2008年8月31日(日)
朝、山ちゃん夫妻からの電話で、こちらに向かっていて今東松山インターに入ったという連絡があった。今月13日に工事現場を見て以来だ。大工さんのお盆休みもあったが、ユニットバスが入ったり、階段が付いたり、配線工事や外壁の下地工事が始まったりと、大分工事が進んで、先日見たときよりもかなり変化しているので、自分の目で確認したかったのだろう。そういう気持ちは、ジイとバアの家を作っているときに経験しているので良く分かる。到着すると早速工事現場へ、室内も壁の骨組みや戸の仕切りなども付いてそれぞれの部屋のつながりも、窓の採光も分かりやすくなっている。浴室の内装も満足したようだ。
見学後は、二人が転居してきたあとのそれぞれの生活のありようなど、話が尽きない。話し疲れて午後はしばしお昼寝タイムとなった。午後5時前にはあわただしく、山ちゃん夫妻は上尾に帰っていった。8時前に無事帰り着いたとのメールがあったが上尾は雨のようだ。最近の天候不順では、埼玉とこちらでは大分様子が違うようだ。
夜本を読んでいて蚊に刺されてしまった。最近外のデッキで涼んでいると蚊の羽音がするようになって嫌だなと思っていたが、とうとう家の中にまで侵入してくるようになってしまった。昨日1日雨の後、今日は真夏を思わせるような暑さだったので、このあたりでも蚊が発生したのだろうか。上尾から持ってきて植えたイチジクが5年経って今年はいくつも実が付くようになって喜んでいるが、やぶ蚊も発生するほど温暖化が進行していることと連動しているのだったら、手放しで喜ぶわけにはいかない。もう今日で8月も終わり、秋風も吹くこのごろなのにまだこんな所に夏の名残があるとは・・・
2008年8月30日(土)
ジャスコで買い物
30日はジャスコの5%引きの日だったので上田まで買出しに行く。雨が降っていたので、出たついでに散歩を兼ねて駅の方まで歩く、といういつものパターンは取りやめにした。帰り際にガソリンスタンドで軽自動車にガソリンを給油した。リッター172円だ。ニュースで卸売価格が来月から5円程度下がると報道されているので、近くにガソリンスタンドがあれば今日は入れるのを我慢するところだが、買い物に出たついでに給油しないと、折角の安いガソリンを入れるために、ガソリンを使って入れに行くばかげたことになってしまうので、今日は給油量が少なくて済む軽自動車で給油し、次の買い物の時オデッセイで行って給油することにした。去年までこんなに給油に神経質になることはなかったのに、価格が上がったこともあるが、年金生活者になったことも起因しているのかもしれない。政府は緊急経済対策で、高速道路の割引や定額減税をするようだが、真っ先にガソリンの暫定税率の撤回をしたほうが国民は喜ぶと思うのだが・・・。参院で否決されて、衆院で再議決したものは面子にかけても撤回することはないか?お昼時にもかかわらず外食をしないで真っ直ぐ家に戻り、その後は家で何もせずじっと過ごした。
2008年8月29日(金)
リンゴ「津軽」
前夜からの豪雨で亡くなる方も出ているというのに、ここは朝のうちこそ小雨もぱらついていたが、10時ごろからは青空が広がってきた。昨夜は体重が71キロと、引っ越してきてからの最高の記録を作ってしまったので、なんとしても散歩をしようとリュックにカッパを詰め込んで散歩に出た。ちょうど来合わせたスーさんの話では上田のほうは今雨が降ってましたよ、と心配してくれた。ところが散歩に出ている間どんどん青空が広がり、暑くて困るぐらいになった。
立科町のリンゴ畑の中を歩いていると、ちらほらと赤く色づいたリンゴが目に付いた。ちょうど収穫の作業をしている人に聞いたら、品種は「津軽」だという。二人に1個ずつ食べるように差し出してくれた。申し訳ないので別に売って貰えるのか聞いたところ、いいよということで10個1,000円で分けてもらった。自宅の場所と連絡用の電話も教えてくれた。去年はリンゴに関してはすべて佐久市の千曲農園にお願いしてきたが、近いところで、しかもこのあたりではおいしいと評判の「五輪久保」という地域の一角なので、これからいろいろ品種ごとに試食してみて、良かったらこちらで厄介になってもいいのかなと思う。その場で食べさせてくれた津軽はおいしかった。
今日アメリカの民主党大統領候補に指名されたオバマ氏の指名受諾演説があった。日付的には28日になる。この日は6月4日の日記にも書いた、米国の黒人公民権運動の指導者だった故マーティン・ルーサー・キング牧師が首都ワシントンで「私には夢がある(I have a dream)」と訴えた歴史的な演説から45周年の記念日。アメリカ人ではないが、ブッシュよりはましな「変化」を期待したい。
2008年8月28日(木)
岩手の秋刀魚
予報では午後から雨になっていたので、朝一番で冬用のダイコン、ニンジンを作る畑をミニ耕運機で耕した。来年から隣の土地で野菜作りをするつもりなので、今の畑では最後の野菜作りになるかもしれない。耕し終わってポチを動物病院に連れて行くために出かける10時過ぎには雨が降り始めた。
動物病院は定休日明けだったせいか混んでいた。1時間以上待ってから、皮下点滴をしてもらった。また便秘気味になっているようで排便促進剤が含まれたペースト状の餌を食べさせられた。24日に退院してから一度も嘔吐することもなく、朝早くからご飯をねだって我々をたたき起こす?意地悪な習慣も復活した。ただ、実際には今まで好んで食べたマグロやカリカリを与えても余り食べない。病気で嗜好も変わることもある、とのこと。我が家で一番食べ物にうるさい女王様だ。
夕方岩手の師匠からユウパックが届いた。取れたての秋刀魚だった。昨日テレビのニュースで大船渡漁港の秋刀魚の陸揚げの様子が報じられていたが、こんな旬なものをいただけるなんてありがたい。早速刺身と塩焼きにして食べた。脂が乗っていておいしかった。食べきれない分はもったいないが冷凍保存した。
2008年8月27日(水)
津金寺
朝食を済ませ新聞を呼んでいると、裏の溜池の土手のほうからパチパチと枯れ草が燃える音がする。見ると先日刈った草を米作りのYさんが燃やしていた。わが家の東の奥で稲作をしているこのYさんとは、溜池の水の問題以来たびたび話をするようになった。先日は朝7時ごろコンテナにトウモロコシをいっぱい入れて持って来てくれた人だ。枯れ草を燃やすときは必ず風下から燃やさないと思いがけない勢いになってしまうよ、と教えてくれた。ちょうど我が家も隣の畑の草刈りが済んで、燃やすタイミングを見計らっていたときだったので、一緒に燃やすことにした。Yさんはトラックに水のタンクを積んでいて、モーターで水をかける道具も持ってきていた。こちらの畑が燃え尽きる頃合をみて、燃えたあとに水をかけてくれた。こうすると火が消えるだけでなく、燃えカスが飛ばなくなるので、安全でしかも近所に迷惑をかけない、ということを教えてくれた。米作りは無理にしても、Yさんに田んぼの行き帰りに野菜作りのノウハウを教えてもらうことをお願いした。
