことはないし、紙類は畑で燃やしているので、ポチの砂とプラごみだけなのだが、それでも結構貯まるものだ。
午後からバアとミッチャンは植物観察の講座に出席するため出かけていった。今日は女神湖周辺に行ったようだ。帰りは滋野公民館で落ち合った。植物観察の講座を指導している先生は、ジイも参加している里山歩きの講座も担当していて、今日は植物観察が終わったあと滋野公民館で先生と
10月に行われる「滋野地区ふれあいのつどい」に講座の活動報告をするための打ち合わせをすることになっていたからだ。植物観察は毎回午後に行われるので、滋野公民館に戻ってくる時間も結構遅い。今日は520分ごろ戻ってきた。どんな報告をするのか簡単に打ち合わせをした。来週14日には発表方法を公民館の職員に伝え、今月中に展示する作品を仕上げることにした。写真を使って数ページの冊子にして提出することにし、ジイがその作業をすることにした。
夜は明日からの北海道函館旅行の準備をした。心配した台風も東にそれて行ったようで、最初の
2日ぐらいは天気がよさそうだ。明日の朝1番の新幹線にのるため山ちゃんが佐久平まで車で送ってくれることになった。3日間ポチの面倒も見てもらう。感謝。しばらく日記も更新できない。帰ってきてからまとめてアップするつもりだ。
2009年9月7日(月)
昨日収穫したスイカを昼食代わりに食べた。甘くてみずみずしくとてもおいしかった。これなら1,000円で売れるね、と冗談を言いながら食べた。ミッチャンからもまた来年も作ってね、と言われた。種を蒔いて苗を作り、苗が育ったところでカボチャの苗と同居させて植えた。これも今年から広い場所を畑として確保できたからこそのこと、畑の所有者に感謝。苗を移植後は特に追肥もせず何の手間もかけずにこれだけのものができたのだから、気象条件さえうまくいけば来年も楽しめそうだ。
午後から昨日の水彩画教室の風景画を完成させた。講師の先生の作品をカメラに収めてきてあったので、それをパソコンに取り込みモニターに映し出して、色使いや筆の動きを観察しながら、同じようにやってみたが半世紀以上毎日のように描いている先生の足元に及ぶべくもなかった。それでもバアには前回明神池で描いた絵より木立の描き方が上達していると誉められ?というかおだてられた?そのうち額縁に入れて壁に架けられるような絵を描きたいものだ。
民主党の鳩山代表が新政権発足に向けていろいろ発言しているが、今日は朝日新聞社主催の環境フォーラムで、民主党のマニフェストに書かれている地球温暖化対策である
2020年までのCO2削減目標1990年比25%減を改めて強調した。マニフェストではそれを達成させるための具体策として、CO2排出企業に対して排出枠を課すとともに国内排出量取引市場を創設して、全体として排出量の目標を達成させる、地球温暖化対策税の導入を検討する、などとしている。鳩山代表の発言に早速経済産業省の事務次官が、産業界に大きな負担になるとけん制していた。人間が生きて行くための営みである産業が、生きていけない地球にしてしまったら元も子もないと思うのだが・・・。
2009年9月6日(日)
今日は第一日曜日なので水彩画教室の日だった。先月は屋外で風景画を描く予定だったが雨のため室内で静物画に変更になってしまったが、今日は朝からいい天気で絶好の写生日和、4台の車に分乗し、湯の丸山、烏帽子岳の登山口である地蔵峠に向かった。烏帽子岳の登山口にあるキャンプ場に行って、そこから篭の登山を描いた。
相変わらず唐松林など緑の濃淡が連なる風景を描くのは難しい。特に唐松も葉の先が少し黄色味を帯びてきているのでその色を出すのは至難の業だ。一緒に描いた講師の先生の絵を見せてもらうと、そういう微妙な色の変化を実に巧みに表現している。風景を見ながら自己流に描くよりも、まずは先生の絵をそっくり真似るのが先のように思えた。真似ようとしても同じようにはならないが・・・。絵の具の混ぜ方が違うのだ。秋の樹の緑の色の出し方を、絵の具の色の名前で教えてもらったが、その絵の具の名前をまだ覚えていないので、いかんともしがたい状態だ。でも描くこと自体は段々面白くなってきたので、講座のある月
