ジイとバアのイギリス旅行 

                                    01年10月8日〜15日        

 ジイとバアは、できる限り1年に1回は海外旅行をしたいため、あんまり好きではない仕事も我慢して続けてきた。といっても結婚20周年を期に初めて海外旅行を始めたので、まだ旅行歴としては10年ちょっとである。初めての海外旅行が、アメリカ西海岸を予定していたが、出発日の2日前にロスアンゼルスで、黒人を暴行した警官の裁判の判決をめぐり暴動が起こったため急きょ旅行が中止となってしまい、仕切りなおしで2ヵ月後に行ったヨーロッパ旅行がきっかけですっかりヨーロッパにはまってしまい、ずっとヨーロッパ各国を旅行することになった。したがってジイは、いまだにアメリカ合衆国には行ってない(ジイを留守番させてバアだけは娘たちと行ったことがある)。ただ、まだまだヨーロッパでも行ったことのない国があるので、体力と資金力がある間はまだヨーロッパ訪問は続けたいと思っている。

 今回は、最新の旅行であるイギリスの旅を紹介したい。5年前にツアーで行った時は、スコットランド・イングランドを駆け足で周ってしまったので、今回は個人旅行でロンドンを拠点に日帰りの列車旅ができる範囲を旅行した。往復の飛行機、ロンドンのホテルとイギリス国鉄のフリーパス(ブリットレイルパス)を近畿日本ツ-リストで手配して出かけた。出かける前の日にアメリカがアフガンへの報復爆撃を開始したような状況だったため、空港は物々しい警戒態勢がしかれていた。イギリス滞在中ホテルのテレビは、ニュースはずっと爆撃の模様を流していた。帰る前にアメリカ国内の郵便局のニュースを写していて意味がわからなかったが、帰国してからそれが炭そ菌騒ぎだったことがわかった。ニューヨークの貿易センタービルへのテロは悲しいことであるが、その報復をすればまたその報復とイスラレエルとアラブのつきない争いとダブる。この報復の円環はどこかで断ち切らなければ平和は来ないのではないだろうか。そんな思いを抱きながらの旅だった。また、ジイの禁煙の始まりの旅でもあった(02年2月24日現在続いている)。
1日目はロンドン市内

 市内観光を個人でするには、地下鉄のワンデイ・トラベルカードかウイークリートラベルカードが便利。ブリットレイルパスは、地下鉄はだめなのでジイとバアはウイークリーカードを購入した(写真要)。定期券を持ったような感覚で自由に地下鉄を乗り回せたのは、得をした気分であった。
       
いわずと知れたロンドン・バッキンガム宮殿
初めて訪れた5年前はツアーで、一日自由行動の日に衛兵の交替式を見るため半日近く時間を費やしてしまったが、今回はホテルが近かったので朝の散歩コースで訪問した。
バッキンガム宮殿前庭衛兵交代の儀式のメイン会場になる
宮殿前に大きな赤い袋を持って立っているのがバア
ウェストミンスター寺院の前庭に立つチャーチル元首相の銅像。日本の戦後に影響を与えた一人だ
かの有名な英国国会議事堂と95メートルの高さがある時計塔
マイフェアレディの舞台として有名なコべント・ガーデン・マーケットの入り口
    

  2日目 リバプールとマンチェスター

 2日目はリバプールとマンチェスターへ行った。ジイとバアの青春時代に欠かせないビートルズの生誕地リバプールは、晴れと雨が交互に来る不思議な天気だったが、ビートルズの足跡をたどる資料がたくさん展示している「ビートルズ・ストーリー」を見学したり、ビートルズのデビューの舞台となったクラブ「キャバーン」などを見て歩いた。
  次に訪れたのは、かつてイギリスで産業革命がおこったころ、産業革命の推進役だった綿産業の中心地であったマンチェスターだ。かつての栄華を誇るような雰囲気はあまり町並みにはみられなかった。

リバプール・セントラル駅 リバプールへは、ロンドンのユーストン駅から3時間弱でいける。
マージー川に面するアルバート・ドック。マージー川から外海のアイリッシュ海につながっている。
クラブ・キャバーンのあった通り
マンチェスターの工場。煉瓦造りの建物はかつての綿織物工場。
科学産業博物館。
マンチェスター・ピカデリー駅。イギリスの国鉄駅は必ずしも町の中心にあるわけではない。鉄道のできるずっと以前から町が形成されているので、鉄道駅は郊外にできていることが多い。

 3日目はハワースへ

  ハワースは、『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテ、『ジェーン・エア』を書いたシャーロット・ブロンテの姉妹が住んでいた小さな村だ。バアが嵐が丘の舞台となったムーア(荒野)とそこに咲くヒースを、死ぬまでに一度は見てみたいと言っていたので訪れた。
 ロンドンからの行き方は、ロンドン キング・クロス駅からリーズ駅まで2時間、リーズ駅で乗り換えてキースリー駅へ
キースリーからバスで約20分。(キースリーの駅からバス発着所まで10分近く歩く。例によって駅は町の中心にはなく、バス停は駅の中心部にあるが、どこにハワース行きの発着所があるのかわからず、結局つたない英語で聞いて、何とかわかった。)