火燃やしが終わったあとコンビニでヤズヤの支払いをするため車でローソンまで行ったついでに、支払いを済ませお昼のお弁当を買って、津金寺周辺を散歩した。津金寺では春から始まった梵鐘の再建工事がほぼ完成していた。銅葺きの立派な建物だ。お寺の人と思われる方が話しかけてきて、明日1トンの重さの鐘が据えられるとのことだった。津金寺の鐘は夕方、6キロ近く離れているが、外にいると聞こえてくる。気候がすっかり秋めいてきたので津金寺の萩がもう咲いているかと思って、散歩コースに選んだのだが残念ながらまだ一部咲きだった。9月中旬の3連休に「萩まつり」が行われると、案内が張り出されていた。9月になったらもう一度散歩に来よう。津金時をあとにして笠取峠でお弁当を食べ、周辺の山道を歩いたあと、ツルヤで買い物をして家に戻った。1時間半は歩いただろう。
アフガニスタンで活動していたペシャワール会の青年が誘拐されたうえ殺害されるという悲しいニュースが流れていた。昨夜のニュースでは一時無事解放という速報まで出ていたのに残念だ。ペシャワール会の活動は、中村哲医師による医療活動で有名だが、アフガニスタンの難民救済や農業支援活動もしていたことまでは知らなかった。殺された青年がこの活動に従事するときに書いた手記が公表されていたので掲載する。「私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。 甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。」
2008年8月26日(火)
やっぱり外は気持ちいい
7時前にごみステーションに可燃ごみを出しに行った。もう半そででは寒く感じるようになった。午前中関東のほうでは雨模様のようだが、こちらは曇りで時折薄日も射す散歩にはちょうどいいコンディションだったので、久し振りにお昼の弁当を持って明神館まで歩くことにした。歩き始めると近くの畑のヒマワリが一斉にこちらを向いていた。2日間ほど家でゴロゴロしていたのを気遣ってくれているように思えた。田んぼの稲穂がそろそろお辞儀をし始めていた。背丈も精一杯伸びている。3日ほど曇りがちの天気が続いているが順調に生育しているようだ。先日の岩手の師匠からの便りでは、この時期はカメムシの被害にあわないよう注意しなければならないらしい。
家の裏の溜池に限らず、どこも溜池の貯水量も、今はぐーんと減っている。そのぶん田んぼにいっぱい水が張られている。去年の観察では、このあと穂がもっと垂れて色づいてくると田んぼの水が切られて乾いてきたように思うが、定かではない。
散歩をしていると、今まで作っていたブロッコリーやトウモロコシの畑は、すっかり名残をとどめず整地されていた。畑の一角がもう別の苗床に変わってしまっている畑もあった。秋野菜や年越しする野菜の苗作りが始まっているようだ。我が家の開墾中の畑も来年から使えるよう準備しなければならない。ちょうど今日スーさんと話す機会があったので聞いたら、仕事の合間を見て山ちゃん家をやってくれた基礎屋さんがユンボでやってくれるとのこと、期待して待つことにしよう。
畑全体ではないが一部を残して畑として使う場所もそれなりに決めた。おそらく10年以上放置されていた畑なので、いきなりの豊作は期待できないだろうが、楽しむことはできるだろう。散歩をしたり、庭の草取りをした今日はつくづく、家の中でゴロゴロしているよりは外の空気を吸っていたほうがいい、と思った。
2008年8月25日(月)
ぼーっと
昨夜は3日分の日記を書いたり、ホームページの更新の作業で夜中までかかってしまい、寝たのが午前3時近くになってしまった。おかげで朝からぼーっとしていて何かをする気力が湧いてこなかった。新幹線の中で読み終わらなかった永六輔著「大往生」(岩波新書)の残りを読み、文芸春秋の芥川章受賞作品、楊逸著「時が滲む朝」を読み始める。本に飽きるとパソコンでフリーセルをやって時間を潰す。フリ−セルでは1時間かけても解けないゲームに悪戦苦闘した。結局そんなこんなで日中は一歩も外へ出なかった。かろうじて夕方薄暗くなってから、ナスやトマト、ピーマンが3日間収穫しないで置いたため大きくなり過ぎてきたので、収穫するために庭に出た。気が付いたら、朝から山ちゃん家の外壁の下地材を打つ工事をしていたコバチャンに帰り際まで挨拶もしていなかった。
やっとテレビもオリンピックの喧騒から解放されるようになってきた。久し振りに巨人中日戦を観たが巨人が負けていて面白くないので観るのをやめる。9時からのニュースの中で、9回裏4−5で巨人が攻撃中というので、急いでチャンネルを回すと間もなく巨人のサヨナラ勝ちになった。最近はテレビで野球を観るのも少なくなってしまったので、名前を知らない選手も増えた。サヨナラ打を打った選手もいつから巨人の選手になったのか?こんな一日を毎日繰り返していたら、ボケが加速されるのではないか少し心配になる。
2008年8月24日(日)
ポチ退院
午前中雨の中、ゆりかご動物病院に入院していたポチを迎えに行った。入院中2回ほど静脈点滴を受け、今朝は皮下点滴を受けた。入院中食欲も出て肝臓に効く薬も入ったカリカリご飯も食べたようだ。表情を見た途端具合が悪かった1週間とは見違えるほど元気があるのを感じた。鳴き声も弱々しくなく、車に乗るまでの間ケースに入れられていたが出たがってケースにガリガリと爪を立てていたので、車に乗り込むとバーはポチをケースから出して家に着くまで抱えていた。家に着いてからも、しばらく外に出たがり家の中を歩き回っていたが、そのうちぐっすりとベッドの上で寝ていた。バアも一緒に添い寝をしていた。
ジイも旅の疲れもあり、1日ゴロゴロして過ごした後、夜になって3日分の日記を書き上げた。
2008年8月23日(土)
ヘ・ペトラ