1回だけではなく描いてみるかな。
夕方今年
2個目のスイカを収穫した。半分に割ってみると、初めてのスイカより赤味も増して、種も黒くなっているので、おいしそうに見える。少し空洞ができ始めたところだったが、最初のスイカより食べごろで甘さも期待できそうだ。今夜は食べずに冷やしておいて明日ゆっくり食べようと思う。当然ながら割った半分はお隣の山ちゃん家に届けた。畑にはまだ少なくても3個は食べられそうなスイカがある。
山ちゃん夫妻は朝
7時前に家を出て尾瀬に行ってきたようで、帰ってきたのは夜8時前だった。どこからアプローチしたのかまでは聞かなかったが、車で片道3時間も掛かってしまったらしい。意外と尾瀬は、埼玉よりこちらのほうが行くのに時間が掛かるということだ。
2009年9月5日(土)
午前11時に家を出て上田に買い物に行った。最初にジャスコで買い物をし、昼食も済ませた後、バンバンに行った。昨日の釣りで落としてきた道具を買うためだったが在庫がなく、釣り針とミミズやブドウ虫などの餌を買った。北海道旅行があるのでしばらく釣りに行けないが、今月末で禁漁になるのでそれまでにあと1,2回は行くつもりだ。餌は冷蔵庫に入れておけば今月いっぱいなら十分もつだろう。
最後に洋菓子やバールマタンに寄ってケーキを
4個買って帰った。今月はジイの誕生月なので、ジイがバアや山ちゃん夫妻においしい洋菓子を振舞わなければならない。去年から始めてこれで2巡したことになるかな?バールマタンのケーキは生クリームを使っているので、買ってきたらその日の早い時間に食べなければならないということで、早速午後3時に我が家に集まり、コーヒーを飲みながらケーキを食べた。久し振りのケーキはおいしかった。全部違う種類のケーキだったので、じゃんけんで順番を決めて勝った順に食べたいものを取ったが、みんなおいしそうに見えたので、一口ずつ他の人のケーキを貰って味わった。他愛ないことだがささやかな楽しみだ。これで来年の2月まで次の機会がないので、間が開くから、クリスマス会でまた食べようかという話で盛り上がった。
ケーキを食べる会が終わったあと、ジイは今まで釣り貯めてきたイワナ、ヤマメの甘露煮作りをした。水に入れて氷漬けしていた魚を解凍し、いままでは陰干ししてみたり、
IHのグリルで焼いてみたりしてから、圧力鍋で煮ていたが、どうしても煮崩れてしまっていたので、今回は電子レンジのグリルで15分ほど予熱無しで焼いてから、圧力鍋にかけてみたらほとんどに崩れずきれいに形が残った。リリースサイズの小さなヤマメ数尾は頭が取れたが、ほとんどは頭も残って形がよく仕上がった。味付けも酒、しょう油、砂糖のほかはしょうがを入れただけのシンプルなものにした。少ししょう油を入れ過ぎた感じで味が濃くなってしまったが、今まで作った中ではまあまあの出来の部類に入れられるように思う。山ちゃん家にもお裾分けした。
2009年9月4日(金)
4時半に目覚ましをかけておいた。目覚ましで起きてみると外はまだ真っ暗だった。最近こんな時間に起きたことがなかったので、日の出が大分遅くなってきたことを実感した。夏至の頃ならもうとっくに明るくなっていた。早く起きたのはもちろん釣りに行くためだ。夜が明けていないので、ゆっくりパンとコーヒーで朝食を取ったあと身支度をして5時半に家を出た。昨夜は佐久地方に大雨、洪水注意報が出ていたので、夜中の雨で川の水が増水していれば釣果も挙がると期待していたが、現地に行ってみると田植えの頃の水量と同様かなり少なくなっていた。家の周りでは昨夜は降っていなかったが、山のほうで降っていればと期待していたが、山でも降らなかったようだ。
前回リリースした分を入れて
10尾以上釣れた場所は、今回はリリース2尾で終わった。移動を繰り返して最初の渓では結局3尾しか釣れなかった。次に昨日動物病院に行くときに渡った千曲川本流に行ってみた。さすがに千曲川の本流だけあって川幅は20メートル以上あるし、大きな流れやポイントもあったが、生活排水が入っているのか水が汚れていて、釣る気にはなれず諦めてそこを引き揚げた。まだ時間は10時ごろだったので、別の行きつけの渓に行き、小型ながら5尾を釣り上げた。
