過去の日記07年11月〜08年12月

思いつくままに(ジイの記録)
2009年1月31日(土)
インターネット工事
もう1月も最後の日になった。ほとんど毎日同じようなことの繰り返しで、時間が止まったように感じることもあるが、一方で確実に日は進んでいくようだ。こうしていつの間にか齢を重ねて老けていくのだろうか。
今朝目覚めると昨夜からの雨がさらに激しくなって風も吹いて横殴りになってふっていた。シメやジョウビタキが雨の中をしきりに飛んできては、庭の木で羽を休めていた。平年なら吹雪になるような降り方だったが、その雨も午前中であがり、時々青空も見せるような天気になった。
今日は午後に山ちゃん家のインターネットの工事に来る予定になっていたが、こんな天候なので中止かと思っていたら、午後一番で電話があり、
10分もしないうちにやってきた。すぐに山ちゃん家の床下にあるモデムの設置場所で、モデムを取り付けて屋内3ヶ所に配線してあるケーブルとつなぐスイッチングハブに接続して工事は終わった。屋外の工事もあると思っていたら、すでに11月にケーブルテレビの接続工事をしたときに外部からの接続工事は終わっているとのことで、モデムを設置しただけの簡単なものだった。
工事に来た人は
6年前に我が家の接続工事にも来た人で、我が家のモデムの置き場所が天井裏だったことでよく覚えていたらしい。我が家に来てもらって工事の確認書のサインをしながらいろいろ話をしたが、やはり長年住み慣れている地元の人にとっても今年は雪も少なく、暖かい日が続いていることに驚いていた。外仕事が多い電気工事屋さんにとってはこういう気候のほうが大歓迎のようだが。工事の人が帰ってから、山ちゃんが置いていったノートパソコンのインターネットの設定をし、ネットが接続していることを確認した。
2009年1月30日(金)
歯科医院
今日は一日曇り空だったが風もなく気温も高めだったので、ぜんぜん寒さを感じなかった。午前中買い物に行く途中、立科町に最近できた「もみの木歯科クリニック」という歯科医院に寄った。実は昨日バアが朝食後の歯磨きをしているときに、奥歯にかぶせてあった金属が取れてしまったのだ。
去年まだ上尾にいるときに二人とも歯科医院に通っていたので、引っ越してからいつかは歯科医院に行くはめになるとは思っていたが、とうとうその時が来てしまった。歯科医の情報はまったくないので、ツルヤの買い物に行く途中にあるこの歯科医院が
1,2年前に出来たのだけは見かけたことがあったので、行ってみることにした。診療室は小奇麗に3台の診察台が置かれていて、歯科医とスタッフ3人?ほどでやっていた。さすがに行ったその場ですぐに見てくれることはなかったが、午後2時過ぎなら、ということだったので即予約をした。
今日の買い物は、
30日のお客様感謝デーということで恒例のジャスコへ。20日のお客様感謝デーは上田のジャスコに行って絨毯が買えなかったので、今日は佐久平のジャスコに行った。こちらは以前に下見して、今使っている絨毯と同じ柄のものが置いてあるのはわかっていたので、お店に到着してすぐにその売り場に行って買い求めた。そのあとダイレクトメールで広告のあった4ギガのUSBメモリーを950円で買うことが出来た。食料品は最近コープ長野から毎週取り寄せているので、買いたい商品はあまりないが、それでもパン焼き用の小麦粉などを普段は買い控えているものを買った。
買い物のあとデニーズでお昼を食べたあと、カメラのキタムラに行って、新しく買ったデジカメを入れるケースを買った。それでも午後
2時過ぎの歯医者さんの予約にはまだ時間があったので、一度家に戻ることにした。
一旦家に戻ったので、バアが一人で歯科医院に行ってきた。取れてしまった金属は、レントゲンなどを撮ったりして調べた結果、もう一度つけ直せるということで簡単に付け直してもらって帰ってきた。そんなに悪い印象ではなかったようなので、今度はジイが歯石を取ってもらうために予約してみることにした。上尾の歯科医院は予約してあってもひどいときは
1時間近く待たされることもあったので、それに較べれば受診者がまだ少ないようで、5分ほど待っただけで診察が始まったとのことだった。普通に治療してくれるならあえて他を選ばなくてもいいかな、というところだ。
今日も気温は
10度を超えて暖かく、明日にかけては雨が降るという予報が出ている。普通なら雪になってもおかしくない季節なのに、またまた先日に続いて雨らしい。溜池の凍りも今日はまた全部解けてしまった。
2009年1月29日(木)
ウォーキング
昨日の夜はエアコンを点けるのを忘れて寝てしまった。朝起きて少し肌寒い感じがしたので室内の温度計を見ると15℃になっていた。外はマイナス2℃だったので料金の単価が高くなる9時までエアコンを点けることにした。
日中暖かくてなって、外の気温が
12℃まで上がったせいか、午後には室温も20℃になった。デッキにテラス屋根を付けてから初めて、ランチをデッキのうえで食べた。陽が当たって暖かかったし、食事も煮込みうどんだったので、まったく寒さを感じなかった。
午後から山ちゃん夫妻も一緒に
4人でウォーキングをしたが、外で感じる空気は春先のようだった。雪もほとんど残っていない。明神館までの往復で約2時間、途中憩いの家にも立ち寄ってトイレを借りたり、漬物やひたし豆も買ったりしたので、正味歩いたのは1時間半ほどだろうか、今日もしっかりウォーキングができた。
これで今週は月曜日に風が強くて休んだだけで、もう
4日間も歩いている。体重はあまり減っていないが・・・。ずっと付き合った山ちゃん夫妻はウォーキングから戻ったあと、引っ越し準備で上尾に帰った。
2009年1月28日(水)
メジロのいるウォーキングコース
少し風はあったが雲ひとつない好天になった。昨日動物病院に行った帰りに、佐久平のカインズに寄って、山ちゃん家の物置の前のぬかるみ対策用に砂利を買ってきたので、朝一番で山ちゃんに手伝ってもらって、砂利敷きをした。そのあと畑の隅で可燃ごみを燃やした。いつもは一人で火燃しをしているが、今日は山ちゃん夫妻やバアも火の回りに集まってきたので、焼き芋をしようということになった。3日前九州の知り合いから美味しいお芋を送っていただいたので、それを焼き芋にした。もともと美味しいお芋だが、焚き火で焼いて外で食べるのは格別美味しかった。
午後は、昨日に続きみんなでウォーキングをした。北御牧総合支所に車を停めて、そこを起点に御牧ヶ原台地の上にあがり、別の道を通って台地の下へ降りてくるコースを約
1時間45分かけて歩いた。途中の集落の一角で柿の木に10羽近くのメジロが群れていた。山の林を背景にした集落なので、林にねぐらがあるのかもしれない。ジイとバアの家ではまだ一度しか見たことがない。いるところにはいるものだ。車で一度だけ通った道だが、車の通行もほとんどなくウォーキングにはいいコースをまた一つ発見した。
今日は麻生首相の施政方針演説よりももっと気になるニュースが流れている。麻生首相が就任以来度々言及していたが、防衛省がソマリア沖に自衛隊を現行法の海上警備行動を拡大解釈して派遣することを、いよいよ実施するというものだ。新法制定も視野に入れて検討しているようだが、いよいよいままでの領海の範囲内であったものをなし崩しにして、海賊対策を名目に自衛艦を領海からはるか先のソマリア沖まで出動させてしまうようだ。かつての日本軍が海外で軍隊を動かすときはいつもこうした「自国の権益を守る正義」を旗印にして、侵略行為を繰り返していた。補給支援特別措置法によるインド洋上の補給支援も含めて、次から次へと既成事実を積み上げて、海外に向けて軍事行動をすることは、明らかに今の憲法に違反している。この問題に口をつぐんでいる民主党も同罪だ。いや国会質問でソマリアへの自衛隊派遣を検討するよう迫った民主党議員(長島昭久)もいた。
2009年1月27日(火)
ポチの徘徊
昨日は夜になって少し悪寒がしたので、改源を一服飲んで早めに寝たのに、ポチに夜中から明け方にかけて何度も起こされてしまった。鳴きながらベッドの周りを徘徊するのだ。理由はわからないので、その都度ネコご飯に食べやすいようおかかをかけたり、トイレの砂を替えてやったりなどしたが、効果はなかった。家の中でトイレができるようになった分外へ出ることが少なくなって、ストレスでもあるのだろうか?