倉敷駅9時出発のバスに乗って再び記念会会場の天城教会に行く。記念会では、1954年から55年にかけて飯盛野教会で牧師だった義父や一緒に働いた宣教師、信徒たちが原稿を書き、発行した「ヘ・ペトラ」(ギリシャ語で「岩」の意。マタイによる福音書16章18節に「あなたはペトロ。私はこの岩(ペトラ)の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」とある)というガリ版刷りの伝道用の機関紙について、現役の牧師でもある長姉から紹介された。義父の遺品の中から出てきたものだという。謄写印刷の会社に依頼して作成し、当時の額で20円で販売したと記録されているが、全部で20号まで発行された。短い時間だったのでぱらぱらとページをめくっただけで詳しく目を通したわけではないが、そこにはキリストの福音を伝えようとする牧師や宣教師、信徒の熱い心が、文章の端々にほとばしるのを感じた。ぜひ電子データ化してゆっくり読んでみたい、というリクエストが皆から挙がった。毎年記念礼拝のあとで義兄でもある詩人のたかはらおさむ氏が、義父へのたむけの自作の詩を朗読してくれる。今日も読んでくれたが、今回は死後1年後の2003年の第1回記念会(北御牧のジイとバアの家で開催)のときに読んだ詩を、本人の了解をもらったので掲載する。

あなたの背後には・・・

          たかはら おさむ

あなたの背後には
いつも十字架が輝いていた
あなたが語った言葉には
いつも希望があった
そのことばによって
どれほどの人が癒され
絶望が希望に変わったことか

かつて あなたは
神に闘いを挑んだ
本居宣長の故郷に「教会」なんて許さない!(注1)
牧師に論戦を挑んだ
だが 神を拒絶したあなたは
いつの間にか神の懐に抱かれてしまった
神はあなたを虜にした

ある日 伝道を終えての帰り路
あなたの乗った船は機雷で難破した(注2)
闇の海に放り出されたあなたは
夜空を仰ぎながら
生命を神にゆだねた
神は しっかりとあなたを抱き上げた

そんな話を
ことあるたびに あなたはわたしたちに語り聴かせた
その時
あなたの背後に
輝く十字架を見た

(注1)国学者である本居宣長は現在の松阪市の生まれで義父と同郷。伊勢神宮もある。
 (注2)1948(昭和23)128日、 阪神〜多度津(香川県)間を航行する関西汽船の女王丸(401トン、長さ48.9メートル乗客定員306人)が瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れ沈没。死者・行方不明188人を出した。

記念会終了後皆で賑やかに昼食をとったあと解散となった。一緒に帰る長女と次女の家族や長姉の姪家族と一緒にもう一度倉敷の美観地区を散策したあと、岡山経由で新幹線を乗り継ぎ家に午後10時半帰着。それぞれみな家に着くたびにメールが入ったが、我が家が最後の無事到着のメール発信となった。

2008年8月22日(金)
天城教会夕食会
5時に目が覚めてしまったのでそのまま起きる。7時にポチをケージに入れてゆりかご動物病院に連れて行った。23日の帰りが午後10時佐久平到着なので、24日午前中に迎えに行くことにして、2泊3日の入院治療ということになった。
その足で佐久平駅前の駐車場に車を停め、8時19分発の新幹線に乗車して東京へ、東京駅で長女と落ち合い「のぞみ」で岡山まで行った。岡山から山陽本線に乗り換えて倉敷に午後1時45分に到着した。予約してあった「ホテル倉敷」は駅ビルの上が客室で、フロントは駅の1階の一角にあった。チェックインできたので、重い荷物を部屋に置いて、会場の天城教会に行く前に美観地区を散策することにした。
上尾から我々よりも先に到着し、やはり美観地区に来ていた山ちゃん一家と美観地区にあるエル・グレコという喫茶店で落ち合い、お茶をしてから美観地区の近くのバス停からバスに乗った。バスに乗ると2日前から倉敷に来てチボリ公園に通い続けていた次女家族が駅からそのバスに乗ってきていた。期せずして集合場所の天城教会に行くバスの中で10人が揃ってしまった。教会には、すでに広島や加古川、東京、大宮などから三々五々集まってきていた。
6年前に天に召された義父と広島の特養から困難をおしてやってきた96歳の義母は、1939年に結婚して4人の女の子をもうけた。その4姉妹がそれぞれ結婚して生まれた子供は7人、その子供たちが結婚して生まれた孫が6人。それぞれの配偶者や婚約者もいれると総勢27人(そのうち2人は仕事で欠席)になる。
今日は、明日の記念会の前夜祭として夕食会が開かれた。教会堂の立つ庭でガーデンパーティが準備されていたが、開会前に小雨がぱらついたため、昨年新築されたホールに急遽変更して行われた。4姉妹の末っ子が61歳になった今、その夫たちも含めてみな高齢化したので、準備の主役はその4姉妹の子供たちに代わってきたようだ。
夕食会のメニューは、スープ、ミートソーススパゲティ、グラタン、オイルフォンデュ、たこ焼き、バーベキュー(ステーキ、鳥の手羽、あなご)、サラダ、デザート、飲物(ワイン白、赤、日本酒、地ビール、ジュース)など盛りだくさんのご馳走にみんなで舌鼓を打った。時間の経つのも忘れるほどで、9時解散の予定が10時過ぎまで続いた。
今回は4姉妹の子供たちのうち未婚だった二人の甥のうち一人が婚約者を連れてきていたが、11月に結婚式を挙げることが発表されるとともに、もう一人の甥も付き合っている彼女を結婚式に連れてきて皆に引き合わせることが宣言された。教会の牧師として、戦後の混乱した世相の時代のころから、貧しい生活にありながらも兵庫県の片田舎で、食い詰めた若者や行き場のない人たちに食事や寝る所を提供することを厭わず、大勢が集まることを喜んでいた義父の気質が、確かに受け継がれていることを実感する夕食会だった。
2008年8月21日(木)
望月警察署
朝、倉敷の記念会に手土産に持っていくプルーンを仕入れに、立科町の農産物直売所「なないろ畑」に行ったがいいものがなく、隣のツルヤで信州産のプルーンを買った。その足で望月警察署に行き、免許証の更新の手続きについて聞いた。管轄の望月警察署でも更新手続きができるが、新しい免許証が交付されるまで1ヶ月近くかかるらしい。手数料などは埼玉県より安い。ここの警察署にはあまりいい印象を持っていない。今のジイとバアの家の土地の売買契約を結んだ日に、見通しの良いT字路で一時停止違反の切符を切られた苦い経験があったからだ。そのためにゴールド免許でなくなってしまった。そのうえ4年前にはリンゴ農園の自販機のところでうっかりデジカメを置き忘れ、望月警察署に紛失届けを出したが機械的に処理されたうえ、その後何の音沙汰もなかった。最寄の免許センターは長野市にしかないのでいやでもこの警察署で更新手続きをしなければならない、と思うと気が重いが仕方がない。