午後から今まで入ってない渓に行った。この渓はこの辺りでは最も人気のある渓で漁協の放流数も多い。
91日に放流した、というニュースもネットに載っていたので行って見た。ここで2尾を挙げたところで餌のミミズが底をついてしまった。前回は暑さで午後から餌が死んでしまって釣りにならなかったが、今回は早々と使い切ってしまった。ブドウ虫と併用で釣りをしていれば、一日の釣りでミミズがなくなることはあまりないが、ミミズだけだとなくなるということか。それとも最近のえさ箱に入っている量が減ったのだろうか。川虫を取りながらさらに上流にも行ったが釣果はなかった。それでも何とか二桁の10尾をゲットして家に戻った。
夜になって八重原の公民館に公民館建設負担金の
5万円を納めに山ちゃんと一緒に行ってきた。公民館といっても公設のものではなくいわゆる地域の集会所なので、地元が役所から建設費の一部を補助金としてもらうにしても、大部分は住民の負担で建てる施設だ。今夜は3年かけて年2回ずつ分割で支払う日のようだ。我が家も山ちゃん家も新規転入者ということで負担を求めるか地元の役員で協議して5万円という金額を打ち出したらしい。もともとの住民の人たちは1世帯27万円を負担しているとのことだった。世帯数が少ないので1軒辺りの負担額も大きいのかもしれないが、中には年金生活者もいるだろうに、どうやってお金を工面しているのかと余計な心配?までしてしまう。こういう類の施設を上尾にいるときは、ごみ処理施設や火葬場の建設受け入れの見返りとして市が丸ごと建設費を出して建てたのとは大違いだ。
2009年9月3日(木)
午後ポチをゆりかご動物病院に連れて行った。最近はポチの状態も安定しているので、10日に1回のペースで点滴を受けるようにしている。最近は昼間ほとんど眠っていて、夜になると元気に起きだして外へ出たがって、うるさく鳴いてせがむことが多くなった。寝込みを襲われることもある。動物病院では副院長のアヤ先生に抜けかけた毛をきれいに取ってもらった。今頃になって夏毛に替わっているようで、ふわふわした古い毛がごっそりと取れた。取れた毛を先生が丸めて手毬のようにしてくれたのでそれを貰ってきて、遊ばせようとしたが見向きもしなかった。今の状態なら来週3日間留守にしても大丈夫でしょう、といってもらった。隣の山ちゃん夫妻に時々見てもらうことになると思うが・・・。
ポチの診療から帰ってから、夕食に先日の「味な男の料理教室」で習った中華丼を作った。材料は先月
30日にジャスコへ買い物に行ったときに買い揃えてあったが、白菜だけ買い忘れていた。白菜の入らない中華丼などどうかと思うが、いまさら車を飛ばして買いに行くわけにも行かず白菜ナシで作ることにした。とろみをつけるための片栗粉の量が少なかったり、白菜が入らない分汁気が少なくてぱさついたりと散々だったが、何とか食べることはできた。今夜のメインディッシュだけに失敗したら大変だった。
2009年9月2日(水)
一昨日の朝コーヒーメーカーが故障した。コーヒー豆を挽くミルの部分が動かなくなってしまった。その前の日は半分だけ挽けたが途中で止まってしまったらしく、豆粒が残っていたので、味が薄くて飲めなかった。このコーヒーメーカーを使い出したのが平成88月からだからかれこれ13年も使ってきたことになる。一度ポットが割れて代わりを取り寄せたが、それ以外は故障らしい故障もせず使い続けてきたのでそれなりに愛着がある。
特にこちらに家を作ってからは、ずっとジイがこれでコーヒーを淹れる係りになり、ほとんど毎朝起きるとすぐにコーヒーを淹れる習慣になっていた。いよいよ駄目になったかと思ったが、簡単に分解できそうだったので、ミルの部分のネジをはずして中を開けてみると、特に変わった様子もなかったので、詰まった豆を取り除いた後、掃除機で残ったコーヒーの粉をきれいに吸い取ってまた組み立てなおした。