昔は朝寝坊で寝過ごしてしまうところを、何度か起こされて助けられたこともあったが、今は何時まで寝ていようと困ることはないので、睡眠を妨げられることは迷惑以外のものではなくなった。こんな状態が続くと寝室を別にしなければならない。ポチに安眠は妨害されたが、風邪の心配は杞憂に終わった。
そのポチは今日
10日ぶりの定期診療の日だった。午後の開診時間である4時に合わせてゆりかご動物病院に行った。今回も元気な様子と毛艶のよさを褒められた。皮下点滴には20分ぐらい時間がかかるが、今回はしばらくはおとなしく点滴を受けていた。もう大分慣れてきたのだろうがやはり気持ちがいいものではないのだろう、診察台の上にジッとしていられなくてときどき動こうとする。さらに点滴している間中、怒ったように鳴き続けている。点滴をしてもらって、次回までの毎日の飲み薬をもらって帰るのが定期診療だが、この点滴とさらに往復の車がポチには苦役のようだが、これで10日間元気でいられるのだから、かわいそうだが我慢してもらうしかない。
午前中山ちゃん夫妻と
4人で1時間20分のウォーキング。朝は氷点下5度まで下がっていたが、ウォーキングに出る頃は6度まで上がっていた。風もさほど強くなく歩いていても辛くない。珍しくウォーキングをしている人ともすれ違った。りんご園では剪定作業をしている人を何人も見かけた。今は農閑期と思っていたが、リンゴ農家はほとんど休みがないそうだ。
今日定額給付金を含む第二次補正予算が成立した。給付に至るまでには関連法案の成立を待たなければならないが、いずれにしても給付されることになるだろう。どういう対処の仕方がこの愚策に対抗できることになるのかじっくり考えたい。有無を言わさずこの給付事務にたずさわらなければならない地方公務員の皆さんには、本当にご苦労様と言いたい。
2009年1月26日(月)
北御牧総合支所
晴れてはいたが朝から昨日以上の強い風が吹いていて、さすがに今日はウォーキングどころではなかった。先日の雨以来解けていた溜池の氷が今朝は半分ほど凍っていて、夕方まで解けずにいたので、この様子だと明日にはまた全面結氷するだろう。
午前中、山ちゃん夫妻がインターネットの接続の申し込みに行く、というので付き添いで東御ケーブルまで一緒に行った。東御ケーブルの事務所は、北御牧総合支所に隣接しているので、そちらの用事が済んだあと支所に行った。支所でジイとバアの家の浄化槽の維持管理費用の補助金申請書を提出した。毎年維持管理(保守点検費用)に要する費用(我が家では
25,200円)の4分の16,000円を限度)を補助してくれるのでありがたい。
支所は転入の手続きをした昨年の
4月以来久し振りに行ったが、事務室が大きく変わっていた。1階の事務スペースの半分が改造されて、そこに農協が入っていた。職員の大部分が旧東部町役場に置かれた市役所のほうに異動になってしまったので、事務スペースが大きく空いてしまったための窮余の策だろう。上尾でも支所として使っていた土地建物を農協に譲渡したことがあったことを思い出した。山ちゃん夫妻は、初めての水道料金の支払いを、新しく入居した農協の窓口で済ませた。こういう便利さはあるが、何か市役所に用事があるときは、こちらの支所では用が済まない不便さもこれからあることだろう。いずれにしても車がなければ、支所にも市役所にもいけないのだから同じようなものかもしれない。不便なことは百も承知で田舎暮らしを始めたのだった。
2009年1月25日(日)
えこふぁーむ
晴れてはいたが風があったのでジイはウォーキングをやめて、テレビで大阪女子マラソンの中継を見ていた。バアは義姉とポストに手紙を出しに行きがてらウォーキングに行くと言って出かけた。すぐに戻ってくるのかと思ったら1時間半ほどしてから帰ってきた。風も場所によってそれほどでもなかったらしく、着ている服の背中が汗で濡れるほどだったようだ。家の中から外を見ていると、前の畑とその先の林は、風で木が揺れ、土も舞うので強い風が吹いているように見える。時折風きり音も聞こえてくるので、実際以上に風を強く感じてしまうのかもしれない。
ジイはマラソンのゴールが済んだあと何気なく別のチャンネルをまわしていると、
BS-iで夕張で行われた北海道農民管弦楽団の演奏会の練習や準備の様子、団員の家庭の様子などを再放送している番組を見つけた。2年ほど前からネットサーフィンしていて偶然遭遇したホームページ「えこふぁーむ農民芸術学校」を運営している牧野さんという人が主催している農民オーケストラが、昨年1月に定期演奏会を夕張市で開催した模様を取材してまとめた内容だった。
牧野さんは、北海道大学大学院を出たあとワイン製造会社に就職するが、在学中に宮澤賢治の「農民芸術概論」に共鳴し、
30歳を機に北海道余市町に有機農業の農場を開設する一方、余市を拠点に農民オーケストラを組織し、1995年から毎年1回定期演奏会を開催してきた。彼のホームページには、農業に取り組む姿勢だけでなく、農民芸術活動の理念や、政治、宗教など幅広い分野についての哲学が、そのブログやBBS掲示板の書き込みに対するレスなどによく出ており、ときどき覗きに入っていた。しばらく見ていなかったが、今日テレビでその活動が紹介されていてあらためてみてみると、ホームページもかなり進化していた。こういうところにも頑張っている人がいるのだなー、と改めて感心させられた。
2009年1月24日(土)
火災報知器
さすがに昨日までの暖かさは終わって、寒風が吹く一日だった。午後、昨夜からこちらに来ている山ちゃん夫妻を誘って、東部湯の丸インター脇のコメリまで買い物に行ったが、その途中グランドキャニオンほどのスケールではないが、烏帽子岳の方角に雪雲から雪が下に滝のように吹き出している様子が見えた。青空に雪雲の一団が綿のようにかたまっていて、盆地のような地上に向かってスジ状に行くスジも降りて行く様は、運転しながらも思わず見とれてしまうような光景だった。
コメリでの買い物は、今日がポイントが
3倍になるというので、何日か前のチラシに載っていた火災報知器を、今日まで待って買いに行ってきた。上尾では既に昨年から既存住宅でも設置が義務付けられているが、こちらではまだ今年の5月まで猶予がある。去年10月にキッチンの近くに1個だけ付けておいたが、2階の和室や1階の寝室にはまだ付けていなかった。10年保証の報知器だと1個3,980円もするのでもう少し安くなるのを待っていたところ、今回1,000円も安くなって売り出されたので買うことにした。この季節になると必ずといっていいほど火災による死亡のニュースが流れる。ほとんどが逃げ遅れで、しかも煙による一酸化中毒で意識を失って倒れてしまうことが原因だという。報知器を付けたから絶対安心というわけではないが、ないよりはあったほうがいいだろう。まずは火を出さないことが肝心だ。そうはいっても照明を点けっ放しとか、暖房の切り忘れとかしょっちゅうなので少し不安だが・・・。
朝のうちに、先日作り上げた物置をジイ小屋から山ちゃん家の東側の壁際まで
4人で運んだ。意外に重くなってしまったので思った以上に難儀をした。昨日の雨で足元がぬかるんでいて、運びあがった時にはみんな靴が泥だらけになり、身長が23センチ高くなってしまった。庭の通り道には砂をまいてあるが、そこも雨で湿気を含み今朝の冷え込みで霜柱ができ、それが融けてぬかるんでいる。やはり御影石の敷石を敷いたほうがいいかもしれない。
今年からは野菜作りは隣の畑を使うので、今まで家庭菜園として使っていた庭の一角も花壇に替えるつもりなので、庭の全体を作り直そうと、今バアと義姉で構想を練っている。間もなく畑の開墾と庭の改造と、ジイのやることがまた増えそうだ。
2009年1月23日(金)
陽気が変?