農協、八十二銀行に寄って用事を済ませて家に戻った。今日のポチは明け方と午前午後各1回戻したが後は落ち着いて眠っている。もう6日も食事をしていないので、歩く姿が弱弱しく見える。明日から2泊3日の入院でどれだけ回復するか気がかりだ。
明日から2日間倉敷での亡父の記念会のため、ホームページの更新はしばらくお休みする。
2008年8月20日(水)
発電ピーク新記録
ポチは朝のうち気分が悪そうな様子で、一度もどした後吐き気を抑える薬を飲ませた。ほとんどつばと一緒に出してしまったようだが、多少効いたのかそのあと嘔吐はなかったので、午後しっかり飲み込むようにもう一度薬を入れると夜まで一度も吐かなかった。外へ散歩に出たりもした。夜からは熟睡できているようで、夜中の1時近くまで5時間以上まだ一度も起きてこない。
今日は朝から秋風を思わせる涼しい風が吹き、全体的には晴れ間が多かったが時折雲に覆われることもあった。太陽光発電は、今までで最高の4.1キロワットの瞬間発電量のピークを記録した。ただ、雲が動いていたせいか今日一日の発電量は17キロワットで、平均以下だった。真夏のような強い陽射しはないが、太陽の位置が低くなり始めたのと、パネルの熱が上がらないのとで最高記録が出たのかもしれない。1日の発電量の最高が今まで22キロワットなので、そろそろそれを越える記録が出ることを期待したい。
昼間涼しかったので、隣の畑の草刈りをした。全体の面積の5分の4ほど刈り終えた。そこまで刈った所で、下の家で臨時の駐車場に利用している様子の場所になったので、そこまでで草刈りを終了にした。その場所からは隣の家の様子が丸見えになってしまい、畑にしても使いにくいので、最終的にはこの辺で畑として使うスペースは手を打とうと思う。それでもかなり広い。ざっと見て200坪以上の広さがある。
夕方からは2個目の椅子を製作。先日テーブルを作ったときに、椅子の材料も用意して、あとは角の面取りをして組み立てれば出来上がるようになっていたので、夕食前の2時間弱で完成させた。椅子はあと2個分材料があるので、また暇を見つけて製作する予定だ。
2008年8月19日(火)
ポチを残して松本へ
9時20分にゆりかご動物病院にポチを連れて行った。先客のネコさんがいたがすぐそのあとに昨日に引き続き皮下点滴を受けた。今日から病院が3連休になるので、点滴の量も多めに入れたようだ。昨日の様子を聞いて獣医は、劇的な変化はなくても少し落ち着ける時間があっただけでも良くなっている証拠です、と慰めてくれた。
22日、23日の倉敷での義父の記念会の間、入院させて静脈点滴をやって様子をみることにした。22日は朝佐久平から新幹線に乗る前にポチを病院に預ける。病院から佐久平までは10分もあれば行けるので、7時45分に預かってもらうことにした。点滴が終わって家に帰る途中、車の中で失禁してしまった。家にいる間、まだ不快感はあるようで夜中までに3回ほどもどした。
今日は午前中松本に行く予定だったが、ポチを病院に連れて行ったため夕方に変更した。ポチをひとり留守番させるのは忍び難かったが出かけた。用を済ませたころは夕食の時間になってしまったので、初めて松本に来たときに食べに行った「サンマルク」にまた行った。ジイの誕生日が近づいて「サンマルク」から案内状が来ていたので、それを提示したら誕生日を祝うキャンドル付きのテーブルがセットされ、案内された。誕生日用のスペッシャルメニューで、食後のデザートのときは店員がカードを持参し、大きな拍手をして衆目の的になってしまった。バックの生演奏で「ハッピィバースデイ」の曲が演奏されていた。でも、少なくてもまわりの席には我々を含めて5組の誕生日用のテーブルになっていた。ゆっくりしたいところだったが、帰りが遅くなるのとポチが心配だったので8時前に店を出て、9時前に家に戻った。
2008年8月18日(月)
ゆりかご動物病院
ポチの具合が良くならないので、ネットで動物病院を検索していると佐久市中込の病院がヒットした。内容をみると動物や飼い主に対する診療に関してのしっかりとしたポリシーが書かれているし、ブログを読むと動物に対する愛情があふれているのが感じられたので、少し遠いがそこへポチを連れて行った。場所も市役所の近くですぐに分かった。若い夫妻で獣医をやっている様子だ。良くこちらの飼っている状況を聞き、触診をした上でおなかのしこりについても便か腫瘍か、いずれにしてもそれはそれとして19才という年令からみると腎臓や肝臓などが原因ということも考えられるので、まずは血液検査をしたらどうか、という提案があり、20分ほどで結果が出るということだったのでお願いした。前足の血管から採血された。初めての経験でポチも痛さと恐怖で、診察台の上で失禁してしまった。そのおしっこも採取して尿検査もしてくれた。
検査結果は、人間ドックの結果表と同じような書式でそれぞれの検査項目の数値と犬とネコの健康体の標準値が書かれた表に、書かれていた。腎臓も肝臓も標準値を越える異常値を示していた。普通ならもうぐったりとしてしまうような数値だといっていた。診断は、「重度の脱水が認められます。血液のイオンバランスが崩れています。慢性腎不全です。肝炎も起こっています。」というものだった。
肝臓は治療すれば快方に向かう可能性はあるが、腎臓のほうは低下した機能は戻らないので、今の状態がさらに低下しないための治療しかできないといわれたが、そういう治療で本人が苦しまなくて済む治療ならお願いするということで、今日はそのための皮下点滴というのをしてもらった。人間なら静脈に点滴するのをネコや犬の場合は皮下にすることによって短時間で点滴ができるそうだ。そのかわりしばらく点滴した液が皮下にたまって垂れ下がってしまう。
昨日の動物病院と違って、こちらの話を聞いてくれること、ポチがどういう状態で、何のためにどういう治療をするかを詳しく説明してくれた。検査をする際も費用のことも説明してくれたし、支払いのときは診療費の明細書も出してくれた。明日から3日間臨時休診になっていたが、ほかに朝特別に診察する患者?がいるので都合がよければ9時半にもう一度点滴を打ちに連れてきてください、と言ってくれたので明日も連れて行くことにした。
診療から帰ってきて昼間から静かに眠ったり外に散歩にも出たりして少し顔の表情も良くなったように思えて一安心だったが、午後8時ごろからまた一度嘔吐してしまった。吐き気止めの薬をもらってあったので、無理やり口の中に入れてやったところ、少し落ち着いたようだ。
