愛犬の死

 我が家の愛犬アンが64日に亡くなった。子犬のときに我が家にやってきてからかれこれ16年半になるから、おそらく17歳ぐらいか。人間の年齢にすれば、80代なかばとか。年齢的には、大往生といってもいいほどの長生きなのだろうが、晩年は眼や耳がだめになり、足も弱ってまっすぐに歩けない状態になってしまった。しかし、大病もせず、それなりに食欲もあったので生き延びてきたのだが、それも自力歩行ができなくなった途端に、一気にわずか1週間あまりでその生涯を閉じることになった。

アンにはたくさんの思い出がある。子犬のアンが我が家にもらわれてきたころは、ちょうど我が家の娘二人が高校生、中学生で思春期真っ只中にあり、一番親子の関係が難しい時期に直面していたので、アンが家族の一員になったことで、ぎすぎすしがちな家族の関係が、どれだけアンによって和ませてもらったことか。
 躾らしい躾もしなかったせいかよく鳴く犬で、お隣から苦情を頂いたこともあったが、そのことを除けば、普段のアンは大変人懐こく、また同じように当時同居していた猫2匹に対しても、当の猫たちには迷惑がられている様子ではあったが、それにはお構いなくしっぽを振ってじゃれついていた。こんなアンの姿から、犬も“笑うんだ”ということを実感したものだった。わたしたち人間が声をかけると、しっぽを大きく振り、立っていた耳が横にくしゃっと倒れ、口が開いて、文字通り破顔一笑という表情になる。そこで頭を撫でようものなら、体をよじりもう幸せいっぱい!とでも言いそうな仕草になる。こんなアンの人柄いや犬がら?に何度家族が癒されたことであろう。また、隣に住んでいた義父(4年前に94歳で亡くなった)の散歩のお相手にもなり、弱った義父の脚力のリハビリのためにいくばくかの貢献もした。

三重苦のような状態になったこの1年の間に、2度ほどつないでいた鎖がはずれて迷子になってしまったが、その都度親切な方に助けられ、無事我が家に戻ることができたその強運と、誰からも好かれる性格の故に、死ぬということから縁遠い存在のように思い込んでいたので、このたびの急な死を受け入れるのにひと苦労した。最近よくペットロス症候群という言葉を耳にするが、他人事と思っていたことを自ら体験するとは思いもよらなかった。つくづくアンの生涯と自分の来し方を重ね合わせてしまう。誰からも愛されるような生き方は、とてもできるものではないが、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてきたのではないか、そのことだけはこれからも心していかなければと思う。ただ、理不尽なこと、人の道にはずれることには、NO!と言える筋は通していきたいと・・・。

20066月記)