雪になっているものと思っていたが、朝目を覚ますと外は雨だった。昨日の朝とは打って変わって雪を融かす雨だった。その雨も朝のうちに止み、陽が射すと気温がぐんぐん上がって、畑の土からは湯気がかげろうのように上がっていた。大寒を迎えて間もないというのにこの陽気はどういうことだろうか?最近の日記には、天気のことばかり書いているような気もするが、これも季節に合わない陽気が続くのも一因だ。信州に越してきて初めての冬を迎えているというのに、覚悟していた本格的な雪や寒さにまだあっていない。答えを出すにはまだ早すぎるかもしれないが・・・。
今日もこの陽気に誘われて、ツルヤに買い物に出かけたついでに、芦田宿から茂田井宿までの昔の街道を歩いた。途中建立が約
1000年前という「無量寺」にも足を延ばしてきた。1時間半ほどのウォーキングだったが、ぽかぽかとして手袋やマフラーも必要なかった。週末しか滞在していなかった去年までの経験では、1月から3月はウォーキングは寒くて無理だろう、と思っていたのに、今月だけでも9日もウォーキングをしている。
ウォーキングから戻って、庭の生ごみを埋める穴掘りをした。田植えの頃に掘ってからずっと使ってきた穴がいっぱいになってしまったのだ。いくら暖かい日が続くといっても、さすがに生ごみの分解はほとんどしなくなってきて、穴が生ごみでいっぱいになった。山ちゃん家にも使ってもらうように少し深めに掘った。
2009年1月22日(木)
湿った雪
朝起きると、昨夜午後9時ごろから降り出した雪で、先日の雨でほとんど融けてしまっていたのに、またあたり一面雪で真っ白になっていた。しかし、今度の雪は湿気が多いのか、一日中薄雲に覆われていて陽射しはほとんどなかったにもかかわらず、どんどん融けてしまった。午前中、家の北側の道路や山ちゃん家の玄関前など、ほっておくといつまでも雪が残って凍り付いてしまうので、その辺だけ雪かきをしたけれど、そんなことをしなくても融けたかもしれない。運動不足解消ということだけでもいいか?
先日の雨といい、今日の雪といいまるで春先のような感じだ。結局外に出たのは雪を写真に撮るときと雪かきをしたときだけで、あとは一日家の中でコタツに入ってテレビを見たり、
CDを聴いたりして過ごした。バアはコタツ板の上に掛けるカバーにするため、使わなくなったハンカチを縫い合わせ、縁かがりを刺繍糸で編む作業をしていた。
2009年1月21日(水)
アメリカ大統領就任式
午前中はCDを聴きながら読書、すぐ近くにコンポがあるので手軽に聴ける。クラシックなどをBGMにしてコーヒーを片手に本を読むなどというのは、少し贅沢な気分になる。
午後は
1時間ほどウォーキングをした。風もなく気温も10度を越えていたせいか歩いているうちに、背中の中など汗をかいているのがわかった。嵌めていた手袋も途中で脱いでしまった。
今日の午前中で、太陽光発電を始めてから発電量がちょうど
3,000kwになった。モニターが3kw前から1kwごとにお知らせをし、3,000kwになった途端に打ち上げ花火が画面上に現れてお祝いしていた。ともあれ7ヶ月でこれだけ発電したことに自己満足している。
今日未明に行われたオバマ新大統領の就任式には、ワシントンに全米から
200万人が集まったという。長野県の人口が217万人だから、それに匹敵する人たちが集まった状況はすごいことなのだろう。その10分の120万人が首都東京に集合してデモ行進すれば、今の麻生政権など簡単にひっくり返せると思うのだが・・・。就任演説の内容はともかく、これだけの人間を熱狂させる演説家としてのオバマ氏の能力は類まれなのかもしれないが、熱狂する群集の姿には、かつてのナチスドイツのヒットラーのアジテーションに酔いしれる群集と重なり合って見えてしまったのは考えすぎだろうか。演説の中で、平和と尊厳を求める全ての国、男性、女性、子供の友人であることを述べ、ミサイルや戦車の力によるのではなく、確固たる同盟関係と信頼によってたつことを宣言したことを忘れずに、ぜひともこれからのアメリカの政治の中でそれを実現して欲しいものだ。
2009年1月20日(火)
ジャスコ
午前中5%引きの上田のジャスコに買い物に行った。先日佐久平のジャスコで、リビングに敷くカーペットを下見し、5%引きの日まで買い控えていた。今日は上田のほうに他にも行く予定があったので、上田のジャスコにもあるだろうと単純に考えていたが、上田のジャスコはカーペットの品揃えが貧弱で、めぼしをつけていた品物どころか同等品も展示されていなかった。カーペットの購入はまた次回に延期することにした。食料品のほか、サイモンとガーファンクルのCDとジャズピアニストの癒しの映画音楽4枚入りCDを買った。
ジャスコでの買い物のあと、釣具を扱っているバンバンに行って、上小漁業協同組合の渓流の年間釣り券を購入した。川の中を歩くウェーダーシューズのフェルトの靴底が磨り減ってきたので、その替えも注文した。これで今年こそは解禁日から行ける体制ができた。全国に先駆けて解禁されるので、当日の川の様子がどうなるのかわからないが、たくさんの釣り人が押しかけるに違いない。
昼食をホクシンハウスの上田展示場の近くのお店で食べたあと、洋菓子のヴァールマタンに行ったが定休日で閉まっていた。午後
2時前に家に戻った。ウォーキングには少し寒すぎたので、物置の塗装と屋根のカバー付けをした。去年暮れに作ったミニ耕運機の収納庫もまだ塗ってなかったので、余った塗料でそれも塗った。作業が終わった4時半ごろには、外にいるのが辛くなるくらい冷え込んできた。急いで家に入ってコタツで冷えた足と手を温めた。いくら家の中が暖かいといっても、冷えた身体を温めるにはやはりストーブやコタツのほうが手っ取り早い。
いよいよアメリカの新大統領オバマ氏の就任式が明日の未明行われる。どんな就任演説がされるのか楽しみだ。ブッシュ氏のときにはなかった期待感がある。政治には国民に期待を持たせるものがなければならない。今の麻生政権にはそれがない。
2009年1月19日(月)
暖かい日
昨夜遅くから降りだした雨が午前中10時ごろまで降っていた。この時期にしては雪にならず雨というのは珍しいことに違いない。先日降って融けずに残っていた雪も雨でほとんど融けてしまい、景色はまるで春先のような様子だ。気温も雨になるぐらいだから、氷点下にまで下がらなかったようだ。全面結氷していた溜め池の一部の氷が融け始めていた。庭先にツグミやジョウビタキも姿を現すようになった。束の間の暖かさだろうが、少しホッとしている。
昨日ほぼ完成に近づいた物置の細かい手直しや棚付けなどをした。塗装をしようと思ったが、雨でコンパネが少し濡れていたので見合わせた。
昼食は山ちゃん家からお誘いを受けてご馳走になった。陽射しが入ってきて山ちゃん家はポカポカと暖かかった。山ちゃん夫妻は、引越しの準備や用事もあって午後上尾に出かけていった。
夕方までのんびりクラシックなどを聴いて過ごした。夜になると少し冷え込んできた。長野県内の渓流釣りのガイドブックを読みながら、
216日から解禁になる渓流釣り場に思いをはせた。
2009年1月18日(日)
町内会総会