ジイはポチが落ち着いた午後先日草刈りをした隣の畑の草焼きをした。一時思った以上にカヤの燃え広がり方が早くなってしまったので、バアにも手伝ってもらって、水を撒き延焼を食い止めながら燃やした。草刈りは畑全体が終わったわけではなく、まだ3分の1ほど残っているが、畑にする面積としてはもう十分な広さがあるので、全部に広げるか今迷っている。広くしていろいろ作れるようにはしたいが、体力的に楽しさより苦しさが増してしまっては、本末転倒になってしまう。考える時間はたくさんあるので、ゆっくり考えることにしよう。
2008年8月17日(日)
ポチの様子
長女に促されて9時過ぎに、バアが昨日電話しても応答のなかった動物病院にもう一度電話してみたら、すぐに来られるなら連れてきなさい、という返事が返ってきたので急いで支度をして連れていった。しかし、入口を入った途端、逡巡したくなるような、余りきれいではない診察室と年配の獣医だった。それでもワラにもすがる思いで診てもらう。看護士をしている長女の見立てではおなかにしこりのようなものがあるので、便秘かもしれないと言っていたが、獣医も同じ見立てで注射を2本打ってくれた。戻ってきてしばらくすると薬が効いたのか、外で大便をしたので、ほっと胸をなでおろしたのも束の間、また嘔吐を何度も繰り返すようになった。
家の中では落ち着かないのか、庭に出て木の下にうずくまるようになってしまった。長女たちには申し訳ないが今日はポチに構いきりになってしまった。そういえば2年前に死んだ飼い犬の「アンチャン」の臨終を看取ってくれたのも長女だった。午後3時51分の新幹線の指定席が取れている長女夫妻を送り届けて戻ると、相変わらず庭の木の下にうずくまっているポチをバアが家に入れてやった。ふとネコは自分の死に場所を求めて家を出て隠れてしまうことがある、という話を思い出したらしい。
その後家の中で時々苦しそうな鳴き声をあげ、胃液臭の強いつばを出すときがあるが、少し嘔吐の頻度は減ってきた。午後から気温が下がり今夜は窓を開けていると寒いくらいになってすごし易いのがせめてもの救いだ。
2008年8月16日(土)
長女夫妻来訪
ポチの様子がおかしい。明け方から嘔吐を繰り返している。あいにくお盆休みで市内の動物病院をネットで調べて電話をしてみるが応答がないか、留守電になってしまう。
今日は長女夫妻が午前9時36分の新幹線で来るというので、6時に起床し家の掃除をした。9時に家を出て佐久平まで迎えに行く。長女は昨日の夜準夜勤明け、夫のほうもやっと休みが取れたという忙しい合間の来訪だった。佐久平で二人を出迎えたあと、立科町のツルヤで食料を調達してから家に戻った。
二人にとっては折角のお出かけだが、ポチの具合が悪いのでポチをおいて出かけるわけにもいかず、申し訳ないが家でゆっくりしてもらうしかなかった。
2008年8月15日(金)
63回目の終戦記念日
63回目の終戦記念日を迎えた。二度とこういう記念日など新しく作らせてはいけないと強く思う。戦後生まれの我々が老境に入るようになり、戦争体験者がくしの歯がこぼれるように亡くなっていく中で、戦争を知らない我々自身が戦争の悲惨と無意味さを語り継いでいかなければならない。報道によれば、戦後63年間に世界中の99ケ所で戦争が起こったか起こっているという。その戦争の一部は、日米安保によって日本が加担しているところもある。今度の臨時国会では、米軍への給油活動も争点の一つになる。
今日の全国戦没者追悼式での福田首相の式辞の中に次のようなくだりがあった。
平和協力国家として、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に向けて、積極的に活動していくことを誓います。」福田首相自身は参拝しなかったが、いまだに閣僚や国会議員が靖国神社に参拝し続けている。国民を戦争に追い立てる精神的支柱になった神道の宗教施設に公式参拝するという、政教分離の原則からはずれたことを許してはいけない。福田さんは小泉政権の官房長官時代に、靖国神社と切り離した国立の戦没者追悼施設を設置するという報告書をまとめた立役者だったはず。小泉首相の靖国参拝に対する中国、韓国の批判を受けたことをきっかけにできた報告だったと思うがその場限りのことだったようだ。だから広島や長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典や今日の戦没者追悼式の挨拶が空々しく聞こえてしまうのだ。
今朝は久し振りにごみステーションまでごみ出しに行った。生ごみを庭の穴に埋け、燃えるごみを燃やすと残るはプラスティック系のごみだけになる。さらにリサイクルできるプラを除くとごみ出しする量は少なくなる。ごみ出しのために早めに起きたのと朝のうち曇って涼しかったので昨日に続いて散歩に出た。先日畑に植えられていたヒマワリがトラクターで潰され漉き込まれてしまったが一輪だけけなげにも咲いている光景に出くわした。思わずシャッターを切った。散歩から戻ってから一日がかりで、有り合わせの材料を使ってデッキ用のテーブルを製作した。材料が少なかったので小さめのテーブルになってしまったが、手持ちの工具を駆使して作った。こんなことをして時間が過ごせる今の平和な社会を壊してはいけないとつくづく思う。
2008年8月14日(木)
久し振りの散歩
予報では午後から雨模様になると言っていたが、山ちゃん家夫妻は朝6時過ぎ、山へ出かけた。今夜はどこかのキャンプ場泊りの予定だが、余り天気が良くなければここへ戻るように、と伝えたが夜になっても連絡がないのでどこかでキャンプインしたのかもしれない。
我々も早めに起きたので、久し振りに散歩に出かけた。出るときは雲が流れていて涼しい感じだったが、途中から日が射してきて汗だくになりながらのウォーキングになってしまった。途中で急いで逃げる動物の後姿が一瞬見えた。カモシカかイノシシか急いで追いかけるが見失ってしまった。そのあと、高台から見たら放し飼いの犬が見失った地点の近くを走っているのを見つけた。何のことはないただの犬だったらしい。最近鹿が出る話を聞いたので少し野生動物に敏感になっている。
しばらく見ないうちに周辺の田んぼの稲がもう穂を付け始めていた。良く手入れされている田ほど穂の出がいいように見えるのは素人目だからか?それにしても元気のいい田んぼを見ていると、こちらまで力が湧いてくるように気なるから不思議だ。
散歩から戻ると今日もコバチャンは仕事に来ていた。午前中で仕事は上がって帰っていった。この次は
20日から、と挨拶して帰っていった。現場はきれいに片付けられていた。