豆やフィルターをセットして恐る恐るスィッチを入れると、軽やかなモーター音がして豆が挽かれていった。無事美味しいコーヒーが入った。それ以後今日まで無事コーヒーを飲むことができている。どうやら何かの拍子に豆がミルの回転刃に挟まって止まってしまっていた様だ。考えてみたら毎日のように使っているもので、
13年も長い間使い続けている電気製品など見渡したところほかにはないような気がする。古い扇風機などコンデンサーの劣化が原因で発火する事例が報道されているが、このコーヒーメーカーはこれからも長く使い続けたいものだ。
昨日梅野記念美術館に行ったチケットで丸山晩霞記念館も入れるというので、午前
11時ごろ車で記念館に行ったが、91日から4日まで展示品の入れ替えで休館という張り紙が貼られていた。開いてなくては仕方がないので、道を挟んで隣接する東御市中公園に行った。家を出るときから記念館に行った後、公園を散策した後芝生の上で持っていったお昼のお弁当を食べるつもりだったので、公園の一角を歩いたあと、芝生にシートを敷いて昨日に続きバアが握ってくれたおにぎりを食べた。空は雲が多く陽射しもなかったので広い芝生広場の真ん中に座ってのんびり寝そべって空を見上げていたが、そのうち雲が流れて強い陽射しを受けるようになったので、あわてて大きな木の木陰に移動した。昨日に続き、スケッチを試みたが、複雑な木の光や影をかくのは難しかった。風景を写真に収めてあとで机上で描き直してみることにした。
2009年9月1日(火)
東の空には雲がかかっていたが、真上から西の空にかけては青空が広がっていた。午前7時過ぎにごみを出しに行くときには、朝日がまぶしく光っていた。ゴミステーションには、いつもは少なくても23袋のゴミ袋は出ているのだが、今日は一つも出ていなかったので一瞬曜日を間違えたかと不安になった。頭の中で、30日が選挙で日曜日、昨日が31日で月曜日、今日は月が替わって91日の火曜日だから、間違いなく可燃ゴミの収集日のはずだ、と反芻してようやく安心した。勤めているときのような日付や曜日を意識する生活ではなくなっているので、こうして何かの拍子に日付があいまいで不安に襲われる。持ち歩くような手帳は不用になったが、日付を確認するカレンダーは絶対必要だ。それも予定を書き込めるような大きなやつだ。よく見える壁にかけて、繰り返し書き込んだ予定を確認しておかないと、予定を確認することさえ忘れていることがある。
晴れていたが涼しい風も吹いていたので、久し振りに明神館までウォーキングに出かけた。バアが急いでおにぎりを握ってくれたので、木陰でお弁当を食べることにした。まずは
1時間かけて明神館の憩いの家に行き、ジャガバタを買っておにぎりと一緒に芝生の木陰で食べた。明神池から浅間山を望む場所だったので、スケッチブックを取り出して少し風景をスケッチしたが、浅間連峰の中腹から上が雲に隠れていたので、構図的には物足りなかったが、絵の具までは持っていかなかったので、鉛筆だけのスケッチになった。
そのあとは明神池のほとりに建っている梅野記念美術館で今「ねこまみれ」という企画展をやっているので、それを見に入館した。藤田嗣治やシャガールなどの描いたネコの絵もあった。ピアニストのフジコ・ヘミングの作品まで展示してあった。浮世絵に登場するネコもいた。展示室が全部ネコの絵画、彫刻、彫金などまさしくネコまみれの絵画展だった。ほとんど地元の人しか知らない小さな美術館でもこんな面白い企画展をやってくれるならまた見に来ようかと思う。ここの美術館の入場チケットで市内のほかの場所にある丸山晩霞記念館にも入れるので近いうちに観にいってくるつもりだ。丸山晩霞は東御市出身の画家で、明治後期以降の近代洋画の歴史に大きな足跡を残した人で、特に故郷の信州の風景を描いた水彩画を多く残しているようなので必見だ。
午後
2時ごろ家に戻って冷えたスイカの残りを食べた。汗をかいた後なのでスイカがみずみずしくて美味しかった。お腹がいっぱいになったあと横になりながら文芸春秋を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまった。

過去の日記07年11月〜09年08月

思いつくままに(ジイの記録)