昨日お隣のMさんから声が掛かって、今日町内会の総会があるので出席するかという打診があった。先日の決算総会にも出なかったので、出席することにした。ここの上八重原地区は、1月に決算総会と予算総会の2回の総会が開かれるようだ。今日の総会は、先日の決算総会で選出された新役員によって、あらたに編成された今年度の事業計画と予算を承認するための総会だった。決算と予算と役員人事などを1回の総会でやってしまうのが多い中で、新しい執行部体制であらためて組んだ予算や事業計画を審議するという、原則的な方法を今もやっているようだ。全世帯あわせても130世帯余の組織なので、それもいいのかもしれない。
議事の中に新区民の紹介という項目があったので、どんな自己紹介をしようかといろいろ考えていたが、その項目になったら区長さんが簡単に名前と属する組名を言って、すぐに次の議題に移ってしまったので、何か肩透かしにあった気分だった。一般会計のほかに防犯灯会計、消防団助成会計など特別会計と称する会計がいくつもあった。年間の区民のそれらへの区費は総額で
2万円を越えるようだ。会場に使われた上八重原公民館は、4年前に建替えられた新しい建物だが、この費用は1戸当たり25万円以上負担したらしい。分割払いが21年度まであるとのことで、場合によると新区民にも一部負担をしてもらうかもしれないという話だった。
今年組長になったお隣のMさんの話では、来年は我が家が組長の番になるらしい。
1時間ほどの総会のあとはお酒がずらっと並べられた懇親会の席が設けられたが、見受けたところ新役員と14組の組長さん以外の区民は参加していないようなので、懇親会には出ずに区長さんに挨拶だけして家に戻った。少し拍子抜けする地域デビューだったが、先は長い?ので、のんびり構えよう。
午前中から山ちゃん家の物置作りを始めて、総会出席で中断したが戻ってから再開し、何とか暗くなる前に、屋根まで取り付けてほぼ形だけは完成することができた。あとは、塗装をして屋根に雨がしみこまないようビニールを貼ったあと、所定の場所へ運んで据えつければ完了となる。強度を増すためにいろいろ補強材を入れたりしたので、かなり重くなってしまい、とても一人では運べなくなってしまった。山ちゃん夫妻もいるときに総出で運ばなければならない。
物置作りや総会出席でゆっくり見ることができなかった、全国都道府県対抗男子駅伝を夜中の再放送で初めから終わりまで見た。もうすっかり長野県民になりきって長野県を応援してしまった。先日の高校駅伝の佐久長聖も含めて応援のし甲斐のある結果になった。寝たのは午前
2時になってしまった。
2009年1月17日(土)
夢を見るポチ
午前中掃除をしたり、窓の結露を拭き取ったりしたあと、この家が完成したとき長女からお祝いにもらったCD・MDコンポを、1階のバアのカウンターからジイの2階のカウンターに引っ越した。山ちゃん家のステレオが吹き抜けの2階からいい音響で聞こえてくるのを知り、我が家でも2階に移動してみた。なるほど吹き抜けの斜めの天井を伝わって下に降りてくる音響が、思いのほかいい音になることがわかった。いちいち電源を入れに2階に上がるのは面倒だが、たまにはそれもいいかもしれない、どうせひまなのだから。
午後は、物置作りの続きをしたが、ポチを定期診療に連れて行かなければならなかったので、完成までには至らなかった。ポチは、
13日の昼間に自分のベッドで眠っているときに、急に起き出して、ベッドから飛び降りたかと思うと痙攣するように足をもがいて苦しんだ。その一部始終をバアが目撃して、あわてて抱き起こし抱え込んだら、しばらくして落ち着いた。その後は何事もなかったかのように、いつもと同じ昼間は良く眠り、夜中になると元気に鳴いては我々の安眠を脅かす状態が毎日続いてきた。そんな話を獣医さんにしてみると、それは恐らく何か夢を見ていたのかもしれないとのこと。覚醒しない状態で、筋肉運動には命令が伝達され、痙攣状態になったのではないかとの見立てだ。話のついでに、夢を見るだけではなく、寝言をいうネコもいるとのこと、実に人間的なネコもいるものだ。とりあえず大げさに心配することではないらしい。四六時中、ジイとバアと一緒に暮らすポチは、だんだんと二人に似てきているのかもしれない。
今日で阪神淡路大震災から
14年がたった。遠い過去のことのようでもあるが、被災者にとっては昨日のことのように辛い体験だったことと思う。NHKの放送で、震災時の消防士の消火を優先するのか、救助を優先するのかの選択を迫られた、当時の現場での苦悩の模様を振り返っていたが、危機的な状況の中で組織的に的確な判断と行動をとることがいかに難しいか、考えさせられた。昨日のニューヨークで起きた旅客機のハドソン川への不時着事故の機長は、パイロットの視点から評価すると、最大の危機の中で、最善の措置をしたとのことだ。一歩間違えれば乗客、乗員の全員が犠牲になるところを、一人も犠牲者を出さなかったことは賞賛に値するけれど、果たしてパイロットの全てが彼と同じように行動できたか、は疑問だ。震災にしても、こうした飛行機事故にしても、一つ一つの経験をいかに共有し、次に備えられるかが課題だ。全国的に小中学校の耐震化工事が進んでいない状況の中で、定額給付金としてばら撒くお金を、耐震化工事に振り向けたほうがいいと誰しも思うのではないか。
2009年1月16日(金)
最低気温マイナス13.5度
今日こそ今季最低気温を更新した。まだ日の出前だったが肌寒さで目が覚めた。夜中じゅうエアコンを20度に設定して暖房しているので、今までそんな風に寒くて目が覚めるということはなかった。外はどのくらい冷えているのか気になってデッキに出て寒暖計を見ると、マイナス13.5度になっていた。7時前に自動的にエアコンが切れるように設定しておいたが、起きてから9時までエアコンを点け直した。これからしばらく設定温度ももう少し上げておく必要がありそうだ。昨日から来ていた山ちゃん夫妻もこの低温は初めての体験で、驚いていた。せめても家の中が暖かいので救われる。前回上尾に帰ると家の中は4度まで下がっていたそうだ。
今日の冷え込みで、窓が場所によって
510センチほどの幅で結露していた。よく見ると窓枠の下の溝に黒っぽくカビが出ている個所があったので、急いで拭き取った。住み着くまでこんなにカビが出るようなことはなかった。あるいは気が付かなかったのかもしれないが。これから時折チェックが必要なようだ。
午前中、山ちゃん夫妻が家具屋と電気屋に行きたいというので、佐久市内の家具屋と電気屋を案内した。電気屋は平日というのに広い駐車場が停めきれないほどの混みようだった。何人もストーブを抱えてレジに並ぶ人がいるのが目に付いた。特売のチラシでも入ったのか、今朝の冷え込みにあわてて暖房器具を買いに走ったのか理由はわからない。
買い物が終わり、折角佐久まで出てきたので、少しウォーキングをしようということになり、お弁当を買って外で食べるのも寒いので、その前にお店で食べることにし、ラーメン屋さんに入った。ラーメンとチャーハン、餃子などで腹ごしらえをしたあと、佐久からの帰り道になる御牧ヶ原の見晴らしのいい台地をウォーキングした。残念ながら北アルプスは雲で隠れてしまっていたが、朝の寒さとは打って変わって風もなく穏やかな陽気で、心地良く歩くことができた。

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時間強のウォーキングをしてから、ツルヤに寄って食料品を買ったあと、リンゴの在庫がなくなったので、タカノりんご園に電話して、リンゴを買いに行った。リンゴ畑で作業していたタカノさんがこちらの行く時間に合わせて畑から戻ってきてくれた。自家用に2軒分それぞれ10キロをお願いしたが、今回は粒が小さいからといって13キロ以上入れてくれたうえ、値段もサービスしてもらった。2月になると言っていたリンゴジュースも今月中に出来上がってくるとのこと、楽しみに待つことにした。帰ってから物置作りをするつもりだったが遅くなったのでまた延期することにした。