夕方家の入口の芝を刈っていると、立科町のほうから盆踊りの案内の音が風に乗って流れてきた。あいにく
4時ごろ雨が降り出したので、会場を公民館に変更する放送も聞こえてきた。その雨も6時ごろにはすっかりあがり、7時半ごろから9時近くまで小諸や佐久、立科など4ヶ所ぐらいで打ち上げ花火が盛んに打ち上げられていた。この辺では帰省した人たちに合わせて今の時期にやるのだろうか?上尾では82日にもう済んだようだが。
2008年8月13日(水)
山ちゃん家打ち合わせ
夏休みを利用して山ちゃん家夫妻がやってきた。朝のETCの通勤割引を利用してくる、というので午前中の早めになるかなとは思っていたが、朝7時のニュースでは関越道もかなりの帰省渋滞になっているので、遅くなるかもしれないと心配した。しかし、上尾を5時ごろ出て、関越道は東松山より手前の新座辺りで事故渋滞で車が絞られていたようで、山ちゃん家が走っている間はそれほど渋滞に巻き込まれなかったらしく、8時ごろ到着した。
いつもは
8時過ぎに来るコバチャンが9時になっても来なかったので、先に家を開けて中を見学している間にコバチャンもやってきた。昨日1階の寝室、リビング、ダイニングの床が半分以上張られていた。普段なら床材を張ると傷を付けないようすぐに養生してしまうらしいが、今日山ちゃん家が来るということで、見たり触れたりできるよう養生しないで残しておいてくれたようだ。ありがたい配慮だ。また、玄関の入口の下がり壁を丸くR(アール)の形にするのに、ダンボールで4種類も型紙を作って待っていてくれた。10時ごろスーさんもやってきて、山ちゃん家とコバチャンを交えてどんな形にするか型紙を玄関のところに実際に張りつけて決めた。室内のキッチンの下がり壁もその場で簡単なイメージ図などを書いてもらって検討していた。今日あたりからそろそろ現場でもお盆休みのところがあると思うが、スーさんもコバチャンも明日まで出てくるとのこと、タイミングよく山ちゃん家と打ち合わせができた。
午後は暑さがぶり返し、暑くて外にも出られず、山ちゃん家夫妻と高校野球を見たりオリンピックを見たり昼寝などをして過ごした。夜はスーさんが差し入れてくれたビールをいただきながら夜の食卓を囲んだ。
2008年8月12日(火)
1日遅れの浄化槽消臭
昨日来る約束だった浄化槽の保守点検業者が来なかったので、電話をして催促した。年4回ほど10分程度の定期点検をして、年額25,200円も支払っているのに、いざというときに役に立たないなら保守契約を打ち切る、とまで言った。そのあと担当者から電話があって午後来るということだった。午後3時過ぎにやってきて、浄化槽にバクテリアの入った薬品を投入し、風呂やトイレから流れてくる外のパイプに消臭剤を入れていった。
午前中ジイは玄関の日よけを取り付けた。もう暑さも峠を越えたというのにいまさらの感があるが、まだ西日は強いので重い腰を上げてやることにした。去年取り付けてそれなりの効果もあったが、いまいち見栄えがよくないので今年はなかなか気乗りがせず、取り付けが伸ばし伸ばしになっていた。
昨日注文したリョウビの「卓上糸ノコ盤」が入荷したとコメリから電話があった。昨日の話ではリョウビと電話連絡が付かず、会社が夏休みになったかもしれないので、入荷は盆明けになるということだったが、昨日のうちに連絡が取れて今日入荷できたとのことだった。夕方コメリへ受け取りに行った。これで、ジイ小屋でやろうとしていることのために必要な工具類はほぼ揃った。これからはしばらく道具を揃えるよりは使いこなすほうに専念しようと思う。(そうでもしないとバアにイヤミを言われるのがオチだ。)糸ノコ盤では、バアの要望にこたえてネコの形のくりぬきでも試してみようかな。
2008年8月11日(月)
補助金交付請求
午後から東御市役所企画課に太陽光発電補助金の実績報告書と補助金交付請求書を提出に行った。既に5月に補助金の申請と交付決定は済んでいるので、今回設置を完了した報告書を出したので、後は実際の補助金129,000円が支払われるのを待つだけになる。今年は上尾市にたっぷり住民税も払ってきたが、東御市には固定資産税と均等割りだけの住民税しか支払っていないのに、補助金だけしっかりいただいて申し訳ないような気がする。
市役所に行ったついでに「コメリ」にテラスの工事代金の支払いに行った。締めて
182,700円、カタログなどを事前に見ていたら4050万円すると思っていたので、とても安く済んだような気持ちになってしまった。退職前に、こうした日常的な生活物品以外の出費に当てるために貯めておいた資金から出したが、そちらの資金に余裕ができた?ので、ジイの道楽用?の卓上糸ノコ盤の注文をついでにコメリでしてきた。さらに店内を物色していたら、安いディスクサンダーがあったので、それも購入してきた。今までは電動工具などはほとんどカインズで買っていたのが、今回のテラスの注文を機会にポイントの溜まる「コメリカード」も作ったので、だんだんコメリでの買い物が多くなってきた。
家に戻ると、コバチャンとの打ち合わせでスーさんが来ていた。山ちゃん家の材木を卸している業者に、スーさんが紹介してくれた。材木の種類やサイズの値段表を近々届けてもらい、それをもとに頼めば、山ちゃん家への配達にあわせて運んでくれることになった。端材ではないちゃんとした材木で作りたいものを、値段表と見比べて考えていきたい。
夕方から家の周りの草刈りと隣の畑の草刈りを
1時間ちょっとやった。畑のほうは相変わらずカヤやノバラが生い茂っていてなかなか進まない。刈払機の刃もかなり磨り減ってきた。今週中には畑の全体像が見渡せるようにしたいのだが・・・。
2008年8月10日(日)
上田にショッピング
昨日は早めに風呂に入ったせいか、眠くなるのも早くなり、ホームページの更新もせずに寝てしまった。今朝も8時までぐっすり寝てしまった。寝違えて首が回らなくなってしまった。暑さも峠を越えたらしく朝晩は涼しくなってきたせいか、言い訳ではないが良く眠れる。
午前中バアはせっせと洗濯、ジイは布団干しを手伝う。大昔ならバアは川に洗濯、ジイは山に芝刈りという光景か?午後は久し振りの外の空気を吸いに出ようということで、上田にショッピングに出かけた。ジャスコに車を停めて歩いて上田駅の近くのデパート「リビン」に行った。マクレガーのお店でバアのお出かけ服を買い、義父の記念会に集まるみんなへのプレゼントを買った。上田駅周辺ではいつもよりも人通りが多いように感じた。これも学校が夏休みなのとお盆の帰省の影響があるのか?