ブロンテ姉妹の父が牧師として牧会していたハワース・パリッシュ教会。
ブロンテ牧師館。今は博物館になっていて、ブロンテ姉妹の直筆原稿や手紙、愛用していた遺品などが展示されていた。
ハワースの町。小さな田舎町だが歴史を感じさせる。
教会からムーアへ続く遊歩道。石積みの塀がイギリスらしい雰囲気。
この風景もブロンテ姉妹が毎日のように眼にしていたのかもしれない。白い点のように見えるのが羊。
ヒースの丘。ヒースは別名ヘザー、日本の花屋に「エリカ」の名前で売られている花に似ている。
エミリー・ブロンテが書いた嵐が丘の舞台となったムーアの入り口にすぎない場所だが雰囲気だけはわかる。この日も急に雨が降ったり、晴れ間が広がったり急がしいお天気だった。
イギリス人は散歩が好きだという。雨の中でもカッパを着て歩く。1時間人がきそうもないような場所なのに、何人か散歩しているのを見かけた。
昼食を取ったレストラン。バスの中で、ブロンテ博物館に一番近いバス停を教えてくれ、同じところで降りるからと言って、博物館の近くまで案内してくれ女性が、実はこのレストランで働いていた。中へ入っていったら親切なその人がいたので驚いた。
近くの公園に咲いていたヒースの花
ヒースリー駅で見かけた機関車。日本の鉄道発祥の頃走っていた汽車かと思えるようなクラシックな機関車でした。

 4日目はカンタベリー、ドーバー、カレーへ

 英国国教会の総本山であるカンタベリー大聖堂のあるカンタベリーは、一度は訪ねてみたい街だった。また、ドーバーはドーバー海峡で有名だし、フランスに一番近い所なのでジイはぜひこのドーバー海峡を船で渡ってみたいと思っていた(泳いでは渡れないので)。そして、ついにフランスのカレーまで行ってきたのだ。
カンタベリーは、ロンドン、ビクトリア駅から約1時間30分。ドーバーへはカンタベリーから30分弱。ドーバーからカレーはホーバークラフトで40分で行ける。

カンタベリー、ドーバーへ行くには2通りの方法があるようだが、ジイとバアはロンドン、ビクトリア駅から乗りカンタベリー・イースト駅へ行くコースで行った。ビクトリア駅前で見かけた騎馬警官。
カンタベリー・イースト駅を降りて最初に目にした中世の城壁。カンタベリーは城壁に囲まれた街なのだ。
城壁から中心街へ行く途中の民家街。煉瓦造りで何か日本の分譲住宅風の雰囲気があった。
カンタベリー大聖堂の入り口クライストチャーチ門
カンタベリー大聖堂。国教会の総本山だけあって大きさと中の絢爛豪華さはすごい。日本語の内部案内図も置いてある。
教会の入り口クライストチャーチ門の前の広場。ちょうど行った日は毎年行われるカンタベリーフェスティバルの初日で賑わっていた。
こんなパフォーマンスもみることができました。ラッキー!
同じく中世の仮装をした人たち
いかにも古そうな木造の家。
ドーバーの町と丘の上はドーバー城。やはりドーバー・プライオリー駅から中心街まで15分近く歩く。さらに、海岸まで出るには10分近くかかる。
さすがにドーバー海峡を望む海岸。モニュメントにこんな物を見つけた。
フランス・カレーにいくホーバークラフトの乗り場。
ドーバーの海岸。赤い砂浜と丘の白い切り立った崖の色のコントラストが印象的。
ユーロスターでトンネルを走るよりは雰囲気がある?ホバークラフトが白波を蹴立てて突き進む。ただし、ジイとバアはまだユーロスターに乗った事はないのだ。
40分足らずでカレーの港へ。イギリスから乗った乗客の多くは買出しのためらしい。帰りの船にはワインをいっぱい買い込んだ人が大勢いた。カレーの港から中心街へはバスで行く。30分ぐらい待ってやっときた。
カレーの市役所の前庭。表示はフランス語なのでチンプンカンプン。こちらへ来て知ったがイギリスと1時間の時差があるのだ。その日のうちにロンドンまで帰らなければならないのでわずか1時間足らずの滞在となったが、今回の旅がフランスにまで行くという感覚はなかったのに・・・。
市役所前庭にあったロダン作『カレーの市民』のレプリカ。

今回のイギリス旅行は定番のコースをはずして個人旅行でしかいけないような所を選んで出かけた。またいつか行けるだろうか?

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