2009年1月15日(木)
コメリ
今朝は最低気温を写真に収めようと7時前に起きて、デッキの温度計を見に行ったが、マイナス6.5度だった。そのかわりいつの間にか雪が降ったようで、3センチほど積もっていた。午前中、上尾から山ちゃん夫妻がやってくる前に雪かきをした。雪が軽くてふわふわしているので、スコップは使わず竹箒で掃いた。晴れていたので軽く掃いたあとはすぐに雪が融けた。
今日は野鳥の「シメ」が今年初めて庭先に飛んできた。去年
114日に初めてこの鳥を見つけて、物怖じしない仕草が気に入って、今年はいつ来るかと首を長くして待っていた。去年と1日違いで今年もやってきた。去年と同じ鳥かどうかはわからないが、これからしばらくこの辺りを縄張りにして居付いてくれるとうれしいのだが・・・。
午前中無事山ちゃん夫妻が到着した。内山峠はそれほど雪がなかったそうだ。午後はジイだけで「コメリ」に物置の材料などを買い出しに行ってきた。一人で行ったので、それ以外にもいろいろ店内を物色してきた。バアと一緒だと、すぐに見飽きてしまうバアをあまり待たせることもできず、ゆっくり心ゆくまで見て回ることができない。すぐ買うわけでもないが、道具や資材など見ておくと、木工作業のときにもいろいろ工夫する参考になることがある。そんなわけでいろいろ見た挙句、はたがね(挟んで締め付けて固定するもの)やニスなども買い込んだ。さらに特売になっていた作業台も買ってしまった。レジで支払いが済むと、ポイントが貯まって
500円券がもらえたので、それでまた店内にユーターンして、水を足すだけでできるセメントを1袋買い足した。これは既に以前に買ってあるぶどう棚を作るための基礎を固めるのに使う予定のものである。帰ってから昨日の物置作りの続きをするつもりだったが、コメリの買い物に時間をかけ過ぎ、家に戻ったときには外も風が冷たくなってきたので、作業は明日に延期した。
兵庫県に住む義姉から、広島の特養に入所している
96歳の義母の様子を伝える電話がバアの元に入った。会いに行った昨日は、体調が良かったようでとても意識もクリアで、娘達や孫達のことも気にかけている言葉が次から次と口からついて出てきたようだ。我々は年に1,2度しか会いにいけなくなってしまい、会いに行っても眠っているような状態のほうが多くなってきていたが、時々こうしてクリアなときもある。ぜひ元気に今年も頑張って年を重ねて欲しい。
2009年1月14日(水)
太陽光発電
今朝は今年一番の冷え込みだった。朝8時過ぎでも外の温度計は氷点下8度を指していた。恐らく氷点下10度にはなったのだろう。それでも天気がよくて風もあまりなそうなので、午前中ウォーキングに出かけた。出発するときに温度計を確認すると1度まで上がっていた。ばっちり着込んで歩いたので、体は寒くはなかったが、さすがに顔はこわばって口がまわらなかった。約1時間のウォーキングのあとは、暖かい家の中で爽やかな気分だった。やはり太陽が出ていたほうが、何かにつけ行動的になる。
午後からは、山ちゃん夫妻から注文のある物置小屋造りを始めた。材料のほとんどは、山ちゃん家の小屋裏をふさぐベニヤ板を使うので、費用も余りかからなくて済む。屋根と扉の部分だけが材料が足りずできなかった。今日の作業はそこまでにした。半間四方に高さは
1間弱の大きさなので、ジイ小屋の中では作れず外での作業となった。晴れてはいてもさすがに風は冷たく、夢中になってやっていたのであまり感じなかったが、作業を終わらせる頃には、手足の先が冷たくなっていた。それでも新年最初のものづくりだったので大満足である。
ジイだけではなく今日の太陽光発電も頑張ったようで、今までの最高値
27キロワットの発電量になっていた。真夏でも26キロが最高だった。雲に太陽が隠れることもなかったし、冬至を過ぎて太陽の角度が高くなってきて、今の屋根の角度に合い始めているのかもしれない。先週来た中部電力の検針票では、今回の売電量も今までで一番多い353キロワットだった。年末年始ずっと晴れていたのも影響したのだろうか。いずれにしても、折角設置した太陽光発電機なのだから、頑張って発電し続けてほしいものだ。
2009年1月13日(火)
どんよりした空気
どんよりした曇り空で時折雪がちらつく天気だった。気温も上がらずとても外へ出る気にならなかった。外に出たのは生ごみを穴に捨てに行ったときぐらいか?
日がな一日パソコンでフリーセルゲームをして遊んだり、文芸春秋
2月号に掲載されている筑紫哲也氏の闘病日記「がん残日録」や自民党を離党した渡辺喜美衆議員議員の「麻生総理では日本滅亡の道」という手記などを読んで暇をつぶした。
衆議院では筋書きどおりの第二次補正予算の強行採決が行われた。麻生総理は、何の「矜持」もなく、「お金持ちが受け取るのはさもしい」といった定額給付金の受け取りについて、前言を撤回し「お金持ちも受け取ってどんどん使って欲しい」と言うにいたった。この人は、政治家にしてはめずらしく、言葉の持つ意味や深さ、力というものを意識して使っていないようだ。言葉というのは、みな共通に使われるものでありながら、そのときの状況や、使う人間によって伝わる意味が違ってくるものだと思う。「さもしい」などという言葉は、それを投げかける相手の人間性を否定するような力を持つ言葉なのだから、余程使い方に気をつけなければいけない。それがポロッと出てしまう、だから「マンガ脳」などと揶揄されることになる。世の多くのマンガ愛好家には迷惑な話だが・・・。それにしても今日は天気と同様、スカッとしないどんよりした空気が流れる一日だった。
2009年1月12日(月)
別所温泉
9時ごろから雪が降り出したが、積もるほどもなく止んでしまった。でも遠出するには雪が心配なので、30分程度で行ける別所温泉に行くことにした。長女たちはまだ一度も行ったことがないとのことだった。別所温泉は、まだ北向観音へ初詣に来る人が多いのか、駐車場に入るまで20分ほど並んで待たされた。
北向観音にはお参りするという意識がないので、参道まで長女夫婦を案内してから、参道入口の雑貨のお店の中を覗いて長女たちの帰りを待った。そのお店で木工の参考になりそうな木彫りの猫グッズを買った。お店の人の話では、毎年一度お店に出している木工や七宝焼きの作者の人たちが作る猫グッズを集めた猫展を開催しているので、そのときはお知らせします、というので住所を書き残してきた。
参道の坂を下る手前に美味しそうな大福を売っているお店があったので、そこで
4人がそれぞれ好きなクルミもちや草もちなど1個ずつ計4個を注文すると、店のおばさんがもう一つ買ってくださいという。何故かと聞くと、お正月だから4の付く数字は縁起がよくないのでもう一つ、といって体よく押し売りをされてしまった。こちらは縁起を担ぐつもりはないので断ろうとしたが、せっかく長女がお金を出しておごってくれるというのに水を差すわけにも行かず、買うに任せた。我々がそのお店に入ったときは誰もいなかったお客さんが、店先に立っている我々につられて何人もが大福を買い求めるようになった。お店の人には我々が福の神のようだ。