ジャスコへ戻る途中、日本キリスト教会の上田教会と日本キリスト教団の上田新参町教会の前を通った。両方の教会とももう次週の説教題が書かれた看板を出していた。どちらも車で来たらどこに停められるか、などと何時礼拝に出席するかもわからないのに?探索していた。
そのあと海野町商店街を歩いていると、ミスタードーナッツがあったのでお店の中に入ってみた。持ち帰り用のほかに店内で食べるドーナツも買ってそこで食べた。気が付いたら他のお客はほとんど
10代の若い人たちだったので、ドーナツを食べアイスコーヒーを飲み干すとそそくさとお店を出た。久し振りにショッピングの行き帰りを歩いたが、いくら暑さが峠を越えたといっても日当たりの所はまだ暑く、日陰を選ぶように歩いた。5時ごろ家に戻り、夕暮れ時デッキに腰掛けていると涼しい風が通り過ぎて心地よかった。
2008年8月9日(土)
トラブル解決
朝からホクシンのスーさんに電話して電気温水器の修理の手配をお願いした。また、2,3日前から合併浄化槽から悪臭が出始めたので、維持管理を委託している業者にも電話をした。こちらは担当が休みで、あさっての月曜日にしか対応できないとの返事だった。
電気温水器のほうは、午前中
10時には設備業者が来てくれたが、トラブルの原因がつかめずメーカー対応ということになり、三菱電機に電話して夜までに来てもらうことになった。昨日はシャワーも浴びてないので、汗で頭や体がむず痒くなってきており、今日中に直らなければ、明神館の温泉に入ってこようかと話していた。
しかし、こちらのほうは午後
7時ごろ来て、本体内のリセットボタンを押して一応の問題は解決した。誤作動でのエラーなのか、エラー表示されている温水と冷水の混合弁の不具合が原因なのかしばらく様子を見る事になった。いずれにしても出なかった給湯も風呂の湯張りも、問題なく出るようになったので一安心だ。試しに湯舟にお湯を張ったので、早めに風呂にも入りさっぱりできた。
今度の二つのトラブルは、土曜日と分かっていたが、お盆休みも近く今日連絡しないと何時になるか心配だったので連絡したが、まったく違う対応だった。特に電気温水器は、何日も待たなければならない、というと困ったことになる。実際最初の三菱電機の修理部門での回答は、
3日後の12日ということだったので、それでは困ると言うと長野の営業所と調整して回答する、とのことで結局今夜来て貰えた。浄化槽のほうは山ちゃん家のほうも含めて業者を見直す必要があるかもしれない。緊急時にどう対応してくれるか、それが決め手だから。
ホクシンのスーさんもお昼前に電気温水器の状況を確認に来てくれた。その時点ではメーカーへ依頼中だったので、事後報告することにした。スーさんがそのさい、かねてからO支店長との約束だった「ぽんちゃんベンチ」を持ってきてくれた。山ちゃん家の契約をするときの約束をO支店長もしっかり覚えていてくれた。玄関横に置き、夕方きれいな夕焼けをそこに座って眺められるよう、「夕焼けポンちゃんベンチ」と命名した
2008年8月8日(金)
孫たち帰る
久し振りにごみステーションに可燃ごみを持って行った。孫の1週間分のオムツと、大勢いると減らせないプラスティック系のごみが溜まってしまった。紙類は庭で燃やしているが次女家族がいる間に一度燃やしたが、もう次に燃やすものが溜まってきている。
8時過ぎに、テラスの物干し金具を取り付けに業者がやってきた。先日のテラス工事の時には、部品がきてなくて取り付けられず、今日になってしまった。取り付けが終わり早速、今日帰る次女家族の洗濯物などをそこへ干した。
次女と孫たちは午後
3時に、今度は夫のほうの両親が滞在している軽井沢に向けて帰っていった。1週間があっという間に過ぎたが、一方でいまさらながら「子育ては体力の要るもの」というのを実感した。家の残った二人ジイとバアはいつの間にか5時ごろまで眠ってしまった。
スーさんが来て、隣の一人暮らしのおばあさんの家との水の処理についての話が不調に終わったとの報告があった。残念ながらこちらの思いが通じなかったようだ。最終的には、溜池から滲み出てくる水の問題なので、我が家の所から隣の家に影響の出ない方向へ何らかの方法で排水することにした。特に今回隣の畑の所有者から自由に畑を使ってもいいとのお許しもいただいているので、そのことも考慮に入れて検討しようと思う。それが結果的に隣の下の家に滲みていく水の量も減り、
2軒ともある程度懸案が解決できることになるはずだ。おばあさんは今回のことで大分気に病んでいる様子らしいので、水の処理の問題については意見の相違はあっても、お互い恨みっこ無しでお付き合いしましょう、と言いに行こうかと思う。
夕方隣の畑の草刈り
3日目に突入。約1時間やったがまだ畑の全体像が見渡せないほど草が生い茂ったままだ。1年や2年で野菜が収穫できるような畑になるかだんだんと心配になってくる。夜になってシャワーを浴びようとしたら電気温水機が故障でお湯が出なくなってしまった。孫たちがいるときでなくて良かったが、今夜は汗臭いまま寝なくては・・・。
2008年8月7日(木)
子育て
2ヶ月ぶりに佐久総合病院の定期健診に行った。前回は河川敷にある広い駐車場も空いてないほどの混みようだったので、予約時間より30分以上早く到着するように今回は早めに家を出た。つい忘れてしまうが、ちょうど平日の通勤時間帯なので車が多い。それでもイライラするような渋滞があるわけではない。予約時間の40分前には病院に着き、入口に近い駐車場にも停められた。診察も早めに呼ばれ、10時ごろには薬局の薬も受け取って病院を出ることができた。だいぶ要領がつかめるようになった。
早く終わったので帰りにカインズに寄って日用雑貨を買い、隣のベイシアで大工さんたちへの飲み物や夕食の惣菜などを買ってから家に戻った。出かけるときはまだ寝ていた孫たちも、起きてから勉強をしたり、元気に走り回ったりしていた。今日も暑くなったので午後は水遊びなどを楽しんでいた。明日で孫たちともお別れだが、
1週間も一緒に過ごすというのは初めての経験なので、子どもなりの性格や行動パターンの新しい発見と驚きや感心を覚えることや場面がいくつもあった。よそ行きの顔ではない、日々の生活の一部を垣間見ることができてよかった。次女夫婦の子育てに奮戦している様子も間近に見ることができた。しっかりと自分たちなりの子育てに対する考え方も持っていることがわかって安心した。夕方涼しくなってから昨日の続きで隣の畑の草刈りをした。まだ先が見えないほど丈の高い草に覆われている。
2008年8月6日(水)
原爆の日
63回目の広島の原爆の日を迎えた。NHKの午前8時からの平和祈念式典の生放送を見た。勤めている間は、通勤途中か職場で始業の準備の最中の時間帯なので滅多に見たことはなかったが、30分余り中継していた様子を見て思う、本気で核廃絶をしなければ人類は、地球は滅びてしまうと。核の抑止力などという幻想は捨てて、全ての核保有国はいっせいに核を廃棄しなければいけない。唯一の被爆国である日本として、広島市長のように全世界に堂々とアピールできる政府を作らなければいけない。
午前中昨日から作り始めた椅子を塗装だけ残して完成させた。材料はたくさんあるのでこれから時間があればいくつも作れるだろう。
お昼に一足先に帰る次女の夫を佐久平駅まで車で送った。家に戻って昼食後昼寝をした。ここ数日は日の当たるところはまだまだ暑いが、家の中で風があれば過ごしやすくなってきている。だからかどうか、昼寝も心地よい。
5時過ぎに隣の畑の草刈りをした。蔓性の草がはびこっていたり、大きなカヤの株があったりで刈払機で刈るのも大変で、まだ3分の2ほど残して終わりにした。秋までにひととおり刈り終わらせたあと、ユンボで土を掘り返してもらおうと思っている。来年から野菜作りができるかわからないが、寒くなる前に一回は肥料を入れて耕しておきたい。
2008年8月5日(火)
発電少し
日中の温度はうなぎのぼりで、孫たちはデッキの上に簡易プールを出し、水遊びに興じていた。ただ午後4時ごろから空一面雲に覆われて暗くなり陽射しがなくなって、太陽光発電も早々とお休みになってしまった。1日の発電量も14キロワットしかなかった。平均20キロワット発電してきたので、少ないことがわかる。今まで観察してきた結果では、発電するためにはやはり陽射しが一番で、明るさはあまり効力に影響はなさそうだ。暑さは逆に暑すぎると発電が少しダウンする感じがする。
夜になって激しい雷雨があった。
2時間以上降り続いた。一旦小降りになったがまた降りだすという状況だった。ジイは山ちゃん家の工事の端材による工作第2弾として、椅子作りを始めた。今までと違った椅子を考えている。
2008年8月4日(月)
中央公園で遊ぶ
昨日の夜は満天の星だったのに、今日は朝からどんよりした曇り空で風も吹いて怪しげな天候だった。それでもお昼近くには明るくなってきたので、お弁当を持ってみんなで東御市中央公園に出かけた。上尾の丸山公園ほどは大きくないがよく手入れされた広い芝生広場やアスレチックコースもあり、小学1年生のアーちゃんには楽しめる遊具がたくさんあった。アーちゃんの遊び歩く遊具のあとを追いかけるように付いて、とことことおぼつかない足取りだが転ばずに歩き回った。
夏休みにもかかわらず、遊具はほとんど貸し切り状態、芝生広場も
2,3組がいる程度で、のんびりと過ごした。ちょうど芝生を大型の芝刈りトラクターが刈っていて、時々広場を一周してきて近づいてくる。こちらが芝生で荷物を広げていてもお構い無しだ。これも大勢の公園利用者がいたら、ブーイングになるところだろうが、数えるほどの利用者しかいないここではマイペースで芝が刈れるのだろう。
遊んでいる間にすっかり空は晴れ渡り、みんなで大汗をかいて用意していった飲み物が足りなくなり、近くの市民体育館の中の自動販売機まで買いに走った。公園に出かけた主目的のローラーブレードの練習を芝生広場を囲むようにある1周400メートルのランニングコースでやったあと、もう一度アスレチックのお気に入り遊具で楽しんでから家に戻った。
みんながシャワーで汗を流している間、ジイは昨日準備して陰干ししておいたヤマメの燻製にとりかかった。約1時間かけて仕上げたが、今回は昨日のソミュール液の塩加減が強すぎたのか、少ししょっぱかった。前回と同じ配分で塩、砂糖、それに大阪の友人が送ってくれた黒七味を入れたソミュール液だったが、今回は魚の量が前回より多かったので倍の量の液にしたこと、浸けている時間が長かったこと、魚が全体に小ぶりだったことなどが原因として考えられる。次回は失敗しないよう記録しておかなければ。とにかく最近は覚えが悪く忘れっぽいので、燻製レシピにしっかりメモしておかないと、教訓が生かされない。それでもとりあえずみんなで1尾ずつは食べてくれた。塩分が強いので保存はきくだろうから、冷蔵庫にしまっておいてあとで食べることにしよう。
実家が山梨で桃を作っている友人から桃が届いた。割ったら桃太郎が出てくるかと思えるような立派な桃だ。上尾にいるときも毎年家に届けてもらっていた。味は折り紙つきだ。友に感謝。
2008年8月3日(日)
孫たちの一日
小学生になったアーちゃんは、朝食後まず夏休みの宿題をやっていた。夏休みになってから毎日続いているという。ジイや次女が1年生だったころは、夏休みの宿題は夏休みが終わるころにまとめてやる習慣だったが、受け継がれなくて良かった。
ジイは溜まった紙ごみを庭の畑で燃やしたあと、古くなったデッキのベンチとテーブルを分解し、カンナがけしてぼろぼろになっていた表面を削り、ジイ小屋を作ったときに使ったキシラデコールの塗料を塗る仕事を、お昼をはさんで夕方
5時ごろまでかけてやった。このテーブルとベンチは最近、コバチャンたちの休憩のときに使ってもらうようジイ小屋のテラスに置いてある。傷みがひどくて使ってもらうには少し恥ずかしい代物だったので、コバチャンたちが来ない間に直しておこうと思い立ち、孫の相手をそっちのけでやった。塗装ついでに先日作ったベンチ2個もあわせて塗った。
孫たちは、暑くなった午後、デッキの上でプールに入って遊んだあと、アーちゃんはローラーブレードの練習を家の前の道路でしていた。この辺ならば路上で安心して練習できる。夕焼けが空に染まるころから、花火大会が始まった。今夜は東御市の花火大会だがこのあたりからは音しか聞こえてこない。慣れないところへ見に行くよりも、家の駐車場で自分の手で楽しむほうがいい、ということになった。ようやく涼しい風が吹き始めたので、楽しい花火大会となった。夕食はバアと次女の合作のおかずの数々に舌鼓を打った。食後パパさんとお風呂に入っていたムー君は、ウンチ事件を引き起こし、大騒ぎとなって夜の話題を独占した。
2008年8月2日(土)
孫来たる
10時から始まったホクシンさんのスーさんとインテリアコーディネーターのアイさんとの打ち合わせは、現場の山ちゃん家で行われたので立ち会った。午前中では終わらず、昼食をはさんで終わったときは午後3時半を過ぎていた。当初打ち合わせは、工事の進み具合で床の下地などが敷き終わって安全が確保できていたら、現場でやりましょう、ということだった。コバちゃんたちも建前の応援などで現場を離れることが多かったが、来た日は暗くなるまで仕事を進めて、現場で打ち合わせできるような状態まで仕上げていってくれた。今日の打ち合わせにも参加したかったようだが、やはり他の現場の応援にいかなければならず、やむなく欠席となった。お昼はこの辺で出前などやっているお店も知らないので、我が家で収穫したジャガイモやタマネギを使ったカレーライスをバアが作った。
4
時過ぎに次女夫婦と孫のあーちゃん、むー君がやってきた。これから1週間孫たちと過ごす。こんなに長い期間ジイとバアの家で孫たちと一緒にいるのは初めてのことだ。孫たちの成長の度合いを実感できる。
2008年8月1日(金)
改造より政権交代?
昨日早く寝たせいか5時過ぎに目が覚めてしまった。日記をはじめホームページの更新をしなかったので、起きて日記などを書いた。山ちゃん家レポートも写真が溜まっていたので更新した。今日は工事がないので、見るものもない。仕方なく昨日の続きで2個目のベンチを作ったり、テラス工事の邪魔になるのでどかしておいたデッキの階段を付け直したりした。階段の取り付けは、踏み板を新しい幅の広いものに替えたら、バランスが悪くなり何度もやり直すうちに外が暗くなってしまった。明日のホクシンさんとの打ち合わせのため、夜10時ごろ山ちゃん夫婦がやってきた。いよいよシステムキッチンやトイレ、手洗い、ユニットバスなどの住器関係や照明やスイッチ、コンセントの位置など、毎日の生活回りの具体的なことになってきて、選択肢が広くなって迷いや悩みもあるようだが、そういったものも煎じ詰めてみれば、家づくりの楽しみの一つでもあるのだから、大いに悩むといいと思う。今日は朝から福田内閣の改造がテレビのニュースを独占していた。国民の大多数は、今の閉塞状況に対しては、小手先の内閣改造よりも政権の交代による大きな変化を求めていると思うのだが・・・。
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思いつくままに(ジイの記録)