その後は、もう一度おそばが食べたいと言う長女たちのリクエストがあったので、別所温泉から程近い塩田平の一角にある「塩田の館」に行ったが閉店時間になってしまって駄目だった。次に行ったところも定休日で閉まっていた。仕方がなく上田駅周辺に行ったが車を止められるようなところもなく、結局ジャスコまで行くことになった。
ジャスコ内のレストランを物色していると、自然食食品の新しい店が入っていたのを見つけ、迷わずそこに決めた。お店の人のお薦めのカレーや親子丼、おそばなどを注文した。食べた途端、失敗した、と思った。いくら自然食だからと言って美味しくなければいけないと思うのだが、ちっとも美味しくない。味付けも薄くいまいちだった。そのうえドリンクバーで有機栽培のコーヒーが飲み放題だったが、食前に飲んだそのコーヒーは、煮詰まってしまっていて、とてもストレートでは飲めずミルクと砂糖をいっぱい入れるしかなかった。もちろんおかわりどころではなかった。これはやはり北向観音のそばの大福屋の押し売りのたたりだ、とみんなで笑った。それでも何とか無事に家まで帰って来られた。
夜は
828分の佐久平駅発の新幹線で帰る長女夫妻のために、6時半ごろには夕食にしたが、遅い昼食の後だというのにみんなが普通の量を食べきった。いかにお昼が満足できなかったかという証しでもあるが、その分満足できる夕食を準備してくれたバアにみなで感謝、でもあった。
今日の新聞には内閣支持率がとうとう
20%を割り込んで19%になったことが報道されていた。まだ、そんな支持率があることのほうが驚きだ。定額給付金も8割が効果がないと判断している。それでも強行採決するつもりらしい。もういい加減テレビから麻生さんの顔がアップで映るのは終わりにして欲しいものだ。
2009年1月11日(日)
長女夫婦
朝から晴れ渡った。気温は相変わらず朝のうちは氷点下8度ぐらいまで下がるが、陽が射しはじめると寒さが緩んでくる。午前中長女夫婦は、隣に山ちゃん家にあいさつがてら家の見学に行った。ジイは食べてばかりいるので少し体を動かそうと、昨日カインズで買った軽量ブロックと砕石で、山ちゃん家の物置の土台づくりをした。
昼食後長女夫婦を誘ってウォーキングに出かけた。
30分程度の歩きを予定していたが、リンゴ畑のあるほうまで足を伸ばし、約1時間の歩きになった。雲の動きが早く、時折陽が陰るようになり、風が冷たく感じた。
夕食はおそばを食べたいと言う長女のリクエストに応えて、「ふるさとの草笛」に行った。このお店はお昼がメインで夜は閉店していることが多いので、心配しながら行ってみると、開いていた。土日祝日の夜だけはオープンしているとのこと。おまけに毎月
11日は「ふるさとのいい日」ということで全品1割引になっていた。ミニ天丼とかけそばのセットを頼んだら、それぞれが十分一人前の量があって、残さず食べてしまったので、せっかく今日昼間に体を動かしたのが台無しになってしまった。看護師をしている長女は、痩せている人も太っている人も死亡率はあまり変わらないわよ、といってあまり慰めにならない言葉で慰めてくれた。6時ごろ入店したときにはほとんどいなかったお客さんが、帰る頃にはかなりの人数になっていた。
2009年1月10日(土)
長女夫婦来る
昨夜降っていた雪が一旦止んで満月に近い月が出ていたのに、また明け方にかけて雪が降ったらしく融けかけていた雪の上にまた雪が積もっていた。北側の日陰になる道路と山ちゃん家の車が通るところだけ雪が凍りつかないよう雪かきをした。今度の雪はさらさらの雪だったので雪かきも重くなく楽にできた。
午前中に山ちゃん夫妻を誘って佐久平まで買い物に出かけた。明日来る予定の長女夫婦が今夜の新幹線で来ることになったので、食料の調達をするのと、山ちゃん家の物置を作るための資材を購入するためだ。カインズでは物置用資材のほかポチ用のトイレの砂を買ったが、その売り場にネコ用のかわいいトイレも売っているのをバアが目ざとく見つけた。今使っているトイレは底が浅く用を足したあとポチが砂をかき回すと周りに砂がたくさん飛び散ってしまう。このトイレ用にカバーをジイが作ったのだが、トイレと一体的なものではないので、どうしてもカバーとトイレの隙間に砂がこぼれて、掃除のたびに厄介な思いをしていた。トイレカバーは自分なりには労作だと思っていたが、仕方がない、新しいトイレにすることに同意した。家に帰って新しいトイレに取り替えてポチはどうするだろうと様子を見ていたら、ほとんど抵抗もなく新しいトイレを使っていたので一安心した。
長女夫婦が午後
724分佐久平駅着の新幹線に乗ってくるとの連絡が入ったので、迎えにいった。橋上駅の改札口の前は冷たい風が吹きぬけていた。降りてきた乗客の人たちは出迎えている人に向かって口々に寒いね、と言っていた。長女夫婦も異口同音だった。ジイはこの時期、夜になればこんなもだと思っているので、それほど寒く感じないが、それだけいわゆる「土地の人間」になってきたのかもしれない。家に着いて久し振りで4人で夕食の食卓を囲んだ。
2009年1月9日(金)
雪の日のトランプ
昨日の深夜から降り出した雪が一日降っていた。ただ雪がボタン雪で湿り気が多く、あまり積もらずに降る先から融けていくので、雪かきもする必要がなかった。この辺りは雪が降ると大体横殴りに降ることが多いのに、今日の雪は風がないせいか静かに舞い落ちるような降り方で、木の枝や幹にもたくさん張り付いて枯れ木に花が咲いているような感じだった。普段なら幹の西側半分だけにへばりつくように雪が付いているのにそれもなかった。
一日雪が降る中何もできないので、昨夜上尾から戻ってきた山ちゃん夫妻と山ちゃん家でお昼前から夕方
5時ごろまで、7並べやセブンブリッヂで遊んだ。お酒好きな人がいれば一杯やりながら、というところだが生憎そういう人がいないので、お昼にはまたお汁粉をみんなで食べたり甘いお菓子をつまんだりしながら、トランプを楽しんだ。いよいよ山ちゃん夫妻も本格的にこちらに越してくれば、所在無いときにはこんな楽しみ方で時間を潰すことができるようになることだろう。
大阪の友人が明日新しい仕事に就くためにベトナムのハノイに向かう。旅の無事と今後の活躍を祈る。
2009年1月8日(木)
暖かい話
夜中から明け方にかけてポチに何度も起こされた。最近昼間はほとんど眠っているくせに夜中になると起きだす悪い癖が出てきた。朝掃除をしているときにポチのトイレに大小の便がされているのを見つけた。どうやら夜中に鳴いて起こしていたのはトイレに行きたかったのかもしれない。我々が寝る前に外に出してやっているのだが、外は寒いので用を足さずに戻ってきているのだろう。
昨夜は夜エアコンを付けるのを忘れてしまい、朝起きたときは室温が
14度まで下がっていた。それでも少し肌寒く感じる程度でコタツに入って足を暖めれば十分過ごせるので、日中もエアコンは点けなかった。家の中に陽が入り込んでくると室温がだんだん上がっていき、最終的には18度まで暖房もせずに上がった。
暖房を点けても夜になると、ジイの
2階のパソコンのあるカウンターデスクに座っていると足が冷えるので、今日はバアが以前に毛糸を手編みして作ったシードカバーを改良して、足を入れる袋を作ってくれた。袋の足の先のところには、これも以前ポチのベッドの暖房用に使っていたシートが入っているので、ポカポカと暖かい。足温器としては足全体が包まれているので暖かく使い勝手がいい。これでパソコンに向かう時間も長くなりそうだ。
今日も天気がいいので
1時間ほどウォーキングをした。周辺の溜池はみな結氷しているので、決して例年になく暖かい、というほどでもないのかもしれないが、歩いていても寒くて顔がこわばるということもない。
ウォーキングから戻ってから、ポチを連れて今年最初の治療のためゆりかご動物病院に行った。先月
29日以来だから10日ぶりだが、特に夜中に鳴き騒ぐ以外いたって健康な状態なので先生にもほめられた。ポチが何月何日に生まれたのかわからないので、4月に生まれたことにし、そのときには盛大に20歳の誕生部祝いをしようと思っていると獣医さんにいうと、大丈夫間違いなく元気に誕生日を迎えられますよ、と太鼓判を押してもらった。
2009年1月7日(水)
日中は外で作業
昨夜はいつもより数時間も早く就寝したのに、朝はいつもと変わらない時間まで寝ていた。まだこんなに睡眠力が残っていたのかと、我ながら驚いた。午前中は、少し風があったが年末年始で貯まった可燃ごみを燃やした。焚き火の合間に、去年2回に分けて集めた落ち葉で作った堆肥の切り返しをした。まだあまり発酵が進んでいなかった。底の近くになると堆肥独特の発酵臭はするが、湯気が出るほどの発熱はしていなかった。少し水を足して切り返し、引っ掻き回して踏みつけた。今まで堆肥囲いのうえから覆っていたブルーシートを堆肥に直接掛けて覆うようにした。風や空気が入りにくいほうが発酵が進みやすいのではないか、と考えての策である。
午後は、モミジやハナモモの枝の剪定をした。モミジは一度剪定してあったが、まだまだ剪定が足りないようなので思い切って太い枝も切り落とした。今回は切った枝の切り口に、薬を塗って細菌や虫が入らないようにした。タマネギには寒冷紗をかけてあるが、タマネギのほかに草が大分伸びてきたので、寒冷紗をはずして草取りをした。タマネギの苗は、バアの植えた苗はほとんど順調に育っていたが、ジイが植えた苗は、
4割ぐらいが駄目になっていた。植えたときの深さや押さえが甘かったらしい。来年は同じ轍を踏まないよう気をつけなければいけない。バアに全部植えつけてもらう手もあるが・・・。久し振りに一日外に出ていた。それほど暖かい日だったということでもあるが、日が落ちる頃には冷たい風になってきた。家に入ってコタツで温まっていると、眠くなってしまった。今日はさんざん眠ったあとだというのに、寝ダメというのはできないということか。
2009年1月6日(火)
篠ノ井線
夜中に雪が降ったらしく、1センチほど積もっていた。でも今日一日お日様に当たって日陰の所以外みな解けてしまった。
今日は朝食後松本に出かけてきた。用事を済ませた後、松本城の近くのレストランで昼食をとった。去年一度行ったことのあるレストランで気に入った所だ。前回は午後
1時過ぎで、数量限定のサービスランチにありつけなかったが、今回は12時前だったので、そのランチを頼むことができた。価格以上の満足感があった。
美味しくおしゃれな昼食で満足したあとは、松本駅まで
20分ほどの距離を歩き、篠ノ井線の車窓を楽しむことにした。晴れていたが北アルプスはあいにく雲で隠れていた。それでも篠ノ井駅までの約1時間の電車の旅は、久し振りだったのでそれなりに楽しめた。
帰りの電車まで
45分ほど時間があったので、篠ノ井駅に降り立ち、しばらく駅周辺を散策した。「教育は死なず」の著書と校内暴力で荒れていた私立篠ノ井旭高校を立て直し、ドロップアウトした生徒を自宅に住まわせながら体当たりの教育をして有名になった若林繁太さんを思い出し、その学校を探したが見つからなかった。若林繁太さんは、その後愛知県の新城市に黄柳野(つげの)高校を開設した。不登校になった高校生を受け入れ、大勢の高校生が社会復帰して巣立っていった。
最近この黄柳野高校が思わぬことで社会の注目を浴びてしまった。生徒のための「禁煙指導室」という喫煙ルームを校内に設置していたことが、マスコミに批判的に取り上げられたのだ。もちろんマスコミに流したのは警察だ。黄柳野高校では全寮制なので、在校生の何人が喫煙しているかをしっかり把握し、喫煙者には禁煙に至る教育プログラムの中で、この禁煙指導室内に限って一定の喫煙をさせていたようだ。ジイも
40年近く喫煙してきた経験があるからわかるが、禁煙するというのは自分の意思だけではそんなに簡単なことではない。ジイの場合は、たまたまニコチンガムというのが禁煙のスタートに際して性に合ったのと、海外旅行中に始めたこととがタイミング的に良かっただけのことでなんとかやめられた。高校生などまだタバコの有害性など目もくれない年頃の生徒に、ただタバコを取り上げてみても、結果的には隠れて吸うことになるしかない。禁煙パッチなど保険適用になった昨今、医療的な治療を併用しながら教育的な取り組みが必要だと思う。黄柳野高校を非難するだけでは済まない。
篠ノ井駅から松本に戻る途中、姥捨(うばすて)駅では、めずらしいスィッチバックをじっくり見ることができた。標高差があるため一気に昇りきれず、一旦バックしてもう一度坂を昇る。このスィッチバックをするところに姥捨駅がある。この駅からは、千曲川の流れと更埴市
(現千曲市)の市街地が見渡されるだけでなく、田ごとの月で有名な棚田も見下ろせる。ちょうど特急列車の通過待ちの時間があったので、その景色を写真に撮った。篠ノ井線は鉄道ファンにとっては、日本三大「車窓」の一つということだけはある。これで北アルプスの雪をかぶった山並みが見られれば申し分なかったのだが・・・。大阪の友人が去年我が家に来るときにこの線を使って来たのも頷けた。
松本まで戻り家路に向かう途中で日が暮れた。久し振りに疲労感が出て、風呂にも入らず
9時過ぎに寝床に入った。
2009年1月5日(月)
新春の買い物
新年最初の長野コープの配達を受け取ったあと、山ちゃん夫妻も一緒に買い物に出かけた。テレビのニュースではデパートの新春の福袋に群がる様子を報じていたが、そういうものには興味がないが、農家向けホームセンターの「大地」で、欲しいと思いながらも高くて手が出なかった枝切り鋏と、干草や堆肥などを天地返しする時に使う農作業用フォークの特売のチラシが入っていたので、それを買い求めるのが最初の目的。それは残念ながら数量限定で売り出し初日の昨日のうちに売り切れてしまったようだ。やむなく枝切り鋏だけ別のもので通常価格より500円安いものを買った。
次はコメリに行き、山ちゃん夫妻の新居で使う日用雑貨を購入した。その足で上田に向かい、途中ココ壱番屋のカレーを食べた。国道
18号線沿いにあるこのお店は、上田への買い物の行き帰りに目にしては、ここのカレーを懐かしく思い出し、いつか食べに来ようと思いながら食事時にぶつからず、のびのびになっていた。職場が西貝塚環境センターだったころ、日産ディーゼルの入口のところにあったココ壱番屋のカレーをときどき電話注文し取り寄せて食べた。ココのカレーは好みでカレー粉の量を加減できるので、みんなで辛さを競い合って食べたものだ。退職して思い出すことは、仕事のことよりもこうした食べ物のことのほうが多いのは、いやしい証拠かな?でも食べる、飲む、遊ぶといった人間の原始的な、根源的な行為なくして生き続けることはできない。
昼食の後は上田のユニクロに行った後、ジャスコで食料品を買った。帰ろうとした所出口のわきに「ファイテン」の直営店があったので覗くと、愛用のチタンテープが
3分の1ほどの価格になっていたので店員さんに聞くと、効用は今までとは変わらない新製品とのこと。さらに試しに張ってみましょうと勧められ、バアは肩に、ジイはこの間から痛みが消えない右足の甲にそれぞれ張ってもらった。しばらくたつと足の痛みが感じなくなった。店員さんは、医師法や薬事法の関係か、決して痛みが消えるとか直るとか言わず、自らの治癒力のお手伝いをするのです、という。結局まだ古いチタンテープが残っているが新製品のテープを買ってしまった。
買い物を終えて家に戻ると午後
4時ごろになっていた。しばらくして山ちゃん夫妻が上尾へ戻っていった。用事を済ませて9日にはまた戻って来るとのこと、本格的にこちらに居を構えるのも早まりそうだ。
2009年1月4日(日)
読書の森
午後山ちゃん夫妻を誘って読書の森に行った。天気がいいので少し歩きながら行こうということで、車で真っ直ぐ行かずに途中で車を停めて、歩いていった。30分ぐらいで着くだろうと思ったが、30分近く歩いてもなかなか着かないので、ジイだけUターンして車まで戻った。向かい風で結構寒かった。読書の森から歩いて帰ったら身体が冷え切ってしまったに違いない。車で追いかけると3人は読書の森に着いて、中に入らず家の裏手の林の奥にいるロバのジグに会いに行っていた。上尾の榎本牧場から連れてこられたジグに、同郷のよしみで挨拶にいっていたという。
読書の森は、予想以上にお客さんが入っていた。先日宮川医師のバングラデシュでの活動報告会が行われた奥の部屋で、書初め大会が行われているとのことで、ときどき賑やかな声が奥から聞こえてきた。
4人でそれぞれコーヒーをいただいたが、草加せんべいや甘い和菓子なども出してもらった。読書の森のホームページのブログに出てくる高校生の娘さんが、お店の手伝いをしていた。しばらく奥さんと楽しい会話を交わした。
大きなテーブルの上には「佐久文学」というタイトルの同人誌ふうの小冊子が置いてあり、その中でのオーナーの詩も挿入されていた。幼い我が娘の豊かな感性と創造力が萎えずに、さらに伸びていくことを願う思いを歌った詩のように感じた。
1時間ほど滞在して家に戻った。
帰りの道は、通ったことのない道を走ってみようということで行ってみると、日帰り温泉の小諸あぐりの湯に出て、さらに先に進むと国道
18号線に出た。御牧ヶ原の東北側が小諸の市街地に繋がっていることがわかった。
夜は
10時から教育テレビで吉本隆明の特集をみた。若いときにむさぼるように読んだ吉本の著作から受けたイメージと、84歳になって車椅子に座り、宙を見ながら熱く芸術言語論を語る彼との落差になんといえない不思議な感覚に襲われながら聞き入った。
2009年1月3日(土)
派遣村
朝から箱根駅伝の復路をテレビで観る。隣の山ちゃん家に遊びに来ている姪の出身校である東洋大が67回目の出場で初優勝した。テレビ中継の合間に入る「今昔物語」で過去に走ったことのある人の昔と今を取材して放送していたが、駅伝で走ったことがその後の人生の勲章になっていたり、生きるよすがになっていたりしていることを伝えていた。テレビだから、その陰でスポットライトを浴びず、怪我や病気であるいは力及ばず、出場できずに終わった何十倍もの数の部員まで取り上げてはいないが、圧倒的に多いそちらの人たちのその後の生き方はどうだったのだろうかと、思いをはせる。
午後は、ジイ小屋で初の木工作業をした。以前に作った米びつを乗せる台に、枠を取り付けた。掃除をしているときにこの台を動かした際に、勢い余って米びつを台から落としてお米を床にばら撒いてしまったことがあったので、いつか直そうと思いながら年越しをしてしまった。この作業のあとは、新年を迎えて更新をしていなかったホームページに新しいページを加えて更新した。
正月
3ヶ日はずっと晴れ間が続き、陽が射す日中は暖かく過ごすことができた。しかし、去年の暮れからNPOの活動でできた東京日比谷公園内の派遣村には、仕事と住宅を奪われた人たちが続々と集まり、とうとう収容しきれず、厚生労働省は霞ヶ関の講堂を急遽解放したようだ。千代田区には200人分以上の生活保護申請が出されるようだ。迅速な対応ができるのか心配だ。生活保護を担当する役所のケースワーカーは一朝一夕で育つわけではないし、誰でもできるわけでもない。生活保護制度とは違う緊急生活支援制度で対応することが先決のような気がするが・・・。
2009年1月2日(金)
人生ゲーム
今日も朝から晴れ渡って正月日和となったが、風は冷たく気温はあまり上がらなかった。朝一番の外の温度計はマイナス7度だった。午前中はこれも恒例になっている箱根駅伝をテレビ観戦した。めまぐるしく首位が変わる展開に、当事者は気がきではないだろうが、第三者としては結構楽しめた。また明日の復路がどうなるか楽しみだ。
駅伝に夢中になって、一番近くの郵便ポストの回収時間に間に合わず、北御牧総合支所のそばの郵便局まで車で夕べ書いた年賀状を出しに行った。途中たくさんの消防車に出くわした。総合支所の近くの山林のほうから煙が上がっているのが見えた。家が燃えたのでなければいいが、新年早々火事にまつわる悲しいニュースは見たくない。
駅伝の終盤に差し掛かる頃、お隣の山ちゃん家からゲームのお誘いがあったので、山ちゃん家に行って「人生ゲーム」を
6人で楽しんだ。今の時代状況に似通った職業があって、特に最初のルーレットでフリーターになってしまうと、なかなかそこから這い上がれず、その先何度も不運に合うめぐり合わせになってしまう、など身につまされる遊びだった。2ゲームやるのに3時間以上かかった。姪たちが夕食前に明神館の温泉に入ってくるというので、そこでゲームを終わりにして家に戻った。
2009年1月1日(木)
今年の目標
2009年の元旦は、雲がほとんどない中の日の出だった。今日の朝日のような明るい陽射しが家を、町を、国を、世界を照らしてくれるような1年になることを願う。朝は、お正月気分が味わえるようコープの配送サービスで購入したおせちなどを食べた。お雑煮は、初めてお餅を焼いて、おしょうゆ仕立ての汁で食べた。さらに滅多にしたことのないことだが、ワインを飲みながらの食事だった。ただ、慣れないことをしたのか飲んだ後は息苦しくなってしまい、恒例の実業団駅伝を見ながら何度も居眠りをしてしまった。
午後は、山ちゃん夫妻に明神館へ行くコースを教えるため、
4人で明神館までウォーキングをかねて歩いていってきた。明日、山ちゃん家の娘さんが友達と遊びに来て、明神館のお風呂にも入りに行きたいとのことで、明神館への送り迎えのため、道を間違えないよう下見をしておくためだ。ウォーキングをしているうちに雲が広がってきて陽射しがなくなると、風が冷たく感じるようになった。浅間山のほうは陽が射して明るく空も青いのに、反対側の美ヶ原のほうは雪雲で空も暗くなっていて変な景色だった。日が落ちる頃にはその雲も取れて、夕焼けで空が赤く染まっていた。
夜は年賀状を書いていなかった友人たちに返事を書いた。去年の元旦は、
10項目の目標を立てたが半分も実現できなかった。今年はあらためてもう一度新たに自分なりの目標を立てて、これからの一年努力をしていきたい。
今のこの時、この場所で生かされていることに感謝し、何事にも一生懸命になること、
地球の平和と環境に貢献できることを身近なところから実践すること、
地域のコミュニティに積極的に参加すること、
身体的、精神的健康を維持するための努力をすること、
個別的な目標として、
@体重を
70kg以下に安定させる
A
1ヶ月3冊以上の本を読む
B木工作品
20点以上を製作する
C水彩画
10点以上を製作する
D
20品目以上の野菜を栽培する
E延べ
10日以上渓流釣りに行く
F農業ボランティアに挑戦する
Gジイの日記を継続しホームページを更新する